わたくしは悪役令嬢を、彼女はヒロインを辞めることにしました。
――霧が晴れていく、感覚。
まるで、今まで何かに覆われていたような――。
(あら?‥‥わたくし、なんてくだらないことをしているのかしら)
ふと、我に返って自分の姿を見直す。
黒い扇子を口元を覆うように広げ、仁王立ちで立つわたくしはまるで物語の悪役令嬢のよう。そんなわたくしの前に立ち、一人の令嬢を問い詰める三人の令嬢達。今まで同調していたけれど、これってただの虐めじゃないかしら?
三人が罵っている相手はオリヴィア・エスカロイド侯爵令嬢。侯爵令嬢と言っても、数年前まで庶民として暮らしていた、私生児らしい。儚げに立つ彼女はまるで物語のヒロインのよう。
「‥‥‥やめましょう。こんな事に時間を割いてはもったいないわ」
わたくしが口を開くと、三人の令嬢は驚いて振り返りました。驚愕の眼でわたくしを見ています。
「で、ですがジルエッタ様。エスカロイド嬢がまたアルベルト殿下に馴れ馴れしく……!」
わたくしは狼狽えながら口を開く友人を無視して、その場を去りました。
(どうしたのかしら?ここ数か月、燻っていた心のモヤが晴れていく)
口元を覆っていた扇子を閉じ、わたくしは足早に家に戻りました。
わたくしはジルエッタ・ローデン。王弟であったローデン公爵を父に持つ、公爵家の長女です。準王族に属するわたくしが、一人の令嬢を追い詰めるなんて品位の欠ける事をしてしまっていたなんて。
◇
「お兄様!ただいま戻りましたわ」
元気よく兄の執務室の扉を開けると、大量の書類の山から、兄が呆気に取られた表情で顔を上げました。
「‥‥‥おかえり。どうした?ジルエッタ。‥‥何があった?」
晴れ晴れとした表情のわたくしを見て、兄は怪訝な顔をしています。
「お兄様が言われていた事がようやく理解出来ました。わたくし、最低でしたわ!」
「な、なにが」
兄は困惑したまま立ち上がりました。慌ててわたくしの額に手を起きます。
わたくしは兄の手を取り、答えました。
「熱はありません。わたくしは正常です。何故か分かりませんが、急に心が晴れやかになったのです」
「え?」
「お兄様が言われていた、これまでのわたくしの態度、振る舞いの傲慢さに気付いたのです」
「えっ‥‥‥なんで急に」
「わかりません!」
食い気味に言うわたくしに、兄は戸惑いながらも言いました。
「本当に気付いてくれたのならば嬉しい。純粋なお前の事だ。何か事情があったのだろう。だとしても、うちは公爵家。一番身分の高いジルエッタが首謀者にされてしまう」
「ええ。わたくしが愚かだったわ。ローデン公爵家の顔に泥を塗るところでした」
「過ちに気付いてくれてありがとう」
微笑んだ兄は、わたくしの頭をひとしきり撫でると、硬い表情に戻りました。
「――で、どんな恐ろしい事をしでかして過ちに気づいたんだい?私が揉み消せる範囲だと良いんだが」
わたくしは思わず兄を睨みました。
「お兄様、とんでもない事をおっしゃらないで。そこは揉み消さず罰してくださいな」
わたくしは今まであったことを、洗いざらい兄に伝えました。
オリヴィア・エスカロイド侯爵令嬢が転入してきた時期、わたくしは頭にモヤがかかったような感覚になったんです。それから頻繁に苛立つようになり、他者を見ると不快感を感じるようになりました。そんななか、数人の令嬢達が私の元へ来ては、エスカロイド嬢の事を悪しざまに言うのです。『エスカロイド嬢がわたくしを悪く言っている』だの、『希少な聖属性の魔力を持っているがために高慢な態度を取っている』『アルベルト殿下をわたくしから奪おうとしている』などと……。しまいにはわたくしも彼女達の陰口に同意し、エスカロイド嬢に行う嫌がらせを見ても、何も感じないようになっていました。
わたくしの話を聞きながら、兄がぽつりと言いました。
「ああ、たしかにアルベルト殿下にお気に入りのご令嬢ができたと報告で聞いたな。彼女がそうなのか……」
アルベルト殿下は、この国の第一王子です。王国に四家しかない公爵家の長女であるわたくしは、アルベルト殿下の婚約者候補なのです。殿下はアカデミー卒業後、候補の中から婚約者を決めるしきたりがあります。
殿下が婚約者候補筆頭であるわたくしを差し置いて、少し前まで平民だった令嬢を特別扱いすることが、その時のわたくしには許せませんでした。
(あのままエスカレートしていたら、エスカロイド嬢の心だけでなく、身体まで傷付けていたかもしれないわ)
「……お兄様、わたくしはもうエスカロイド嬢を虐げる事はしたくありません。謝罪もしようと思います」
「うん……今もお前は、殿下の婚約者になりたいと思っているかい?」
兄の言葉をわたくしはぽかんと聞きました。自分でも驚くほど、アルベルト殿下に感じていた執着の様な感情がなくなっていたからです。
「いいえ……まったく。今は殿下の婚約者にはなりたくないですわ」
兄は思案していたポーズのまま固まり、瞳を瞬きました。
「本気か?」
兄の問いに、わたくしは大きく頷きます。
「ええ。二言ございません」
「そうか……」
兄は脱力したように微笑いました。兄の笑顔を見るのは久しぶりなので、わたくしも思わず笑みが零れそうになります。
「今回の件は殿下の振る舞いにも問題はある。明らかにジルを見下そうとしたやり口だ。悪意がある」
以前のように愛称でわたくしを呼び、殿下に対して苛立ちを隠さず兄は言います。
思い起こしてみれば確かに、殿下はわたくし含め、婚約者候補を呼び出したお茶会でわたくしを末席に座らせ、エスカロイド嬢を自分の隣に座らせたり。わざわざわたくしの前でエスカロイド嬢にプレゼントを手渡したり。わたくしの挨拶を無視してエスカロイド嬢に声をかけたりしていました。
(今思えば、どうしてわたくしは殿下が好きだったのかしら?確かに見目麗しいけれど……)
ちらりと、殿下に対する小言をぶつぶつと言っている兄を見ました。我が兄ながら、なんと整った顔でしょう。幼い頃から氷の女神に愛された眉目秀麗な神童と言われただけあって、王国でも群を抜く美貌の持ち主です。
(ええ。やっぱりお兄様の方がかっこいいわ。そもそもわたくし、殿下が好きだったのかしら?)
今の心情ではそれすらあやうい。
難しい顔で何度も頷くわたくしを見て、兄は眉間に皺をよせました。
「……どうした?」
「いえ。殿下よりお兄様の方が何倍もかっこいいのに、どうしてわたくしは殿下の婚約者になりたいと思ったのかしらと……」
兄は目を見開くと、ぷいと顔を背けました。髪にかかる耳が少し赤くなっています。
(まあ。照れているのかしら)
そっぽを向いたまま兄が言います。
「この際だ。殿下の婚約者は辞退しよう。そもそも王家との婚姻で、我がローデンに益はあまりない。父上にも伝えておく」
わたくしは笑顔で返事をしました。
「ええ。おねがいしますわ。お兄様」
◇
次の日、わたくしはエスカロイド嬢を公爵邸へ招待しました。本当は出向いてもらうより、謝罪に伺いたかったけれど、公爵令嬢であるわたくしが邸宅へ伺うほうが迷惑になりそうでしたので。
「エスカロイド嬢、今まで申し訳なかったわ。本当にごめんなさい。謝ってすむことではないのだけど……」
エスカロイド嬢は大きな桃色の瞳を見開き、わたくしを見つめました。
(彼女たちがエスカロイド嬢を悪く言ったのは、この可愛いらしい容姿も関係してるに違いないわ)
薄桃色の緩く流れる髪に、白い肌。思わず守ってあげたくなる容姿ですもの。兄の言っていた言葉を思い出します。『彼女のような見た目は、男の庇護欲を誘うが、女性からは反感を買う』と。
エスカロイド嬢は視線を左右に動かし、震えているようです。
(わたくしが彼女たちに矢面に選ばれたのも、やっぱりこのキツそうな容姿のせいもあるわよね。恐がらせてしまって申し訳ないわ)
ジルエッタは銀髪の兄とは異なるが、威圧的な吊り上がった瞳と、重たい藍色の髪を持っている。
エスカロイド嬢が躊躇うように口を開きました。
「ロ、ローデン令嬢。体調は悪くありませんか?」
「え?」
震える声で、謝罪の返事とは違う言葉が返ってきたのでわたくしは驚きました。
「体調とは?」
「あ、えっと‥‥」
青ざめるエスカロイド嬢に、わたくしは出来る限り優しく言いました。
「萎縮させてごめんなさい。怒っている訳ではないのよ」
わたくしがそう言うと、エスカロイド嬢は顔を上げてくれました。綺麗な瞳。どうしてわたくしはこんな小鹿の様な子に酷いことが出来たの。
「えっと……ローデン令嬢に、軽くですが【憤怒の呪い】がかかっていたので‥‥」
「え、――えっ?」
「ローデン令嬢、ここの所イライラしたり、眠れなかったりしませんでしたか?他人の事が憎くなったり‥‥」
様子を窺うようにエスカロイド嬢はわたくしを見ました。わたくしは驚きつつ、頷きました。
「して‥‥いたわ」
(貴方に)
エスカロイド嬢が現れてから感じていたのは不快感だけではなく、夜は不眠にも悩んでいました。
(――呪いですって?)
「古い呪いなので、気付くのが難しいのです。ですが、私はずっと神殿にいたので、そういうものには詳しくて……」
「貴方が解いてくれたの?」
「はい。お会いするたびに、解呪するようこっそり聖魔力を送っていたのですが、ようやく解けたようで良かったです」
「…なんてこと……!」
(虐めていただけでも申し訳ないのに、呪いを解いてくれていたなんて……!)
これはもう、わたくしの全財産を持ってしても恩返しが出来ないのでは?
わたくしは思わずエスカロイド嬢の手を握りました。
「エスカロイド嬢‥‥‥!貴方は恩人よ。貴方にひどい態度を取っていたのに、わたくしを助けてくれるなんて‥‥」
(聖女なの?)
「い、いえ、そんな……!恩人だなんて大袈裟です。私の聖魔力がもっと強ければすぐに解けたのですが、時間がかかってしまって……」
エスカロイド嬢の慌てながら否定する姿の可愛らしいこと。
「それに……私、嬉しかったんです。呪いにかかる前、転入して来てすぐの頃でした。ローデン嬢は、アカデミーが広くて迷子になっていた私に、道を教えてくれたんですよ。呪いを解いて、お友達になりたかったんです」
伏し目がちに、照れながら言う姿に、わたくしは胸を撃ち抜かれました。
「ぜ、ぜひなりましょう!お友達に」
エスカロイド嬢は花が咲いたような笑顔で笑いました。あとからその場を見ていた兄に聞くと、『お前も同じような顔で笑っていたよ』と言われましたが、本当かしら?
――その後、わたくしはアルベルト殿下の婚約者を辞退しました。アカデミーではわたくしとエスカロイド嬢……いえ、オリヴィアはいつも一緒にいます。
「最近、殿下の姿を見ないわね?オリヴィアの傍にわたくしが居るから来にくいのかしら?」
「ううん。そうじゃないわ。私がもう会いに来ないでくださいと言ったのよ」
「え?わたくしが辞退したから、オリヴィアが新しく候補に入るのかと思ったわ」
「冗談じゃないわ。私、殿下のこと嫌いなの。ジルに対するあの態度。許せないわ」
「まあ……!」
殿下には申し訳ないけど、わたくしは素直に喜びました。殿下の振る舞いは、どの令嬢から見てもひどいものだったのね。
「それに私、殿下は好みじゃないの。私はもっと、筋肉のあるがっしりとした殿方が好きだわ。ジルは?」
「ええ?わたくし?考えたことがなかったわ」
「今度、騎士科に見学に行ってみましょうよ」
オリヴィアに連れられ、わたくしの日々が変わりそうです。またお兄様に心配をかけないよう、気を付けないといけないわね。




