出発!
「ああ、握手か。知っているよ、上司が人相の悪い男たちと握手していたけど、そういう意味があったのか」
「大人は信頼関係の構築が大切だからね。あ、私の場合は単純にアナトくんと仲良くなりたいだけだけど。それとも魔女と握手するのは怖いかな?」
翡翠は試すような、もしくは気使うような笑顔を見せるが、アナトからしてみると必要のないものだった。
「とんでもない。僕も翡翠と仲良くなりたいと思っていた」
「うわー、嬉しいこと言ってくれるねぇ」
二人の手が結ばれ、上下に揺らされる。アナトは翡翠の滑らかな肌の質感に、こういうものなのか、と妙な気持ちになったが、彼女の方は嬉しそうな笑みを浮かべて見つめてくるため、何だか自分も嬉しくなるのだった。そんなアナトに、翡翠は強い眼差しを向けてくる。
「アナトくん。君が例のキーを持ち主に直接渡したいという願い、私が必ず叶えてみせるよ。謝罪の気持ちだけじゃあない。友好の証として、君の願いを叶えて見せるから、大船に乗った気持ちでいてね」
「大袈裟に聞こえるけど……心強いよ」
瑠璃がなかなか現れないため、二人はテントを出て外の様子を見ることにした。
「遅いな……。先生と打ち合わせと言っていたけれど、こっちから迎えに行った方がいいのだろうか」
アナトが提案するが、翡翠は「うーん」と低く唸った。
「私は村の出口のところで待っているよ。だから、アナトくんは一人で瑠璃を探してきてくれないかな?」
「でも、打合せって……どこでやっているか、僕は分からないぞ?」
「たぶん、スクールに行けばゾルがいる。彼に聞けば瑠璃がどこにいるか分かるからさ」
「そうか」
言われた通り、アナトは一人でスクールに戻ろうとしたが、翡翠の態度に違和感を覚える。どうも彼女がスクールに行くことを避けているように感じたのだ。
そういえば……と彼は振り返って翡翠を見る。彼女は明るい笑顔で首を傾げるが、その奥に何か事情を隠しているようだった。
「そういえば……どうして翡翠は朝食を皆と取らないんだ?」
聞くことに躊躇いはあった。しかし、これだけ明るい翡翠が他人と距離を取る理由がどうしても分からいない。アナトの純粋な疑問に、彼女は少しだけ遠慮がちな笑顔を浮かべて答えるのだった。
「私は悪い魔女だから……皆を怖がらせたくないんだ」
「悪い魔女……?」
とてもそんな風には見えないけど。アナトが言いかけたとき、こちらに駆けてくる気配があった。
「お待たせー! ちょっと打ち合わせが長引いちゃった」
瑠璃である。
「二人とも、準備は大丈夫? すぐに出るつもりだけど」
「オッケー! 瑠璃とお仕事……久しぶりだなぁ。嬉しいなぁ!」
「こら、くっ付くなー!!」
飛びついて頬ずりしてくる翡翠を何とか引きはがそうとする瑠璃を見て、アナトは自分が聞きたかったことをつい忘れてしまう。それだけ、二人の雰囲気は良好に見えたのだ。
いざアキーバへ向かおうと、村の出口に行くと、昨日なかったはずの鉄の塊が目についた。よくよく見るとそれは……小さなトラックだった。
「車じゃないか。久しぶりに見たぞ……」
驚くアナトに瑠璃は得意げだ。
「凄いでしょ? 村がこれだけのメカを所有しているなんて、珍しいんだからね」
トラックという存在が珍しいのはもちろんだ。さらに言えば、トラックというメカを動かし、メンテナンスを行う知識を持つ人も少なく、維持費を確保し続ける村も珍しいのだ。そのため、瑠璃が自慢するのも仕方がないことだが、翡翠が意地の悪い笑みを浮かべる。
「前はもっといいトラックがあったんだけど、瑠璃が壊しちゃったんだよねー」
「余計な情報を共有しない!
じゃれる二人の傍で、アナトはトラックに触れてみる。
「さっき言ってた準備って、これのことか?」
「そうそう。燃料がなかなか届かなくて、準備に時間がかかっちゃったけど、徒歩で行くより、ぜんぜんこっちの方が速いし、体力も消耗せずに済むから。それと……」
まだ、何か隠し玉があるらしく、瑠璃はとびっきりの笑顔で肩にかけていた籠を見せびらかす。
「佐枝さんと 屋島さんがお弁当作ってくれたから、これ食べながら行きましょう」
「やったー!」
そして、ついにトラックに乗り込む。瑠璃が運転席、翡翠が助手席、そしてアナトが荷台に。まるで、三人のためにこの世に存在している。そんなトラックだった。ハンドルを握りしめた瑠璃が彼女らしい前向きな笑顔で言う。
「それじゃあ、アキーバに向かって……出発ー!」
「出発ー!」
翡翠が続くと、トラックはガスンッとくぐもった音を立てた後、前進するのだった。
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