一章 天才と悪徳刑事
「これは厄介な事になったかもしれぬ」
年季の入ったしゃがれた声で優の今回の件に関する説明に対する返答をするのは、御年67の志村勘介である。
この威厳のある髭面の、鋭い目をした翁こそが警視庁特殊犯罪対策課特殊能力室、通称四課の現在の室長だ。
「そして、その刀は今現在三森が預かっていると」
勘介の発言と共に、視線が優に向けられる、それに対し優は少し萎縮したかのように。
「は、はい……特に理由がなければ私が預かってても良い物かと……」
この発言に元々厳しい勘介の目が一層厳しさを帯びる。
「いや、ならぬ。その刀はしかるべき場所に収まるべきであろう」
「しかるべき場所といいますと?」
金木が率直な疑問を投げかける。
「うむ、それなんじゃが、それなりに設備の整った、人目につかない神社などだろう……、それに加えて、相当の手練れの陰陽師も必要じゃ」
「志村様が直々に封印なさるという手段は?」
金木の質問が次々と出る、この金木という男は気になったことは聞かずにいられない性質らしい。
「いや、これほどの妖力のある刀だとワシだと役不足であろう」
この発言に八神市にいる四課一同の顔色が変わる。
「事実、ワシは陰陽道を学んだものとしては並程度である、それもあり本家は才能に恵まれていた妹が継いでおる。おかげでワシはここで腰を据えて仕事が出来るわけなのだが」
それを聞くや否や、金木が。
「それではその妹様に」
「いや、それも無理じゃ、妹は既にこの世の者では無い、その息子が本家を受け着いたがまだ力不足」
「では、誰なら出来ると?」
「ふむ……ワシは心底好きになれん人物だが、かつて天才と言われた人物がおる、齢も三十やそこらだが力は十分じゃ、知識もワシ並みかそれ以上だ」
歓声、嬌声、悲鳴、嗚咽、数万人の様々な感情が混ざった声が、場内に響き渡る。
「一着はゴールドハリケーン、二着三着は三頭一団となってのゴールイン、今年上半期の総決算となるこのレースは二着以下大混戦となりました!!」
「あーまたやっちまったよー、ったくなんであそこで仕掛けるかなぁ!」
大歓声を構成するうちの一人、安部 忠行この男こそが勘介をして天才と言わしめた陰陽師。
十に届くか届かないかのうちに一人前と呼ばれるために必要な術をすべて使いこなし、成人する頃にはこの世の陰陽術で使えるものは無い、と言われた天才。
「安倍忠行殿ですな? 我々とご同行願いたい、さもなくば力づくででも」
四課の二ッ森健二と亮介が学ぶを囲む。
「なんだい? 借金取りかい? いずれにせよ厄介な事はお断りだ帰った帰った」
「どうしても貴方の力が必要なのです……」
「どうしても?」
「はい」
「そんなら、とりあえず額を触ってみるこったな」
一瞬意味が全く分からなかったが、健二と亮介が額を触ると、そこには札が張られていた、そして目の前に学はもういなかった。
「いつの間に……幻術ってやつか」
「冷静になれ、まだそう遠くには行けまい」
亮介の言葉を聞き健二があたりを見渡すと、亮介の読み通り、人込みでもがく学の姿が。
「安倍様、志村勘介様たっての指名でございます、何卒一考を」
健二必死の言葉に、学の動きが止まる。
「ほう……あの死にかけジジィのか……ふむ、話は聞いてやるか、しゃーねぇ」
「で、なんで話を聞くのにここに来るんだ?」
亮介が疑問を投げかける、照明は暗く、耳には心地よいジャズ、そして目の前に飾られている大量のお酒、そうバーと言うやつだ。
「何、ここが一番落ち着くし、誰も盗み聞きはしない。 ところでマスター、シーバスリーガルをシングルストレートで、チェイサーには炭酸水を」
これに続けて亮介が。
「サラトガクーラーを」
そして、普段こういう場に来た事がないのか、健二が狼狽える、平静を装ってるつもりだが、明らかに狼狽えている。
それを見かねて忠行が。
「スロージンフィズでもコイツには作ってくれ」
かしこまりました、とマスターと言われた中年の男性は静かに頷き、手際よく作業を進める、ものの数分の後に三人の目の前には注文したものが出そろう。
「さて、詳細を、それをきかねーとどうしようもない」
ショットグラスに注がれた琥珀色の液体を一口飲むと、静かに忠行が話を切り出す。
「あぁ、端的に言おう、妖刀雷切の裏の銘とやらが封印を解かれた」
それを言うと、健二がカクテルを口に含む。
「ほう、そいつは厄介だ」
チェイサーで喉を潤すと忠行は矢継ぎ早に言葉を放つ。
「それと俺がなんの関係があるんだ?」
「現在四課の人間で出した結論がその刀を忠行殿に封印して頂きたい、と」
その言葉に忠行は歪んだ笑みで。
「あぁ、志村のジジィじゃ無理だろうな、あんな能無しの老いぼれにゃ出来る事なんざないだろうな」
「言っていい事と悪い事があるのでは?」
健二の拳に力が入る、バーのカウンターである、隣との距離はさほどない。
「ふっ、落ち着きな、そして右手の握り拳を解きな、スマートに行こうぜ?」
健二はハッとする、忠行は一切こちらを見ていない、ただぼうっと正面のリキュールを見ていた、それは確かに、だが、なぜ自分の手の具合まで分かる。
「そんで、依頼はそんだけ?」
「はい……」
溜め息を吐き出すと、ウイスキーを飲み干し、マスターにブルームーンと言うカクテルを忠行は頼む。
そこで、今まで事態を静観していた亮介の視線が忠行に注がれる。その間にもカクテルは作られる、ドライジン、バイオレット、レモンによって作られるこのカクテル。
「このカクテルが答えなのか?陰陽師殿」
そう、このカクテルが一般に意味するもの、それは、「出来ない注文」「お断り」こういった類の物である。
「現状では、だな」
現状、と言うその言葉に亮介は妙に引っかかった、もうひと押し、と亮介の勘が伝える。
「ほう、こんなもんか。いや、なんせ希代の天才と聞いたから多少は期待したが、こんなもんか。ギャンブル狂いの腑抜け野郎だとは思わなかったよ」
正面から動かなかった忠行の視線が亮介に移る、多少眼光が鋭くなる。
「まぁ、とりあえずアンタに行ってみようって話だったからな、アテは後数人いるし、あんたよりよっぽど出来の良い人間だと聞いてる、な健二」
もちろん、そんな事は嘘っぱちである、健二は亮介の意図してることを理解したのか、相槌を打つ。
「お前ら、オレを愚弄するのか……やるってなら表に出な? それにその仕事、オレにしか出来ないぜ、恐らく、な」
忠行の言葉と目に確かな怒りが浮かぶ。
「落ち着いてって言ったのは誰だい? それに出来るって言うんなら見せて貰おうじゃないか、天才陰陽師の仕事っぷりを」
忠行はハッとする、口車に乗せられたと。
「お前、何者だ」
「なぁに、ただの刑事だ」
「ただの刑事……ね、マスター、ブルームーンは捨ててくれ、代金は払う、ただ目の醒めるような一杯を」
それを聞くと、マスターは軽く微笑んだように見えた。
「かしこまりました……ではアイオープナーを」
「そいつはいいや、長い眠りから目を覚ますかな」
そう言って忠行は出来上がったカクテルをグイッと飲み干すと、代金を支払い、席を立った。
「詳しい話は道中で、八神市に行く途中に色々説明させてもらうぜ。それと刑事さんあんた運転できるだろ?」
それを聞き、亮介はフッと鼻で笑うと、駐車場の方へと向かいだす。
と、その時後ろから汚い下脾た声が聞こえる。
「アァァァいってぇなぁ!!」
どうも健二がチンピラに絡まれたらしいと言うのは一目瞭然だった。
「あーこれ折れてるなおにーさんどーしてくれんのかなー! あぁ?」
健二は別に怯むわけでは無いが、どうにもこうにも対処に困っている、倒せないわけでは無い、やろうと思えば一瞬、しかし後始末が非常に厄介。
そんな思考を繰り返している間に亮介が割って入り、健二を後ろへと下げる、忠行は外から傍観。
そして次の瞬間、痛い痛いとわめくチンピラの顎を蹴り上げる、革靴の蹴りと言うのは中々の威力であり、チンピラ一号は泡を吹いて悶絶。
「て、テメェ何しやがる!!」
「あ? あぁ、足当たっちゃった、ごめんね」
余裕綽綽の亮介は残り四人のチンピラの前で、胸の内ポケットから煙草を取り出し、火を付けようとする、が、その瞬間小柄なチンピラが亮介に殴りかかる。
「邪魔だってーの」
素人の大振りなパンチは人体の急所の一つ鳩尾、さらにその周辺の内臓器官を敵にさらけ出す、火を付ける体制から少し屈み、そこからグルっと回転し後ろ蹴り、突っ込んで来た勢いと相まって、その一撃は非常に重いものとなる。それをまともに受けたチンピラは後ろに吹き飛びそのままダウン。
その光景を唖然とした表情をして見つめ、次の瞬間には怒りのシグナルが三人のチンピラに灯る。金属バット鉄パイプ、そしてナイフ、それぞれの獲物を手に亮介を睨む。
「死ねコラァ!」
まずは鉄パイプを持ったチンピラ、鉄パイプを振りかざし亮介目がけて突進、それに合わせて亮介も突進、鉄パイプを受けるしぐさも見せず相手の懐に入る。
それがチンピラの動きに更なる隙を生み、鉄パイプを振り下ろす事に自信が無くなり、それが技のスピードをも緩める、そして次の瞬間亮介はチンピラの右大胸筋と肩の間に左ストレート。
まともにそれを受けたチンピラは自分の右手に力が入らない、いや正確に言うと右腕が機能しなくなっていることに気が付く、亮介が突いた部位は筋肉と言う鎧がなく、ダイレクトに間接にダメージを与えれる有効な部位である。
情けない声を出しながら呆然とするチンピラをよそ目に金属バットを持ったチンピラに視線を移す、そしてそこから踏み込み相手に反応もさせぬ速さで踏み込み、そこから手を目がけての掌底。
何もできずに金属バットを吹っ飛ばされたチンピラに亮介はさらに接近、そして耳打ち。
「お前、セックスは好きか?」
ヒイッと情けない声を出し切る前に、亮介の膝が股間に突き刺さる、声にならない声を上げチンピラは股間を抑え膝から崩れ落ちる。
「さぁて、最後はおめーかナイフ野郎」
ナイフを握った男を睨むでもなく軽く笑いながら見ると、おびえたかのように男がナイフ突き立て亮介に突進、亮介は動かない、それどころか紫煙をくゆらせる。
ナイフの切っ先が腹部に当たるか当たらないかの瞬間、軌道を読み取ると体軸をズラし、丁度脇と腕の間にナイフを持ったチンピラの腕を挟む、そして締め上げて、捻じる、乾いた音がチンピラの体内に捻る。
「アギャァァァァァァァァ!!」
断末魔が響き、ナイフを落とす、それを見て亮介は男を突き飛ばし、ナイフを拾う、そのまま男ににじり寄る姿はまさに悪魔、鬼、鬼畜以外の何物でもない。
「お前? ナイフの使い方知ってるか? あぁ、そうだ最後にもう一つ人を殺した事あっか?」
もはやチンピラには亮介の言葉は言語として伝わらない、全てがが恐怖、何も見えない、見えるのは目の前の鬼畜。
「いいか? ナイフの使い方教えっから体で覚えろ? な」
そういうと亮介はナイフを突き立て、チンピラ目がけて一突き、衝撃が胸に走る。
チンピラは死んだ、と思ったがどうも生きてる、亮介は寸前で柄の部分を先にし、そこを心臓に当てた、使い古されたネタだ。
「なんだー? テメェしょんべん漏らしてんのか、もっかいママのお腹入っておけよ、クズが。 あ、これ貰うから、うん」
そういうと亮介は後ろを向く。
「お、お前何もんだよ!」
足を止めて、亮介がにこやかな笑顔で答える。
「市民の安全を守る善良な警官」
あぁ、世も末だ、と思いチンピラはそのまま大の字になって目を閉じた。