彼女は何を願ったのか
「こんにちは」
アナトが声をかけると、女は肩を震わせながら振り向いた。
「ど、どうも」
女は頭を下げるが、すぐにアナトのことを思い出したらしい。目を見開いた後、逃げ出そうとするが、すぐにアナトが引き止めた。
「待って。落し物を届けたくて、追ってきたんだ」
「落し物って……まさか」
円柱型のキーを見せるアナトに、女は再び驚いたようだった。追っ手だと思った男が、求めていたものを差し出してきたのだから、当然の反応と言えよう。女は警戒しながらも、意を決したようにキーに手を伸ばした。
「渡す前に、聞きたいことがあるんだ」
しかし、アナトがキーを引っ込めてしまい、女は青ざめつつ、唇を噛んで彼を睨みつける。
「……何かしら?」
女としても当然のことだと思ったのかもしれない。簡単にキーが戻ってくるなんて都合の良い話はない、と。
「貴方たちがノモスに何を祈ったのか。それを知りたい」
「……」
意外な質問だったのか、女は一瞬困惑したような表情を見せた。そんな彼女にアナトは言う。
「すまない。見ず知らずの男に、話せるわけがないよな。自己紹介しよう。僕はアナト。つい先日から無職をやっている」
これで顔見知りだ、と言わんばかりの呑気な笑顔を見て、女はさらに混乱したようだが、恐る恐る名乗るのだった。
「私は……オルガ。少し前までは、ニルヴァナ教で技師をやっていたわ」
アナトは嬉しそうに手を差し伸べて握手を求めるが、オルガはさすがにそこまでは、といった調子で身を守るように胸の前で腕で十字を作った。それを気にした様子もなく、アナトは手を引っ込めると再び質問する。
「ニルヴァナ教の技師は凄い給料が高いって……上司が言っていたな。それが、なぜ邪教徒になってしまうような祈りを?」
オルガは震える唇で答えた。
「私は……私たちは、ただ愛しい合う日々を欲しいと願っただけよ」
「愛し合う日々?」
私たち、とは彼女自身と同行しているアンドロイドの男性のことだろう。だが、それは思いもよらぬ回答だったため、アナトは首を傾げる。これ以上は答えない。そう突っぱねられてしまうことも想定していたアナトだが、彼女は積年の想いが溢れだしたかのようにに自ら語ってくれた。
「私はずっと彼のことを愛していた。最初は技師とアンドロイドという関係でしかなかったけれど、愛が芽生えたのよ。でも、誰一人として祝福してくれなかった。許してくれなかったの。だから、私は祈っただけ。どうか私たちが愛し合える日々をください、って。それが、どうして正しくない祈りなの??」
ノモスに祈りを捧げれば、ニルヴァナの祝福が与えられる。しかし、オルガにはそれがなかったどころか、正しくない祈りを捧げる邪教徒に認定されてしまったのだ。
「でも、それで良かった。マーユリー様が現れて、そのキーを渡してくれたのだから」
「マーユリーって、オリジナルウィッチの一人??」
女は頷く。ラストナンバーズに続いて、本当にそんなものが存在していたのかと驚くアナト。だが、オルガは言う。
「だから、マーユリーと契約した。人から見れば、邪教徒と言われるのでしょうけど、あの人と幸せになるためなら、私は構わない。……ほら、全部話したわ。だから、そのキーを返して」
再び差し出された白い手。アナトはそれを見て、なぜノモスは彼女の愛を正しくないものと判断したのか理解できずにいた。愛は尊い。人を幸せにする。人の原動力。世界を救う一歩。教えにもそう綴られていたではないか。
「確かに貴方が間違っているとは思えない」
アナトは素直な言葉を口にして、キーを再び差し出そうとすると、共感を得た喜びからか、オルガはわずかに微笑みを浮かべる。だが、アナトの顔を改めて見ると、何か違和感を覚えたようだった。
「貴方、以前もどこかで――」
アナトがキーをオルガに渡そうとした、そのときだった。
「見つけたわよ、汚染犯」
アキーバの技師たちと交渉していたはずの瑠璃が現れ、オルガの腕をつかんだ。
「……コーラルの魔女!!」
瑠璃を見て呟きを漏らすオルガの表情は、絶望と忌々しさに溢れているようだったが、彼女はすぐさま判断を下した。
「アッシュ!」
オルガが叫んだ次の瞬間、空気を裂くような音が聞こえた。
「一条、危ない!」
アナトの声に瑠璃も危機を察知し、オルガから離れる。その次の瞬間、空から男性型のアンドロイドが凄まじい衝撃音と共に降ってきた。もし、瑠璃の回避が少しでも遅れていたら、アナトの警告が少しでも遅かったら、彼女の腕はこのアンドロイドによって破壊されていただろう。
「オルガ、掴まれ」
「……うん!」
オルガが男性型アンドロイド、アッシュにしがみつくと、彼は重心を低くする。飛び去るつもりだ。
「逃がすか!」
瑠璃は魔法を放つ姿勢を取ったが、アッシュの跳躍は低い軌道で人混みの頭上を超えると、その向こう側に消えてしまった。せめて垂直に飛んでくれれば、魔法による追撃も可能だったが……。
「女の方を見つけて焦っちゃった。……。くそ、油断した!!」
瑠璃の悔しい叫びに反応し、街を行き交うアンドロイドたちが振り返るのだった。
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