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◆アッシュ④

 私は賛成できなかった。ノモスに祈りを捧げるなんて危険すぎることだ。もし、正しくない祈りと判定されてしまったら、コーラルの大地を腐敗させる。そんな罪を彼女に背負わせるわけにはいかなかった。



「それでも……私は祈りたい」


 なかなか同意しない私に、オルガは言った。


「この世界を汚染させる結果となっても、私はあなたの愛を一身に受けたいの」



 彼女は両腕で私を包む。



「混じりのない愛を。疑いのない愛を。そのためなら、私は手段を選ばない。……貴方は?」


「……分かった。祈りを捧げよう」



 否定すべきだったのかもしれない。しかし、私は躊躇う姿を彼女に見せたくはなかった。見せてしまえば、きっと彼女に疑いを持たせてしまう。私がエリスの記憶を残したがっている、と。



「私も君に信じてもらえるなら……手段は選ばない」



 彼女は痛みを誤魔化すような笑顔を見せた。



「ごめんなさい。貴方の意思を捻じ曲げようとしている。だけど、私は……」


「分かっている。私は……君を幸せにしてみせるから」



 彼女が信じてくれるなら、彼女が求めてくれるなら、私は応えなければならない。そして、これ以上は過去に怯えさせない。そのためにも、私はニルヴァナに誓うのだった。

 アキーバを出て最初に見つけたノモスの端末で、私たちは祈りを捧げた。



「ノモスの端末にアクセスしたことがないの。アッシュがやってくれる……?」



 私も経験したことはなかったが、彼女にやらせるわけにもいかない。これで正しくない祈りだと判断されてしまえば、直接的な汚染犯は私となる。だが、罪を被るくらいがなんだと言うのだ。これも私の愛を証明するためだ。



「……ノモスよ、私の願いを叶えたまえ」



 端末からノモスへアクセスし、祈りを捧げる。あの大岩の奥にいるニルヴァナに届くと信じて。しばらくの沈黙のあと、端末のパネルに「Brave New World」と小さな文字が表示されるが、それだけだった。


 ノモスに祈りを捧げる、という行為がどのようなものか知らない。ただ、こんなにも呆気ないものなのか。そして、私たちは祝福されたのか。それとも、拒絶されてしまったのか。それすらも分からなかった。


 しばらく、呆然としていたが、夜も更けたので私たちは近くにあった廃墟に入った。



「私たちの祈りは正しくノモスに捧げられたかしら」


「噂では、正しい祈りと判断されたら、祝福が与えられると聞くが……それがどのような形なのか聞いたこともない」


「そうよね……」



 その日は寄り添って眠った。ただ、祈りが届くことだけを信じて。朝になれば、もしかしたら私のメモリからエリスの記憶は消えているかもしれない。そう思ったが、深夜になってもその兆候はなかった。



「こんばんは」


 祝福は一向に訪れなかった。しかし、彼女が現れた。わずかな気配もなく。


「こんばんは。ノモスに祈りを捧げたアンドロイドは貴方ですね?」



 長い白髪を揺らしながら、女がこちらに歩み寄ってくる。嫌な感じがした。背丈も私より明らかに小さい若い女なのに、何か巨大な存在に迫られるような圧迫感。オルガもそれを感じたのか、私の服の袖をつかみ、不安を訴えていた。



「もしかして……」


 私はその女が何者なのか、すぐに理解した。古いデータに残されている、不吉な存在。


「魔女マーユリーなのか?」



 女は肯定の意味を示すように微笑む。慈愛に溢れるような優しい笑みのようだが、私の直感プログラムは危険を検知している。やはり、そうなのだ。邪教徒たちの信仰対象、そしてオリジナルウィッチの一人……マーユリーがやってきた。彼女がきた、ということは、私たちの祈りは……。



「祈りが正しくなかった、とは限りませんよ」



 私の思考を先読みしたように、マーユリーは言った。しかも、その微笑みは私たちの祈りを許すかのようだ。



「正しいか、正しくないのか。それはノモスの判断でしかありません。貴方たちのかけがえのない想いを、ノモスに否定されてからといって、すべてから否定されていいわけがないでしょう?」



 しかし、ノモスに宿るニルヴァナの教えは、コーラルの秩序そのものと言える。それを疑うなんて。私は戸惑うが、後ろに隠れていたオルガが呟くように言った。



「私も……否定されたくない。ずっとアッシュを想い続けたこの気持ちが、正しくないなんて」



 決して大きな声ではなかったのに、それが耳に届いたていたのか。マーユリー頷くとさらに歩み寄ってきた。そして、円柱型の透明な物体をこちらに差し出す。



「これは鍵です。ガーネットが眠る地下施設に入るための」



 手に取っていいのだろうか。きっと条件があるはずだ。私の疑問を肯定するように、マーユリーは頷く。



「これをお渡しする代わりに、私と契約してください」


「邪教徒になれ、と言うことか?」



 確認するとマーユリーはくすぐったそうに笑った。



「あれは私と契約した方々が勝手にやっていること。名乗りたいのならば名乗ればいいし、一度も強制したことはありません。信仰は自由意思によるものですから」


「ならば契約とは?」


「ノモスの端末に祈りを捧げてください。迷ったとき、行き詰ったときに、今まで通り祈ってくれるだけでいい。ただ、ノモスではなく、魔女マーユーリーを想って祈ってくれればいいのです」



 それだけなのか。いや、きっと何か裏がある。魔女マーユリーに向けた祈りが、何かのセキュリティに干渉するのではないか。



「祈りを悪用するつもりはありませんよ。あくまで、コーラルに住むすべての人々を幸せにするため。その糧とさせていただくだけです」



 またも私に思考を読み取るマーユリーに慄く私だったが、オルガの意思は決まっているようだった。



「私は……契約したい」


 そして、彼女は私を促す。


「鍵を取りましょう、アッシュ。私、貴方を信じたいの」



 潤む彼女の瞳を見ると胸が締め付けられるようだった。これ以上は悲しい想いをさせたくない。だから、私は鍵を手にした。それは魔女と契約する瞬間だ。オリジナルウィッチが持つと言われる白い髪を揺らしながら微笑むマーユリーを見て、もう戻れないのだ、と私は悟るのだった。



 しかし、私たちはキーを落としてしまう。酷くオルガを落ち込ませてしまい、私は何をどうするべきか、道を失ってしまった。そんなとき、マーユリーの言葉を思い出す。いつものように祈ってほしい。迷ったときに、行き詰ったときに。私はその通りに、ノモスの端末に祈った。



「魔女マーユリーよ。再び私を導いてくれ」



 祈りが通じたのか、翌日にネットワークを通じて私にメッセージが届く。複雑なセキュリティがかかったそのメッセージには、キーがなくても、ガーネットが眠る施設の扉を開く方法が書かれていた。



 それは情報処理を得意とするアンドロイドのメモリを五つ使用する、というもの。私は彼女のオルガの信頼を得るため、五人の同胞の首を奪わねばらななかった。



 だが、それも仕方がないことだ。なぜなら、私にとって恋心を彼女に証明するため、必要なことなのだから。人の心を模した、偽りの感情を持った私たちだからこそ、それが本当に存在すると証明しなければならないのだ。

貴方に「面白い」を届けたくて書きました。

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