Story disappeared……消えた物語
***Story disappeared……消えた物語***
「達哉、似合うじゃない、その姿」
今日は受賞式の日。
その日に合わせ背広を新調した。真新しい背広、一つぐらい持っていても損ではないと、少しいいものをそろえた。
「ごめんね達哉。一緒に行ってやれなくて」
沙織は前の日から頭痛がすると言って休んでいた。それにあまり人の多い所は苦手だから、僕を見送ることにした。
「大丈夫だよ僕は。それより沙織の方は大丈夫か」
「うん。昨日よりは大分いいよ」「そうか」
お母さんが「立派よ達哉さん」とほめてくれた。
そしてお父さんが「門出だ」と言って沙織と二人で写真を撮ってくれた。
「お父さん、ありがとう。私たちの門出に。記念に。ありがとう」
と少し涙ぐみながら沙織は礼を言った。
その日の朝は少し曇り空になっていた。
「降らないといいんだけど」僕はぼっそり呟く。
「それじゃ、行ってきます」
「がんばって、達哉」そう言って沙織は僕を見送った。
電車を乗り継ぎ、僕は会場に着いた。着いたとたん、物凄く緊張した。そこに集まる人々を目にして、その威圧感に押される様に緊張した。
授賞式の前に式の流れを説明された。一言挨拶を言わなければいけない事を告げられ、さらに緊張した。僕は本当に人前でのあいさつは苦手だ。
カチカチになっていると、そっと僕の肩に触れる手を感じた。
その方を見ると、優子が微笑んでいた。
「優子、どうして」
「あら、私がいちゃいけない」「あ、いや……」
うふふふ、と笑いながら
「招待されたのよ。いろいろと出しているからね」
「そうなんだ。驚いたよ」「そうでしょ」「ああ、ほんとに」
優子と話をしていると、少し緊張がほぐれてくるような気がした。
受賞式が始まった。
僕の名前が呼ばれた。
緊張しながら僕は、表彰の盾と副賞の賞金を手にした。
そして書籍化の紹介がなされた。
席に戻る途中、目に入った優子の顔は優しく、そして晴れ晴れしく僕を見てくれていた。
表彰式のパーティーの時
「残念ね沙織さんも来たかったのにね」と僕に沙織がこれなかったことを言ってくれた。
その後、優子からそして審査員たちから出席されていた作家を紹介され挨拶に回るのに大変だった。
授賞式の時の挨拶。もう勘弁してくれ。
僕がたいそうな事言える訳がない。あっけにとらわれるように簡単に済ませた。だから苦手だと言っているのに。
パーティも中盤となったころ。
僕のスマホが鳴った……
沙織の家から。
沙織が倒れたと……そして病院に運ばれたと……
…………………………
外は、雨が振っていた。
駅まで走るビルの大型スクリーンには天気予報が……
活発化した前線がこの雨を強く降らせるでしょう。そして、明日の日中から今年一番の寒気が舞い込みます。この雨は次第に雪に変わり大雪が予想されます。明日の交通機関……
僕は走った。新しい背広が汚れる事なんか気にもしていられない。僕はとにかく走った。
病院に着くと、お父さんが、お母さんがそして佑太が……
佑太が悲痛な表情で僕を見る。そして僕に抱き着き
「姉貴、もうすぐだって、姉貴もうすぐ一番大切な記憶を失くすって……どうしたらいい。達哉さん、俺、俺……」
抱き着きながら泣いた。
お父さんは僕に事情を説明してくれた。
「達哉君。今すぐと言う訳ではないが。後、そんなに時間が無いことは確かだそうだ。でもそれが1時間後なのか2日後なのかそれは解らない」
「沙織は、沙織は」僕は沙織の姿を訊いた。
「沙織は今検査中だ。多分麻酔で寝ていると思う」
それからすぐに検査室からストレッチャーに乗せられた沙織が出てきた。
「さおり、沙織、沙織……」
沙織は腕に点滴をされ、運ばれるストレッチャーの上で寝ていた。麻酔によって。
再びだろう。医師が説明するだけど、そんなの耳に入る訳がない。
何言ってんだ、コイツ。そんな事ないだろ。馬鹿だろう……馬鹿。馬鹿……沙織が僕に馬鹿だと言った。
そう沙織は僕の事を馬鹿だと。そして僕は、自分から大馬鹿だと自分から大馬鹿だと……
そうだ、僕は大馬鹿だったんだ。
こうなる事は解っていた事なんだ。それを承知で僕は大馬鹿になったんだった。
医師の言った通り、沙織はそれから1時間くらいして麻酔が切れ目を覚ました。
沙織の両親は、目を覚ました沙織に
「沙織、解る、わかる、解る」と繰り返し聞いた。
「どうしたの。そんな顔して、お父さん、お母さん」
その言葉を二人は訊いてホット肩を落とした。
その後ろで下を俯いている佑太に目をやり
「佑太もどうしちゃったの」と問いかけた。
「姉貴」そう言って沙織のところへ駆け寄った。
少しして、僕の方に目をやり
「達哉」と言ってくれた。まだ始まってはいなかった。
そして「ごめんね。大事な授賞式だったのに途中で抜けさせて」と今日の事も覚えていた。
「大丈夫。授賞式は終わっていたよ」そう言うと
「そっかぁ」と笑った。
沙織が落ち着いたのを見て、お父さんとお母さん、そして佑太はいったん家に帰った。
僕がずっとついているからと。
窓から見る外は、暗く厚い雲に覆われ次第に雨が強くなっていた。
夕食が運ばれ、何にもなかったように沙織はそれをペロリと平らげた。
そして、授賞式でもらった盾を見せ、副賞の賞金を手渡した。
「すごぉい。こんなに賞金出たんだ」沙織は驚いていた。
「そうだよ。半分は沙織の分だ」
「え、そうなの。いいの私なんかもらって」
「だってそうじゃないか。あの小説は二人で描いた小説なんだから」僕はそう言った。でも沙織は
「ううん。私はいらない。多分。そんなに……もうすぐ。私、あなたの事忘れてしまう。だから意味なくなるの。だから達哉が全部持ってて。」
「沙織」
「それに驚くでしょ。いきなりそんな大金が解らないままあったなんて。私多分それ持って警察にいくわよ」
「それはまいったな」そう言って笑いあった。
その日は、そのまま沙織は眠りについた。深い眠りに。
いったん僕は病院を後にして、沙織の家に電話をした。今、眠ったと。
僕は、沙織の家には行かず、大学病院と同じ町にあるアパートに帰った。
泣くために……
その部屋はいつになくがらんとしていて、冷たくそして寂しさが漂っていた。
背広を脱ぎ、盾を置いて……枕をつかみ……泣いた。またあの時と同じように泣いた。嗚咽を殺し、声を殺し自分のすべてを殺す様に泣いた。強く顔に枕を押し付けて。そして泣いた。
次々と沙織との思い出が、沙織の香りが思い起こされてきた。
ここで一緒に、ここで好きだと言って、日の変わったころ僕たちは初めて結ばれた。あの日のころの事、まだ鮮明に覚えている。沙織と出会った事。沙織と初めて出会った時のことを。
悲しみは自分を戒め、怒りに変わる。その怒りがまた悲しみを呼ぶ。いつしか怒りは悲しみに……また支配されてしまう。
誰もいない一人っきりの部屋で……泣く。
次の日、僕は朝から沙織のところに行った。元気に元気に振る舞って
「おはよう沙織」僕の声で
「あ、達哉おはよう」と返事をした。
「よしよし、まだ覚えてくれていたな」そう言って沙織の頭をクシュとしてやった。
沙織はそれを嬉しくいつもの様に受けた。
「なによ」とプンとさせながら、いつものように。
そして僕らはその日特別、何をするでもなく、ただ二人で手を繋いで、ただそれだけ、ただ手を繋いでいるだけの一日を過ごした。
沙織が
「ごめんね。今日クリスマスなのよね。こんな所でこんなになっちゃって、ごめんね。それにプレゼントの用意していない。達哉本当にごめんなさい」
「そんなことないよ。僕は沙織からもうプレゼントもらってるよ」
沙織はちょっとプンとして
「ああ、達哉はそう言うと思った。でも私、何か本当にプレゼントしたいんだけど。後で必ず用意するから何かない。達哉」
僕は素直に
「それじゃ遠慮なく」
「沙織をプレゼントしてほしい。沙織の人生すべてを僕にプレゼントしてほしい。共に老いて、この世に別れを告げるまで」
「結婚してほしい」
沙織は目を丸くした。唐突に言われた言葉に。自分に向けられた言葉に。沙織は……そして一筋の涙を流し、次第にその涙は止めることが出来ない大粒の涙に変わった。
「馬鹿よ達哉は。大馬鹿よ。もうじき自分の事忘れてしまう人にプロポーズするなんて……大馬鹿よ。達哉は」
「言っただろ、僕は大馬鹿だって。だから大馬鹿ついでにもう一つ馬鹿っぷり見せてやったんだよ」
それを訊いて沙織はぷっと噴いて
「馬鹿っぷりね。で、どうするのよ、記憶が無くなった後の勝算はあるんですか。大馬鹿さん」
僕は力を込めて
「まったくない」と答えた。「ほんと無鉄砲ね」と言って笑った。
「でも、小さな望みはある」
「なによ。行ってごらんなさい。その小さな望みとやらを。もしかしたら、それだけ覚えているかも知れないから」
沙織は覚えてあげよっかと言う感じで言った。
「僕が描いた小説を君が呼んでくれること」
「それって……」
「多分これから僕はいろんなところで物語を書くと思う。授賞式の時にそう言われた。だから、僕はたくさん物語を書こうと思う。そしてその物語の中に必ず君を沙織を入れようと思う。
もし、何かの廻り合わせで沙織が僕の描いた物語を読んだ時。儚い想いだけど、もし何かを感じてくれてどこかに僕の事を想ってくれればそれでいい」
沙織は黙って聞いていたその後、何も答えなかった。
窓の外は、もう雨の音がしていなかった。その変わり、空から白いゆっくりと舞い落ちる雪が、地面を次第にその色を一色に変えようとしていた。
「沙織。僕のプロポーズ受けてくれるかな」
そっと沙織に訊いた。沙織はゆっくりと答えてくれた。
「今の私、喜んで達哉のプロポーズ「はい」と答えます。そして、その後の私からは…………まだ言えない。でも今は「はい」と言える。私は達哉と結婚したい」
「ありがとう。僕はそれでいい。後の沙織からは気長に待つよ。返事」
僕はキスをした。沙織と唇を重ね合わせた。いつもしているのに。何故か初めてした時のように、かすかにこすれ合いながら、優しくそして愛おしく沙織にキスをした。
外の雪はその力を強くして、地上にある地上に描かれているすべてを消し去るように、白く塗り変えていった。
僕らはそれから、日中お母さんが持ってきたケーキを仲良く食べた。
口にクリームをいっぱい付けながら。白いクリームをいっぱいつけながら……
こんばんは泊まっていく。一緒にいよう、二人でクリスマスを過ごそう。
外はもう暗くなっていた。
僕らは、それからいろいろな話をした。あんなことがあったとか、わざと沙織をプンとさせて、その表情を楽しんだり。いろんな話をした。そして、沙織は眠りについた静かに。
もうすでに外は真っ白になっていた。すべての色が白一色になっていた。
今年のクリスマスは
ホワイトクリスマスになった。
僕もいつしかベットにうつ伏せて寝ていた。ずっと沙織の手を握りながら……
目が覚めると、外は夜に降り積もった雪に、日の光が反射していた。
輝くその光は新しい日が今生まれたことを物語っていた。
離していた手を繋ぎなおし、そっと沙織の顔を覗き込む。
ゆっくりと沙織の瞼が緩み開いていく。
その顔を見て
「おはよう」といつもの様に。毎日交わしている様に。変わりなく言った。
ぼやける眼に、次第に僕の顔が映りだす。
その人影をその人を次第にはっきり見る。僕の「おはよう」と言う言葉を訊きながら。
そして
「おはようございます」と返す。
沙織
沙織。
「はい」そして「何か御用ですか」
沙織
次の言葉は
「あなたは誰ですか」…………「私は沙織ですけど」……
………… 沙織の記憶は僕の事だけを、消してしまった。
僕と過ごしたおよそ180日間の記憶を……
キャンバスに描かれた二人の思い出は、歪み静かに消えていった。
そして、そのキャンバスは何も描かれない。
白いキャンバスになった。




