閑話休題 ~ゾルの気持ち~
藍田は昼食を終えて、川辺に寝転んで休憩していた。空は青く、ささやかな風は優しくて、このまま眠れたらどれだけ心地がいいだろうかと、つい目を閉じてしまう。そんな中、生徒の一人が現れ、藍田の隣に座った。
「……ゾルじゃないですか。どうしましたか?」
優等生、と言ってもいい彼に、何か悩みがあるのだろうか。いささか表情が暗いように見える。数秒ほど、彼は躊躇うようにしてから、口を開いた。
「……先生に聞きたいことがあって」
「ええ、いいでしょう。私は教師ですから生徒の疑問に答えることも仕事の一つです。何でも聞いてください」
相手が子供とは言え、寝ころんだままは失礼だろうと、藍田は体を起こす。しかし、穏やかな川の流れの音が二人の間に漂うだけで、ゾルは一向に喋らなかった。藍田は悩む生徒の横顔が可愛くて堪らなかったが、できるだけ自然な調子で指摘する。
「……瑠璃のことですね?」
囁くような藍田の声に、ゾルの肩がビクッと跳ね上がった。
「ち、ちがちが! ちがうよ! 僕はただ……」
「あははは。分かっていますよ。アナトが気になるんでしょう?」
下手にからかっては、心を閉ざしてしまう。藍田が切り口を変えると、ゾルは素直に頷いた。
「……うん」
「久しぶりの客人ですからねぇ。クシェトラに部外者が来るのは珍しい。気になるのも仕方ありませんよ」
「本当に……危険なやつじゃないのかな?」
川の流れを見つめるゾラが何を考えているのか、藍田にはよく分かっていた。
「ゾル、村に訪れる部外者が誰でも敵と言うわけではありません。よく対話を繰り返してみれば、善人だということもあります。いえ、むしろほとんどは善人のはずです」
「……それを確かめるために、瑠璃はあいつのことばかり気にしているのかな」
膝を抱えるゾルを見て、藍田は微笑ましい気持ちでいっぱいだった。が、ここで少年の淡い恋心を傷つけるわけにはいかない、と何とか耐える。
「瑠璃はそんなに彼のことを気にしていますか?」
ゾルは頷く。
「あいつが起きたら色々と教えてやってほしいって言われたし、あいつのために朝食を用意するとも言っていた」
「朝食に関しては翡翠の意思らしいですよ?」
フォローのつもりが、ゾルの目に明らかな怒りの感情が見られた。
「でも、瑠璃はいつも寝坊なのに、今日は早起きだった! あいつの朝食を用意するためだ。瑠璃を起こすのは……僕の役目なのに」
メラメラと闘志を燃やすゾラを見て、藍田はその頭を撫でてやりたくなったが、彼は瑠璃と同じで、子ども扱いされることが嫌いだ。あくまで、瑠璃と対等の男として見られたいという気持ちがあるのだろう。
「彼は瑠璃が連れてきた客です。それを全力でもてなすのは当然のことですよ」
「……さっきも、あいつと出かけたんだろう?」
無意識なのか、ゾルは近くにあった小石を拾うと強く握りしめてから川に投げ込んだ。
「大人の男と女が一緒に出掛けるのは、デートっていう特別な行為だって先生は言っていた」
「えーっと……そんな話しましたっけ?」
もしかしたら、藍田の僻み精神が爆発した日に、子供たちに向かってそんな話をしたかもしれない。
「しかし、デートは愛し合うものが二人きりで、特別な場所へ出かけるものです。今日は翡翠が一緒ですし、仕事でアキーバへ行くだけなので、デートではありませんよ。と言うか……そこまで瑠璃は彼を特別扱いしているのですか?」
「いつもより楽しそう、に見える」
完全に拗ねているではないか。頑張れ少年、と藍田は心の中でエールを送る。
「それに……あいつも瑠璃のこと尊敬している、いいやつだって言ってた。それって、そういうことだよね!?」
「わ、私には分かりませんよ」
ゾルの熱い気持ちに、藍田は焦りすら覚えた。そして、何とな彼を宥めるための言葉を探す。
「えーっと。確かに、愛する人に対し、尊敬や好印象を抱くものですが、それにもたくさんの種類があるものです。例えば尊敬一つにとってもですね……」
「ゾルー! どこなのー??」
藍田が言い訳を……いや、講釈を始めようとしたそのとき、どこからか少女の声が。
「あ、ミラのやつ……ついてくるなって言ったのに!!」
ゾルは苛立たし気に立ち上がり、自分を探す少女の声が聞こえた方を見る。どうやら彼は彼で、複雑な立場にあるらしい。立ち去ろうとするゾルを藍田は引き止めた。
「ゾル、去る前に聞きなさい」
「なんですか?」
「恋というものは、よく周りを見て慎重に判断しなければなりません」
「こ、恋って……なんのことか分からないけど!?」
動揺するゾルを宥めるように、藍田は「いいから聞きなさい」と言う。
「理想を追いすぎるゆえに周りが見えなくなり、大切な誰かを傷つけてしまっては良くない。かといって、理想を断ち切るために間違った恋に手を出してもならない。これは痛い目に合うことがあります。最悪、詐欺にあったり……。だから、恋心に揺らぐ自分を感じたときは周りをよく見て、後悔のない判断ができるよう、注意なさい」
「それはニルヴァナの教えですか?」
疑わしい、といった目で確認するゾルに藍田は平然と答える。
「いえ、私の自論です。経験談と言ってもいい」
「……はぁ」
返事とも溜め息とも取れるリアクションを返した後、ゾルは立ち去って行った。一人残った藍田は再び寝ころび、流れる雲を眺めながら一人呟く。
「若いっていいなぁ……」
戻らぬ青春を思い出しながら、藍田は目を閉じるのだった。
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