1章3話 「恵洲蘭、到着!」
「ハァーーーーー!!
――ヤァェーーーーーーー!!」
あれは、300年以上昔のこと。
私たちがまだ幼かった頃だ。
「メイリー?」
私は、夜遅くまで宮殿の壁に向かって神力の特訓をしている妹に声をかけた。
神力とは、神が扱う異能力の出力のこと。つまり、神力が高い者は、異能の威力が高いということだ。
「……お姉様……」
可愛く編みこんで垂らした三つ編みが揺れた。
メイリーの顔は青ざめており、汗がびっしょりだった。明らかに頑張りすぎている。
「死なないとはいえ、無理は禁物よ。
身体を壊せば、せっかく鍛えた神力の最大保有量も低下する。
少し休んだら?」
「偉そうに。
余計なお世話」
メイリーはむすっと頬を膨らませ、冷たくそっぽを向く。彼女は私と話をする時、都合が悪くなるとよくこのクセが出る。
「お姉様に心配されたくない。
むしろ、自分の心配したら?」
「ふふっ、まぁね。
あなたと違って、私はまだ羽も生やせないし。
でも、私だって強くなれるように毎日努力はしてるつもり!
人間界に降りて、飛瀑に打たれて神力を少しでも上げるためにいつも精神統一をしてるし、神器を扱う訓練も怠ってない。
先生からも、才能ないってソフトな言い方で言われてるけどね!
でも、諦めないで続けるつもり!
いつか、それが身を結ぶのを信じて!」
「私は強い力が欲しいの。
いつかではなくて、早く!
どんどん!
ぐんぐんと!
とにかく!
強く、なりたいの!
だから、邪魔しないで帰ってよ」
「……なんでそんなに焦っているの?
私たちが、お母様とお父様の娘だから?」
「……そうじゃないよ」
「なら、聞かせて?
私が頼りないから信用できない?
でも、私はお姉さんだから、あなたの力になれることがきっとある!
もっと私を頼ってほしいな。
……ねっ?」
呼吸を荒げているメイリーの顔を覗き込んで、手を握る。メイリーははにかむようにすぐさま手を振り払って、背中を向けた。
メイリーは【強欲】を司る女神。
「………………………………私が強くなれば、
私が……お姉様の分まで強くなれば、
才能のないお姉様が…………苦労することないでしょ。
才能ないのに、そんなに頑張らなくてもいいでしょ」
それが、強欲に力を欲する彼女の真意だった。
* * *
――ああ、そういえば、あんなこともあったっけ。
あの言葉を聞いた時は、嬉しく思って、頭をなでなでしてあげたっけ……。
でも、数百年の年月が、あの子を変えた。
強欲に力を求めてどんどん強くなっていった彼女は、傲慢になっていった――
窓へと続く長い廊下を歩きながら、私は過去を振り返っていた。
あの時はよかった。でも、今は今。
「ソリネス、覚悟はできてる?」
「帰りたいです」
「じゃ、行くわよ」
「嫌です」
窓の前へと到着し、立ち止まり瞑目。
……………………………………。
大して保有していない神力を精神の渦の中で練り上げていく。メイリーなら、他の神ならこれが一瞬でできる。無能の私は時間がかかる。
「――!」
カッと、勢いよく開眼。
私の背中がぼこぼこと波打ち、盛り上がる。
「――イッ!」
痛みを覚えた後、背中の肉が突き上がり、落ち着いたブラウンの両翼が姿を現した。他の神なら痛みも感じないというのに。
「しっかり捕まってなさい!」
「いいっ!?」
窓を開け放つ。ソリネスの手を取りながら私は体を前へと傾けた。目的地は恵洲蘭。
ゆっくりと落ちていく。
成層圏を落ちていく。
対流圏を下にいく。
雲の上を、空の海を、気流の中をひたすらに越えていく。
冷たくて激しく吹き荒ぶ風が、全身に浴びせられる。
充分に満足する程自由落下を味わった後は、翼を広げて体を回転させながら、行きたい方角へと縦横無尽に方向転換。
「アアアアアアーーーーーー!!」
翼を生やすことのできないソリネスの絶叫。睾丸を縮こませながら恐怖に震えている彼の涙が、風に流れて私の顔面に吹きつけてくる。
「ち、ちぎれる!
体が……ちぎれちゃううぅぅぅ〜〜〜〜!!」
けれども、それすらも私は心地よい。
自由だ。この瞬間は。
誰の邪魔も入らずに、大空を舞う。その瞬間は、日々鬱屈とした冴えない私にとって、世界を制した感覚になるのだ。
この瞬間だけは、誰も止めることはできない。翼がない以外、殆ど外見は同じである人間は空を飛べないけど、私は空を飛べる、私は強いと。そんな気持ちになるんだ。
――やがて、目的地である地表が見えてきた。
結界が張られているはずだが、メイリーの言う通りならば、このまま突撃しても問題ない。
「ギブギブギブギブ!
止めて止めて止めて!
吐きそう!!」
尚も喚き散らす相方を無視して、私は結界に包まれた恵洲蘭へと突入した。
* * *
「久しぶりに……死ぬかと思いました……」
「生き返るんだから問題ないでしょ。
それに、いい加減慣れなさいよ。
人間界には、たまにこうして降りてるんだから」
「そ、そんなマジレスしなくても……」
「それより見て、到着よ」
気持ち悪く猫背になっているソリネスの肩をさすりつつ、前方を指差す。
人間界には、砂漠地帯にピラミッドという遺跡が存在しているが、それと同じく三角の形状をした神殿が目の前に広がっている。ここが、恵洲蘭を治めていたエッジの居住地だ。周りには殺風景な草原と、海を見下ろす崖のみ。
「本当に犯人を探すんですか?
日付が変わるまでって、無茶でしょ」
現在、人間界の時間は15時30分。0時になった瞬間、結界が解ける。
この町の市民はここから逃げることができるようになる。神を殺す程の犯人なら、翼を持っている私でも逃してしまうかもしれない。そうなる前に、見つけ出す。
「当然よ。
時間を有効に使うためにも、手分けして調べましょう」
お互いの役割を決めて、今一やる気の感じられないソリネスに指示を出す。
「――えっ、僕は聞き込みしなくていいんですか?」
「あなた、人間嫌でしょ。
私が市民たちのアリバイとか、事件当時(といっても、たった1時間前だけど)の町の様子を聞いて回る。
あなたは現場を調べてなさい、徹底的に。
必ず何か小さな手がかりがあるはず。
メイリーの話なら、結界の力で誰も人間はここに来れないはず……だから、絶対に何か収穫を得なさい!
ここが、あなたにとっても【因縁の地】であることは分かってるけど、何もありませんでした……じゃ、承知しないからね!」
「は、はいっ!
ご配慮いただき、あ、ありがとうございます!」
「後、もし中に犯人が隠れていた場合、見つからないようにすぐに引き返して合流すること!」
「はいっ!」
人間と関わらなくていいと分かったソリネスは、士気が少し上がったのか、姿勢を正して神殿の中へと入っていく。
「…………ふぅ」
さて……。
私も行こう。
恵洲蘭に来るのは初めてだが、幸い私は他の神々の子供たちに人間界のことを伝える先生をしているだけあって、エッジが【食】を司る神だということや、今日ここで起こっている【イベント】のことも把握している。
そして、その昼から晩までのイベントは、ほぼ全市民が参加している。エッジが死んだのはたったの1時間前で、イベントは今も継続中。誰も彼が死んだことに気がついていないはずだ。
――犯人以外は。
だから、人が1箇所に集まっているだろう今、効率よく動いていけばいい。
それにこっちは、一個、【重要な手がかり】を既に掴んでいるし、恵洲蘭は全人口たった40人。その人数なら犯人は絞りやすい方だろう。
役に立つのか分からないが、一応【神器】も借りている。
大丈夫。きっと、上手くいく。
「――ッ!」
私は、もう一度翼を生やした。
* * *
17時30分。
「きっと今夜はいい夜になるよ、ハニー」
「ええ、ダーリン。
まだ夕方なのに、こんなに幸せなんですものね!」
そこは、恵洲蘭の市民たちが集まっているパーティ会場。毎年この小さな屋敷で、この日にパーティが開かれる。暑気払いと【新作】の初披露という、二つの名目のもとに開催されているのだ。
皆が席について美味しいものを食べたり、酒を飲んだり、恋人同士、夫婦同士で社交ダンスを踊ったりしながらこの宴を満喫している。
美しい舞曲と歓喜の声で会場は溢れ、参加人数は39人と少ないが、賑わいは留まるところを知らない。
――いい夜になるか…………。
確かに、そうだ。その通りだ。
先程、自分は初めて殺人……いや、殺神を犯した。ここにいる皆はまだそれを知らないだろうが、もう取り返しがつかない。完全に引き返すことができなくなった。
だが、後悔はしていない。自分にはそうするしか生きる道がなかった。
こうなったのは、全て神々のせいだ。
そして、あの子の人生に光を与えるためにも、自分の役割を果たす。
恐らく、今回の事件を調べるために別の神々が来るはずだ。そいつも返り討ちにする。
「さ……それでは、この辺でお静かに……。
次のプログラムと参りましょう!
そろそろ、新作の第二弾の発表といきたいですからね!」
やがて、司会者のその言葉で皆の視線が一斉にステージへと集中。曲もダンスも止まり、会場は沈黙に包まれた。照明もステージだけを残して消えた。
「あっ、静かに……してくれましたね……。
ありがとうございます!
では、早速……織賀先生の新作第四弾の発表と行きましょう!
ステージ中央をご覧ください!」
司会者の左手がステージ中央を指し示すと、そこから新たな作品が――
パリィィィィィィィン!!
「きゃあああああ!!」
――突然だった。
会場の窓ガラスが派手に割られ、誰かが悲鳴があげた。
…………来た。
来ると思っていたが、予想よりも早く、唐突だった。
「な、なんだ!」
「悪戯!?」
「テロリスト!?」
「静粛に、静粛に!
落ち着いて!」
どよめき、恐怖、阿鼻叫喚が混ざり合う会場に、一枚の羽が舞い落ちてきた。
「そうよ、静粛になさい」
純白のワイシャツを着たそこそこ背の高い女性が、背中に生えた薄い茶色の大翼で、窓の前を天使のように浮遊していた。髪は翼と似た色合いのツインテール。
白皙の面相の上には、真面目で優しそうな瞳が浮かべられているが、そんなことはどうでもいい。
彼女の頭には穴が空いていた。そこから派手に血が流れている。窓ガラスを割った際に生じたものだろう。
…………だが、驚くべきはそこではなく、その血が見る見ると消えて、頭に空いた穴が塞がっていっているということだ。
「ここからは、私の指示に従いなさい」
その無限の再生力こそが、神の証。
彼女が次の敵だ。決意と握り拳を固める。
「私の名は――アロン。
【休息】を司る神よ。
ここを治めていた我らの同胞――エッジが先程この町の人間によって、殺されました」
衝撃の言葉を告げられ、会場にいる皆は息を呑んでいる。
「私は彼の死を調査するために、天界から来ました。
犯人を暴き出して、その者を殺して処罰します。
それまで、あなた方は帰らせません」