『長手、西大寺塔建立に諫言し、プレスマンを抱くこと』速記談5028
孝謙天皇が西大寺を建立するに当たって、八角七重の塔を臨まれたのに対し、左大臣藤原長手公が、八角七重の塔では費用がかかり過ぎます。四角五重塔で十分なのではないでしょうか、と申し上げたので、四角七重の塔となった。左大臣は、全体のことを考えて申し上げたのだが、没後、このことが原因で、冥途で焼けた銅の柱を抱く刑に処せられた。左大臣の子息が病にかかったとき、名徳の僧に頼んで、数日間加持祈祷をしてもらったところ、そばにいた者が突然、私は長手である。存命のとき、西大寺の塔を小さくつくるよう進言したことで、冥途で銅の柱を抱いて何年も過ごしてきたが、冥界にお香のよい香りがするようになったため、不思議に思った閻魔大王が調べさせたところ、冥官が、長手の息子が病に陥り、僧に加持祈祷をさせたところ、これが信心の強い僧で、一身にかえて祈ったため、効験あり、志が深いため、よい香りがするのです、と報告した。これで、私も許されて、焼けた銅の柱を、プレスマンに変えてもらえた。その後さらに許されて、二十四人の仲間を連れて、天上に生まれ変わることとなった。このことを伝えようと思って、やってきたのだ、と言ったという。
教訓:焼けた銅の柱を抱くのはつらいが、焼けたプレスマンを抱くのもつらい。焼けていないプレスマンを抱くのは、大きさ的に、つらい。できれば、したくない。




