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第5話 あの時見捨てた人たちへ、さようなら

最終話です。

短編を読んでくださりありがとうございました。

 王都からの使者は、一人の若い騎士だった。

 年の頃は二十代半ば。

 丁寧に磨かれた銀の鎧に身を包み、真っ直ぐな姿勢で扉の前に立つその姿はまるで騎士団の教本から抜け出してきたようだった。

 眉目秀麗、言葉遣いも礼儀正しく――けれど、その声の奥にはわずかな焦りが滲んでいた。

 使者はレオンを見るなり、膝をついて深々と頭を垂れる。


「我が主、マルケス侯爵より――レオン・ヴァルト殿へ。どうか再び王都へ戻り国の柱としてお力をお貸しいただきたいとの、強いご命令にございます」


 小屋の中に、重たい沈黙が落ちた。

 その名が口にされた瞬間、レオンの表情が、わずかに動いた。


 マルケス侯爵――あの男の名を、レオンが耳にするのは何年ぶりだろうか。


 ――王国を支える重鎮のひとりにして、野心家。

 表向きは誠実な政治家として国民の信頼を集めていたが、裏では権力と金を貪る腐敗の象徴だった。

 そして、かつてその不正を正そうとしたレオンを――反逆者の汚名を着せて、王都から追放した張本人。

 陽菜は隣で立ち尽くしながら、レオンの拳が静かに握りしめられていくのを見ていた。

 その手はわずかに震えている。

 怒りではない。屈辱でもない。


 だが、レオンの声は静かだった。

 感情を押し殺すように――けれど、確かな意志を込めて、使者に問い返す。


「……なぜ、今さら俺を呼ぶ」


 その一言に、使者は目を伏、言い淀む。

 鎧の肩が、かすかに揺れた。


「……侯爵は……現在、非常に苦しい立場にございます」


 言葉を選びながら、ようやく口を開く。


「かつて敵対していた政敵たちが力を持ち、王宮内部でも派閥が割れ……軍の統制も乱れ民衆の不安が日に日に膨らんでおります」


 使者の顔には、誇り高き騎士らしい仮面が張りついていたがその裏には見えない汗が滲んでいた。


「――だからこそ、『英雄』が必要なのです。レオン・ヴァルト殿……貴方のお力なくしてこの国は持ち堪えられません……!」


 言い終えた瞬間、使者は再び頭を深く垂れた。

 その姿を見て、レオンはわずかに目を細めた。

 追放された男に対して王都の者がこうまで頭を下げる日が来るとは――皮肉にすらならない。

 もはや笑う気にもなれなかった。

 レオンの視線は、まっすぐに使者へと注がれたままだ。

 だが、何も言わない。

 その沈黙の中に、重たく冷たい拒絶が含んでいる。

 陽菜は、その場の空気が静かに変わっていくのを、肌で感じていた。


 だがその時、場違いな軽口が場を切り裂いた。


「おいおい、マジかよ……やっぱ本物だったのか英雄さんよぉ」


 呆れたような、馴れ馴れしい口調。

 まるで人を小馬鹿にするようなその声は、陽菜にはもう聞き慣れてしまっていた。

 現れたのは、白井湊人と黒澤勇也――陽菜を「足手まとい」と笑い、森に置き去りにしたあの二人。


「よっ、この前。元気してた?いやー、まさかこんな田舎で再会するとは思わなかったわ」

「相変わらずだな……まだレオンさんと一緒か」


 へらへらと笑いながら近づいてくる二人の顔には、反省の色などひとかけらもなかった。


「なあ、俺たちここに呼ばれた仲間だったろ?王都行こうぜ一緒に。もう、あんなの水に流してさ」

「ああ、今ならレオンさんの名前で俺たちも重用されるかもしれないぞ?」


 言葉の端々から滲み出るのは、浅ましい打算と見え透いた媚びへつらい。

 彼らは「謝罪」ではなく、「利用」しに来ただけだった。


 だが――レオンは、微動だにしなかった。


 その瞳がゆっくりと細められる。

 焚き火の消えかけた炭のように、奥底で静かに赤く燃えるものがあった。

 そして、静かに、一言告げるのみだった。


「……俺は、今守りたいものがある」


 短いが、深く突き刺さる言葉だった。

 部屋の空気が、ぴしりと張り詰める。

 それまで薄ら笑いを浮かべていた湊人と勇也が途端に言葉を失い、乾いた笑いすら出なくなる。

 使者もまたその重みに圧されて何も言えず、沈黙した。


 そしてその場に、もう一人、静かに立ち上がった者がいた。

 陽菜だった。


 その背筋はまっすぐに伸び、顔を上げ、二人を真っ直ぐに見据える。

 その目には、遠慮と言うものはなかった。


「……あの時、あなたたちは私を『足手まとい』だと笑ったわね」


 声は震えていない。

 透き通るような、澄んだ声音だった。


「スキルもない女は生き残れないって、そう言って私を見捨てたじゃない。でも私を守り、信じてくれたのは――あなたたちじゃなくてレオンさんだったの」


 湊人が言い返そうと口を開きかけるが、陽菜の言葉がそれを封じた。


「自分にとって価値があるかどうか、それでしか人を判断できないあなたたちに私の価値は分からない……あなたたちが私を捨てたその日から……いいえ、そもそも私はあなたたちの仲間じゃなかったわ」


 勇也がわずかに顔を引きつらせ、苦笑いを浮かべようとした。


「ま、まあ……そ、それは昔のことで――」

「いいえ、今のあなたたちも全く変わってないわ。反省もせず、利用しようとするだけ。そんな人たちと王都に行くつもりはない」


 陽菜は、はっきりと言い切った。


「私は、この人と生きていく」


 横に立つレオンの手に、そっと自分の手を重ねる。


「誰にどう思われようと、もう迷わない。私を拾って支えてくれた――この人の隣で。これからもずっと生きていくの」


 その言葉に、レオンの瞳がわずかに揺れる。

 まさかそのように言われるとは、レオンも思っていなかったらしく、呆然としながら陽菜を見ていた。


 湊人と勇也は、完全に言葉を失っていた。

 言い返す理屈も、立場も、何一つ残されていない。

 陽菜が言った言葉に対し、彼らの言葉はすべて無様に崩れ落ちていた。


 その沈黙の中――レオンが、ゆっくりと口を開いた。


「帰れ……どうなろうと、俺の知ったことではない」


 その一言は、まるで宣告だった。

 絶対に覆らない、『拒絶』という名の判決。

 二人の顔から血の気が引き、使者でさえ目を伏せる。

 湊人と勇也は、うなだれるようにして、小屋を後にした。


 捨てた者に捨てられ、値踏みしてきた相手に見限られ――その背中は、哀れなほど小さく見えた。

 陽菜はその様子を静かに見送りながら、心の中でそっと呟いた。


(――さようなら)

 

  ▽

 

 夕暮れ時。

 沈みかけた太陽の光が、窓から柔らかく差し込んでいる。

 森の奥に建つ小屋の中は、あたたかなオレンジ色に染まり空気までもがゆっくりと流れているようだった。

 薪のはぜる音が、ぱちっ、ぱちっと静かに響く。

 その音だけが、静寂の中で優しく鼓動を刻んでいた。

 火の前に並んで座ったレオンと陽菜。

 二人の間には、言葉にしなくても伝わる、穏やかな沈黙があった。

 やがて、レオンが不意に口を開いた。

 どこか、少しだけ照れくさそうに。


「……お前がいてくれて……よかった……その、ありがとう」


 その声は、低くて、不器用で、まっすぐだった。

 けれど、そこに偽りのかけらはなかった。

 目をそらしながらもレオンの言葉には、彼なりの精一杯の想いが込められていた。

 陽菜は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、静かに微笑んだ。


 まるで春の陽だまりのように、やさしい笑みだった。


「……もちろんです。ずっと、これからもずっと、そばにいます」


 言葉にするのは簡単だった。

 けれどその一言には、これまでのすべて――不安も、迷いも、乗り越えてきた時間も、全部が詰まっていた。


 レオンが、無骨な手をゆっくりと差し出す。

 大きく、固く、戦場で鍛え上げられたその手は、今、ひとりの女性に向けて差し伸べられている。

 陽菜は、両手でその手を包み込むように、そっと握った。

 ごつごつとした手のひらから、かすかに熱が伝わってくる。

 冷たくなんてなかった。驚くほど、あたたかかった。


 ふたりの視線が、重なる。


「へへ、もうこれで両想いですね」

「っ!?」


 笑いながらそのように答えた彼女に対し、レオンはその場で硬直する事しか出来なかった。


   ▽

 


 数日後。


 空は晴れ渡り、村の広場には人々の笑い声が響いていた。

 飾り気のない木造のテーブルに、手作りの料理が並び、村の子どもたちが走り回る。


 「レオンさんが笑ってた!」

 「ヒナちゃん、すっごく綺麗だったよ!」


 そんな声が、あちこちで上がっていた。


 レオンと陽菜の二人が結ばれた事により、村で盛大に祝う事になったのである。

 無口だし、不愛想な男に、まさか嫁が出来るとは誰も思わなかったらしく、周りは騒いだり泣きわめいたりしているよすがみられる。


 村の少女が、ヒナの髪に花冠をそっと乗せる。

 それを見て老人が満足げにうなずき、レオンの背をぽんと叩いた。


「いい顔をするようになったな、レオン……ようやく、戻ってきたな」


 レオンは照れくさそうに苦笑しながら、陽菜のほうを見る。

 陽菜は花冠を両手で押さえながら、レオンに向かってにっこりと笑い返した。

 たったそれだけで、もう言葉はいらなかった。


 英雄と呼ばれた男と、足手まといと見捨てられた女性。


 世間の価値観では並び立たないふたりだった。

 けれど今、肩を並べ、手をつなぎ、お互いを見つめている。



 ――きっと明日もまた、ふたりは手をつないで、森の小道を並んで歩くだろう。


 笑って、食べて、働いて、何気ない日常の中で、互いの隣に居続ける。

 それこそが、ふたりが選んだ、何にも代えがたい幸せだった。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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