第6話
「なんか頭ボーッとすんな……」
十何年かの付き合いの幼馴染みである柊優衣と共に登校した俺は自らの身体の異変に気がつく。
なんだか頭が冴えない。食欲も何かに対するやる気も起きない。おまけに視界がもやがかかったかのように霞んでよく見えない。
「だ、大丈夫……?」
隣にいる優衣が心配そうに声をかけてくる。なるほど、傍目から見てもおかしいくらいに俺は今おかしいのか。本当に厄介なことになった。
「ああ……」
とにかく今は家に誰もいないので帰ってもどうしようもない。まずは授業を受けよう。その時今よりも症状が重くなったなら──その時はその時だ。
俺はなるべく平静を装いつつ鞄から荷物を取り出して机の中へと入れていく。こういうときに髪の毛で俺の顔が隠れているので顔色の悪さを察知されないのが救いだ。
結局、昨日はあまり眠ることができなかった。幼馴染みがすぐ隣で寝ているからということはないが、その幼馴染みが俺に寝る前に言ったことが俺の中で目まぐるしく駆け巡っている。
部屋から一階のリビングに入ると既に起きて朝食の準備をしていた妹の綾乃が開口一番「ねえねえ、なんか夜におねーちゃんとあった!? ねえ、あった?!」と妙に興奮しながら質問してきた。やっぱりお前の仕業か。
とにかく優衣よりも先に起きた俺はすでに準備されている朝食にありつくためにテーブルに座る。その時に体調の異変を俺は感じたのだ。
頭が重い。気分が優れない。食欲も出ず、やる気が起きない。
「昨日あまり寝れなかったからかな……」
とりあえずそれで片付けて俺は無理やり胃袋に食べ物を押し込んだ。本当は食べずに学校へ行こうと思っていたが、流石に妹の好意を無下にすることは俺の兄魂が許さなかった。なんなんだろうね、兄魂って。
そして後から起きてきた優衣に顔色の悪さを心配されながらも──やはり十何年も一緒にいると分かるのだろうか──なんとか気合いで誤魔化し、ふらつく身体に鞭を打ちながら学校に来たわけなのだが……やはりまずい。
朝のHRの先生の話はやはり耳に入らなかった。俺はひたすらに頬ずえをついて楽な姿勢をとろうと図っていた。優衣はそんな俺の様子を窺って心配そうな顔をしていたが、関係ない。別に彼女が変に風邪をひかないようにと、俺がこっそりタオルケットを自分の分までかけてやったせいで風邪ひいたとか全然そういうことじゃないからね!
だが、流石に学校にいられる体調ではなくなった。俺はなんとかふらつく身体で起立し、新任の若い先生に自己申告をした。
「あの、先生……」
「はい?」
「なんか体調が良くないんで保健室行ってきてもいいですか?」
心なしか、息を吸っていっぱいいっぱいに喋る俺の声は枯れているようだった。その声を聞いて先生も心配したらしい、
「そ、そうですか。では保健室に行ってきてください。あ、保健委員は誰ですか?」
と、慣れない様子で俺に許可をしてくれた。保健委員って誰だっけ……あ。
「私です」
げえ、やっぱりアイツか。そいつが名乗り出ると、男子はこぞってそちらのほうに輝く視線を送った。
切れ長の目に形のいい鼻と口。まさに美人というべきなその保健委員の名前は霧雨時雨。普通ならこんな美人にお供してもらえるなんて、涙を流して喜ぶべきところなのだろうが、生憎俺はそうではない。
俺は霧雨が苦手だ。俺が間違えたことをすると俺にだけやたらと突っかかってくるし、かといって仕返しにちょっとした罠に嵌めるとその人間性がおかしいと指摘してくる始末。しかもおまけにセレクトする言葉がいちいち刺々(とげとげ)しいのだ。そんなことを今まで度々経験してきたので、俺は彼女に対して苦手意識を持っている。やだなあ、憂鬱だな。
俺が髪に隠れた顔に嫌そうな表情を浮かべていると、
「あの……私も早退してもいいですか?」
とおずおずと提案した声があった。少し驚いてそちらを見ると、なんだ、優衣か。
「ど、どうしてですか?」
まだオドオドとしながら問う先生に彼女は遠慮気味に口を開いた。
「一翔君の家は両親は共働きで、中3の妹は学校で日中は誰もいないんです。そこに病人が一人だけというのも心もとないし……私、昔から一翔君の看病には慣れてるんです」
おい、なんか最後のは蛇足じゃないか? 気のせいか俺に対して嫉妬と羨望と敵意の視線が送られてきている。まあみんな男子。
全く……ルックスはいいと側にいる俺が辛い。そんな俺の心労には気づかない様子で、彼女は先生の返答を待った。当の先生は少し考えてから、
「まあ、そうですね。水島さん一人だと心配なこともあるでしょう、許可します」
と言ってくれた。だが、それに納得がいかないかのように一人異を唱える者がいた。まあ大体想像はつく。
「待ってください。学生の本分は勉強です。わざわざこんなやつのために将来有望な柊さんが休むことはないでしょう」
こんなやつって……明らかに私情が混ざっている意見だが、しかし先生は真面目にそれを吟味していた。オイオイ、頭堅いって。
「うーん、しかし看病する人がいないのもなんだか……」
「そ、そうだよ。一翔君がこれ以上悪化するのなんて良くないし」
やや否定気味な先生に便乗して珍しく優衣もクラスメイトの前で自分の意見を押す。おうおう勇ましいことで。そして優衣が自分の意見を通そうとする度に男子どもからの視線が突き刺さる。辛い。
「……だったら……」
そんな二人の態度にイライラした様子の霧雨が痺れを切らしたように叫んだ。思えば、あの普段は冷静な彼女にしてはいささか判断が鈍っていたような気もする。まあ、だがもう後の祭りだ。
「私も水島君の家に行きますよ! その……看病しに!」
その時俺がクラスメイトの男どもに、泡を吹きそうになるほどの怨念の詰まった視線を向けられたことはあまり知られていない。




