翡翠の魔女ご飯
歯を磨いて、ミラとゾルに朝食の場所を教えてもらう。スクールに属している人間は、全員一緒に食事を取るそうだ。青空の下、広めのタープテントが複数設置され、その下に机と椅子が並んでいる。総勢で三十名ほど座れるだろうか。
「大人の席はこっちだよ」
ミラがやや離れたところに設置された五つの席に案内してくれたので、礼を言ってそこに腰を下ろした。
「その、何か手伝った方がいいのだろうか?」
少しずつ子どもが増え、彼らがせわしなく配膳を行う姿を見ていると、座っているだけでは居心地が悪く、立ち去る前のゾルに聞いてみた。しかし、彼は首を横に振る。
「瑠璃がお客様には座ってもらうように、って」
「……そうか」
ミラとゾラが立ち去り、彼らも他の子どもたちと朝食の準備を始めたので、アナトは居心地の悪い時間を過ごさなければならなかった。数分して、やっと知っている顔がこちらに近付いてくる。先生と呼ばれる、巻き毛にメガネの優し気な雰囲気の男だ。彼は微笑みを浮かべると会釈を見せた。
「おはようございます。えーっと、アナトくん……でしたか?」
「はい、アナトです」
名乗りながら考える。この男の名前は確か……。
「私は藍田。藍田知臣と言います。しがない魔術師ですが、いちおうここの代表です。といっても瑠璃に押し付けられた、形だけの代表ですが。ちなみに、アナトくんはどんなお仕事を?」
「僕は……求職中です。仕事をやめたばかりで」
「……なるほど。今のコーラルはどこも不景気ですからね。職を探す若者も多い。うちで雇ってあげたいところですが、見て通り最小限で回していまして」
「大丈夫です。せっかくなので、自分ができることを自分で探してみます」
「はぁ、若いのに偉いですねぇ。考えもしっかりしている。瑠璃が連れてきただけのことはあります」
そんな会話を続けていると、今度は四十代くらいの女性が二人が現れ、藍田の近くに座った。
「おはようございます、先生」
「この子が噂のお客さん? おはようございます」
「おはようございます」
笑顔を返すと、女性たちは「はぁ、可愛い男の子がきたわぁ」と何やら感動したようだった。
「こちらは佐枝さんと屋島さん。スクールの給食を担当してくれています」
「どうもー」
「よろしくねぇ」
それから、佐枝と屋島に瑠璃と出会ったときのことを根掘り葉掘り聞かれ、事実をそのまま話したが、なぜか彼女らは物足りそうだったため、アナトはどうしたものかと困惑していると、藍田が助け舟を出してくれた。
「それにしても、瑠璃は遅いですね。彼女、いつも朝が弱いので困っているので……また寝坊でしょうか」
それは意外だ、と感想を抱いていると藍田が立ち上がって声を張る。
「ゾル! 瑠璃を起こしてくれましたか??」
後で聞いたところによると、ゾルは毎朝瑠璃を起こしてやっているらしい。ゾルはトレイを手にしたままこちらに寄ると、それを藍田の前に置いた。
「珍しく今日は早かったよ。翡翠と話があるって。あと、お客さんの朝食はこっちで用意するって言ってた」
ちらり、とゾルに視線を送られ、アナトは微笑んだが、彼は逃げるように立ち去ってしまった。何か嫌われるようなことをしただろうか、と首を傾げるが、心当たりはない。それからも準備が着々と進み、全員の食事が揃う直前になって、やっと瑠璃が現れた。
「遅くなった! みんなごめんねー!」
子供たちが「瑠璃、おそーい!」と騒ぐが、誰もが笑顔を見せ、彼女を慕っていることがよくわかった。瑠璃はミラの言う「大人の席」にやってくると、アナトを見て微笑みを浮かべる。
「おはよう、アナトくん。調子はどう?」
「久々によく眠った気がする」
「そうよね。昨日の昼過ぎに眠って、朝まで起きなかったんだから」
ほぼ一日眠っていたのか、と驚いていると「はい、これ」と瑠璃はアナトの前にトレイを置いた。
「貴方だけの特別な朝食よ」
「特別? 皆と同じもので構わないけど……?」
「ああ、特別と言っても、食材も量も一緒よ。ただ、翡翠が謝罪の気持ちを込めて、貴方のために作りたいって言うから」
「翡翠が……?」
そういえば、魔女ご飯を用意した……と言っていたような。
「いただきます!」
全員が着席し、藍田による感謝の言葉が合図となって、食事が始まる。アナトも凄まじい空腹に背を押されるようにして、魔女ご飯とやらを食すのだが……。
「う、美味い!!」
あまりの衝撃に声が出た。彼の人生で最も美味かった食事が、この魔女ご飯といって間違いないだろう。驚くアナトを見て、瑠璃はしてやったりといった笑みを浮かべながら言うのだった。
「でしょ? もちろん佐枝さんと屋島さんのご飯も美味しいけど、それは翡翠の気持ちが込められているんだから、ありがたく食べなさいよ」
「いやいや、あの子の料理は特別だよ」
と佐枝が言うと、屋島も頷いた。
「本当はあの子にコツを教えてもらいたいところなんだけどねぇ」
料理を担当する二人にここまで言わせるとは、やはり今食べている魔女ご飯は特別らしい。しかし、気になることがあった。
「それで……翡翠はどこに? 一緒に食べないのか??」
アナトの質問に空気が少し重たくなったような気がした。何かまずいことを聞いてしまったのだろうか。誰もが回答を避ける中、瑠璃が代表するように答えた。
「あの子は事情があってね。いつも一人で食べるのよ」
何気ない調子で説明する瑠璃だったが、どこか乾いた響きがあるような気がした。あれだけ明るい彼女がなぜ一人なのか。それは大きな疑問だが、とても追及できる雰囲気ではなかった。
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