王太子殿下と、クナイ。
「やはり、何の手がかりも残っていないか……」
カーシィは王城に戻ってきて、王宮の庭で溜め息を吐いた。
昼近くなり、太陽は高い位置に登っている。
「歪みの気配はこの辺りで途切れているのだな」
「はい。誠に申し訳ありません、殿下……」
「いや、そなた達のせいではない。忍法というものはやはり、我々の理解とは遠く離れたところにあるものなのだろう」
宮廷魔導士長が項垂れているのには、理由があった。
一つは、ミスティカの部屋にあるものどころか、衣裳部屋まで含めて誰にも悟られることなく丸々持って行かれた手段が、全く分からないこと。
もう一つは、サルピス侯爵の屋敷からニンジャが移動したと思しき魔力の歪みを辿った先が、王城だったのである。
「煙に巻かれているとしか、言えませぬ……我々を嘲笑って、楽しんでいるのでしょう」
いつもは冷静な老齢の魔導士長の悔しそうな表情に、カーシィは首を横に振った。
「もしかしたら、そうではないのかもしれん」
「とは?」
「まだ確実なことは言えんが……最初も、ニンジャは王城から移動していなかっただろう。もしかしたら、本当に『ここにいる』可能性がある」
「王城内に潜伏している、ということでしょうか?」
「起こっている出来事は常軌を逸しているが、仕掛けがあるのは間違いないのだ。ならば、全てが間違っているとは言い切れんだろう」
ある可能性を考えながら、カーシィは魔導士長に告げる。
「王城の隠し部屋や隠し通路の在処を知る者らに、一度内部を捜索させよう。働き詰めの者は、交代で一度休息を取らせよ。そなた自身も含めてだ」
「……畏まりました」
頭を下げ、歩み去っていく魔導士長の背中を見送ったカーシィは。
ふと目を向けた先にいた少女に、軽く目を見開いた。
「スウィ嬢? 何をしているのだ?」
屋敷に帰った筈のスウィ嬢が、そこに居たのである。
何かを探すような様子で、疲れた顔の侍女を従えて歩いていたのだ。
こちらを見た彼女は、少しバツの悪そうな顔で、ちょっと侍女に下がるように手振りで指示すると、小さな声で呟いた。
「殿下のご様子から、その……私と同じことを考えておられるのではないかと、思いまして……陛下とお父様に無理を言って残らせていただきました」
「君のやる事ではない。休まねば体を壊すぞ」
「一度身を清めて、少し横になりました。問題はありません」
「だがな……!」
カーシィが少し語気を強めると、スウィ嬢は身を固くしたものの、引き下がらなかった。
「ミスティカを心配しているのは、殿下だけではありません。それより、質問に答えていただけませんか。同じことを考えておられたのでは? だから、庭に来られたのでしょう?」
言われて、カーシィはグッと唇を引き結ぶ。
「……考えていた」
「であれば、私の行動に間違いはございませんわ。今正に、同じものを探していたのです」
「それが危険だと言っているんだ。考えていることは同じかもしれないが、その答えが合っているとは限らない」
あのニンジャの正体について、自分達だけが薄々気づいている。
だが、もし間違っていた時は、下手をすればスウィ嬢にも身の危険が及ぶ可能性が高いのである。
「頼むから、大人しくしておいてくれ……」
「いいえ。殿下が同じことを考えているのであれば、きっとそれに間違いはございませんわ。そして事実ならばきっと……あの方は、私達を誘っておられます。そうでしょう?」
「……!」
「あの方の目的まで、殿下も気づいておられるのではないのですか?」
カーシィは項垂れた。
スウィ嬢は何も具体的なことを口にしていないが、その可能性が頭の中にちらついているのは、その通りだ。
ーーーミスティカ嬢だけでなく、おそらくは、我々の為に。
考えないようにしつつも、スウィ嬢と同じ結論に辿り着いたからこそ、カーシィは庭に来たのだから。
ミスティカ嬢が魔獣に襲われ、傷を負ったこの場所に。
「どうぞ、私も連れて行って下さいませ。きっとこれが、最後の機会ですわ」
スウィ嬢は、いつもの優しげな笑顔を浮かべながら、強い力を込めた視線でこちらを見据える。
その美しい顔に、カーシィは見惚れて……視線を逸らした。
惹かれてはいけない。
自分の婚約者は、ミスティカ嬢なのだ。
そこまで考えてから、いや、と思案し直して……カーシィは、深く溜め息を吐く。
ーーーダメだな、それでは。
一番変わらなければならないのは、きっとカーシィ自身なのだ。
あのニンジャの正体と目的が想像している通りなら、見つけられさせすれば事態はより良い方向には進むだろう。
しかし。
「スウィ嬢。……私は、このままニンジャの思惑に乗るのを甘えだと思う。君はどう思う」
カーシィが意を決して問いかけると、スウィ嬢は戸惑ったように軽く瞬きをした。
「甘え、とは?」
「強引とはいえ、お膳立てを受けて、それに乗るだけで良いのか。ただ助けられて、それで終わりとするのか」
彼女が息を呑むのに、カーシィは真っ直ぐに視線を合わせる。
今からやろうとしていることは、ミスティカ嬢への裏切りだ。
しかし、裏切らなければ先へは進まない。
誠実に彼女に相対し、話し合うには『嘘』をつき続けていてはいけないのだ。
カーシィの自分の気持ちへの嘘が、彼女を傷つけた。
それを含んだカーシィの行動が、ミスティカ嬢の嘘をも招いた。
その結果が、彼女を自分も周りも傷つける行動に走らせ、皆を遠ざけようとし続けた原因となったのだから。
そうしてあの夜会で、ミスティカ嬢は我が身すら犠牲にしようとした。
今後どうなろうと、自分は嘘をつくのをやめなければならない。
でなければ、ミスティカ嬢に会う資格もないと、そう思ったから。
「スウィ嬢。私は、君に好意を寄せている」
「……!!」
スウィ嬢が目を見開き、両手を口元に添える。
きっと、ミスティカ嬢の親友である彼女は、カーシィがそれを口にするとは思っていなかったのだろう。
「私のせいで、ミスティカ嬢の体は傷ついた。その後の行動のせいで、心まで傷つけてしまった。……自らを犠牲にしてまで、この状況を終わらせようとした。彼女に、これ以上不誠実な真似はしたくない」
「……殿下」
「私が、自分の気持ちに嘘をつくことを、ミスティカ嬢は一番嫌がっていたのだろう」
既に手遅れになっていたとしても、彼女に対して最も誠実であれる方法。
ミスティカ嬢を取り巻く状況ではなく、その気持ちを一番に考えるのであれば……きっと彼女が一番喜ぶのは、カーシィが素直になることだと。
「この好意を、君に受け入れて貰わなくとも構わない。だがせめて会う前に、私はミスティカ嬢が本当に求めたことをしようと思った」
『殿下。殿下は、スウィと婚約出来たら嬉しいですわね?』
『そ、そうだな……彼女が受け入れてくれるのなら』
魔獣に襲われた、あの日の会話。
あれが、ミスティカ嬢の楽しそうな笑顔を見た、最後だった。
ミスティカ嬢に不満はなくとも、スウィ嬢に惹かれる気持ちを捨て切れなかった、自分が引き起こした事態なのだ。
「彼女は、私の心の多くを知っているからこそ、あのように振る舞うようになってしまった。そうだろう?」
ミスティカ嬢は『看破』の祝福を持っているのだ。
口にせずとも、カーシィの気持ちをずっと知っていた筈だ。
せめて心の底から、自分がミスティカ嬢を愛せていれば。
あるいは自分に嘘をつかず、彼女を預けられる者を、もっと死に物狂いで探していれば。
短絡的に、彼女のことを引き受けていなければ……せめて、怪我が治るのを待って、その気持ちをきちんと尋ねてから決めていれば。
愛されてもいない男に。
自分の親友に心惹かれている男に。
あの心優しい少女が、憤らない理由の方が、なかったのだ。
「私は、彼女が無事に戻れば婚約を解消しようと思う。その上でもう一度、話し合ってみたい。どうしたいのか、どうして欲しいか。……その努力を、今まで私はして来なかったのだ」
目に入っていなかった。
優しさと気遣いを履き違えていた。
それがミスティカ嬢にとっての最良だと、幾ら周りが思っても。
彼女自身がそう思えなければ意味がないのだと、この段に至ってようやく気づいた。
「これはけじめだ。私は嘘をついた。ミスティカ嬢にも、自分にも、そして君にも。……もう、これ以上嘘つきのまま、ミスティカ嬢の前に立ちたくはない」
スウィ嬢は口元を両手で押さえたまま、じわりと目尻に涙を浮かべる。
「……殿下だけの責任では、ありません……」
彼女は目を伏せて、肩を震わせる。
「私も、殿下と同じです。……気持ちで、態度で、ミスティカを裏切って、話すこともしなかったのです……」
内心で、何を考えているのかは分からない。
だがしばらく目を伏せた後に、スウィ嬢は目尻を拭った。
「私も、殿下をお慕いしております。忘れることは出来ませんでした……」
「スウィ嬢……」
「ミスティカが無事に戻ったら、謝りたいと思います。許して貰えずとも、あの子を傷つけていたのは、私も同じです」
気持ちが通じたことに対して、喜びはなかった。
カーシィが最初に間違わなければ、そもそもこんな事態にはなっていないのだ。
今後何かが起こるとしても、全てが片付いてから、だ。
「……探そう。我々が間違っていたと、彼女に謝る為に」
「……はい」
そうして、しばらく庭を見て回り……カーシィは発見した。
草むらに隠れるように地面に突き立った、一本のクナイを。
続きは明日の昼12時更新です。
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