第3話 英雄と、裏切られた過去
レオンの山小屋から麓の村までは、およそ半日の道のりだった。
今日は保存食や薬草の補充をするため、久しぶりにふもとの村まで買い出しに来ていた。
秋の空は高く、風は少し冷たいが、森の木々は金色に染まり目に映る景色はどこか穏やかだった。
「レオンさん、あの木……栗、ですよね?」
「……ああ。今の時期なら、落ちてるはずだ。見かけたら拾っていい」
相変わらず無口でそっけない返事ではあるけれど、それが今の陽菜には心地よかった。
この短いやり取りの中にも確かに信頼と優しさが込められているのが、少しずつ分かってきたからだ。
村に着くとレオンは変わらぬ無表情で、商人たちに小さくうなずいて挨拶を返した。
その姿は、どこかこの土地に溶け込んでいて――けれど、彼に対する村人たちの視線にはどこか敬意と遠慮が混ざっていた。
陽菜はその空気に言葉にできない違和感を覚えながらも、木箱に並んだ干し肉や穀物を手に取り値段を確かめていた。
「ややや……ずいぶんと可愛い娘さんを連れてるじゃないの、レオン殿」
陽菜が振り向くと、そこには年配の老婆がにこにこと笑顔を浮かべて立っていた。
腰は曲がっているが目は鋭く、村の古株という雰囲気をまとった人物だった。
「いえ、私はその……お世話になってるだけで……」
陽菜は慌てて首を横に振り、深く頭を下げた。
まるで「娘さん」などと呼ばれたことが自分には不相応だとでも思ったかのように。
だが、老婆は優しく笑い、陽菜に言った。
「礼儀正しい子だねぇ。でもね、あのレオン殿が誰かを連れて村に降りてくるなんて、ほんとに珍しいんだよ。昔からひとりで生きてる人だからねぇ……」
そう言ってから老婆は懐かしむように視線をレオンに向け、続けた。
「レオン殿はね、昔はすごいお人だったんだよ。王国軍の総大将で、国の軍を束ね戦乱の時代を終わらせた英雄さ。知らなかっただろう?」
「……え……えぇっ!?」
陽菜の口から、思わず驚きの声が漏れた。
思わず、隣のレオンの横顔を見る。
その鋭い目も、無精ひげも、たくましい体つきも、確かに『ただ者じゃない』とは思っていたけれど――まさかそんな伝説みたいな肩書きの持ち主だったなんて。
レオンは、何も言わずに視線を前に向けたままだ。
「だがまあ……」
老婆の口調が、少しだけ低くなる。
「正義感が強すぎたんだ……王族が私腹を肥やしてるのを見て見ぬふりなんてできなかった。だから貴族どもに目をつけられて追い出されちまったのさ。あの時の貴族連中ときたら、本当に……!」
言葉の最後は、怒りと悔しさでかすれる。
老婆は片手で杖を突きながら、ぎゅっと唇を結んでいた。
陽菜は、信じられない思いでレオンを見る。
王国を救った英雄、そして、腐敗に抗おうとして――追放された人。
彼は、そんな過去を――たった一言も、自分に語らなかった。
レオンは、老婆の話を最後まで黙って聞いていた。
反論するでもなく、否定するでもなく、ただ……その瞳に、わずかな陰を宿しながら。
そして、ぽつりと呟く。
「……もう、昔のことだ」
その言葉は静かで、落ち着いていて、でも――どこか、ひどく遠い声だった。
語られなかった時間の長さが、その一言にすべて詰まっているようで。
陽菜は、胸がきゅうっと締めつけられるような感覚に襲われる。
(この人……どれだけのものを、背負ってきたんだろう)
誇り、信念、後悔、そして痛み。
それらすべてを、誰にも見せず、誰にも語らず、この山の奥で――たった一人で抱えていたのかもしれない。
陽菜は、そっとレオンの横顔を見つめる。
その表情に言いようのない哀しみの影が見えた気がして――彼の背中がほんの少し、遠く感じられた。
▽
買い物を終え、陽菜とレオンが市場の外れへと足を向けようとしたその時だった。
耳に刺さる、聞き覚えのある軽薄な声。
「……あれ?アンタ、まだ生きてたのかよ?」
陽菜の足がぴたりと止まる。
振り返れば、そこに立っていたのは――白井湊人と黒澤勇也。
間違いない。
あの日、異世界に転移してすぐスキルがないからと彼女を「足手まとい」と見なして、森に置き去りにした男二人。
その顔は相変わらず自信に満ちており、服装も以前より豪奢でいかにも王都に取り入っているという雰囲気を漂わせていた。
「うわ、マジでお前だったのか。生きてるとか奇跡じゃね?っていうかなにその格好、どこの田舎者よ?」
湊人が鼻で笑うように言い、勇也が陽菜の隣に立つレオンを見てあきれたように口を開いた。
「そっちのジジイが相手?うわ、終わってんな……モブ中のモブって感じ。ジジイと一緒に芋でも掘って暮らしてんの?」
二人のあまりにも下品な嘲笑に、陽菜の胸に黒いものが渦巻き――腹が立たないわけがない。けれど。
陽菜が何かを言おうとした、その前に。
レオンが、ゆっくりと首を動かし、湊人たちに視線を向けた。
「……え?」
湊人の顔が凍りついた。
「お、おい、勇也……こいつ……ちょっと待て……」
「え?……おい、まさか……う、うそだろ……?」
二人はまるで凶器でも突きつけられたかのように青ざめて、レオンの顔を凝視した。
そして――震えるような声で、湊人が呟く。
「れ、レオン・ヴァルト……!?まさか……あの、英雄の……」
勇也が、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「名前だけは知ってた……王都じゃ、最近また噂されてる。かつて戦乱を終わらせた将軍って。王国を建て直すには、あの男しかいないって、貴族たちが騒いでて……肖像画と同じだ……」
「でも……追放されたって……聞いたけど……生きてたのかよ……」
その場の空気が、一瞬で変わった。
ついさっきまで見下し笑っていた二人の顔が、今は完全に蒼白だった。
足は震え、額には冷や汗が滲んでいる。
「ちょ、ちょっと待ってください!その……英雄レオン様でしたか!?あの、僕たち実は王都の使者に関わってて!ちょうど、今、戦力が必要で――!」
「そうそう!戦乱の気配があるとかで、『英雄を迎えろ』って言われてるんです!ぜひ、お力をお貸し――!」
二人は、先ほどの傲慢さなどどこへやら、手をすり合わせる勢いでレオンに縋りつこうとしていた。
だが、レオンは、ただ一度、冷ややかな視線を投げかけただけだった。
その眼差しに、陽菜は背筋がゾクリとするほどの『威圧』を感じた。
怒号も、殺気もない。
ただ、『拒絶』という事実だけを突きつけるような、氷のような眼差し。
そして、短く、冷徹に告げられた。
「……必要ない、帰れ」
それだけ。
けれど、その一言が持つ重みと威圧感は、二人の口を完全に塞いだ。
湊人も勇也も、何も言い返せず、その場に凍りついたように立ち尽くした。
陽菜はその様子を、黙って見ていた。
口元には、自然と小さな笑みが浮かんでいた。
(……ざまぁみろ)
あの時、『女は足手まとい』と言って、自分を森に置き去りにした彼ら。
自分には何の価値もないと笑っていた人たちが、今――自分の隣にいる人の名を聞いただけで、こうして震え上がっている。
陽菜は、レオンの横に一歩踏み出すように立った。
その背中は、今も変わらず大きく、どこまでも頼もしくて――そして、何より誇らしかった。
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