第二話:イカサマ花屋、捕まる
気がついたときには、もうこの部屋にいた。
いや、さっきまで路地裏にいたはずなんだけどな?いや、いたよね?……え、ちょっと待って。ていうか、どこだよここ。
壁はコンクリむき出し、窓なし、装飾ゼロ。椅子とテーブルしかない、監禁部屋みたいな場所に、僕はぽつんと座らされていた。
向かいにいるのは、あの男。さっき突然俺の前に現れて――
『お前、人の心が読めるな?』
って言ってきた、例の黒フード。あの後、あれよあれよという間に取り押さえられて、今に至るわけだ。
「……自己紹介が遅れたな」
低い声が静かに響く。男は無駄な動きひとつなく姿勢を正したまま、口だけで話す。
「俺はフィン・ノストレイグ。ファルミリア治安維持軍、直属部隊の隊長だ」
名前は知ってた。ファルミリアでもっとも冷酷な軍人として有名な男だ。……で、なに?その人がなんで僕にこんなご丁寧に自己紹介してくれてんの?
「お前の名前は、リク・ヴェルノット。職業、花屋。三年前にこの街へ移住。出生地はファルミリアとなっているがその詳細はなく、過去の記録は一切不明。賭場では異常なほど高い勝率を誇り、あらゆる心理戦に無敗。そして……」
一瞬だけ間が空いた。
フィンの鋭い瞳が、まっすぐ僕を射抜いてくる。
「触れた相手の心を読み取る能力を持つ、セレノスの生き残り」
――息が、止まった気がした。
うそでしょ、なんでそれを。
セレノス――それは昔、特異体質を持つ人間が生まれる国として、世界中から恐れられていた。火を操る者、水を毒に変える者、そして僕のように、他人の心を覗く者……様々な力を持つ人間がセレノスでは生きていた。
当然諸外国からは恐れられ、隔離されたり奴隷にされたり……それはもうひどい扱いを受けてきたらしい。それから時を経て、セレノス人は絶滅したとされたが、実際には、名前と戸籍を偽って生き延びている者がわずかにいる。……僕も、そのひとりだった。
「僕は今、御伽話でも聞かされてるのかな?セレノスなんて、伝説でしょ?そんなおとぎの国の住人ってことにされたら、僕も困るなあ」
我ながら情けない強がりだ。言いながら、喉がカラカラになっていくのが分かる。フィンは僕の反応に微塵も動じず、まるで予定通りの反応だと言わんばかりに淡々と続ける。
「俺はずっとお前を観察していた。イカサマを確信していたが、確証が取れなかった。だが、ようやく決定的なパターンに気づいた。心理戦の直前、必ず相手の身体に触れている。顔に、腕に、指に。そして直後、必ず勝利していた」
フィンが、手を伸ばしてくる。
「ちょ、待っ――」
思わず、反射的に椅子の背に逃げる。けれど遅い。頬をがしっと掴まれた瞬間――
≪殺してやる!!!≫
脳に直接、怒号が響いた。
心の声。これまで聞いたどの声よりも、はっきりと、強く。
心臓が大きく跳ね、恐怖で目をそらすことすらできない。
手を離したフィンは、立ち上がるとこちらに背を向けて言った。
「さっきの賭場でもそうだった。勝利に浮かれていたお前に後ろから静かに近づき、その首に触れて、同じ言葉を強く念じた。……≪殺してやる≫とな」
ぞわ、と背筋が冷える。あの時、突然頭の中で怒声が響いて、俺はたまらず叫んでしまった。――全部、見られていたのか。
「あの場で突然大声を上げて逃げ出したのが、俺の心の声が聞こえていた何よりの証拠だろう」
「蜘蛛が出たんだよ。でっっっかいやつが」
一応言ってみる。虚無の間があって、やっぱりフィンは無視した。
だよね。
「ファルミリアはギャンブルを国家戦略としている。公平性を失えば、国の信用は地に落ちる。……ゆえに、イカサマは極めて重罪とされている」
その言葉でようやく、本気で終わったと理解した。
僕、詰んでんじゃん。
「お前の行為は、金額も回数も規模が大きい。加えて、セレノスという危険な血を隠しての不法入国の疑いもある。……最悪、極刑もありえるだろう」
視界がぐらりと揺れる。言葉にならない息だけが喉を通っていく。
「いやいや、隊長さん。こんな小物に、そこまでご執心とは……僕、ちょっと照れるな」
なるべく軽口を叩いて、笑ってみせる。が、やっぱり無視された。ケッ、って心の中で吐き捨てる。やっぱ好きになれねー、この人。
「――で、どうする気?処刑台の予約でも入れてくれた??」
僕の問いかけに、フィンは一拍置いて振り返る。そして、初めてその目に感情のようなものを灯して、言った。
「……取引をしよう」