第四話:イカサマ花屋、探す
ノルザーク王国に降り立って、まず目を奪われたのは、その美しさだった。
空気は澄みきっていて、遠くの山々は氷の冠をまとったまま静かに佇んでいる。けれど、市街地に足を踏み入れた瞬間、世界は一変する。
冷たいはずの空気が、街に満ちる熱気に溶かされている。白銀に縁どられた石畳、霜をまとった花壇、凍った樹木からは花が咲いている。寒さの中に、確かな温もりが生きていた。
僕にとって、ここはまるで異世界だった。
――王族の力なのか、それとも奇跡か。
『王女に会わせろ?……悪いが、任務の性質上お前を正規ルートでアルメリア王女に会わせることはできない』
あのつまらなそうな顔で、フィンが淡々と言った言葉を思い出す。
『じゃあどうやってお近づきになればいいの?まさか、国中探し歩いて見つけて来いなんて言わないよね?そんなねえ』
フィンは真っすぐ僕のことを見つめ、慣れない笑顔を作って見せた。
あ、この顔は、ゴリ押ししようとしてる顔だ。初めて見たけど、なんとなくわかるぞ。
要するに僕はこの広い街のどこかにいる“かもしれない”王女様と、偶然すれ違うのを待つしかない。
そんなマンガみたいな展開、ほんとにあるの?
溜息を吐きながら、人ごみに揉まれて歩く。だけど、当たり前のようにそれらしい姿は見当たらない。
仕方なく市街の外れにある宿に向かい、受付のカウンターにいた中年のおじさんに声をかける。
けど、返ってきたのはそっけない短い返事と、眉間に深いシワ。
愛想が悪いってレベルじゃない。お金を払う手を差し出したとき、僕は何気なく指先でおじさんの手に触れた。
≪たかがチョコ一枚食ったくらいで、なんだってんだ……!これだからガキは嫌なんだ≫
……なるほど。娘さんのおやつ食べちゃったってとこか。んで、怒られたと。
「……あ、よかったらこれどうぞ」
僕はポケットから、小さな包みを取り出す。地元の店でもらった、ちょっと洒落た包装のやつ。
「……ん?お、おう」
「これ、僕の地元の名産なんだけど……お土産でもらっただけで、僕甘いの苦手でさ。よかったら、もらってくれない?」
最初は警戒してたけど、手に取った途端、おじさんの表情がほんのり緩んだ。
「へへ、兄ちゃんタイミングいいな!実はちょっと娘とケンカしててよ。こいつ土産にすりゃ、仲直りできそうだ」
おじさんは先ほどまでの不機嫌が嘘だったかのように顔をほころばせる。よし、成功。
「初めてこの国に来たんですけど……国王様って、どんな方なんですか?」
「カイ様か?あの方はすごい人だよ。王になってから、街の様子は見違えるほど変わった。氷の下にあった畑も甦ったし、生活の質も上がった。俺ら平民にも分け隔てなく接してくれて……」
語り出したおじさんの目が、誇らしげに輝く。
次から次へと王様への称賛があふれ出し、このままでは一日が終わってしまいそうな勢いだ。
「なるほど。じゃあ、娘さん……アルメリア王女も、そんな方なんですか?」
するとおじさんは、急に声を潜めた。
「アルメリア様な……聡明で、武にも優れた、立派なお方さ。でもな、カイ様とはちょっと違う。冷たいっていうか、何を考えてるのかよく分からねぇ。悪い人じゃないと思うが……俺ら平民には、あまり興味ないんだろう」
「へぇ……」
そっか。やっぱり、フィンが言っていたのと大差ない印象だな。僕は少し突っ込んで聞いてみることにした。
「じゃあさ、王女様がこの街に来ることってあまりないの?公務でもプライベートでもいいんだけど」
「王女様がこの街に、ねえ……」
おじさんは少し考え込むような顔をして、ぽつりと続けた。
「そういや、なんどか王女様にそっくりな人を街中で見かけたっていう話は聞いたことあるな」
「ほんと?それどこで?いつ?どんな格好で?」
僕は思わずカウンターに身を乗り出した。
「おいおい、少し落ち着けよ。詳しくは分からんが、そこの市街地で平民の格好をして歩いていたらしい」
それが本当なら、僕にも希望があるかもしれない。毎日あの人ごみを歩き続ければ、いつか王女様にバッタリなんてことも――。
僕がそんな調子のよいことを考えていると、おじさんは僕の思考を遮るように窘めた。
「あまり期待はするなよ。俺にはどうしたって信じられないんだ。あの王女様が素性を隠してまでこの街にやってくるなんて……。きっと他人の空似さ」
少し寂しそうにそう漏らすおじさんに、なんとなくこれ以上質問するのが憚られた。
*
翌日。
僕は完全に気が進まないまま、市街地を歩いていた。
黒くて長い髪、深い青色の瞳、雪みたいに白い肌……
事前に聞いていたアルメリア王女の特徴を、頭の中で反芻する。
(ああ……絶対ムリ……!)
それでも一応、キョロキョロと人波の中を見渡しながら歩く。なんとなく、それっぽい人がいないかって……あくまで一応。
だけどそのとき。
ふと、すれ違った誰かの気配に、息が止まった。
何かが、胸を掴んだような感覚。
気がつくと、僕は反射的に振り返っていた。
その背中を、僕の視線は静かに追っていた。