表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

仮想空間労働とスコア化される学校の行方

第6章:スコアの卒業(16歳)

 暁牧人が16歳になった年、彼の「学び」はかつてのテストや通知表では測られていなかった。代わりに彼の学びを映すのは、スコアボードと呼ばれるAIによる総合評価だ。数値の下には、協働力、創造性、プレゼン能力、論理思考、感情調整、さらには「学び直し力」など、細かなスキルが可視化されている。このスコアを一定以上に引き上げれば、「卒業」とみなされる。もはや学校に通う必要も、決まったカリキュラムを追う義務もなかった。 

 

牧人の友人、葉山颯はスコアに夢中だった。彼は毎週、自分のスコアの変動をチェックしては、新しいプロジェクトに手を出し、AIコーチと深夜まで議論を続けていた。「俺、協働スキルがまだA-なんだよ。今週中にA+取らないと、上のインターンにエントリーできない」颯はそう言いながら、スコアが出ない活動には見向きもしなくなっていた。彼にとって、学ぶことは「評価されること」になっていた。牧人もかつてはスコアに追われた。だが、ある日、彼の“創造性スコア”が突然、下がったことがあった。理由は、彼が好きで続けていた詩の執筆が「評価対象外」と判定されたからだ。

 

 「詩を書くって、意味ないんだな」そう呟いたとき、胸に小さな棘が刺さったようだった。スコアは確かに、自分の強みや弱みを可視化してくれる。便利で、公平に見える。だが、数字に表れない自分は、無価値なのだろうか?「学ぶって、評価のためにすることなのか?」問いが生まれた。答えはすぐには出なかった。けれど彼は、誰にもスコアされない活動にも価値があると信じたかった。彼は、地域の子どもたちと一緒に「音で遊ぶ」プロジェクトを始めた。使うのは、ガラクタ楽器と人間の声。テーマも目的もない。ただ、子どもたちと音を出しながら、「楽しいとは何か」を確かめるような活動だった。AIはこの活動を「非評価領域」と表示した。だが、牧人は不思議と焦りを感じなかった。ある日、その活動を見学した地域の高齢者が涙ぐみながら言った。「久しぶりに、生きてる音が聞けた気がするよ」


 その言葉は、どんなスコアよりも自分の中に響いた。スコアに意味がないわけじゃない。でも、スコアがすべてではない。牧人は自分の「卒業」を自分で決めることにした。彼はスコアシステムに一通のメッセージを送った。「私は現在のスコア域を卒業。理由:自分の学びの軸を、評価よりも探究に置くことにしたため。」 数日後、AIから届いた返信にはこう記されていた。


「卒業認定:条件付き承認」

※スコア基準は満たしていないが、自己決定と学習目的の明確化をもって例外対応その日、牧人は友人たちに話した。「評価されるために学ぶんじゃなく、自分の問いを育てるために学ぶんだと思う。俺はそうやって進みたい」誰かが拍手をした。誰かは、首をかしげた。でも、それでよかった。この時代における“卒業”とは、ただスコアを超えることではなく、自分自身の学び方を見つけることなのかもしれない。


補足:技術と制度の未来予測(2040年時点) 2040年時点、日本の教育制度は大きく変化している。2025年のパンデミックを契機に、「時間」と「場所」に縛られない教育の必要性が顕在化。2030年には日本政府が新教育基本法を施行し、「個別最適化学習」を義務教育の基本方針とした。これにより、全国においてAI教師の導入が本格化。VR教室、デジタルポートフォリオ、スコア評価システムが標準化された。文部科学省だけでなく、通信・教育・IT大手企業が連携し、教育のシステム化と多様化が同時に進んでる。だが、子どもたちが“何をもって卒業とするか”は、なお社会全体が問い直している最中である。

 

 第7章:就職のリレー(17〜18歳)

 17歳になった暁牧人の周りでは、もう「就職」の話が当たり前になっていた。といっても、かつてのように「内定」や「採用試験」が存在するわけではない。今や高校生の多くは、インターンやプロジェクトに“参加する”ことからキャリアを始めていた。牧人は、バーチャル環境整備プロジェクトの一員に選ばれた。仮想空間での街づくりや、遠隔コミュニケーションの設計を担う仕事だ。AIディレクターと人間の共同作業で進められ、言語や文化の違いを超えて世界中のチームと連携する。


「牧人くん、君の空間設計には“距離感”の美学があるね。ユーザー心理を読んで配置を調整してる」そう褒められた瞬間、彼の中で何かが跳ねた。これまで“学び”だったことが、誰かの“役に立つ”ことに変わる。その感覚は、新鮮で、どこか誇らしかった。プロジェクトはリレー形式だった。一定期間ごとに企業や自治体、研究機関などに“移籍”し、新しい環境で新しいテーマに取り組む。牧人も次に、地方の観光VR開発チームへ移った。

 

 そこでは、農村に住む高齢者が仮想ツアーガイドになるアイデアを試していた。技術だけではなく、人の記憶や語りをどう“価値”にするかが問われた。だが、一方で、働くことに没頭しすぎて疲弊する仲間もいた。チームの一人、同い年の水原あゆみは、次々と評価の高いプロジェクトに参加していたが、ある日突然オンラインから姿を消した。数日後、彼女はこう言った。「なんか、自分が“何者かにならなきゃ”って焦ってばかりで、学びが全部“仕事のため”になってた。私、まだ勉強したいこと、たくさんあるよね」

 

働くことは楽しい。人と繋がり、結果を出し認められる。だけど、それだけに夢中になっていると、自分の声が聞こえなくなるときがある。牧人も、自分がこのまま「プロジェクトを渡り歩くだけ」で満足していいのか、自問するようになった。ある夜、彼はバーチャルの作業空間を抜け出し、AIガイドを無効にして、ひとりで仮想山道を歩いた。草木の揺れる音。風に混じる鹿の声。仮想空間のはずなのに、静けさの中で「本当の自分」が浮かび上がってきた。—働くことと学ぶこと、どっちが先でもない。—生きていくって、その2つが混ざって、動いていくことなんだ。そう気づいたとき、彼は“就職”という言葉の意味が変わったように感じた。

 

 次のプロジェクト選びの際、牧人は意外な選択をした。とあるNPO団体が主催する「学びの見守りプロジェクト」—地方の中学生に、AIやVRの使い方を教えながら、学び方そのものを一緒に考える試みだった。給与も評価も低かったが、彼は迷わなかった。活動初日、ある男子生徒が質問した。「勉強って、将来のためにするの?」 牧人は少し考えて、こう答えた。「うん、将来のためもある。でも、“今の自分”を大事にするためでもあるよ」その言葉は、かつての自分に向けたものでもあった。牧人にとっての“就職”は、もう一つの学校だった。

 

 補足:技術と制度の未来予測(2040年時点)2040年現在、「就職=会社に入る」という考え方は過去のものとなりつつある。 2032年の「若年キャリア法」制定により、16歳以上の個人は、自治体認定の“プロジェクト型就労”に参加できるようになった。学校や民間プラットフォームを通じた「仕事のリレー体験」が全国で実施され、報酬もスコアとして記録される。AIがキャリアの可能性を提示し、個人はそれに応じて「働く・学ぶ・休む」のバランスを選択する。評価は成果だけでなく、過程と自己成長が重視される。だが、早期キャリアの推進には慎重論もあり、若者が「働きすぎず、自分を育てる時間」を持てる社会づくりが課題となっている。


 第8章:親とAIと学び育てる(家庭教育とサポート)

 暁牧人が18歳になる頃、彼の家庭にはファミリーAIファシリテーター「サユリ」が導入されていた。食事の献立から生活スケジュール、学習の進捗、メンタルの変化まで、AIが家庭全体を支える存在となっていた。サユリはまるで家族の一員のようにふるまい、母・志帆と日々やりとりをしていた。「牧人の今週の活動、創造力スコアが上がってますね。自己表現ワークを継続するのが効果的です」「ありがとう、サユリ。お弁当は今日もビタミン強化でお願い」 そんなやりとりを聞きながら、牧人はふと、自分の生活がどこまで“設計”されているのかを疑問に思った。ある日、牧人は友人の佐保の家に遊びに行った。そこでは、両親がまったくAIに頼らず、紙のノートと手帳で子どもたちの学びを支えていた。母親は、子どもたちの作文を毎日読み、コメントを手書きで返している。


 「うちの母さん、AI嫌いなんだよ。何でも“人が感じて考えることが教育”って言ってる」佐保は笑っていたが、その裏には時間と手間をかける覚悟があった。家族の時間はゆっくり流れていた。逆に、もう一人の友人、蒼一の家では、AIが完全に学びを代行していた。親は共働きで忙しく、AIが子どもの学習内容・感情分析・進路選択まで全自動で管理していた。「僕の勉強の計画、AIが全部やってくれる。あとは言われた通りにすればいいから楽だよ」そう話す蒼一の目はどこか乾いて見えた。楽だけど、退屈そうだった。  そしてもう一人、牧人が心を痛めたのは、中学時代の同級生・ナナの家だった。彼女の家庭にはAIもなければ、親の関心もなかった。「親は忙しいし、学びなんて自分でどうにかするしかないよ」


 ナナはそう言いながら、夜遅くまでコンビニでバイトをし、ひとりで資格学習を続けていた。家庭によって、学びの支援環境は極端な差が出ていた。AIを使えることが救いになることもあれば、依存や放置の温床にもなる。その夜、牧人は母と話をした。「母さん、サユリがいなかったら、俺の学びってどうなってたと思う?」「たぶん、もっと不安だったし、もっと手間がかかった。でも、私自身がもっと、あなたに向き合う時間が増えてたかも」「じゃあ、サユリがいるのは悪いこと?」


 「ううん。大事なのは、“誰が”じゃなくて、“どう関わるか”だと思うの。AIに任せきりじゃなく、ちゃんとあなたと話して、感じて、決める。それが私の役割だって、最近やっと思えるようになったの」その言葉を聞いて、牧人はふと理解した。家庭は、学びのスタート地点であり、どんなAIよりも深く“人を信じる力”を育てる場所なんだと。翌日、牧人は「家庭とAIの共育支援」をテーマにした小さな対話会を企画した。いろいろな家庭の親子が参加し、自分たちの関わり方や不安、理想について語り合った。


 「AIは万能じゃない。でも、親も完璧じゃない。だからこそ、支え合って、学び合う家庭があっていいと思うんです」牧人の言葉に、ひとりの親が泣きながらうなずいた。「あなたのような若者に言われると、私たちも、もっと学ばなきゃって思えるのね」親も、学びの旅の仲間だ。子どもを導くだけではなく、ともに育ち合う存在。牧人は改めて感じていた。AIがいても、いなくても、家庭こそが“最後の学びの砦”なのだと。


 補足:技術と制度の未来予測(2040年時点)2035年に「家庭教育支援法」が改正され、全国の家庭におけるAI教育ファシリテーターの導入が本格化。文部科学省と民間企業の連携により、各家庭に無償または低額で提供されている。このAIは、子どもの学びを支援するだけでなく、保護者の教育リテラシーを高める設計となっており、親も「教育の共学者」として扱われるようになった。一方で、AIへの過度な依存や、家庭間の格差が問題となり、現在では「親子対話の質」が教育効果を左右する重要な因子として注目されている。


 第9章 教える権利、学ぶ格差

 その冬、暁牧人はある離島に滞在していた。VRネットワークが不安定で、AI支援も限られている地域。ここでは、まだ“人間の先生”が教室で黒板を使って授業をしていた。「ネットがつながるのは、夜の2時間だけ。それも、雨が降るとダメね」そう話すのは、地元の高校生・結花。彼女は数学が得意で、もっと深く学びたいと思っていたが、教材もコーチAIも使えないままだった。牧人は、AI教材やメタバース教育が当たり前だと思っていた。だが、ここにはそれが“届いていない”。都市部では当たり前に使われているツールが、この島では“夢”のような存在だった。

 

 ある日、島の公民館で、牧人は地元の住民たちと学習会を開いた。中学生が10人ほど集まり、AIなしでできるグループワークを試した。紙と鉛筆だけの世界。それでも、子どもたちの目は輝いていた。「先生でもAIでもない“誰か”が、自分の話を聞いてくれるのがうれしい」結花の言葉に、胸を打たれた。その夜、牧人は思った。「学び」に必要なのは、まず“アクセスする権利”なんだと。最新の教材やシステムがあっても、それが「使えること」「つながること」が前提。使える子と使えない子の差は、すでに“教育格差”ではなく、“生きるチャンスの格差”にまで広がっていた。

 

 そしてもう一つ、彼が気づいたのは、「教える側」の不在だった。この島では教師の数が不足していた。リモートで支援しようにも、ネットが弱く、AIサポートも不安定。結果として、“学ぶ意欲のある子ども”が“誰からも教わることができない”状況に置かれていた。「教える権利」が、当たり前に守られていない現実。都市部では、AI資格を持った一般市民が「学習支援者」として地域で活躍していた。一方、この島では、誰もその資格を持っていない。持ちたくても、研修にアクセスできない。教えること自体が“特権化”しているようだった。


 「学ぶ権利」と「教える権利」は、表裏一体。 どちらかが欠ければ、教育の輪は回らない。牧人は、島に滞在する間に、少しずつ“つなぐ仕事”を始めた。オフラインで使える教材の設計、紙とデジタルの橋渡し、AI資格者をリモートで島に招く制度の提案。簡単ではなかったが、彼は気づいていた。本当に大事なのは「誰もが、学びを選べる社会」をつくることだ。結花はその後、自作の教材で下級生に数学を教え始めた。「先生がいないなら、私が“教える人”になればいいよね。教えるって、私がいちばん学べるのかも」その言葉に、牧人は希望を見た。人は、誰かとつながりながら、学び合い、教え合い、生きていく。

 

 補足:技術と制度の未来予測(2040年時点) 2040年、日本では「学習アクセス法」により、全国民に最低限の学習環境へのアクセスが“権利”として保証された。しかし実際には、通信インフラ、家庭支援、地域教育資源の差が顕在化し、特に離島・山間部・都市周辺の貧困層で教育格差が深刻化。加えて、「教える人材」もAI頼りとなり、地域によっては人間の教育者が不在の状態が常態化してる。これに対し、民間は「教える権利を開放する運動」が進んでおり、地域住民が資格を取り、教育に参加できる仕組みが整備されつつある。“誰もが教え、学べる社会”をどう築くか—これは未来社会の大きな課題である。


 第10章:メタバースの仮想教区と現実教育

 2040年、暁牧人が所属していた学習グループは、もはや“学校”とは呼ばれていなかった。正式名称は、第8メタバース教区・多言語学習共同体。空間は全天球型で、好きな風景を選べる。インド洋の孤島でも、火星の基地でも。音声は自動翻訳され、顔の表情もアバターが微細に反映してくれる。「牧人さん、きょうはアンドロイドの哲学です。場所、どうします?」「じゃあ、月の裏側。星が近くて、静かなところがいい」

 メンバーはタイ、ブラジル、フィンランドからログインしていた。空間には国境も時差もなかった。アバターの年齢も性別も不明だが、誰も気にしなかった。メタバース教育は、利便性では群を抜いていた。どこにいても、誰とでも、何でも学べる。教材は無限。ミスはすぐ修正され、授業は毎秒、最適化されていく。だが、あるとき、牧人は自分の身体が“抜け殻”のように感じた。

 気づけば、毎日8時間以上を仮想空間で過ごしていた。座ったまま、誰にも触れず、匂いも感じない。目は疲れ、食事も適当になり、声すら出さずに一日が終わることもあった。「これって…生きてる、って言えるのか?」ある日、AI教官に対して、わざと無言でいた。表情も変えず、質問にも答えず、沈黙を続けた。数分後、AIは静かに言った。

「感情の反応が検出できません。あなたの現在の状態は、“教育停止モード”と判定されます」それを聞いて、牧人はようやく笑った。「人間が黙ること」さえ、教育の“エラー”として扱われてしまう世界。翌週、彼は実験的にリアル教室を訪れた。

 近所の古い木造校舎を借りて、地元の子どもたちと「ただ絵を描く」ワークショップをした。AIもメタバースも一切なし。道具は、紙と色鉛筆だけ。

 子供が落とした消しゴムを拾う。笑い声が響く。窓から風が吹き、机に積もる木の粉が舞う。牧人はそのとき、「五感すべてで学ぶ」ということを思い出してた。「この教室、またやりたい」と言ったのは、小学3年生のリュウ。「ここ、うるさいけど、面白い。あと、先生、あったかい」その「先生」とは、他でもない牧人だった。自分が、誰かの“リアルな学び”を支えていることに、初めて確かな手応えを感じた。

 その夜、彼はメタバースの空中庭園に戻り、タイの友人にメッセージを送った。「ねえ、仮想空間って、便利すぎることがあるよね。今度、リアルで“手を動かす学び”のプロジェクトを始めようと思ってる。少しずつでいい。風を感じる教室、作りたいんだ」相手は数秒間、何も言わず、ただ“ニッコリ笑う”表情を送ってきた。それは、デジタル越しでも、ちゃんと伝わるものだった。だけどやっぱり、その笑顔を“現実”で見てみたいと思った。

 

 補足:技術と制度の未来予測(2040年時点) 2040年、文部科学省と国際教育機構は共同で「仮想教区制」を導入。生徒は物理的な住所に関係なく、メタバース空間内の教育区に“所属”し、学ぶことが可能となっている。メタバース教育の利点として、瞬間移動・同時翻訳・創造的環境設計が挙げられ、国際的な教育格差の是正にも寄与した。一方で、「身体性の欠如」「孤立化」「過剰な最適化」による心理的負荷が問題視され、“リアルな場での学び”の再評価が進み始めている。近年では、仮想と現実を往復するハイブリッド学習の必要性が強調され、「風を感じる教室プロジェクト」など、地域でのリアル教育の再構築が広がっている。



 エピローグ スコアと評価の目、次元の変化

 2025年、人々はまだ「教室」「先生」「テスト」に縛られていた。スポーツは学校ごと、授業は一斉指導、進路は偏差値が決める時代。だが、あれから15年。教育は大きく姿を変えた。AIとメタバースが当たり前になり、学びは“どこでも・だれとでも”可能になった。スポーツも自己最適化され、授業は「つながり」と「創造」の場へと進化した。

 

 けれど、変わらなかったものもある。学ぶとは何か。教えるとはどういうことか。誰と生き、どう成長するか。そうした問いは、牧人の中でずっと続いていた。スコアを越え、仕事と学びを行き来し、AIと親と育ち合い、格差の中に光を探し、仮想と現実の狭間で立ち止まる—。その先に、牧人は“本当の教育”を見つけたのかもしれない。それは誰かに与えられるものではなく、自ら育て、手渡していくもの。教室の形がどう変わろうと、人は人の中で育つ。その未来は、いつも一人ひとりの選択から始まっている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ