第十五章 つぶやかれる噂
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
外でのランニングから戻ってきた藤毅騰は、玄関に入るなりシャツと短パンを脱ぎ捨て、そのままバスルームへ向かった。
奇哥から勧められている“オリンピア挑戦”には多少興味がある。
だが、奇哥の妻・琇姉は別の意見を持っていた。
「オリンピアなんて、急いで挑む必要ないの。
でもね、騰騰、アンタいつまでもこのジムにぶら下がって、奇哥に守ってもらえると思ってるの?
学生ゼロでものんきに大会準備できる人間なんて、世の中どれだけいると思ってんのよ?」
「……わかったってば。」
琇姉の小言に、藤毅騰はそう答えるしかない。
彼自身、その自覚は十分あった。
ジムでは雑用をこなしつつ、最低賃金より少しだけ高い基本給をもらい、
徒歩五分の自分の部屋と、奇哥夫婦の家を行き来しながら、
ときどき食事にありつく生活。
恵まれていることは、わかっている。
「……あ」
シャワーを浴び、タオルを腰に巻いた藤毅騰は、
ちょうど部屋から出てきた妹・藤毅亭と鉢合わせた。
毅亭はトレーニング帰りらしく、前髪はまだピンで留めていない。
兄の裸同然の姿が突然目の前に現れ、
妹としては思わず「チッ」と舌打ちしつつ避けて通った。
「お前、いつまでスネてんの?」
背中越しに問いかけながら、藤毅騰はボクサーパンツを履き、タンクトップをかぶった。
しかし返事はない。
「まさかさ……ここ出てく日まで、ずっと口きかないつもり?」
高タンパク飲料を作ろうと給水機へ歩きながら言っても無反応。
シェイカーを振る音だけが響く。
姉の琇姉の部屋に入れっぱなしの片付けをする毅亭の背中は、
イヤホンを耳に入れ、スマホで動画を見ているふりをしていた。
藤毅騰はその“聞こえないふり”に見覚えがあった。
自分が妹を理解しているとは思わないが、
毅亭がこうやって 「聞いてないふりをしながら、実は聞いている」 タイプなのは知っている。
両親が離婚する前に言い争っていた時も、
奇哥夫婦が険悪になった時も、
毅亭はこうして音楽を装いながら、全部聞いていた。
「……俺が、生徒を試合に誘ったから怒ってんの?
しかも“あのタイプ”だから?」
藤毅騰が切り出す。
毅亭はスマホをスクロールし続けるだけ。
藤毅騰は、もう一本作ったプロテインを妹の机に置き、
椅子を引いて腰を下ろした。
「でもさ……お前、“あれ”、嫌ってなかっただろ?
あの……ゲイのこと。」
「…………で、夕飯は何食べたいんだ?」
沈黙を続ける妹と、一方的にしゃべり続ける兄――。
外から見れば気まずさしかない光景だが、当の藤毅騰はまったく気にしていなかった。
これが彼ら兄妹の“いつもの距離感”である。
空気が張りつめていようが、片方が無言だろうが、特に珍しいことではない。
いずれ話すことになる――ただし。
「私、あのインフルエンサーがいっぱい行ってるステーキ食べ放題に行きたい。」
ただ、妹が自分のタイミングで口を開くまでは。
言い終えると同時に、藤毅亭はスマホの画面を兄に突きつけ、プロテインを一気に飲み干した。
藤毅騰は画面に映る宣伝文句を見る。
──「好きなだけ切って食べろ!ステーキ無制限おかわり!」
──「季節限定いちごスイーツ食べ放題!」
──「KOL・インフルエンサー絶賛!」
──「焼肉×デザートの二大ビュッフェ!」
どれも彼には響かない。
気にしたのは、画面の一番下に書かれた一文だけだった。
「お一人様・サービス料込み 1200元( $4800日圓 )」
その数字を見た瞬間、藤毅騰は自分のぺらぺらの財布を思い浮かべ、ひと言つぶやいた。
「……高ぇ。」
「これ、私が言ってた店じゃないし。」
と言いながらも、藤毅亭は文句を言いつつ結局は目の前のステーキを口に運ぶ。
結局、予約も値段もクリアできず、二人がたどり着いたのは宿舎近くのチェーン系ステーキ店の“なんちゃってビュッフェ”だった。
「そこ、予約取れなかったんだよ。」
藤毅騰が苦しい言い訳をすると、意外にも毅亭はすんなり受け入れた。
「へぇ、そう。」
そう言いながら、空いた皿を兄に差し出し、
「さっき見たあの、いちごアイスといちご大福のセット取ってきて。サラダ取りに行った時、店員さんが補充してるの見えたし。」
「見たなら自分で取りに行けばいいだろ。」
兄が指摘すると、毅亭はむっとした顔で言い返した。
「やだ。お兄ちゃんが取ってきてよ。」
理不尽にもほどがあるが、藤毅騰はため息をつき、ナイフとフォークを置いて立ち上がった。
兄が皿を持ってスイーツコーナーへ向かう背中を見送りながら、毅亭はぼそっとつぶやいた。
「……ほんと、昔からああやって何でも言うこと聞く。」
その背中は、彼女に中学時代のことを思い出させた。
あの頃、反抗期だったのか、男女の違いを意識し始めたのか。
藤毅亭は、兄と同じ空間にいるのも嫌だった。
学校は狭く、同じ先生に教わることも多かった。
だから、よくこう言われた。
「あなた、藤毅騰の妹なんでしょ?
お兄ちゃんは体力すごいのに、あなたは静かね。」
そのたびに、うんざりした。
学校でも家(奇哥夫妻の家)でも、距離を置こうとしていた。
兄が「一緒にバスケやろう」と誘っても、知らん顔をした。
あの頃の自分は、
女の子とはこうあるべき、
男子はうるさくて馬鹿みたい、
そんな“狭い世界の価値観”にとらわれていた。
兄のことも、
「うるさい・汚い・落ち着きがない」
としか思えなかった。
……だからこそ、
あの“男の子”が兄のそばにいることにも、
気づいていた。
「おい、これ……いちご大福じゃなくね?」
兄が持ってきたのは、ただの“あんこ大福”だった。
「大福って言ってたろ?」藤毅騰が首をかしげる。
「私は“いちご”大福って言ったの。話聞いてないの?」
「横にいちごアイスあるだろ。合わせて食べりゃ、いちご大福。」
「そういう問題じゃない。」
そのやりとりは、高校以降になってようやく増えた“普通の兄妹の喧嘩”だった。
――もし、中学のあの頃、
自分があんなに距離を置かなかったら?
――あの子とお兄ちゃんの間で起きた“あの出来事”は、起きなかった?
――私は、もっとちゃんと、お兄ちゃんの味方でいられた?
――何か言えた?何か出来た?
そんなことを考えてしまう。
胸の奥に、
「自分には何もできなかった」
という後悔だけが、
ずっと残っている気がした。
草莓大福が並んでいた。
藤毅騰は納得いかない顔をしつつも、
自分が皿を取るついでに妹の分まで持ってきてやった。
藤毅亭は、
大福の隣に添えられた新鮮ないちごを見て、
ひと口かじりながら言った。
「お兄ちゃん、わかってて知らんふりしたでしょ。」
「……で、仲直りってことでいいのか?」と藤毅騰。
「仲直り?話が違うでしょ。」
毅亭は冷静に答えた。
「恐同(ゲイが苦手)なのはお兄ちゃんでしょ?
何で私が悪いみたいな流れになってんの。」
いちご大福を食べながら、毅亭は続けた。
「生徒だからとか、奇哥と琇姉の関係だからとか、
そういう話じゃないの。
……お兄ちゃん、距離が近すぎるんだって。」
その言い方は、まるで藤毅騰と“あの同性戀”が
妙に親しいと言わんばかりだった。
毅亭は指を折りながら例を挙げた。
・前回、カラオケで偶然一緒になったこと
・補講しにジムへ行ったこと
・ゲイアプリに釣りアカ作った件
どれも毅亭の目には――
兄がノンケらしからぬ距離感で同性戀と関わっているように見えた。
「距離が測れないなら、
誤解されるようなことはしないの。
仕事でもプライベートでも、
お兄ちゃんにとって絶対に良くないよ。」
その言葉は、
藤毅亭が中学生の頃に聞いた“あの噂”を
否応なく呼び起こした。
——ねぇ聞いた?三年のあのクラスにゲイがいるらしいよ。
ほら、体育のときいつも日陰に座ってる肌の白い子。
喋り方もオネエっぽいし、めっちゃわかりやすいじゃん。
——そういえば、毅亭のお兄ちゃん、
あの子と仲いいよな?
お兄ちゃんに聞いてみてよ。
もしかして本当にゲイなのかな?
その話は、学校中が知っていた。
自分の兄が巻き込まれている分、毅亭には余計に気まずかった。
だから結局、誰にも聞かなかった。
ただ、ある日のこと——
藤毅騰が
「今日、あいつと一緒にレンタルショップ行って漫画読む」
と無邪気に言ったとき、
思わずこう聞いてしまった。
「……お兄ちゃん。
もしかして男の子が好きなの?」
「え?何それ?」
天真爛漫な笑顔で返され、
兄は書包を投げ、制服を脱ぎ、
Tシャツ姿で自転車にまたがり出ていった。
数日後——あの“事件”は起きた。
「藤毅騰がレンタルショップでゲイの男子とキスしてた」
という根も葉もない噂が、学校中に広まったのだ。
毅亭が「距離」と言った瞬間、
藤毅騰の手が、わずかに止まった。
それは吐き気ではない。
食欲の問題でもない。
ただただ──
胸の奥に、つき刺さる“ざわつき”だった。
兄妹は普段から遠慮のない会話をする。
ただ、毅亭が悪気で言ったわけではないこともわかっている。
スルーすることもできた。
話題を変えることもできた。
なのに藤毅騰は——
良くない声のトーンで、
つい言ってしまった。
「そんなにゲイのことわかってんなら……
教えてよ。」
伏せたままの目で、
低く、言葉を継ぐ。
「どんな“距離”が、
俺とゲイの“正解の距離”なんだ?」
どんな距離なら、
自分は誰にも噂されない?
どんな距離なら、
普通って言われる?
どんな距離なら、
“ノンケ”として正しくいられる?
どんな距離なら——
あの頃のことを、
思い出さずに済む?
どんな距離なら……
怖がらずに済む?
また、間違ってしまうのが怖い。
見えない線を越えて、
すべてが崩れるのが怖い。
——ねぇ藤毅騰、お前もホモなの?
なんであのオカマとつるんでんの?
男好きなんてキモいよ、近づくと病気うつるぜ?
同じバスケ部のやつらの“冗談”だった。
誰も本気で考えていない。
子ども特有の残酷なノリ。
早く大人になりたくて、
でも中身はまだ子どもで。
藤毅騰は、ただ言った。
「俺、誰と仲良くしようが関係ねーだろ。」
そう返しながらも、心のどこかでは思っていた。
――あいつ、何が違うんだ?
一緒に漫画読むのも、ゲームも、ネットカフェも楽しい。
ほかの連中と同じ。
なのにどうして、
あいつは他人の前じゃ表情を引っ込める?
なぜ、あんなに怯えた目をする?
ただ「男が好き」というだけで?
「クラスのみんな、お前が男の子好きなの知ってるぞ。」
ある日、藤毅騰は、その“男の子”にそう言った。
「うん。まあ、見りゃわかるし。」
男の子は気にも留めないように返し、
くるりと藤毅騰の方へ顔を向けた。
眉をひそめ、どこか複雑そうな表情を浮かべる藤毅騰を見て、
男の子はくすっと笑い、尋ねた。
「何?何か言いたいことでもあるの?」
「だってさ、全然秘密じゃないじゃん!」
藤毅騰は不思議で仕方なかった。
あの日、わざわざ「秘密だよ」と言った意味が。
「ふーん。秘密、共有したかったんだ?」
「はぁ?ちげーし。」
即答したものの、
自分でもどこがどう違うのか説明できず、
国中生らしい幼い顔を赤らめて言い直す。
「ち、違うって!そういう意味じゃなくて……
その……俺の言いたいのは、その……別の意味の……」
自分で何を言っているのか理解していない。
そんな彼の前へ、男の子はすっと近寄り、
藤毅騰の机の上に腰掛けた。
だぶだぶの緑色ジャージ短パン。
汚れのない白い体育シャツ。
運動が嫌いだからこそ“綺麗”なままのその服。
対して、藤毅騰の体育着は泥や汗で
黄色くなったり黒ずんだりしている。
匂いも違った。
男の子の身体からはほとんど匂いがしない。
藤毅騰は、自分の脇の汗臭さを思い出して
妙に恥ずかしくなったことを今でも覚えている。
一瞬だけ——
“こいつ、実は女の子なんじゃね?”
と疑ったことがあった。
テレビで見たことがある、
“男装して学校に通う女子”みたいな。
でも、違う気もした。
男と女のどちらとも違う、
判別できない何かのようでもあった。
自分と似ているようで、まったく違う存在。
「今日さ、体育の後、みんながまたあのレンタルショップのこと言ってきて……」
藤毅騰が言うと、
男の子は机の上で体勢を変え、こちらを向いて聞いた。
男の子は、噂の内容をもう知っていた。
けれど、何も言わなかった。
そして、目の前にいる藤毅騰が
本当のことを全く知らないのもわかっていた。
あの日の“真相”を知っているのは、
自分と藤毅騰だけだ。
このままなら、
いつかもっと最悪な形で広まるかもしれない。
むしろ、早めに自分の口から
壊してしまった方が良いのではないか――。
そう思っていた。
「藤毅騰、秘密があるんだ。」
男の子は言った。
「またかよ。」
藤毅騰は大きく欠伸をし、
早くコンビニでお菓子を買いたいと考えていた。
しかし、その時は違った。
男の子が手を伸ばし、
藤毅騰のシャツの襟を掴んだ。
机に座ったまま、
立っている藤毅騰を引き寄せる。
その顔は、いつもの笑顔ではなく——
真剣だった。
「この秘密、聞くかどうかは……
お前が決めて。」
藤毅騰は、ごくりと喉を鳴らし、
深く考えもせず、うなずいてしまった。
——あれから?
——あの後?
記憶は、突然そこで途切れる。
まるで、その日の出来事だけ
自分と無関係だったかのように、
藤毅騰の脳は続きを閉ざしていた。
教室で何が起きたのか。
その場にいたのは、ほぼ二人だけ。
ただ、翌日から学校には
別の噂が広まり始めた。
「藤毅騰がゲイの生徒を殴って、そいつ転校したらしい」
という、ひどい作り話だった。
暴力男。
差別的。
手が出る。
そんなレッテルが、
藤毅騰に貼られた。
その日から、
校庭のバスケゴールはしばらく誰も使わなかった。
****
「合計は956元( 3832日圓 )、サービス料込みです。現金ですか?カードですか?」
店員が尋ねる。
「……牛排、値上げした?」
藤毅騰は眉をひそめ、
ほとんど空になった財布を見つめた。
毅亭は肩をすくめた。
「だから言ったでしょ。自分の分は自分で払うって。
お金ないくせに、見栄張るから。」
「お前が来たんだから、一回くらい奢るだろ……」
藤毅騰はぼそりと返した。
兄妹がさっきまでテーブルでまとっていた気まずい空気は、
まるでその場に置き去りにしてきたかのようだった。
藤毅亭は、
向かいの道路でバイクを移動させている兄・藤毅騰の背中を見つめた。
あの頃──
まだ免許もなく、学生だった自分たち。
あの小さかった兄妹が、
今ではあんなに大きな筋肉の男と、
大人の女になってしまった。
バイクが走り始め、
後ろに座った毅亭は、自然と兄の腰に手を回した。
風を切りながら、小さな声でつぶやく。
——もし、あの時の私が…
あんなこと言わなければ……。
その囁きは、風に消えていくはずだった。
しかし突然、前から兄の声が返ってきた。
「え?今、何か言った?」
「え、ううん。」
毅亭は首を振った。
「聞き間違いだよ。」
****
噂が“噂”として広がったのには理由がある。
——レンタルショップで起きたあの日のこと。
その本当の光景を見たのが、
藤毅騰と“あの男の子”だけではなかったから。
店内は人が少なかった。
本を返却し、何か読むものを探していた毅亭は、
一人がやっと通れる細い本棚の通路を抜けていった。
棚に並ぶ漫画を手に取ったその瞬間だった。
本の隙間から、
後方の二人掛けソファが見えた。
藤毅騰が、
本を読んだまま寝落ちしたように、
ソファに浅く身を預けていた。
その頬に——
誰かがそっと触れた。
自分と同じ年頃の男の子が、
藤毅騰の唇に、
ゆっくりと、触れるように——
キスをした。
その一秒後。
男の子の目が、
まっすぐ毅亭を射抜いた。
息が止まるほどの、
一瞬の静寂。
噂は、憶測ではない。
事実だった。
ただし、
言った側に悪気はなかった。
聞いた側が曲げた。
広めた側が面白がった。
そして、
“物語”は勝手に肥大し、
暴走していった。
——藤毅騰が殴った。
——ゲイを転校させた。
——手のつけられない問題児。
真相は誰も知らないのに。




