侯爵令嬢の部屋と、作者。
「少々臭いますわ」
ミスティカは、案内された部屋の前で思わず顔の前に扇を広げた。
屋敷に上がる前から、微かにあまり嗅いだことのない独特な臭いはしていたのである。
けれど、その臭いの正体は分からなかった。
庭に繋がる縁側の前にあった部屋は『稽古場』というものだったそうで、板敷きだったのだ。
その臭いの原因が、今『襖』という布張りの引き戸を開けた先にあり、一気に強くなったのである。
「何の臭いですの、これは」
「この床敷きから臭っている気がしますぅ〜」
クンクン、と侍女イスネが鼻を近づけて嫌そうな顔をするのに、ニンジャが首を傾げた。
「これは畳。イグサを編んだ、東ではそれなりに高級品なのでござるが。ここに布団を敷いて眠るのは、それなりに地位の高い者に限られるでござる」
畳というのは、緑の表面に黒い縁取りのあるコレのことらしい。
同じ形のものが、部屋にピッタリと合うように12枚、長方形に並べられている。
「フトンとは?」
「東の寝具にござる」
「床に直接……?」
ミスティカには、全く意味が分からなかった。
眠る場所といえばベッドであり、よほど困窮した者や家のない者でなければ、使用人であっても使うものなのに。
そう首を傾げていると、わなわなと肩を震わせていたイスネがクワッと目を見開いた。
「なんと、これが! あのタタミ!!」
「知っているのですか? イスネ」
「はい! タタミは、ニンジャの言う通り寝具を引いて寝たり、座って食事をしたり、素足で室内を歩いても寒くないという素晴らしく多様な床敷きなのですが! なんとこれは、さらに武器にも防壁にもなる優れ物なのですぅ〜!!」
何を言っているのか、さっぱり分からない。
ミスティカは、興奮している彼女に戸惑いながら問いかけた。
「そう、なのですか? 貴女は一体、何故それを知っているのです?」
「【ニンジャ伝説】は私のベリーマストフェイバリットマイ愛読書ですからぁ〜!! 殿方との話題も盛り上がりますし、内容も面白いですしぃ〜!! まさか、まさかあのタタミをこの目で拝めるとはぁ〜!!」
「なるほど」
胸の前で指を組んでクルクル回りながら興奮するイスネを置いておいて、ミスティカがとりあえずその言葉に納得していると、ニンジャが別のことに反応した。
「おお、そなた【ニンジャ伝説】を知っているとは、中々に見どころのある娘にござるな!」
「え? 貴方も【ニンジャ伝説】を読んでいるんですかぁ〜?」
「読んでいるという訳ではないが」
ピタッと動きを止めたイスネに、ニンジャは腕組みをして、心なしか胸を逸らしてふんぞり返る。
「―――某が、【ニンジャ伝説】の作者でござる!」
沈黙。
「……貴方は小説家だったのですか? ニンジャではなく?」
「ニンジャでござる。アレはニンジャの権威を広める為に書いたもの。異国のお嬢さんにまで広まっているとは喜ばしい限りでござるな!」
「そ……そのような戯言を信じると思うのですかぁ〜!?」
衝撃を受けた顔で固まっていたイスネが、我に返るとズカズカとニンジャに詰め寄る。
「人の股の間に腕を突っ込むようなムッツリが、【ニンジャ伝説】の作者を語るとは笑止千万ですぅ〜!!」
「イスネ。言葉遣いがはしたないですよ」
「非常に語弊のある物言いにござるな」
「この、殿方にも認められし【ニンジャ伝説】フリークたる私は誤魔化せませんよぉ〜! 作者というのなら答えていただきましょう!! 第4巻12節に書かれた忍法の名は!」
「む?」
ニンジャは首を傾げた後、あっさりと答える。
「第四巻は、忍法ではなく忍術の書。12節で披露した忍術は『畳返し』にござる」
「ぬぁ……!? 正解ですぅ……!! まさかミスリードにも引っかからないとわぁ〜……!!」
「あなた方は、先程から何を話しているのです?」
全く会話についていけないミスティカは口を挟む。
正直、そろそろ足の痛みが強くなり始めており、眠気も増して来ていた。
そんなこちらをチラリと見てから、ニンジャが胸元に手を突っ込んだ。
「ふむ、少々急ごう。その前にそなたにこれを」
と、ニンジャはゴソゴソと取り出した円形の金属をイスネに手渡す。
「これは何ですかぁ〜?」
「薬膏にござる。少々臭うが、後程ミスチカ・サンの足に塗り込むと良い。痛みが和らぐであろう」
ニンジャの言葉に、ミスティカはキュッと口元を引き締めた。
―――悟られないよう、表情にも姿勢にも出していなかった筈なのですが。
自分の状態が知られており、まして気遣われたことにミスティカはふがいなさを感じた。
丁重に扱って貰ってはいるが、立場としては未だ敵であるニンジャに弱みを。
―――そんなもの、なければ。
ミスティカが、カーシィ殿下とスウィの邪魔をすることも、なかった筈なのに。
「ミスチカ・サン」
「何か?」
ニンジャに声を掛けられて、いつの間にか伏せていた目を上げると。
「人は、己が弱さを自覚した時こそ、真に見えるものがあるでござるよ」
―――ッ!
その発言は、それまでの剽軽で軽妙なものとは違う、慈しみと真剣さを含んでいる気がした。
「さて、それでは準備を始めるでござる。ついでに侍女殿、そなたに本物の『畳返し』をお見せしよう! 読者への謝礼にござる!」
「何と!? 本当ですかぁ〜!?」
「うむ」
先ほどまでの威勢は何処へやら、一転してキャッキャし始めたイスネに頷き、ニンジャがトン、と畳の端にある黒い部分を軽く踏むと。
ポーン! とそれが跳ねた。
「!?」
しかもそれ一枚ではなく、部屋に長方形に敷かれたものも次々に捲れ上がり、部屋の端にドンドンドン! と重たい音を立てて6枚ずつ綺麗に積み上がっていく。
そして板敷きになった部屋に入ったニンジャが、また胸元に手を突っ込むと。
今度はそこから、天蓋付きのクイーンサイズのベッドがニュルン! と出てきた。
まばたきをしてよくよく見ると、それはミスティカのベッドであり、住んでいる屋敷にある筈のものである。
「……どうやって仕舞っていたのです?」
「忍法でござる。ニンニン」
言いながら、ニンジャが今度は壁に近づいていく。
「他にも色々持ってきたものを置くには、この広さだと少々手狭にござるな。今広げる故」
「部屋を広げる……それもニンポー、というものですか?」
「いや、単なるカラクリでござる。『雲隠れの屋敷』はニンジャの屋敷、様々な仕掛けがある故」
白塗りの壁の角に立つと、ニンジャは壁に手を添える。
するとくるりと壁の一部が回り、そのままスライドして部屋の片側に寄った。
それに引きずられて手元に来る壁を全て、まるでタオルを畳むように重ねていくと、壁の向こうにも畳が敷かれた部屋があり、倍くらいの広さになっている。
再びニンジャがそちらに敷かれた畳を踏むと、先ほどと同じように全て跳ねて、部屋の隅に積み重なる。
それをヒョイ、と6枚ずつ両手の上に乗せたニンジャは、別の方向の襖を開けて廊下にそれを出した。
二往復して24枚全部片付けたニンジャは、板敷きの部屋に見慣れたカーペットを敷いたり、ドレススタンドを立てたり、タンスを取り出したりと手際よくレイアウトしていった。
「少々気に入らぬが、ま、こんなものでござろう」
気づけば、ミスティカの部屋や衣裳室に置いてあったものが全て並んでいた。
歯ブラシまである。
ついでに、イスネのベッドと荷物も部屋の隅に準備され、最後にナイトテーブルにコトリと水差しと湯呑みが置かれる。
「……イスネ。これはどういうことです?」
「忍法ですねぇ〜!」
「そうではなく。何故わたくしの部屋のものが?」
「ニンジャにお嬢様の状況を聞いた後、必要なものを調達するからと屋敷に案内するよう言われましてぇ〜!」
「根こそぎ持ってきた、と?」
「選んでいる時間がないと言っていたのでぇ〜!」
ーーー泥棒なのですが。
しかもその片棒を担いだのが、自分の側付き侍女。
「イスネ。貴女には再教育が必要なようですね?」
「ええ〜!? ななな、何でですかぁ〜!? 私はこんなにもお嬢様のことが大好きですのにぃ〜!!」
「やり過ぎなのです!」
確かに助かる。
必要なものでもある。
が、ニンジャはあくまでも誘拐犯なのだ。
「今日は眠るが宜しかろうでござる。少々気持ち悪いかも知れぬが、もう明け方まで然程時間もない故、汚れ落としに関しては、明日の朝に風呂を準備するでござる」
言いながら二本指を立てて、『ニン!』とニンジャが言うと、昼夜が切り替わったのか一瞬暗くなった後に、天井に灯りの魔術に似た光がボッ! と音を立てて浮かぶ。
まるで炎のように青くゆらめいていて、少々不気味な印象がある。
熱はないようで、天井が燃える様子はなかった。
「……あれは?」
「『忍法:人魂』にござるな。肝試しやお化け屋敷に使う小細工でござるが、ちょうど良い明るさ故。半刻程すれば消えるでござる。では、御無礼」
シュッと音を立てて姿を消したニンジャに、ミスティカはイスネと見つめ合ってから。
「……眠る支度をしましょう」
「そ、そうですねぇ〜!」
ミスティカは、具体的なことは何も言わなかったけれど、多分、イスネと心は通じ合っていた。
あの底知れないニンジャ相手に、おそらく逃げても逆らっても無駄だろう、という部分で。
続きは明日の昼12時更新です。
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