第2話 無口な人、優しすぎませんか?
森の奥にひっそりと建つ木造の山小屋――それが、彼の住まいだった。
陽菜が、あの無口な男――レオンに助けられてから三日が経った。
初日はただ生き延びただけで精一杯だったが、二日目には体力も少し戻り、三日目の今日は……彼の手伝いをしようと、朝から勝手に動き出していた。
「……あの、私、何かできることありますか?」
その朝、木の器で粥を食べながら陽菜は思い切ってそう口にした。
レオンは箸を止めて彼女をじっと見た。
少しだけ目を細めて、何かを吟味するような視線。
そして、ぽつりと一言。
「……火の扱いは?」
「え、あの……マッチなら使えます。あと、ガスコンロとか」
「……まっち?がすこんろ?」
「あ……こっちにはないのかな?」
「……」
静かに立ち上がったレオンは、裏手の作業場へと彼女を連れていった。
そこには、石で囲まれたかまどと、薪を入れるための小屋があった。
「ここにある枯れ枝を、細く割って……」
無言で手本を見せるレオン。
刃物の扱いも火の起こし方も、どれも手馴れていて見ているだけで惚れ惚れする。
その動作の一つ一つに、言葉はなくとも長年の経験と信頼がにじみ出ていた。
陽菜も、慣れない手つきで真似をする。
が、慣れないナイフに指先が滑って――
「あっ……!」
小さな悲鳴が、静かな森の空気を切り裂いた。
刃物が指先をかすめたわずかな衝撃。
だがその瞬間、鋭い痛みがびりっと走り陽菜は思わずナイフを取り落とした。
見れば、左手の人差し指にうっすらと赤い線が走っていた。
傷口から、じわりと血が滲んでいる。
「やっちゃった……」
陽菜は慌てて手を握りしめ傷を押さえる。
じんじんと疼くような痛みが広がってきた。
そんな彼女の隣で、何かが静かに動いた。
レオンは無言のまま近づくと、しゃがみ込んで陽菜の手をそっと取った。
「……見せろ」
低く、抑えた声。
怒っているのでも呆れているのでもない。
ただ、静かで落ち着いた声色。
ごつごつとした大きな掌に、陽菜の細い手がすっぽりと包まれた。
その瞬間、思わず息を呑む。
彼の手は硬くて分厚いのに、不思議と優しかった。
触れているところから、じんわりと温もりが伝わってくる。
「少し切っただけだ……すぐ済む」
そう言ってレオンは立ち上がり、小屋の奥の棚へと向かう。
無言のまま薬草を取り出し、湯に浸して消毒液を作る。
その動きに一切の無駄がなく、すべてが慣れている。
木の椅子に腰かけた陽菜の元へ戻ると、レオンは手際よく彼女の傷口を消毒し傷口の周囲をそっと拭き取った。
沁みる痛みに思わず顔をしかめると、レオンはほんの一瞬手を止める。
「……すまん」
たった一言――それだけなのに、妙に胸の奥が温かくなる。
続いて彼は、柔らかな布を取り出し、指先にくるくると包帯を巻いた。
その太くて荒れた指先が、どこまでも丁寧で優しかった。
「……もっと、自分を大事にしろ」
ぽつりと、呟くような声。
その言葉が、真っ直ぐに胸に刺さった。
陽菜は、顔を上げた。
上げると同時にレオンと、視線が合う。
鋭く、冷たさを湛えた瞳――でも、その奥に、微かに揺れる感情が見えた。
何かを言いたげな、けれど言葉にできずに沈んでいるそんな眼差し。
――ドクン。
心臓が、不意に強く脈打つ。
(あれ……?)
戸惑うように瞬きをした次の瞬間、レオンがハッとしたように目をそらし顔をわずかに横に向けた。
その頬の辺り、耳の先が――ほんのりと赤くなっている。
(……え、今……?)
陽菜の中で何かがはじけたような気がした。
レオンが……照れてる?
今の言葉を、自分で言って恥ずかしくなったの?
あの無口で、仏頂面で、鋼のような人が――?
思考が追いつかず、陽菜はただぽかんとその背中を見つめるしかなかった。
そして次第に、自分の顔もじんわりと熱を帯びていくのを感じる。
「す、すみません……慣れないナイフだったので……」
思わず出た言い訳に、レオンは短く息を吐いた。
「……ナイフを握る前に、教えればよかった。悪い」
ぶっきらぼうな言い方だったけど、その言葉には責任感のようなものが滲んでいる。
「いえ! 私こそ、勝手に動いちゃって……あの、ありがとうございます」
ぎこちない言葉のやりとり。
沈黙が、気まずいわけではなく、妙に落ち着く。
(なんだろう、この感じ……)
ふたりとも、不器用で、口下手で。
だけど、その間に流れる空気は、どこか優しくて、穏やかで――居心地がよかった。
レオンは、言葉で何かを伝えるのが得意な人ではない。
けれど、行動が何より雄弁だった。
黙っていても、彼の仕草ひとつひとつが、陽菜に「あなたを大切に思っている」と伝えてくるようで。
火の揺らめきが、ふたりの距離を照らしている。
陽菜は、手をそっと見つめた。
太くて、硬くて、でも優しかった指が巻いてくれた包帯がじんわりと温かくて。
(この人……すごく、不器用だけど……)
その『だけど』が、たまらなく愛しく思えてしまうのは――きっともう、少しずつ彼に惹かれ始めている証拠なのかもしれない。
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