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昼下がりの猫  作者: 阿波野治


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3/5

「あ、ねこさん!」

 やたらとかわいらしい声が近くから聞こえた。反射的に振り向くと、歩道に二人の人間の女が立ち、こちらを見ていた。まだ若い母親と、幼い女の子。親子だろうか。

 女の子がキラキラした目でじっとオレを見つめてくる。近づいてくることもせず、二メートルほどの距離を置いたままで。

 その態度がなんだか気に食わなかったので、オレは女の子の顔をじっと睨んでやった。すると女の子は母親のほうを向いて、

「ママぁ、このねこさん、おっきい。大人のねこさん?」

「そうね。誰も拾わないから大きくなっちゃったのね」

「なんでだれもひろわないの? このねこさんが子ねこじゃないから?」

「それもそうだけど、顔を見てみなさい。変なところに模様があって、不細工でしょ。目つきも悪いし。こんなかわいくない猫、誰も飼いたいとは思わないでしょ」

「うん。このねこさん、あんまりかわいくない……」

 黙って聞いていればこの親子、なかなか痛いところを衝いてくる。欠点をひととおり言われた感じだ。言われっぱなしのこちらの言い分とすれば、そんなにオレが気に入らないなら、さっさとこの場から立ち去ればいいのにと思うのだが。

 女の子が俺に向かって、恐る恐るといったふうに手を伸ばしてきた。だがそれを母親が言葉で止めた。

「だめよ、触ったら。これから図書館行くんだから。そんな汚い猫、触ったら手が汚れちゃう」

「えー、でも……」

「図書館のあとにしましょう、猫と遊ぶのは。それにほら、噴水のところにはもっとかわいい猫がいると思うし」

「うん。じゃあ、ねこさんはあとにする」

 あっさりと懐柔された女の子は母親の手を握る。二人は図書館があるほうに向かって歩き出した。実にあっけない裏切りだった。母親はともかく、子どものほうはあんなにも目を輝かせていたくせに、けっきょくオレの体には一度も触れなかった。

 親子に言われた数々の悪口が、また一匹になったオレの頭の中をぐるぐると巡る。

 なんだか馬鹿らしくなった。あくびを一つしてその場に横になる。

 歩道を通っている人間は今は誰もいない。

 まったくもって馬鹿馬鹿しい。歩道というものは人間が通るために造られたに相違ない。オレたち猫が植え込みの細い隙間を通っているというのに、立派な物がありながらそれを使うことをしないなんて、いったい何様なのか。

 などと心の中でつぶやいてみても、やはり馬鹿馬鹿しいだけだ。

 しかし、人間観察を目的にわざわざこの場所まで移動してきたというのに、誰も人間が通らないこの状況はいただけない。こんなことならあの山道のベンチの上で、半日ずっとうつらうつらしていたほうがはるかにましだった。移動したことで無駄な体力を消費したし、人間の親子には馬鹿にされるし、さんざんだ。

 今思い出したが、オレは噴水広場へと行こうとしていたのだった。道すがら人間の親子と戯れている三毛猫姉妹を発見してしまい、ついついその様子を見物してしまっただけで。そのあとであの親子に馬鹿にされたことを考えれば、とんだ寄り道だ。

 今からでも噴水広場に行ってみようか、と一瞬考えたが、やはりやめておくことにする。

 オレは人間に触られるのが好きではない。それなのに、人間がたくさんいる広場へとわざわざ出向くのは、「撫でてください」とアピールしに行っているようで行動がちぐはぐだ。

 今歩道を通行する人間はいない。それはつまり、オレの体を触ってくる物好きも通らないということだ。だったら、もうしばらくこの場所に居座るのが得策なのではないか。

 人間観察という当初の目的は忘れよう。昼寝や日向ぼっこだけでも充分に楽しいのだ。ここなら日当たりもいい。また人通りが回復してきたら立ち去ればいいだけの話だ。

 もしまたあの若い母親と娘がオレの前に現れたら、久しぶりに全速力で逃げてやろう。絶対に体を撫でさせてやるものか。

 あたたかな日だまりの中、静かに目蓋を閉じた。


「おっ、こんなところに猫が」

 やけにかわいげのない声が、うとうとしかけていたオレの意識を現へと引き戻した。声の近さからオレに宛てられた言葉だとわかったので、眠いのを我慢して目蓋を開く。

 真っ黒なリュックサックを背負った中年の男が一人、歩道の真ん中にたたずんでこちらを見ている。

 やけに生気のない男だ。頭のてっぺんの髪の毛は薄く、丸い眼鏡の奥の瞳は弱々しく、着ている服も薄汚れているように見える。季節はこれから夏に向かうというのに、まるで秋の終わりの道端に咲いている枯れかけた雑草だ。猫を拾いに来たあの親子や、図書館へ行ったあの親子とは、まとっている空気がまったく違う。今日の快晴の空には似合わない、暗く淀んだ雰囲気の男だ。

 見た目が芳しくない、いい歳をした大人。猫と人間という差違はあるが、そういう意味ではオレに似ているかもしれない。

 いや、訂正しよう。あるべき場所に毛がちゃんと生えているだけ、オレのほうがまだマシだ。

「お前、暇そうにしてるな。そんな面してるから誰にもかまってもらえないのか。さびしいやつだなぁ」

おっさんは無遠慮にオレの隣に腰を下ろすと、これまた無遠慮にオレの頭を撫で始めた。寝起きでぼんやりしていたせいで、避けられなかった。人間にはあまり撫でられたくないが、こんな陰気なおっさんにはもっと撫でられたくない。そういう意味でも不覚だ。

「せっかく人が撫でてやってるのに、もっとうれしそうな顔しろよ。愛想の悪いやつだな。だから誰もかまってもらえないんだな、お前は」

 オレの頭を強く撫でつつ、親しげにしゃべりかけてくるおっさん。頭を軽く掴んで揺するようにして撫でるので、逃れることができない。強く揺さぶってくるので少々痛い。

 しかしこの男、年を食っているくせに礼儀がなっていない。言葉も行為も無遠慮にも程がある。あの口の悪い親子の娘ですら、オレを撫でることには遠慮がちだったというのに。

 そもそも、オレを撫でながら悪口を言うという行為が矛盾している。毒舌親子のときも思ったが、オレのことがそんなに気に食わないのなら、放っておけばいいのに。しかもこの男の場合、別にあの娘のように瞳を輝かせているわけでもないから、余計に不可解だ。

 この男はいったいなにを考えているのだろう。まったく意図が読めない。じっとおっさんの顔を見つめてみる。

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