ニンジャ!?
「……上手くいった?」
「バッチリですよぉ〜……!!」
テスタムの王城に全員で戻り、事情説明の為に、皆様が陛下への謁見をしに行っている間。
外で待つライディンは、サルピス侯爵令嬢付き侍女のイスネとコソコソと会話を交わしていた。
ーーーいやマジで良かった。
ライディンとイスネは深い付き合いがあった。
そのきっかけとなったのが、【ニンジャ伝説】である。
サルピス侯爵令嬢と共に王城には来ていたので顔は知っていたものの、話すことはほぼなかった彼女だが、偶然【ニンジャ伝説】フリークとして交換会に参加しているのを見つけたのだ。
その後、お互いの深いニンジャ知識に同志と認め合ったイスネと、こっそり手紙のやり取りをする関係になっていた、のだが。
その手紙で、イスネが珍しく【ニンジャ伝説】関連以外の話を書いてきたのである。
『お嬢様が、何だか悲壮な顔をしています。夜会で何かを起こすかもしれません』、と。
ニンジャと同じか、それ以上にサルピス侯爵令嬢に理解が深いイスネの言葉である。
それを、カーシィ殿下に伝えるかどうかを迷っていたところに現れたのが、ニンジャだった。
『ニンニン。御無礼でござる』
突然、夜にライディンの自室で背後に立った、本物のニンジャ。
出会えたことに感動して泣き崩れるライディンに、彼は『一度顔を合わせたワズナの皇太子でござる』と素性を明かして協力を求めてきた。
『ミスチカ・サンに何事か起これば、某が助ける故。その後、かつて彼女が魔獣に襲われた辺りの草藪に、このクナイを立てるでござる』
そう言って、前にも見たことのある刃物を渡されたのだ。
万一の場合に備えて、とイスネにも協力を要請することをニンジャと相談し、手紙で日時を伝えて彼女とも接触して貰った。
事が起こった後、【ニンジャ伝説】にカーシィ殿下を誘導したのも、わざとである。
乳兄弟であるライディンは、彼がどんな性格をしているかちゃんと把握しているのだ。
真面目過ぎる彼が不利益を被らないように、裏で色々やるのもライディンの仕事である。
ーーーでもこれ、バレたら処刑だよなー。
相手がワズナ皇太子で、かつサルピス侯爵令嬢を救う為とはいえ、従者と侍女が誘拐に加担しているなどと知れたらどんな罰が与えられるか分かったものではない。
これは、ライディンとイスネが墓場まで持っていくべき秘密である。
「話し合いも上手く行って、全部丸く収まったら良いなー」
「本当に……アレがうっかり口を滑らせないかだけが心配ですぅ〜……」
どうやらライディンより接触する時間が長かったイスネは、ニンジャの性格にちょっと不安があるようだった。
「本物のニンジャは、どうだった?」
「悪い人ではなかったですけどぉ〜、ムッツリですぅ〜」
「……は?」
唇を尖らせるイスネの言っている意味が分からず、ライディンは首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですぅ〜。……あ、それより【ニンジャ伝説】のことなんですけどぉ〜」
と、彼女に伝えられた衝撃の事実に、ライディンは大きく目を見開いた。
「皇太子殿下が、【ニンジャ伝説】の作者……!? 何でそれを早く言わない!? サインを貰わなけば……!!」
「落ち着いてください。バッチリ、報酬がわりに貰えるように交渉してありますぅ〜」
「流石だ我が同志よ……!」
まさかニンジャが、【ニンジャ伝説】公式だとは思わなかった。
だがそうなると、一つだけ疑問が残る。
「なぁ、イスネ」
「何でしょう〜?」
「作者本人なのに、何で【ニンジャ伝説】には『ござる』口調のニンジャがいないんだ?」
むしろ、真っ先に出てきそうなものだと思ったのだが。
するとイスネは、事もなげに肩を竦める。
「あのニンジャ、ムッツリな上に人見知りらしいんですよぉ〜」
「……それが、今の話に何の関係があるんだ?」
「分かりませんかぁ〜?」
まだまだですねぇ、と、イスネがふふん、と鼻を鳴らす。
「自分を主人公に小説を書くのは、流石に恥ずかしかったんじゃないですかぁ〜?」
※※※
その後。
かなり長時間の苦言を陛下にいただいた上で、許されたミスティカ達は……王城の応接間で休憩していた。
何せ屋敷に帰っても、部屋の私物は根こそぎ『雲隠れの屋敷』にあり、戻すまでどうしようもない。
婚約解消の手続き等でカーシィ殿下や父侯爵は別室、スウィは『無病息災』の祝福を授かったと聞きつけた教会の大司教と面会している。
この場にいるのは、ニンジャと自分、そしてイスネだけだった。
「ミスチカ・サン。一つお伺いしたいことがあるのでござるが」
「何でしょう」
黒装束のまま、どっしりとソファに腰掛けているニンジャに声を掛けられて、ミスティカがそちらを見ると。
「この国の『祝福』というものについて、なのでござるが」
「はい」
「一体どういうものなのでござる?」
あまりにも普通のことを問われて、ミスティカは目をパチクリさせた。
が、異国の彼が扱う『忍法』というものをこちらも知らないので、ニンジャも知らないのだろう。
「女神の『祝福』は、教義においては『その人の人生において、助けとなるであろうもの』が与えられる、と言い伝えられておりますわ」
「助け、でござるか」
「ええ。そうしてわたくしには『看破』の力が与えられたのです」
ミスティカにとっては呪いでしかなかったこの力が、何故与えられたのか。
そしてスウィに与えられた『無病息災』の力が、何故つい先ほどまで発現しなかったのか。
「知る限り、その『祝福』がミスチカ・サンの人生を豊かにした力とは思えぬでござるが」
「そうですわね。人生において助けになる、というのがどういう意味なのか……今までは分かりませんでしたが、今なら分かる気が致します」
「ふむ?」
首を傾げるニンジャに、ミスティカは微笑む。
「教義にはこうもあります『神は試練を与え、乗り越えた者に最も豊かな幸福を与える』のだと。それによって豊かになるのは、わたくしのみならず、わたくしの周りの人々の人生も、なのでしょう」
遠回りをし、すれ違いはしたけれど。
今この時だけを見れば、そう、今の状況は幸福と呼んで差し支えない形に落ち着こうとしている。
この『看破』の力は、近しい者であればある程、その心の内から発せられる感情を識れるもの。
けれど。
「わたくしが『看破』するのは、強い気持ちであればある程、親しくなくとも容易いのです。たとえば人だけでなく、魔獣に襲われた時も……いきなり現れた強い殺意を識ることがなければ、カーシィ殿下をお助けすることは叶いませんでした」
その後にしたって、そう。
「あの件があったから、貴方はわたくしを気に入って下さった。違いまして?」
「そう言われれば、そうとも取れるでござるな」
「そしてカーシィ殿下とスウィの、お互いへの強い想いを……そしてわたくしに向けられる想いを知っていればこそ、苦しかった。けれど、それを知り、あのように振る舞ったからこそ、今があります」
婚約破棄を宣言し、破滅することを決意して。
あの場に立ったからこそ、ニンジャとして彼が現れたのだ。
あまりにも破天荒な方法で、全てを引っ掻き回して、しかしミスティカと大切な人々を助けてくれた、彼が。
「貴方のことを、わたくしはどう呼べばよろしいですの? クサナギ殿下と?」
もう、内心を圧し殺す必要がなくなって。
自分で自分に嵌めていた枷が失われたミスティカは、ちょっと茶目っ気を含んだ笑みを浮かべる。
「それとも、今まで通りにニンジャと?」
「どちらでも構わぬでござるが……そう、ニンジャと呼んでくれる方が嬉しい、ように思えるでござるな」
どこかちょっと照れているような様子で、ニンジャが口布と頭巾の間から覗く目を逸らす。
「正体を明かした以上は、今後ミスチカ・サンのみの呼び名故。ちょっと特別感があって良いでござる」
言いながらチラリとこちらを見たニンジャは、少し視線を彷徨わせてから問いを重ねた。
「しかし、その」
「はい」
「何故、某にそのように、親しげに接してくれるようになったのでござるか?」
ミスティカは、その問いかけで逆に、自分が彼に対してそのように振る舞うようになっていることに気づく。
自覚がなかった為、横にいるイスネに問いかけた。
「そうなのですか?」
「そうですねぇ〜、雰囲気が柔らかくなりましたねぇ〜! それにちょっと、昔のお嬢様に戻ったような感じですぅ〜!」
「なるほど」
言われてみれば、そうかもしれない。
たった1日一緒にいただけなのに、ミスティカはこの珍妙なニンジャに気を許してしまっているのだ。
心当たりは、ないこともない。
ーーーだって。
ミスティカはちょっと照れながら、彼に話しかける。
「わたくしの『看破』が一番力を発揮するのは、自分に向けられる想いに対して。そして、わたくしが心を開いた相手に対して、ですのよ」
ニンジャに、少しだけ心を開いた時から。
あの浴場の更衣室で激情を見せて言い合いをした時から感じるようになっていた、ニンジャの気持ち。
「その……そんなに一途で深い好意を向けられたのは……貴方が、は、初めてですの……」
何せ、ずっと感じるのである。
ミスティカにニンジャから向けられている好意は、ちょっと目を向けたり意識を向けたりすると、どんどんどんどん心に入り込んでくるのだ。
異性に、そんな愛情を向けられたのは、ミスティカにとって初めての経験である。
「……!」
ミスティカの発言にピシリと固まったニンジャは……直後に、フッと姿を消した。
「ニンジャ?」
「そのような不意打ちは、反則でござる!! 某の気持ちを悟られている……!! 何という気恥ずかしさ……!! しばらく姿を見せることが出来ぬでござる!!」
「……わたくしに与えられたのはそういう『祝福』なのですから、仕方がないでしょう」
別にミスティカも、好き好んで識っている訳ではない。
しかも、多分副次的な要素なのだが、意識を向けるとニンジャがどこに潜んでいるかまで分かってしまう。
彼はなんと、ミスティカの影の中にいた。
あの時も多分、そんな風にして潜んでいたのだろう。
「観念して出ておいでなさい。また行方をくらませていては騒ぎに……」
と、ミスティカが言いかけたところで、廊下の方から二つの足音が響いてくる。
「失礼する!」
ノックの時間も惜しいと言わんばかりの勢いで飛び込んで来たのは、ライディンを伴ったカーシィ殿下だった。
「クサナギ殿下はどこに行った!?」
「一応、部屋の中には潜んでおられますけれど、どうなさいましたの?」
ライディンは引き攣って青ざめている。
カーシィ殿下は、何だか額に青筋が立っている気がした。
「聞こえているのだな!?」
「ええ」
「なら説明しろ! 今、皇国から早駆けで書状が届いた!」
と、彼がバン! と指先に力が入り過ぎてちょっと皺が寄った紙を掲げる。
「皇太子が出奔したと! 貴殿まさか、供も連れずに独断でここまで来たのか!?」
「「は!?」」
「む?」
シュッ! と影の中から出てきたニンジャは、腕を組んで小首を傾げた。
「『野暮用故、しばらく出る』と書き置きを残してきたのでござるが」
事もなげにあっさり肯定した彼に、ミスティカは目眩を覚える。
ーーー皇太子が、一人で、国を……?
それで何かあったらどうするのか。
このニンジャ、やはりどこかおかしい。
ミスティカが連れ添う相手は……共に歩むこの先の道のりは、まだまだ前途多難なようだった。
「ニンニン」
当の本人だけは、いつでも能天気なようだが。