第一話:イカサマ花屋、あらわる
ファルミリア王国──
国家がギャンブル産業を推進し、賭け事を“娯楽”としてだけでなく“文化”としても根付かせた国、ファルミリア王国。
王都の街角には公認カジノが軒を連ね、市民たちは店先や広場に即席の賭場を広げて、昼夜を問わず勝負に興じていた。
その日も、下町のとある通りは歓声と怒号が飛び交い、ひときわ熱気を帯びていた。
「ほらほら、あと一枚!当ててみな!」
路地裏の一角。場違いなほど盛り上がる人だかりの中心に、ひとりの少女が青ざめた顔でカードを握って立ちすくんでいた。今にも泣き出しそうな表情だった。
「さあさあ、外したら三連敗だぞぉ? 借金が倍だぞぉ?」
向かいのテーブル越しで、脂ぎった顔の中年男がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。店先に即席の台を出して、自ら考案した簡易ゲームで客を相手取っているらしい。
「ちょっと、失礼」
群衆の中から一人、黒髪の青年が人垣を抜けて前に出た。柔らかな物腰で、近くの男に声をかける。
「これは、何の騒ぎだい?」
「ん? ああ、あの子な。親父の借金のことでここに来たらしい。返済を待ってもらう交渉に来たところ、“一勝でもできたら半年猶予をやる”って条件を出されたらしくて……だけど、見ての通り三連敗目前だ」
青年──リクは短く頷き、テーブルの上を一瞥する。
そこには数字が書かれたカードの束と、小さな金属製のリングが置かれていた。
「ゲームの内容は?」
「親父のオリジナルさ。1から10までのカードを使って、親父が1枚選んで裏向きのままリングの下に置く。客も同じようにカードを一枚選んで伏せる。ただそれだけ。数字が一致すれば客の勝ち、外せば負け」
「単純だね。確率は10分の1か」
「だけどな、三連敗すると借金が倍になるルールなんだよ。あの子、もう背水の陣ってわけだ」
リクは軽く息を吐き、少女と店主の間にそっと歩み寄った。
「だったら、ここから先は僕が代わりにやってもいいかな?」
「……は? なんだお前」
店主は怪訝な顔をしたが、すぐにニヤリと笑う。
「いいぜ? ただし、タダってわけにはいかねぇぞ」
リクは肩をすくめて微笑んだ。
「次で負けたら、借金は倍なんだよね。じゃあ、僕が代わりにやって負けたら、その十倍払うよ。その代わり、僕が勝ったら──その借金、帳消しにしてほしい」
その場にいたやじ馬たちが一斉にどよめいた。
「正気かよ……」
「すげぇ、十倍だってよ……!」
少女も驚いたようにリクを見上げている。
だが、リクの目に迷いはなかった。
「……ああ。いいぜ。負けて泣いても知らねぇぞ?」
「心配どうもありがとう」
リクはそう言って、少女の肩に軽く手を置いた。
「大丈夫。君はもうじき、自由になれる」
少女はわずかに目を見開いた。
その間に、リクはテーブルの前に立ち、カードを手に取る。
「さあ、なんの数字にするかな」
少考の末、男はカードを一枚選び、裏向きのままリングの下に差し込む。
「こういうのはな、うんと悩んだって無駄なんだよ。それより、あんた──負けたらその金、どうやって払う気だ?」
男が鼻で笑って揺さぶりをかける。
その挑発に、リクは一歩踏み出した。
そして、ふいに──その男の頬に手を伸ばす。
ひやりとした指先が、脂っぽい肌をなぞるように軽く撫でる。
「っ……!」
店主がびくりと肩を跳ねさせる。
反射的に顔を引きかけたが、逃げきれずに目を逸らす。
リクはそのまま、至近距離で微笑みを浮かべた。
「もしそうなったら──僕の“全て”で払いますよ」
その一言に、男は一瞬、目を丸くした。
「へ、へへ……なんだお前……変なやつだな……」
顔を赤らめて笑うその様子は、完全に調子が狂っていた。
周囲のやじ馬たちからも、クスクスと笑い声が上がる。
リクは何も言わず、ただ柔らかく笑って一枚のカードをテーブルに伏せた。
その動作すら、どこか気取っていて、妙に目を引くのだった。
「では、開こうか」
男が自分のカードに手をかけた瞬間、少女が後ろでそっと手を合わせる気配がする。
「お前は祈らなくていいのか?」
「あいにく、信じてる神はいないんだ」
男が鼻で笑い、カードをめくる。続いてリクも、カードを裏返した。
──数字は一致していた。
「……な、なんだと!? 当てやがった……!」
「やった……!」少女が歓声を上げる。
リクはカードを引き寄せながら、肩をすくめて笑った。
「やっぱり、僕ってとってもツイてるみたいだ」
観衆が一斉に歓声を上げ、場の熱気は最高潮に達する。
「これで、借金はチャラでいいんだよね?」
「……ちっ、ああ。わかったよ……!」
店主は苦々しくうなづいた。
「すごい……! わたし……どうお礼を言えば……」
少女が感極まってしゃがみ込む。リクは彼女に手を差し出し、微笑んだ。
「僕は普段、街の外れで花屋をやってるんだ。もし良かったら、いつか花を一本、買いに来ておくれ。それ以上の礼はないさ」
群衆の歓声が再び湧き上がる。
リクはその輪の中で、もみくちゃにされながらも笑っていた。
勝負の最中とは打って変わって、その表情はあどけない少年のようだった。
──だが、その空気は一変する。
「……うわぁあああああ!!」
突然、リクは叫びながら群衆から距離をとって、頭をかかえてしゃがみ込む。
まるで、見えない誰かに銃を突きつけられたかのように。
あたりは一瞬で凍りついた。
人々はぽかんと口を開け、誰もがその光景をうまく飲み込まずにいた。
あの少女すら、声も出せない。
やがて、静寂の中に一つの足音が混じる。
黒いフードの男が、人波を割って現れた。
リクの前まで進むと、男はしゃがみ込み、誰にも聞こえないように低く、静かに囁いた。
「お前、人の心が読めるな?」
リクの目がわずかに揺れた。
太陽が雲に飲まれ、通りはわずかに陰る
そこを風だけが無遠慮に吹き抜けていった。