神に届かぬ祈り
二人の移動距離は、そう長くはなかった。少し歩いてから小高い山に昇ると、先程までいた廃墟群がある区域が望めるが、その絶壁の手前にノモスの端末が設置されている。
「あれがノモスの端末なんだけど……先約があるみたいね」
瑠璃が指し示した場所には、人だかりができていた。誰もが白いローブに身を包み、一方向を見て、何やら不安げな様子である。
「あの人たちは?」
「ニルヴァナ教の教徒よ。祈りの時間で端末に集まっていのでしょう」
「彼らも祈るのか?」
「そりゃそうよ。習慣的に祈っているわ」
「でも、あの中に正しくない祈りを持つ者がいたら……一条はどうするんだ?」
「彼らは普通の教徒だから、直接的な意味で祈りがノモスに届くことはないわ。祈りを捧げられるのは、魔力を通じてアクセスが可能な魔術師たちと、ネットワークに潜れる機能を持ったアンドロイドだけだから」
つまり、瑠璃の前で祈りを捧げている彼らの想いは、ノモスに届くことはない。ネットワークを通してノモスにコンタクトを取る、魔女を始めとする魔術師やアンドロイドたちの祈りに比べたら、原始的なものと言えるだろう。ただ、本来祈りとはそういうものだ。ネットワークを通じてノモスに直接語り掛ける、高度な方法よりも、彼らの祈りの方が本質的だ、と瑠璃は思っている。
「祈りの邪魔をしたら悪いから、少し離れたところで待ってましょう」
アナトは瑠璃の言葉に大人しく従い、林の前で棒立ち状態でニルヴァナ教徒の祈りを眺めた。その間、鳥や小動物がアナトに近寄り、彼が困ったようにそれを受け入れているものだから、その姿が微笑ましく感じてしまう。同時に、つくづく不思議な男だと思わずにはいられなかった。
しばらくして、祈りの時間が終わったらしく、教徒たちがノモスから離れて行ったが、そのうちの一人がこちらに気付き、駆け寄ってきた。
「これはこれは瑠璃様。ちょうどよかった!」
三十代くらいのこの男は、スフィアと言う熱心な教徒で、何度も瑠璃に厄介ごとの解決を依頼した過去がある。
「コーラルの魔女と名高い瑠璃様にお願いがあります!」
「スフィア、今度はどうしたの?」
横でアナトが首を傾げる気配があった。おそらくは「コーラルの魔女」という単語に反応したのだろうが、質問する隙を与えないかのように、スフィアが相談内容を話し始めた。
「ノモスの端末がおかしいのです。いつもなら、我々が近付くだけでもお顔を見せてくださるのですが、今日はずっと動かなくて。少し見ていただけませんか?」
故障だろうか。その場合は、瑠璃としても解決しなければならない問題である。彼女は頷いて腰を上げ、端末の様子を見た。
「これが……ノモスの端末?」
どうやら、アナトは本当に始めて見るらしい。
「本当に知らないの? そこら中にあるのに」
始めて見るのだとしたら、彼が端末を見て驚くのも無理はない。なぜなら、端末は四角い石の塊にしか見えないからだ。墓石と見間違えてもおかしくないだろう。ただ、本来ならば人が近づけばノモスの端末は自然物ではありえない動きを見せるのだが……。
「ダメだ、私でもアクセスできないわ。メカの不調だと思うから、今すぐ私にできることはないかな」
早々と結論を出す瑠璃に、スフィアは眉を八の字に曲げて懇願する。
「どうにかなりませんか? 端末にお顔を見せていただけないと、ニルヴァナ様に祈りが届いているのか心配になってしまって。さきほど一緒に祈りを捧げた教徒たちも、皆暗い顔のまま帰った次第なんです」
「安心して。私もちょうどここの端末に用があったところだから。でも、修理にはプロの技師が必要だし。技師が必要ってことは……アキーバまで行かないとダメだから、時間はかかっちゃうわね」
「あそこの技師ならば直してもらえるでしょうか?」
「むしろ、アキーバの技師が直せないなら、誰にも直せないわ。と言っても、ノモスの端末もロステク以前の頑強なメカなんだから、相当なことがなければ、技師の手に負えないような故障はないと思うけど」
「ああ、ぜひお願いします。本当に、いつもすみません」
スフィアは何度も頭を下げてから、教徒たちに状況を伝えるため、その場から立ち去ったが、残された瑠璃は方針を定められずにいた。そのせいで、いまいち状況を掴めていないアナトに確認されてしまう。
「アキーバって街の技師なら直せるんだろ? 早く行こう。それとも、ここから遠いのか?」
何も知らないアナトに決断を急かされ、瑠璃はムッとしたものの、強く出れない理由があった。
「二時間も歩けば到着する距離だけど……アキーバは個人的な問題から顔を出しにくくて」
「個人的な問題?」
「その、前回訪れたときに、そこの住人たちとトラブルになってね。一人で行ったら、嫌な顔されるだろうし、技師なんて紹介してもらないだろうなー、って」
過去の失敗を誤魔化すように笑う瑠璃だが、なぜかアナトの方は納得したように頷いている。
「ちょっと。その納得した感じ、どういう意味?」
「いや、一条と技師たちがトラブルになる姿が、何となく想像できた気がして。トラブルになるのも納得と言うか、アキーバの人たちに少し同情したというか……」
「あんたに言われたくないんだけど……」
この常識知らずの馬鹿をどれだけ手助けしてやっていることか。それが、まるで自分の方が大人であるような振る舞いをされたら堪ったものではない。しかし、アナトは自分の方が常識人であると言わんばかりに提案する。
「でも、僕が技師に掛け合えばいいんじゃないか? トラブルは抱えていない身なわけだし」
「ダメ。あんたは私よりトラブルを起こす気がしてならない。アキーバの技師は人見知りだし、偏屈なんだから」
「僕は一条に比べたらかなり温厚だと思うけどな……」
アナトの呟きは無視したものの、瑠璃は次の一手を決断できずにいた。
「仕方ない。翡翠に頼もう……」
しかし、これでは事が進まないので、瑠璃が覚悟を決めると、アナトは初めて聞く名前に首を傾げた。
「翡翠? それは誰なんだ?」
翡翠と自分がどのような関係か、一言で表す簡単なワードがある。しかし、それは未熟な自分を認めるようで、瑠璃は避けたかった。それでも、聞かれたからには答えなければ不自然である。瑠璃は観念して、その言葉を口にするのだった。
「翡翠はね……私の師匠よ」
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