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作られた神話

 一九九〇年、三月。  魔王城が物理的に消滅し、その跡地に巨大な発電プラントの基礎工事が始まった頃。  アステリア方面軍司令部の政治局には、クレムリンのミハイル・スースロフ記念イデオロギー研究所から、一枚の重要指令書が届いていた。


『軍事的勝利を、恒久的な政治的支配へと転換せよ』


 魔王という存在は、数千年にわたりアステリアの人類にとって「絶対的な絶望」の象徴だった。  歴代の王も、教会も、伝説の勇者たちも、その脅威を完全に取り除くことはできなかった。だが、ソビエト連邦はそれを、わずか数週間の「工期」であっさりと完遂してしまった。  この圧倒的な事実を利用しない手はない。


 政治将校のイワノフ大佐は、会議室に集まった宣伝部の部下たちを見回して言った。 「同志諸君。我々が成し遂げたのは害虫駆除だが、民衆にはそれを崇高な**『神話』**として提供せねばならない。  科学的なデータやコスト計算など必要ない。彼らが求めているのは、分かりやすい勝利の物語と、ひれ伏すべき新たな神の姿だ」


 こうして、アステリア史上最大にして、最も計算高く演出された「凱旋式」が幕を開けた。


1.鋼鉄の凱旋パレード

 アステリア人民特別市(旧王都エリュシオン)、中央大通り。  この日、沿道は立錐の余地もないほどの群衆で埋め尽くされていた。  解放された農民、不安げな市民、そして再教育施設から連れ出された元貴族たちまでが、ある者は強制的に、ある者は好奇心に駆られて集まっていた。


 ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……。


 腹に響く重低音と共に、パレードが始まった。  先頭を行くのは、戦場の泥を洗い流し、ワックスで磨き上げられたT-80UM戦車の隊列だ。  砲塔には深紅のバラが飾られ、ハッチから顔を出した兵士たちが、白い手袋をした手で観衆に手を振っている。彼らの表情は、無慈悲な「侵略者」ではなく、完全に慈愛に満ちた「守護者」の顔を作っていた。


 だが、観衆の視線が釘付けになったのは、その背後に続く巨大なMAZ重トレーラーだった。


「ひっ……!」 「あ、あれは……!」


 悲鳴にも似たどよめきが、波紋のように広がる。  荷台に鎮座していたのは、巨大な**「古竜エルダー・ドラゴンの首」**だった。  魔王城周辺で回収され、防腐処理を施されたその首は、死してなお、黄金の瞳で見る者を射すくめるような威圧感を放っていた。  かつて一国を滅ぼすと恐れられた伝説の怪物が、今はただの戦利品として、太い鉄の鎖で荷台に固定され、晒し者にされている。


 さらにその横には、魔王の心臓部から掘り出されたとされる、大人の背丈ほどもある**「悪性マナの結晶塊」**が、防弾ガラスのケースの中で禍々しく、そして美しく輝いていた。


「見よ! これが君たちを喰らい、夜ごとの悪夢となっていた怪物の末路だ!」  通りに設置されたスピーカーから、アナウンサーの興奮した声が響く。 「だが恐れることはない! 我らがソビエトの科学は、鋼鉄の拳でこの悪魔の首を切り落としたのだ!」


 圧倒的な「死の証拠」を突きつけられ、民衆の恐怖は、一瞬の静寂の後、爆発的な歓喜へと変わった。


「万歳! ソビエト万歳!」 「魔王は死んだ! 本当に死んだんだ!」 「我々は救われたんだ!」


 帽子が空を舞い、紙吹雪が戦車に降り注ぐ。  それは、彼らが生まれて初めて味わう「生存の保証」への感謝だった。


2.英雄の再定義

 パレードの終着点、人民広場の特設演壇。  そこに立ったのは、アステリア共産党のカイル書記長だった。  彼は熱狂する数万の群衆を見下ろし、震える手でマイクを握りしめ、用意された原稿を読み上げた。


「市民諸君。かつて我々は、一人の勇者が聖剣を持って魔王に挑む姿を英雄と呼んだ。だが、その結果はどうだったか? 多くの勇者が死に、魔王は生き延び、君たちは怯え続けた」


 カイルの声に力がこもる。それは単なる演技ではなく、彼自身が長年抱えてきた無力感と、それを打破したソ連への畏敬からの叫びでもあった。


「個人の武勇に頼る時代は終わったのだ! 世界を救ったのは、選ばれた勇者ではない。  団結した人民と、組織された鋼鉄の軍隊、そして**『科学』**という名の力である!」


 彼は背後、王宮のバルコニーに掲げられた巨大なウラジーミル・レーニンの肖像画を指し示した。


「ソビエト連邦こそが、真の勇者だ。我々が共に歩む限り、二度と夜の闇が君たちを脅かすことはない!」


 広場を埋め尽くす「ウラー(万歳)」の合唱。  その瞬間、アステリアの人々の心の中で、何かが書き換わった。  数千年間、祈りを捧げる対象だった「天にまします神」から、地上に君臨し、実際にパンと平和をくれた「党と赤軍」へと、信仰の対象が不可逆的に移行したのである。


3.映写機による「奇跡」の布教

 視覚的な演出は、パレードだけでは終わらなかった。  日が暮れると、広場には巨大な白いスクリーンが設置され、魔法しか知らない民衆にとって未知のテクノロジー――**「映画」**の上映が始まった。


 タイトルは『赤き黎明(The Red Dawn)』。  映し出されたのは、魔王討伐作戦の記録映像を、エイゼンシュテイン監督ばりのモンタージュ技法で劇的に編集したプロパガンダフィルムだった。


 荘厳なオーケストラと共に、白黒の画面の中でロケットが噴煙を上げて空へ昇る。  そして、クライマックス。  魔王城の上空で炸裂する核の閃光と、天を突く巨大なキノコ雲。


 『おお……』


 観衆は息を呑み、ある者はその場にひれ伏して拝み始めた。  彼らには、それがウランの核分裂反応であることなど理解できない。彼らの目には、ソビエト軍が天から**「太陽そのもの」**を召喚し、その聖なる炎で悪魔を焼き払った神の御業に見えたのだ。


「見ろ、神の鉄槌だ……」 「なんて力だ……逆らえるわけがない」


 畏怖と崇拝。  その映像は、文字の読めない農民たちの脳裏に、「ソ連=絶対的な力を持つ善なる神」という図式を強烈に焼き付けた。  旧王国の騎士や宮廷魔導師たちが束になっても敵わなかった魔王を、指先一つで消し炭にしたこの国に、どうして逆らうことができようか。


4.密偵たちの戦慄

 熱狂の渦の中に、歓声を上げず、ただ青ざめた顔で立ち尽くす数名の男たちがいた。  近隣諸国――西の「ガリアナ大帝国」や、西方大陸の**「聖エルヴヘイム氏族連合」**から潜入していた密偵たちである。


 帝国の密偵は、震える手で懐のメモ帳を握りしめ、額の汗を拭った。 (……馬鹿な。奴らは魔王を倒しただけではない)


 彼の目の前では、かつて自分たちの国を「野蛮な侵略者」と恐れていたアステリアの民が、今や狂信的な目で赤旗を振り、異国の歌を歌っている。  魔王の死体すら利用し、民の心まで支配する巧みな手腕。そして、あの映像で見せつけられた「太陽を落とす魔法」。


(これは、ただの軍事国家ではない。……人々の『信仰』そのものを喰らって肥大化する、文明という名の怪物だ)


 密偵は人混みに紛れ、姿を消した。  一刻も早く、本国へ知らせなければならない。  魔王という共通の敵がいなくなった今、大陸最強の武力を持つこの「赤い巨人」の視線が、次はどこへ向くのかを。


 アステリアの夜空に、祝砲の花火が上がった。  赤く、美しく、そしてどこか血の匂いのする勝利の光が、新時代の到来を告げていた。  それは平和な時代の幕開けではなく、より高度で、より冷酷な「冷戦」の始まりの合図でもあった。


第五章 第七話:後世の注釈 『一九九〇年三月の戦勝パレードは、アステリアの歴史における「信仰の置換」を決定づけた儀式であった。  民衆はドラゴンの生首とキノコ雲の映像を見て、数千年の祈りよりも一発のミサイルの方が慈悲深く、そして確実であることを悟ったのである。  この日、ソビエト連邦は単なる占領軍から、アステリアの民にとっての正真正銘の「現人神」へと昇格した。』(二〇三四年刊:『次元を超えた赤い足跡 ― 魔導ソ連初期史』より抜粋)

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