賢者たちの遺産
瑠璃は翡翠の登場に大きく息を吐き、アッシュの前に立ちはだかろうとするアナトに声をかけた。
「アナトくん。もういいから、安全なところに移動しましょう」
「でも、翡翠の援護は……?」
瑠璃は完全に役目を終えた、という顔をしているが、アッシュは二人がかりで倒せなかった相手のはずだ。
「いいから、翡翠を信じましょう」
「一条がそこまで言うなら……」
アナトは瑠璃に肩を貸して、できるだけ睨み合う翡翠とアッシュから離れた。アッシュの警告が聞こえてくる。
「私に挑むつもりか? 若き魔女よ」
「挑むも何も、ぺっちゃんこのスクラップにしてあげちゃうよん」
「……先日、身の程を知ったのではないのか?」
「先日ー? いつのことー?」
とぼける翡翠。しかし、アナトは心配しながら、そのやり取りに耳を傾けていた。実際、つい先程も翡翠が不意打ちでアッシュの頭部を蹴り付けていたが、彼は顔色一つ変えていない。ダメージと言うダメージがなかったのだ。それにも関わらず、瑠璃は安心しきっている。何がどうなっているのだろうか。
「仕方がない」
アッシュは人間らしい動作で、溜め息を吐いた。
「できることなら、私は人を傷付けたくないんだ。しかし、これ以上邪魔をするなら排除するしかないようだ」
「おうおう、かかってこいよー。翡翠さんの魔法でビビり散らかしてやっからよぉ」
もはや言葉は通じない。そう判断したのか、アッシュは軽く目を閉じた。そして、再び目を開いたとき、瞳が金色の光を放つ。
「個体識別ナンバー、3-189。コードネーム、アッシュ。戦闘プログラム……起動」
戦闘態勢に入ったようだが、それでもアッシュは自ら動こうとはしない。それを挑発を受け取ったのか、翡翠は不敵な笑みを浮かべてから、アッシュに向かって飛び出す。
「ほわっちゃあああーーー!」
もはや定番となった掛け声と共に繰り出されるパンチ。それは身長差を埋めるため、翡翠は跳躍して、アッシュの顔面へ放たれた。しかし、アッシュは拳一個分だけ顔を逸らして躱すと、虫でも追い払うように腕を振り、翡翠の胴を薙ぎ払う。
何気ない動作のように見えたが、そこにはとてつもない力が込められていたらしく、翡翠の体は地面に叩きつけられても勢いを失わずに転がりまわった。が、すぐに立ち上がると、翡翠は素早く蛇行しながらアッシュへ接近する。
「翡翠さんを甘く見るなよ!!」
アッシュの目の前まで間合いを詰めた翡翠。しかし、その瞬間に彼女の姿が消失する。これにはさすがのアッシュも驚きの表情を見せたが、翡翠の出現先を予測していたのか、素早く振り返ってから、拳を振るう。
「ひゃあ!」
アッシュの予想は正しかった。高速移動で背後に回ったはずが、アッシュの拳に迎えられ、翡翠も面を食らったようだ。それでも、彼女は的確に拳を躱すと、右の手の平を突き出す。それは単なる掌底の一撃ではないようだ。
なぜなら、彼女の右腕が緑色の光に発光しているからだ。パンッ、と乾いた音と共に、アッシュが後ずさる。魔力による攻撃だったのだろうか。ダメージ、というわけではないが、初めてアッシュを退かせた点だけは評価できるかもしれない。それでも……。
「やっぱり、力の差は圧倒的だ。何か手伝えないのか?」
アナトは実力差を改めて目の当たりにして、不安を覚えるが、瑠璃は涼しい顔のままである。
「大丈夫。そのうち何とかするでしょ」
しかし、翡翠はアッシュの蹴りを叩きつけられ、吹き飛ばされている。細い体が床に叩きつけられる姿は無残なものに見えた。
「やっぱり、手伝わないと……!」
「いいのいいの。むしろ、危ないから下がってなさい」
ゆらり、と立ち上がる翡翠を、アッシュは冷たい目で見る。
「これ以上、無駄を重ねるな。次は命を奪うことになるぞ?」
あくまで心を折ろうとするアッシュだが、いつまでも自制するつもりはないようだ。
「私はこの祈りを叶えるためなら、どんな敵でも排除する。分かっているだろう。私ならば、それが可能なのだ。魔女戦争を生きた賢者たちによって、人智のすべてを継ぎ込まれた私ならば」
だが、翡翠は薄い笑みを返す。
「人智のすべてを継ぎ込まれた、かぁ」
アッシュの発言を嘲笑すると、翡翠は青い瞳を光らせる。いや、それは光を放っていると言った方が正しいだろう。強く光を放ち、何らかのエネルギーが渦巻いているようだった。
「アッシュ、身の程を知れ」
「……なんだと?」
「魔女と呼ばれた私を前にして、賢者たちの遺産を名乗り、自らを全知全能のアンドロイドと定義するなど、傲慢が過ぎるぞ」
明らかに変わった翡翠の雰囲気に、アッシュは目を細める。だが、彼は次に起こることを予測できていなかった。翡翠は続けて警告する。
「見せてやろう。本当の意味で、人智のすべてを継ぎ込まれたアンドロイドの力を」
さらに激しく目を輝かせた翡翠が呟く。
「個体識別ナンバー、ラストナンバーズ。コードネーム、ジェイド。戦闘プログラム……起動」
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