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第9話

 宗教者の皆さんには申し訳ないが、この世界に神などいない。

 神の問題は古来、専門家のみならず多くの人間の頭を煩わせてきたことだろう。文豪然り、科学者然り、哲学者然り。

 俺はついに答えを見つけた。

 神などいないのだ。

 考えてみてほしい。

 仮に神がいるならば、俺のようなはぐれものが損を食う世の中になどなっていない。優衣に石で殴られることもないし、友達もいないはずがない。

 だから神などいないのだ。なんて明快な論証! 俊才! 世紀の大賢人!

 えー、お知らせがあります。皆々様、神様はおりません。繰り返します、神様はおりません。以上です。ブツッ、ピンポンパンポン。


「……何を言っているんだ、お前は」


 放課後、俺は担当教員に職員室へ呼び出されていた。用件は何てことはない、俺が本当に学校生活を楽しめているのか、二者面談的でカウンセリング的なあれだ。

 目の前にあきれ顔で座っているのは担任の加賀谷先生。去年赴任したばかりの新任教師で、クールでドライ、男言葉で近づきがたい印象を与えるが、目の覚めるような美人っぷりと、あの霧雨時雨(きりさめしぐれ)も顔負けのダイナマイトボディで、主に男子生徒を中心に高い人気を誇る先生だ。

 呼び出されるとすぐ、先生は俺を連れて面談室に入って、「最近どうだ」とか「何か悩んでいることはないか」とか、当たり障りのない質問をしてきた。特に喋ることもないけど、何か言わないとこの面談は終わらない。そこで、先のようなことを喋ったのだ。しかも余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な態度で。気分は漫画に出てくるメランコリックなイケメンキャラだ。

「あのな、私が聞いているのはそういうことじゃない」

「神がいれば僕はこうして苦しんでいません」

「もっと日常生活で困っていることをだな。たとえば友人のこととか……」

「きっと今は超絶美少女に囲まれてウハウハのハーレム生活を送っていることでしょう」

「聞いているのかお前はっ!」

 癇癪を起こした先生がドン、と机を殴った。

 あちゃあ、怒っちゃったか。そんなピリピリするほどでもないのに。

「面談の場を設けた理由をもうちょっと考えてくれ」

「はあ。ですが、特に相談することはありませんよ」

「本当か?」

「ええ。先生方はいつも独りでいる僕を『寂しいのではないか』『いじめられているのではないか』などとご心配しているのかもしれませんが、寂しくもないしいじめられてもいません。クラスメイト――主に女子には陰口を叩かれたりもしますが、それは普通のこと。寛大な僕は歯牙にもかけていませんから」

 俺の流暢極まりない演説を聞いていた加賀谷先生は、厳しい顔で俺を睨んでいたが、やがて諦めたようにふっとため息を漏らすと、

「分かった。お前がそう言うならそうなんだろう。ただしいいか、何かあったら恥ずかしがらず私に頼ってくれ。私はお前の担任教師なんだから」

「はあ。ですが、先生も大変ですね。仕事とはいえこんな陰キャの相談に乗らないとだなんて。別に仕事だからって、僕の面倒を見る必要は無いですよ」

「あのなあ、水島。私が本当に仕事だからってこんなことをしていると思うか?」

「はい、それはもう」

 現に先生は眠たげに目を半開きにしているし、俺の話を聞いている時も興味なさそうだった。

「それは違うぞ、水島。それは違う」

 不意に先生の目が優しい光を帯び始めた。

「確かにこれも仕事だけど、お前たち生徒のことを大切に思っているのも事実だ。だから邪険にしないでほしい。今は困っていなくても、いずれ壁にぶち当たることもあるだろう。誰かに縋りたくもなるだろう。私は新米だけど、その時お前が真っ先に私の顔を思い浮かべてくれれば、それはもう教師の冥利に尽きるのさ。だから水島……あまり一人で抱え込むなよ」

 俺は先生の顔を見た。

 いつになく真剣な顔だ。思わずドキッとしてしまう。

「分かりました。ありがとうございます。もう帰っていいですか?」

「お前……本当に分かったのか?」

「はい。それはもう、ばっちり」

「そうか。授業でもそれくらい理解してくれれば言うことはないんだが」

「それは無理な相談です」

「そんなこと言わずに……あ、あとお前さっき『神様がいたら俺は美少女ハーレムをつくれているはず』とか言ってたよな?」

「それがなにか」

 ヤバい。さっきは勢いであんなこと言ったけど、いざ言われると死ぬほど恥ずかしい。

「お前にもいるじゃないか、女の子の一人くらい。(ひいらぎ)だよ。いつも仲良さそうにしてるじゃないか」

「あれは……ただの腐れ縁ですよ。俺だって関わる気はないのに、向こうはやったら話しかけてきますし」

「ふーん」

 先生はニヤニヤ笑っている。

「青春だな、少年」


 全てがオレンジに染まる空を漫然と見ながら校門へ行くと、


「あ、一翔君」


 優衣がいた。

 正直さっき先生にあんなことを言われた後に本人と会うと気まずい。

「何だよ、こんな時間まで。男と待ち合わせ?」

「うーん、当たりっちゃ当たりだね。一翔君のこと待ってたの」

「俺を? なんで?」

「だって、一緒に帰りたいんだもん」

 ダメ? と言わんばかりに上目遣いで俺を見上げてくる。

 長い睫毛に覆われた瞳、真っ白な鼻。

 こいつが雌ゴリラだと分かっていてもドキッとしてしまう。

「俺なんかよりも一緒に帰る奴いるだろ。いっつもつるんでる女子とか、あとお前とやたら親しい男いただろ。何だっけ、えーと……」

神谷(かみや)君でしょ。彼とはそんな関係じゃないってば」

「だからって俺と帰ることは……お前と二人でいることでどれほど苦労したことか」

「何それ?」

「いや、なんでもない」

 言えないよなあ。羨ましがられた、なんて。言ったら調子に乗るだろうし。

「それに私だって、一翔君と一緒に帰ると楽しいもん。皆にはいろいろ言われるけどね」

 いろいろとは何か、などとは怖くて聞けなかった。案外俺は傷つきやすいのだ。

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