表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/21

第十三章 フィットネス・ワールド

台湾出身の陸坡と申します。


この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。

「ねえ、あの人どの組で出るの?」

「このクラス、参加者百人近いって。順位つけるのムズいよな。」

「うわ、久しぶり! 今回めっちゃ仕上がってるじゃん、デカいなー!」


林志林リン・ジーリンは思った。

――この世にはゲイサウナ以外にも、“男がほぼ全裸でうろうろしている室内空間”が存在するのか。


しかも、老人ホームのプールとはわけが違う。

ここを歩いている男たちは、誰一人として“素人の体”をしていない。


笑うと可愛い韓流系の青年。

都会的で少し危険な香りのするイケメン。

眼鏡をかけた文学青年。

健康的で明るいスポーツマン。


タイプは違えど、全員が完璧に鍛え上げられた肉体を持ち、

その一人ひとりがまるで意図的に、ジーリンの目の前を通り過ぎていく。


――たぶん、武則天の後宮って、こんな感じだったんだろうな。


ジーリンは入場チケットを握りしめながら、思わずそんな妄想をした。

通りすぎる男たちがみんな、自分に微笑みかけているように見える。

後宮というより、男しかいない花街――そんな錯覚すら覚える。


ステージの方へ視線を向ければ、健美部門の選手たちが並んでいる。

三角パンツの中はどれもド迫力で、

中にはキラキラのスパンコール付きや、

「これ履く勇気どこから出た?」とツッコミたくなる派手柄もある。


――これ、タダで見ていいの?


……いや、チケット代払ってるんだった。


藤毅騰フジ・タケルからもらった券に、確かに“有料”って印字されていた。


それにしても、台湾でここまで筋トレ人口が多いなんて、意外だった。

どの選手もテンテン並みに仕上がってる。

しかも――


会場の一角には、子どもたちの声が響いていた。

「パパどこ?」「お兄ちゃんまだ?」「叔父ちゃん勝てる?」


ステージを見上げる幼い目。

その傍らには、家族連れがずらりと並んでいる。

――まさか、ボディビル大会に“家族観戦文化”があるとは。


ジーリンがそう感心していた矢先、

小学校低学年くらいの男の子が、笑いながら猛ダッシュして、

筋骨隆々の選手の股間に思いきりぶつかった。


「こらっ、走るな! 人にぶつかったらどうする!」

父親である選手が、三角パンツ姿のまま真顔で叱る。


「だって、パパ全然ステージ出ないじゃん!」

少年はそう言いながら、顔を父親のパンツに埋めた。


――ッ……!?


ジーリンは思わず口をぽかんと開け、

まるで宮女が禁断の場面を目撃したかのように凍りついた。


「悪い子はあとでポテト抜きだからな。」


――悪い子どころじゃない、羨ましい子だろそれ!!

……じゃない、私は一体何考えてんの!?


久しぶりに男に飢えてるせいで、

頭の回路までおかしくなってる。


そんな自分を叱りながら、視線を逸らしたその瞬間、

誰かが手を振っているのが見えた。


――阿奇哥アーチーだ。


ジムのオーナーにして、テンテンのボス。

舞台裏の方から、陽気に手を振っていた。


「おっ、ちゃんと来たじゃん! ほら、一緒に自撮りしよう。」

アーチー(阿奇哥)が手を伸ばしてジーリンの肩を引き寄せる。

舞台を背に、スマホのカメラに笑顔を向けるが、

林志林リン・ジーリンはどこかぎこちない。

それでも無理やり口角を上げて、シャッター音が鳴った。


見ればアーチーは普段通りの服装。

大会用のブリーフもスプレータンもなし。


「てっきり、社長も出場するのかと思ってました。」


ジーリンの言葉に、アーチーは腹の底から笑った。

「いやいや、俺は今年の初めに出たよ。

だから今回はパス。分店の準備で手が回らなくてね。」


「えっ、分店? すごいじゃないですか!」


驚きながらも納得した。

このエリアは新興のオフィス街と住宅地に囲まれていて、

金持ちのマダムやIT企業の若手管理職も多い。

大型ジムは少なく、アーチーのジムは常に賑わっている。

支店を出すのも当然の流れだろう。


「まあ、構想はしてるけど問題が山積みさ。

教練コーチの流動が激しいのが一番の悩みだね。」


アーチーの声は少し疲れていた。

見た目は陽気でも、経営者の顔になると現実的だ。


確かに、フィットネス業界ではトレーナーの入れ替わりが激しい。

体育大学やスポーツ系出身者、自分で鍛えていた人も多いが、

“教える側”に向いている人は意外と少ない。

チェーンジムならシステムで回せるが、

個人経営のスタジオでは一人育てるのに時間も金もかかる。

資格取得、セールス研修、接客教育……

ようやく形になった頃に「やっぱり辞めます」なんて言われることもある。


「ま、競争も激しいからね。

うちも妻の経営センスがなかったら、もう潰れてたかもよ。」


「感謝の言葉がやっと出たわね。」

隣で脚を組んで座っていた琇姐シウジエが、

皮肉混じりに言って手を振った。


「ジーリン、こっち座りなさい。

そこに置いてあるリュック、どかしていいわよ。」


「えっ、でも誰かの席じゃ……?」


「大丈夫、それ、テンテンのよ。」


「……あ、そうですか。」


その一言で林志林は一瞬のためらいもなく、

どっかと腰を下ろした。


アーチーと琇姐は、顔を見合わせて思わず笑う。

――やっぱり、この子、なんだかんだでテンテンのこと気にしてるんだよな。


藤毅騰フジ・タケルは今回の大会に出場する――

それは分かっていた。

だが問題は、どのカテゴリーなのか。


林志林リン・ジーリンはパンフレットをめくりながら首をかしげた。

身長別クラスが多すぎて、どこに彼の名前があるのか全く分からない。

「しまったな、聞いとけばよかった……」と小声でつぶやいた時、

琇姐シウジエがこちらを見て、ふっと笑みを浮かべた。


その柔らかな笑みに、ジーリンは思わずぎこちない笑顔を返した。


「正直ね、最初はあなたがこんなに長く続くとは思わなかったのよ。」


「え? ああ……まあ、なんとか。」

琇姐の言葉に、ジーリン自身も少し照れくさそうに笑った。

考えてみれば、あの藤毅騰に一年近くもトレーニングを受けている。

我ながらよく続いたものだ。


「うちのジム、入口にレインボーフラッグがあるの見たでしょ?

『LGBTフレンドリー』『ジェンダーフレンドリー』って貼ってあるやつ。」


「あ、あれ。正直、最初びっくりしましたよ。」


確かに台湾では「平等」や「多様性」という言葉が広がっているが、

心の底から受け入れている人ばかりではない。

まして、あんなに堂々と掲げる店は珍しい。


「宣伝……じゃないんですか?」


「ううん、あれは“お礼”なの。」

琇姐はゆっくりと言葉を選ぶように話した。


「開業のときに助けてくれた友達への感謝。

男のゲイの友達だけじゃないわ。

昔、私のレスリング部の女子チームメイトとか、

アーチーのアート系の仲間のゲイの人たち、

それにうちのHPを作ってくれたトランスジェンダーの子。

スポンサーも、支援してくれた人も、

みんな“性の少数派”だった。


正直、あの時までは、

自分が彼らにこんなに助けられるなんて思ってもなかったの。」


彼女の声には、ほんの少しの感謝と照れが混じっていた。


「だから、アーチーと話して決めたの。

フラッグも標語も、堂々と掲げようって。

“誰でも歓迎します”って、ちゃんと見える形にしようって。」


「……なるほど。」


ジーリンは感心して頷いた。

琇姐の言葉には飾り気がなく、説得力があった。


「実はね、私自身は最初、同性愛に対して特別な感情はなかったの。

嫌いでもないし、興味もそんなになかった。

でも、アーチーの方がずっと柔軟だったわね。

芸術学校出身だから、昔からいろんなタイプの人に囲まれてた。

だから彼を見て思ったの。“接すれば変わる”って。」


「変わる?」


「そう。

例えば――藤毅騰みたいな子も。」


「……藤毅騰?」


琇姐は小さく頷いて、少し申し訳なさそうに笑った。


「知ってるでしょ? あの子、同性愛が苦手なの。」


「……まあ、そんな感じはしてました。」


「ごめんね。当時、私も知らなかったのよ。

まさか、あの子たちが“ゲイの出会い系”で生徒探してるなんて。

後で聞いて、すぐに禁止にしたの。

特に、最初に言い出した張本人にはね。」


そう言って、琇姐は隣で知らん顔をしていたアーチーを鋭く睨んだ。


アーチーは「やれやれ」と両手を上げ、

笑って誤魔化すしかなかった。


――どうやら自分、藤毅騰フジ・タケルの“実験台”にされたらしい。

林志林リン・ジーリンはそう悟って、苦笑いを浮かべた。


なるほど。

どうりでジムの連中が、やたら二人の様子を気にしていたわけだ。


これまでにもホモフォビア(同性愛嫌悪)な人間は何度も見てきた。

そして確かに、藤毅騰もその一人だ。

けれど――彼からは、あの嫌な「敵意」や「拒絶」は感じなかった。


言葉も行動も、ときどき神経質ではあるけれど、

それは意図的というより、むしろ「過剰に意識してる」ように思える。


……もしかして、彼の“恐同”って、

単に「俺を意識しすぎて挙動不審になってるだけ」なんじゃ?


そんなふうに考えると、林志林は少し可笑しくなった。

嫌悪ではなく、奇妙な興味が湧いてくる。


その時、背後から声がした。


「オイル塗り終わったぞー!」


「はあ~、マジで疲れた。あんなデカい筋肉、もう税金かけたいくらいだわ。」


聞き覚えのある声。

ジムの同僚トレーナー、アーノ(阿諾)とシャオパン(小龐)が、

汗まみれのTシャツ姿で戻ってきた。


二人は林志林を見つけると「おー!」と手を振り、

そのままシウジエ(琇姐)の方へ歩いていく。


「お疲れさま。テンテンの調子は?」

琇姐が尋ねると、シャオパンが親指を立てた。


「最高っすよ。オイル塗った瞬間、筋肉のカットがドーンて出てさ。

あれ、ヨーロッパの国際大会出しても負けないっすよ、アメ公相手でも。」


「でも、お前途中であの人に悪戯したろ?」

アーノが横目で言うと、シャオパンはニヤッと笑った。


「いやいや、ちょっと刺激を与えただけっす。

ほら、テンテン、真面目すぎると舞台で固くなるし。」


二人はケラケラ笑いながら、ジーリンのすぐ後ろに腰を下ろした。


「へぇ~、テンテンの生徒が大会観に来るなんて初めてだな。

だって、今まで生徒いなかったし。ハハハ!」


「しかも、その“初生徒”がゲイって、夢にも思わなかっただろうな。」


「おいおい、本人いないところでイジるなよ。」

ジーリンは振り返って二人を睨んだが、

その表情にはどこか呆れと笑いが混じっていた。


――たぶん、これが“男の友情”ってやつなんだろう。


そう思いながら、ジーリンは苦笑いした。


すると、背後の二人が急に真顔になり、声を揃えた。


「ほら志林さん、見てみ? 大会は“筋肉がデカい方が勝ち”ってわけじゃないんすよ。」


「え、違うの? 単純にデカさ勝負じゃないの?」


二人はぴたりと動きを止め、まるで同時にスイッチが入ったように――


「チッチッチッ!」


と舌打ちをハモらせた。


「まったく、素人はこれだからな。」


「筋肉がデカいのは当然っすよ。でもそれだけじゃ六十点っす。」


ステージの上では、三角パンツ姿の男たちが次々とポーズを取り、

一方、膝丈のショートパンツ姿はメンズフィジークの選手たち。

一般的に、フィジークの出場者はボディビルよりずっと多い。


採点基準が違うのだ。

フィジークは主に上半身の美しさを評価され、

骨格が広い人や肌がきれいな人はそれだけで有利になる。

もっとも、それはほんの少しの先天的ボーナスにすぎない。


「だいたいさ、女の子って腹筋と胸筋しか見ないじゃん。

『ふくらはぎ太いですね』なんて誰も言わないだろ?」


「そうそう。しかも結局、どんなに鍛えても最後は“顔”なんだよ。

イケメンなら全部許される。不公平だよなあ。」


シャオパン(小龐)とアーノ(阿諾)は並んで肩を落とし、

なぜかしんみりし始めた。


そのとき、聞き慣れた女性の声が飛んだ。


「ちょっと、デタラメ教えないでよ!」


声の主は、ジムの生徒でもあるユーウェン(瑀玟)。

彼女は両手で二人の耳をつまみ上げながら、

林志林に笑顔を向けた。


「ジーリン、久しぶり!」


「ほんとだ、しばらく見なかったね。」


軽く挨拶を交わした直後、場内アナウンスが流れた。

――ボディビル部門、選手入場。


「テンテンの出番、これだよ。」

ユーウェンが嬉しそうに言う。


「ボディビルはフィジークと違って全身勝負。

筋肉の太さ、張り、バランス、そして見せ方。

細部まで見逃さないようにね。」


筋肉の発達度が最も重要なのはもちろんだが、

それだけでは得点の半分程度にしかならない。

左右の対称性、各部位の比率、全体の調和――

それらが審査のカギとなる。


さらに、肌のコンディションも評価対象だ。

昔はタトゥーやあざも減点対象だったが、

今は着色の度合いや肌質のほうが重視される。


「着色って?」

ジーリンが首を傾げると、

彼の視界を一列のマッチョたちが横切った。


全員、肌を真っ黒に塗り上げ、ライトを浴びてピカピカと輝いている。

ようやくユーウェンの言葉の意味がわかった。


そのとき、前列の席からアチ哥(阿奇哥)とシウジエ(琇姐)の声が聞こえた。


「今年のレベル、高いね。」


「うん、例年より通過ライン厳しそう。」


「……始まったよ。」


ユーウェン(瑀玟)の言葉を聞いて、林志林リン・ジーリンは視線を上げた。

ステージには、三角パンツを穿いた男たちが整列して登場してくる。


だが、ゲイバーやSNSで見るような派手な下着ではなく、

黒一色のコンペティション用ショーツ。

全身は濃く塗られたブロンズカラーで輝いており、

逆にオイルを塗っていない顔の白さが際立っていた。


その中で――すぐに見つけた。

隅のポジション、胸に「6」と書かれたゼッケンをつけた藤毅騰フジ・タケル


隆起した大胸筋がどっしりと盛り上がり、

本来はピンク色だった乳首が黒紅に染まり、硬く突き立っている。

肩、腕、腹、背中、そして臀部から太腿にかけて――

粒立つように走る筋肉の線。


ジーリンは息を呑み、思わず見入ってしまった。


「……目の保養、ってこういうことか。」

いや、違う。目の保養どころではない。


あの、いつもトレーニング中にどもっていた直球バカのテンテンが、

いま舞台の上では別人のように堂々としている。

この男、本当に同一人物なのか?


「テンテン、今回も出場してるんだね。」


「でも優勝は難しいな。あいつ、今回は尻の筋肉を重点的に鍛えてるみたいでさ。

ボディビルパンツが短くなったのを計算してるんだろうけど、

トレメニュー全部組み直すとか、よくやるよ。」


「シウジエ(琇姐)とアチ哥(阿奇哥)の弟子は本気出すと怖いんだよ。

うちの新人なんかすぐ泣かされる。」


「放水するほうが、むしろイジメでしょ。」


周囲からそんな会話があちこちで聞こえてくる。

観客の中には他の選手やトレーナーも多く、

アチ哥のチームには自然と人が集まっていた。


ジーリンは思う。

――この世界では、テンテンも“別の顔”を持っているんだ。


彼はステージで二の腕を曲げ、三頭筋を見せ、

胸を張って腹筋を割り出し、

腰をひねって背中を広げる。


その一連の動きが滑らかで、研ぎ澄まされていて、

まるで人体ではなく、一つの「作品」を見ているようだった。


六人の選手が並び、同じポーズを取る。

観客席からは歓声とカメラのシャッター音が響く。

だが林志林には、その細かな差がよく分からなかった。


――彼らの肉体は、もう「男の体」ではなく、

訓練という芸術の「成果発表」だった。


一通りのポーズを終え、選手たちは舞台袖へと下がっていく。


「え、これで終わり?」

思わず口にしたジーリンに、隣のユーウェンが笑って言った。


「ここからが本番よ。」


そのとき、背後からハイヒールの音が響いた。


「シウジエ、アチ哥、ただいま~。テンテン、もう出た?」


振り向いたジーリンの前に現れたのは、

全身をブロンズに染め、スパンコールのように輝くビキニを纏った女性。

整ったメイクに、海辺のような明るい笑顔。


一瞬、誰か分からなかったが――すぐに理解した。


藤毅騰の妹、藤毅亭フジ・テイだ。


「たしか……お兄ちゃんの生徒さんだよね? 来てくれたんだ。」


「ええ、こんにちは。」

ジーリンは礼儀正しく会釈する。


テイもにっこりと微笑み返し、シウジエに促されて隣の席に座った。

二人の間には、なんとも言えない緊張が流れる。

彼女はいまだに大会用ビキニ姿のままだからだ。


「ねえ、あなたは“大会を観に来た”の?

それとも――“兄を観に来た”の?」


シンプルな問い。

けれど、この場では妙に答えづらい。


「……お兄さんにチケットもらって、

初めての大会だから一度見てみようと思って。

想像してたよりずっと、迫力あるんですね。」


ジーリンはそう言って笑った。

だが、その胸の奥では――

まだあの黒く塗られた筋肉の影が、まぶたの裏に焼き付いていた。


「へぇ、そうなんだ。てっきり……」


――兄を追っかけて、ここまで来たのかと思った。


藤毅亭フジ・テイがそう言って、にやっと笑った。

林志林リン・ジーリンは吹き出し、手を振って否定する。


「まさか! 俺、ボディビルなんて全然わかんないし。

テンテン見るために、こんなチケット買うわけないでしょ。」


「ふーん。誰にもわかんないけどね。」


そう言ったきり、また沈黙。


今はちょうど、選手が一人ずつ登場して音楽に合わせてポーズを取る時間。

ジーリンは何となく横目でテイを見た。

彼女とは何度か会っただけだけど、

その印象は「明るくて話しやすいタイプ」だった。


――少なくとも、さっきみたいな言い方をする人じゃなかった。


「三番の選手でした。続いて四番――」

アナウンスの声が響く。


……さっきの“誰にもわかんない”って、なんか感じ悪いな。

自分が気にしすぎなのか、それとも藤毅騰の妹が

もともとこういう調子の人なのか――。


気まずさを紛らわせようと、ジーリンは口を開く。


「どの選手も、すごいですね。」


「うん。」


それだけ。

テイは足を組み、頬杖をつきながらステージを見ている。

周囲の熱気とは裏腹に、二人のあいだだけ空気が重い。


しばらくして、彼女がふいに言った。


「ねえ。」


「はい?」


「ボディビルに興味のない人が、

こんなふうに男たちがパンツ一枚で出てる大会を見たら、

結局、“中にあるモノが大きいかどうか”しか見てないんじゃない?」


その言葉に、ジーリンは飲んでた水を吹き出しかけた。


「な、なに急に……!」


「別に。ただの質問よ。答えなくてもいいけど。」


そう言って、また視線を前に戻す。

舞台の上では五番目の選手が登場していた。


ジーリンは少し迷ったあと、小さく息を吐いた。


「……最初は、そうだったかもね。」


その一言に、テイの目線がこちらへ戻る。


「最初は、“うわ、すごいムキムキばっかだ”とか、

“どの人が一番エロいかな”とか、

そんなこと思ってたかもしれない。

でも――今は、ちょっと違う。」


「……違う?」


「ここまで身体を作るって、

本当に大変だと思うんだ。

そう思ったら、もう変な目で見られない。

そんなふうに見たら、失礼でしょ。」


テイは短く「ふっ」と笑って、また前を向いた。

その笑いが、嘲笑なのか感心なのか、

ジーリンには分からなかった。


そして――照明の色が変わり、アナウンスが告げた。


「続いて六番の選手です。」


「ま、とにかく――妄想するにしても、場所は選ぶべきだよな。」

林志林リン・ジーリンがそう言って、隣の藤毅亭フジ・テイを見た。


テイは相変わらず感情を見せず、

ただ礼儀的な微笑みを浮かべるだけだった。


「……そうだといいけど。

だって、見てる人が何を考えてるかなんて、誰にもわからないでしょ?」


そう言い残して、彼女はすっと立ち上がり、

ジーリンの横を通り抜けて歩き去った。


「……なにそれ。今日、やけに刺々しくない?」

ジーリンは思わず呼び止めるように言葉を投げた。


「誤解かもしれないけど、

なんか、俺に言いたいことある?」


藤毅亭は一瞬だけ振り返り、薄く笑う。


「別に。

ただ――うちの兄、あの人、あなたに礼儀でチケット渡しただけよ。

無理して見に来ることなかったのに。」


その言葉は、まるで針のように軽く突き刺さった。

ジーリンは言い返そうと口を開いたが――


「――あ、テンテン出てきた!」


隣で大会の進行を見ていた観客たちの声に遮られる。

藤毅亭はもう人混みの中へ消えていた。


周囲はざわざわと騒がしく、

いつの間にかそのざわめきは大きな波のように膨れ上がっていた。


「なんか……テンテンの名前、めっちゃ聞こえますけど?」

ジーリンは隣の席にいた琇姐シウジエに尋ねる。


シウジエは軽く笑いながら答えた。


「そりゃそうよ。テンテンはね――

大会出てから“優勝以外の順位を取ったことがない”の。」


「……え?」


そうこうするうちに、アナウンスが響いた。


「続いて、ラストの選手! ナンバー6、フジ・タケル選手です!」


会場の照明が一瞬だけ暗転し、

次の瞬間、音楽とともにライトが再び明るくなる。


ジーリンは息を呑んだ。


前の選手たちは皆、クラシックや洋楽の重厚な曲を選んでいた。

テンテンは――いったい、どんな曲で出るんだ?


そして、流れた音楽に、思わず眉をひそめた。


「ん……? この曲、どこかで……」


……まさか。


そう、どこからどう聞いても――


「全聯~♪ フクリぐま~♪」


――あの、スーパーのCMソングだった。(※参考音楽リンク:https://youtu.be/bMhq9dXZ_jI)


場内の空気が、一瞬、凍りつく。



One two フクリー~♪ One two フクリー~♪

ラッキー~♪ エブリデイ~♪

One two フクリー~♪ One two フクリー~♪

フクリぐま~♪ ぐまフクリー~♪ フクリぐま~♪ ぐまフクリー~♪


……藤毅騰フジ・タケル! お前、正気か!?


「ぷっ、あははははっ! 本当に使ってるじゃん!」

「マジかよ! 冗談だと思ってたのに、ガチで使うとかアホすぎ!」


会場の空気が一瞬で崩壊した。笑いをこらえる観客、頭を抱える関係者。


「……ねぇ、あなた。これ、どういうつもり?」

琇姐シウジエは眉をひそめ、低い声で言った。


奇哥チーゴーは冷や汗をかきながら、苦笑いで弁解する。


「いやぁ~、テンテン(騰騰)が曲を決められなくてさ。

ここ数ヶ月、ジムの近くのスーパー“全聯”によく行ってて、

つい鼻歌で“福利熊~♪”とか歌ってたんだよ。

それで俺が“じゃあそれでいいじゃん”って言ったら……

まさか本当に使うとは思わなくて……。」


「ふ~ん。」


琇姐はゆっくり立ち上がり、ギギギ……と首を回す。

その視線が次に向かったのは――


「当時、その場にいたの、あんたたち二人もでしょ?」


小龐シャオパン阿諾アーノは同時にビクッとした。

逃げ出そうとした瞬間、琇姐の手がガシッと二人の襟を掴む。


「もし、テンテンが今回の音楽でトップ3に入れなかったら――

あんたたち三人、まとめて地獄行きだからね。」


「そんなぁ! 俺ら悪くないって!」

「不公平っすよ! 曲、本人が選んだんだから!」


「言い訳すんなッ!」

琇姐の鬼のような形相に、二人は完全に黙り込んだ。

 

会場では、まだざわつきが残っていた。

福利熊フクリぐま」の音楽が流れた瞬間、笑いをこらえる者、ざわつく者、呆気にとられる者――反応は様々だった。


けれど、林志林は真剣な目でステージを見つめていた。

奇妙なことに、このポップで間抜けな曲が流れる中、藤毅騰の動きが――妙に「彼らしい」と感じられたのだ。


音楽に合わせて、誇張しすぎず、どこか照れくさそうにポージングを決める。

それが逆に面白くて、温かくて。

――そうだ、まるで“支援收銀的福利熊(レジ応援のフクリぐま)”みたいじゃないか。


思わず、志林の口元に笑みが浮かぶ。

ほんと、このホモフォビア(恐同症)直男は、どうしても嫌いになれない。


競技の最後、審査員が再び藤毅騰を呼び出し、筋肉のカットと体脂肪を確認する。

そして――結果発表。


一位、藤毅騰!


「……っはぁぁぁ!」

会場から大きな拍手が起こる。

彼は、ぎこちなくも嬉しそうに笑い、どこか練習したようなポーズで頭を下げた。


ステージを降りると、まるで子犬のようにチーゴー(奇哥)を探して駆け寄る。


「よくやったな、あとで打ち上げ行こうか。」

奇哥の笑顔に、学弟たちもホッと息をついた。


――が、藤毅騰はふと、観客席に「見覚えのない顔」を見つける。

目が合った瞬間、全身がビクッと硬直した。


「……お、お前、なんでここに!?」


「ある“藤毅騰”って人が、チケットくれたんでね。」


志林は軽く笑いながら答える。

だが、藤毅騰の表情は完全に「幽霊でも見た」顔だ。


「……っあ、そういえば渡したな。」

ようやく思い出したように頭をかく。

「正直、来るとは思わなかった。だって、ジム以外で会うとか想定してなかったし。準備、心の……準備がさ。」


「へぇ、つまり“来てほしくなかった”ってこと?」


「ち、違う! そうじゃなくて! 男って普通こういうの見ないだろ? 三角パンツのムキムキ大会とか! あ、でもお前は――その、“特別”だから……!」


「藤毅騰、今あんたが一位だから殴らないけどね。

この先、また変なこと言ったら――“嫌いなゲイの手”で触っちゃうよ?」


志林はわざと挑発的に笑った。

藤毅騰は顔を真っ赤にして両手を交差させ、胸を隠す。


「や、やめろ! 近づくな! オイル塗ってるから、触ったら手がベタベタになるって!」


「騰騰、遊んでないで、早く片づけて戻る!」

後ろから琇姐シウジエの声が飛ぶ。


「はいっ!」

藤毅騰が反射的に返事したその瞬間――


志林はふと気づいた。

いつの間にか、彼との距離が、ほんの少し近づいていた。


兄が表彰台に立つ。

首には金色のメダル、顔には満足そうな笑み。

歓声と拍手の中で、藤毅亭フジ・テイはその姿を遠くから見つめていた。


――おめでとう、お兄ちゃん。


心の中ではそう思う。

けれど、隣に立っている**あの人(林志林)**の顔を見た瞬間、

笑みが、ふっと消えた。


胸の奥がざわつく。

中学の頃の記憶が、鮮やかに蘇る。

あのとき、お兄ちゃんの隣にいた“あの同性愛の子”。

そのあと起きたこと。

自分が逃げ出したこと。

そして、全部壊れたこと。


……また同じことが、繰り返されるの?

今度も、私は逃げるの?

また一からやり直すの?


「おめでとう、兄さん。」


口から出た声は、頭で考えていた言葉とは違っていた。

藤毅亭は努めて平静を装い、兄に歩み寄る。

そして――目の前にいた林志林リン・ジーリンを、

まるで存在しないかのようにすり抜けていった。


その「わざとらしい無視」に、志林だけが気づいた。


……え、今の、俺のせい?

なんで、そんな顔するんだ?


胸の中で疑問が渦を巻く。

どこかで見たことのある態度。

どこかで感じたことのある空気。


そのとき、奇哥チーゴーの声がした。


「志林、一緒に打ち上げ行こうぜ。テンテン(騰騰)のお祝いだ。」


「え、あ、俺?」


そうだ――この“感じ”だ。


志林は思い出した。

あの、教室の空気。

笑い声の中で、自分だけが輪から外れていたあの時間。


「いや、俺はいいや。ちょっと用事があるから。

……藤毅騰、おめでとう。」


そう言って笑ってみせたが、胸の奥は冷たく沈んでいた。


――この感じ、懐かしい。

ずっと忘れてたと思ってたのに。


あのときもそうだった。

「女っぽい」と笑われて、仲間外れにされて。

理由なんて一つしかなかった。


俺が――男の同性愛者だから。


……まさか、藤毅亭も。


まさか、彼女も――**恐同ホモフォビア**なのか?


林志林リン・ジーリンはもう一度、藤毅亭フジ・テイの方を見た。

だが、彼女はまったく視線を返してこない。


――どうして、今日はあんなに態度が違うんだ?


ジムで会ったときも、カラオケで話したときも、あんなに明るくて優しかったのに。

急に冷たくなる理由が、どうしても分からない。


まさか、これも……藤毅騰フジ・タケルの“恐同”と関係あるのか?


「はぁ……ほんと、やってらんない。」


訳もなく嫌われる――その感覚が胸の奥にずしんと重くのしかかる。

林志林は深くため息をつき、会場を後にしようとした。


出口へ向かう途中、ポケットの中でスマホが震える。


〈明日夜のレッスン、忘れんなよ。今日は来てくれてサンキュー。〉

――藤毅騰からだ。


「……藤毅騰。」


思わず名前を呟く。

少しだけ、心の中があたたかくなる。

不器用ながらも、ちゃんと感謝を伝えてくるなんて。

ちょっとだけ見直した――そう思った、その瞬間。


次のメッセージが届いた。


〈運動したからってお菓子食べていいと思うなよ。太るの、俺には分かるから。〉


「……死ね。」


志林の笑顔が一瞬で消える。

怒りに任せて、スタンプを連打。

怒った熊、爆発する頭、燃える火。

トーク画面は一瞬でカオスな地獄絵図になった。


――ほんと、この男、どこまで人の地雷踏むのが得意なんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ