お姫様だっこと、【ニンジャ伝説】。
二話目です。
視界の煙が晴れると、ミスティカが居るのはもう夜会の場ではなかった。
思わず思考を停止してしまったのは、外に居て青空が広がっていたからである。
―――何で昼間なのでしょう?
夜会が始まったのは、午後8時を過ぎてからだった筈なのだけれど。
「ここ……は?」
「『雲隠れの屋敷』でござる」
間近から聞こえた声に、ミスティカはビクリと肩を竦ませて目線を上げる。
あまりにも常識外れな出来事に吹き飛んでいたが、まだミスティカは腰を抱かれていた。
当然ながら、そこに見えたのはニンジャの顔。
額当てのついた黒頭巾に、口元を覆う口布。
その隙間から見える目つきは鋭く、瞳までも黒々としている。
とりあえず、疑問はあり過ぎてどれから聞いたら良いか分からないので、ミスティカは一番重要なことを口にした。
「……いつまで腰を抱いておられますの? 今の状況は、頬を叩かれても文句は言えないと理解しておられまして?」
「おっと、これは御無礼」
話が通じない訳ではないようで、ニンジャはするりと体を離した。
「ここに来るのに、触れている必要があった故、勘弁していただけると幸いにござる」
「……『雲隠れの屋敷』と仰いましたけれど。どうやってこんな所まで一瞬で移動しましたの?」
「忍術でござる。ニンニン」
「そもそも、何故昼なのです?」
「夜にすることも出来るでござるよ。ニン!」
右手の人差し指と中指を顔の前に立てて、ニンジャが気合を入れると、パッと暗くなった。
見上げると、星がない空が広がり、中天にポッカリと赤い月が浮かんでいる。
「ニン!」
もう一度ニンジャがそう口にすると、またパッと昼間に戻った。
そこで気づいたが空には雲がなく、やはり中天の同じ位置に、今度は黒い太陽が浮かんでいる。
ーーーええと。
あまりのことに、ミスティカが少々固まっていると。
「ここは『雲隠れの屋敷』故、現世とは少々違うのでござるよ」
そうニンジャが言い、微かに頭痛を覚えた。
ミスティカは一度こめかみに指で触れてから、また体の前で手を重ね直す。
ーーー考えるだけ無駄かもしれませんわ……。
やっぱりこのニンジャは話が通じない存在かもしれない、とミスティカは思っていた。
王国の熟練魔導士ですら、人を遠く離れた場所に移動するような魔術や、昼と夜を自在に変えるような魔術は使えない。
それを、まるで当たり前に出来ることのように言われても困る。
ミスティカはそんな風に思いつつ、周りを見回した。
後ろには人間の身長の三倍ほどもありそうな巨大な木造の門があり、金属製の閂で閉ざされている。
その左右には、門と同じ高さの木造の壁が広がっていた。
正面のニンジャとミスティカ自身が立っている土を固めた道は真っ直ぐに伸びていて、その左右は林になっている。
「ああ、ここからは逃げられぬ故、抵抗は無駄でござるよ! ミスチカ・サンは今、魔術も使えぬでござるし」
ニンジャは言いながら、指先に何かを摘んでこちらに示した。
それは、右手の小指にミスティカがつけていた指輪。
「……!」
体の前で重ねていた左手の指先で思わず小指を撫でるが、そこにはいつもの感触がなかった。
いつの間にか抜き取られていたらしい。
それは、魔術を発動する為の媒介……【呪玉】と呼ばれる、いわゆる魔導士の杖の代わりになるものだった。
貴族は14歳から入学する貴族学校の四年間で魔術を習うが、【呪玉】がなければ、どんなに優れた魔導士も魔術を発動することは出来ない。
―――【呪玉】はもう一つあるけれど……確かに、無駄かもしれませんわね。
ミスティカは胸元のネックレスを意識するが、相手はカーシィ殿下すら一瞬で出し抜いたニンジャである。
「そして御無礼。実はもう一度お体に触れ、抱き上げる形になるのでござるが」
「……それは何故ですの?」
「ここから屋敷に行くのに、足が少々悪いとお見受けするそなたに合わせて歩くと、おそらく一刻……こちらの数え方で、二時間ほど掛かるでござる」
言われて、眩暈がした。
ミスティカは、魔獣に噛まれた怪我の後遺症で走ることが出来ない。
歩くだけなら足を引きずったりはしないけれど、そんな長時間歩くとなれば、負担が掛かり過ぎて到着後に丸一日は動けなくなるだろう。
「だから、貴方に抱き上げられて、貴方が走ると?」
「左様」
「……どのくらいですの?」
「あー、こちらの言い方で五分程でござるかな」
ミスティカは目を閉じた。
自分の足で二時間歩いて、その後丸一日痛みに苦しむか。
このニンジャに五分間だけ抱かれる羞恥に耐えるか。
―――淑女として、そのようなことを、考えるまでも。
「ちなみに、某とミチスカ・サン以外この屋敷には誰も居らぬ故。全く見られる心配はない、とだけお伝えしておくでござる」
「……!!」
まるで心を読んだようなタイミングで、そう言われて。
ミスティカは数分の苦悩の末に、こう口にした。
「…………お願いしても宜しいかしら…………」
そのままニンジャにお姫様抱っこされて、運ばれた。
宣言通り、五分で屋敷には着いたけれど。
『見知らぬ男性に密着して抱き上げられている』という羞恥に晒され、着いた頃にはミスティカの顔は茹で上がったように真っ赤になっていた。
※※※
ミスティカ嬢がニンジャと共に消えた後、当然夜会は大混乱に見舞われた。
何せ、王太子の婚約者が誘拐されたのだ。
一部の貴族は本物のニンジャが登場したことに興奮していたが、流石にそれで盛り上がるほど無分別な者はいなかった。
カーシィは父王と協議した。
状況が分かるまで帰らすわけにもいかない貴族らを、一旦休憩室や客室に貴族らを引かせた後、兵を外に出し、宮廷魔導士らにニンジャの使った魔術を探らせたのだが。
「魔力の気配も見つからない……?」
「え、ええ。正確には、何らかの術式が発動した痕跡そのものは見つかったらしいんですが……」
側近で乳兄弟であるライディンは、ちょっと困ったような顔で報告してきた。
「大広間からどこにも移動していないと」
「馬鹿な……では、ミスティカ嬢はどこに消えたのだ……!」
魔術を発動すると、そこに魔力の残滓が残る。
魔力というのはこの世界に満ちている力であり、人以外にもありとあらゆる生物の中にも溜め込まれている『世界を形作る不可視の力そのもの』だと言われていた。
故に魔術を発動すると、発動者の周りに存在する魔力にしばらく『歪み』が残るので、その足取りを追えたりするのだが。
ニンジャの使った魔術……『忍法』だかなんだかで姿を消した先が分からないのだという。
ーーーいつもこうだ。あの時も、ミスティカ嬢が足を踏み出した時にすぐ、彼女の近くに行っていれば……!!
カーシィは、思わず唇を噛んだ。
実直で優秀だが、不測の事態に弱い。
それが、昔から近しい者が口にするカーシィの評価だった。
ミスティカ嬢が襲われたあの時だって、『百戦錬磨』の神の祝福を得た時から鍛えていたカーシィは対処出来た筈なのだ。
しかし予想外の事態に、思わず固まった。
昔と同じように。
『殿下!』
というミスティカ嬢の、魔獣に襲われた時に上げた叫びは今でも鮮明に思い出せる。
必死の表情で胸を押され、代わりに彼女が後ろから来た魔獣に引き裂かれるところまで。
忘れるわけがなかった。
ニンジャの動きそのものも、カーシィは目で追えていた。
だが、自分は何も変わっていない。
また、守れなかったのだ。
「クソッ……!」
婚約者となった時から悪辣に振る舞い始めた彼女だが、その内心をカーシィも、そしてきっとスウィ嬢も気づいていた。
天真爛漫だったミスティカ嬢が、最初は怪我のせいで自暴自棄になってしまったのかと思っていたが、そうではないとすぐに分かった。
きっと彼女自身は、気づいていないのだろう。
こちらに悪態を吐く時に、手に握る扇が少し震えていたことも。
貴族学校で時折、近寄らせないようにしているスウィ嬢を……切なそうな、罪悪感に満ちた目で眺めていたのを、カーシィに見られていることも。
そんなミスティカ嬢との婚約を解消して、信頼出来る誰かに預けた方が良いのかと悩んだこともあった。
だが、国内にはいなかった。
数家しかない侯爵家や公爵家の中には、釣り合う年齢の者がいないか、既に婚約者がいて。
伯爵家の中でも、残っているのはあまり人間的に信頼の置けない者らばかり。
残りは、信頼出来ても下位貴族まで家格が落ちる。
ミスティカ嬢が気にするしないに拘らず、『王太子と婚約を解消され下位貴族にまで落ちた』と、口さがない者らの的になるのは目に見えていた。
彼女が自分を愛していないことは分かっている。
カーシィ自身も同じだった。
自分達の間にあるのは、あくまでも友愛で。
14歳からの4年間は、お互いに罪悪感がそれに加わっていた。
自分のふがいなさを謝ったところで、ミスティカ嬢はより気にするだけ。
それでも彼女とであれば、良好な関係を築けると思っていた。
だから、一度は全てを話さなければならないと思っていた。
この夜会の後、カーシィは婚姻の話をすると同時に、どう考えているのかを話し、彼女から聞き出そうとしていたのだ。
ーーー私は、間違っていたのか。
だが、他にどう出来たというのだろう。
頭をぐるぐると、思考が巡る。
そんな今の状況を全く打開するのに役に立つ訳でもない内省ばかり、している場合ではないというのに。
「どこに消えたのだ……」
何か、方策は。
そうカーシィが思ったところで。
「しかしあれが……本物のニンジャなのですね……」
ポツリと、どこか感慨深げな呟きを聞いて、カーシィは側近に目を向ける。
「ニンジャを詳しく知っているのか? ライディン」
「あ、いえ。ですがオレも【ニンジャ伝説】の読者なんで……」
ちょっとバツが悪そうに目を逸らす彼に、ふと、カーシィは思いついた。
【ニンジャ伝説】が貴族男性の間で流行っているのは知っていたが、読んだことはなかったのだ。
「すまないが、ライディン。私に、本を貸して貰えないか」
その書物に、何かヒントになる情報でもあれば、と思ったのだが。
「へへ。こんなこともあろうかと、既にご用意致しておりますよ」
―――こんなこともあろうかと? どんなことだ?
こんな事態になることを予測していたのなら、逆に問題である。
乳兄弟であるライディンが万一にも裏切るような人間ではないことはよく知っているが、黒幕側の協力者と誤解されても文句は言えない程だ。
彼から本を受け取ったカーシィは、パラリとそれをめくった。
次話は夕方17時更新です。
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