プロローグ
降りしきる雨が髪を伝い前髪へと、その前髪から顔にかかる雨が不快である、
だが、それ以上にむせ返るような血の臭いが不快だと大石亮介は思った。
「中々に酷いもんだ……」
眼前の血まみれになった元は人であった肉塊を見て、率直な感想が口からこぼれる。
ふと、横を見てみるとこれまで耐えていたモノが我慢出来なくなったのか同行した新人警官が夕食を吐き出している。
「はぁ……もういいよ、お前、邪魔、車に乗ってな……」
呆れ半分、まぁ、仕方ないかという気持ち半分で、亮介は新人に声をかける。
「す、すいません、うえっ……」
さて、と気持ちを切り替えて冷静に死体を見る。
鋭利な刃物で切られている、腹部に深い切り傷があり臓物が元気無く本来あるべき場所からはみ出している、
右の首にも深い切り傷があり、頸動脈から血が噴き出した跡がある、これが致命傷か。
さらには逃げている間、あるいは逃げ出さないようにかはわからないが、太ももにも深い傷が。
これが人間の仕業か、悪魔かなにかの仕業では無いのか? そう思うと亮介はふと何かを思い出したかのように携帯を取り出す。
「もしもし? 金木か? 久しぶりだな、今時間は大丈夫か?」
目の前の異常事態を物ともせぬ落ち着いた声で亮介は金木という人間に淡々と通話をする。
「今っていうか、日本が平和すぎてここ数か月やることないけど?」
「そうか、なら良かった久々に四課の仕事が来たぜ、場所は八神市○○区○-○○だ、どれくらで来れる?」
「そうだねー、大体一時間もあれば着くかな? 現場はなるだけ現状維持で、僕だけでとりあえずは良いかな?」
「あぁ、頼む」
それだけ言うと、携帯からは無機質な通話の終了を告げる音のみが聞こえる、亮介が携帯を仕舞うと、同時に鑑識と思われる集団が到着した。
「それ、なるだけいじらないでね、遺体もそのままで、これウチの管轄外になるから」
そういって鑑識の人間の肩をポンと叩くと、新人警官の乗っている車に近づき、覗き込む、新人は屍のような顔をしている。
「おい、お前帰っていいぞ、つーか、帰れ」
「わ、分かりました」
事態がイマイチ把握出来ないといった表情で新人は運転席に乗り換え、エンジンをかけるとそのまま警察署へと帰る道につく。
「一時間か……」
亮介が辺りを見渡すと、丁度良い具合にファミリーレストランが見つかりそこで時間を潰すと言うのが適当な事は簡単に分かる。
雨に濡れながら一時間もぼやっとする理由は無い。
急ぎ足で店に入ると、店には近くの大学の頭の悪そうな学生、家族、サラリーマンがちらほら、ふと時計を見ると夜の九時を過ぎていた。
「とりあえず、コーヒーを」
さすがにあんな物を見てから普通に晩飯を食べる気にはならない、店には申し訳ないがコーヒーだけで粘らせてもらう事を亮介は決める。
コーヒーを啜りながら頭の中を整理する。
あれだけの傷を付けれるのは鋭利な刃物、それもかなり長い、日本刀のような。
さらに犯人像は? 人を切れる日本刀を持つ人間なんざ限られている、ヤクザかあるいは日本刀で生計を立てている人間。
だが後者はそんな事をする人間に武器など渡さないだろう、猟銃と同じだ。
しかしヤクザの抗争にしても微妙に腑に落ちない、ここ八神市にそういった事務所は無い、八神市に死体を隠すなら分かるが、殺すならここで無くても良いだろう。
考えても納得のいかない推理をヤメにしようかと思っていたところに、電話が鳴る。
「あーもしもし? 言われた場所に着いたけど、どうする? このブルーシートはがしていいの? つーか鑑識の人にめっちゃ変な目で見られてるんだけど」
「待ってろ、スマンすぐ行く」
そういって通話を終わらせると急いで会計、急いで現場急行。
「久しぶりだな……何年振りだ?」
「たぶん、五年は会ってないよ、亮介が本部に研修に来た時にあったくらい」
「あぁ、なるほど……で、コレだ」
他愛も無い久々に会う友人との挨拶もそこそこに、亮介はブルーシートをめくる。
「ふーん……酷い事をする人もいるもんだ」
金木と言う男は淡々と言うが、眼鏡の奥の目が真剣味を増す。
「では、失礼」
金木は眼鏡を外し、遺体の額に手を当てる、そしてゆっくりと目を閉じる。
約一分、雨の舗装路を打ちつける音だけが辺りに流れる、その後金木は再びゆっくりと元の態勢に戻り、眼鏡をかけると。
「亮介、君の好判断だ、これはウチの仕事だ」
それだけを告げると、金木は携帯を取り出し、あれこれと話をする、一般の市民には恐らく一生関わりの無い世界の会話。
通話を終えると、外出禁止令を出すこと、警官も十分に気を付けて巡回する事、この二点を亮介に伝え。
「さて、しばらく僕たちもここで仕事をすることになりそうだ、亮介よろしくね」
「あぁ……」
亮介は厄介事に巻き込まれたもんだ、と思いつつも、微かにこれから起こる事を想像するとまんざらでもないのかな、とも思った。
「四課のヒトの仕事、見せてもらうわ」
こう亮介はぼそっと呟くと、金木が乗ってきた黒塗りのBMWに乗り込み、自分の勤務する八神警察署へと向かった。