婚約破棄の場に、ニンジャ!?
「ねぇ、殿下。わたくし、貴方との婚約を破棄したいのですけれど」
「……ミスティカ嬢」
夜会の席でそう告げたサルピス侯爵家令嬢ミスティカの言葉に、カーシィ・テスタム王太子殿下は渋面を浮かべた。
「出来るわけがないだろう」
精悍な美貌を持ち、誠実と名高い王太子殿下は、学業も優秀で剣術の腕前も高位の騎士に劣らぬと非の打ちどころのない人である。
けれど、ミスティカにとっては。
「だって貴方、退屈なんですもの」
扇を広げて傲然と告げた言葉に、夜会の場がざわめく。
―――あまりにも明確な不敬。
幾ら侯爵家の令嬢といえど、普通なら看過されはしない。
カーシィ殿下とミスティカは、対外的には『見た目はお似合い』と言われていた。
白銀の髪に紫の瞳を持つミスティカと、金の髪に金の瞳を持つカーシィ殿下。
けれど、そんなものは本当に見た目だけだ。
なのに、王太子殿下は。
「……それでも君は、私の婚約者だ。それは覆らない」
どこまでも誠実な言葉に、ミスティカは鼻を鳴らした。
「でも殿下は、スウィに気持ちを寄せているでしょう?」
そう告げると、さらに場がざわめいた。
「ミスティカ!」
そう声を上げたのは、今名前を挙げた張本人。
ティオ侯爵家令嬢であり、桃色の髪に銀の瞳を持つ小柄な少女、スウィである。
「話しかけないでちょうだいな。この『無能』が」
ミスティカが冷たく告げると、彼女は息を呑み、それから目を伏せる。
この王国では、12歳になると教会で洗礼を受ける。
その際に神から1つ、祝福を授けられるのだ。
たとえば、カーシィ殿下なら『百戦錬磨』の祝福。
体を鍛えれば鍛えるだけ頑丈になり、武具を扱う技量も他者とは比較にならない程に飛躍的に成長するというもの。
たとえばミスティカなら、『看破』の祝福。
忌々しくも、人の内心や隠している秘密などが時折分かってしまうもの。
個人的には呪いでしかない。
その力で、二人が今でも想い合っていることなどとっくに知っているのである。
スウィは、洗礼の際に祝福を与えられなかった。
仮にも侯爵家令嬢なので、表だってそれを悪し様に言うものはいない。
彼女の人柄の良さから、身近な者達もそれについて触れることはない。
言うのは、ミスティカだけだ。
「私は、スウィ嬢と二人きりで会ったこともなければ、君の言うような話をしたこともない。彼女の名誉に誓って、我々の間は何もない」
それはそうだろう。
この律儀な殿下は、ミスティカがいるのにそんな事は決してしない。
スウィも同様に、婚約者のいるカーシィ殿下に色目を使ったりするような女ではない。
ミスティカの知る限り、誰よりも心優しく分別を弁えた二人なのだから。
だからこそ、耐え難いのだ。
二人は、ミスティカの幼馴染みである。
高位貴族の社会は狭いから。
王家、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と連なる貴族家の中でも高位貴族と呼ばれるのは、王家とその血を継ぐ公爵家を除いた、侯爵家と伯爵家だけ。
侯爵家は数家しかなく、そのすぐ下にある伯爵家でも、20家程。
後は全て下位貴族だ。
高位貴族の中でも、家柄と年齢両方が釣り合う令嬢は同い年のミスティカとスウィしかいなかった。
ミスティカは昔……まだ婚約者になるより遥か前に、それぞれ聞いたことがある。
『殿下は、スウィのことをどう思っておられまして?』
『ああ、とても可愛らしい子だと思うよ』
まだ何のしがらみもなかったあの頃に見せた、照れ臭そうなカーシィ殿下の顔。
『スウィは、殿下のことをどう思っておられますの?』
『その……とても、素敵な方だと思っていますわ』
親友として、ずっと一緒にいた頃の、恥じらうようなスウィの微笑み。
だから、きっと二人が添い遂げるのだと、そう思ったのに。
応援しようと、思っていたのに。
それを壊したのは、ミスティカ自身だった。
「これだけ言われて、まだ我慢なさいますの? 殿下には被虐の趣味がおありなのかしら。王家の威信に関わりましてよ」
「そもそも、スウィ嬢には異国の皇太子殿下との縁談が持ち上がっている。仮に君の言葉を真実だとしたところで、私と彼女が結ばれることはない」
ご立派なことだ。
そんなに苦しそうな目をしているのに。
そもそもカーシィ殿下が婚約したのは、決してミスティカが優れていたからでも、スウィが『無能』だったからでもない。
ミスティカの背中と足に刻まれた、傷のせいである。
14歳の時、王家主催の昼のパーティーがあった。
それに出席する為に、スウィよりも早めに王城に着いたミスティカがカーシィ殿下と話していると、突如犬のような魔獣が二匹出現して、彼に襲いかかったのだ。
咄嗟に殿下を突き飛ばして庇ったことで、背中を引き裂かれ、足に噛み付かれた。
気絶し、目覚めた時は王城の一室で、傷からの発熱と怪我の大きさでミスティカは動けず……怪我が癒えた時には、全てが終わっていた。
王城内に魔獣が出現したことが警備の油断であっても、何者かの策略であっても、貴族が集うパーティーの日にそんなことが起こったと公表する訳にはいかない。
王家の威信に関わる醜聞である。
そしてミスティカの負傷が名誉なものであっても、体に大きな傷跡が残った令嬢を娶りたいと望む貴族は非常に少ないのは目に見えていた。
おそらくは侯爵家に恩を売ったり、繋がりを作りたい者ばかりになるだろう。
律儀で義理堅い殿下が、責任感でミスティカを選んだのか。
あるいは王家と侯爵家当主であるお父様との間で、何か取引があったのか。
両方だということを、その後に『看破』の力で知った。
だからミスティカは、貴族学校でも、パーティーでも、そして成人後に参加し始めた夜会でも。
事あるごとにカーシィ殿下に当て擦り、スウィを貶め、悪辣に振る舞った。
いずれ二人が愛想を尽かすだろうと思ったから。
そして貴族達の間でもミスティカが王太子妃に相応しくないという気運が高まれば、王家とてそれを無視は出来ない。
なのに、カーシィとスウィは決して、ミスティカを悪くは言わず、耐え続けた。
4年もの間、ずっと。
もう18歳になったというのに。
限界である。
このままでは、婚姻の準備を進められてしまう。
親友のスウィから想い人を奪い婚約者の座を得たミスティカが、彼と結婚することになってしまう。
父は再三の婚約解消の要請を、王命と体の傷を盾にして決して首を縦に振らなかった。
分かっている。
娘が王太子妃になるという欲に目が眩んでいるのではなく、それが最もミスティカが幸せに生きられる道だと、固く信じているだけだと。
分かってしまう。
自分の力は、身近な者であればあるほど、心を通わせれば通わせるほど、その秘密を『看破』してしまうのだから。
皆の気持ちが清ければ清いほどに、その気持ちはミスティカを追い詰めた。
誰も彼もが善意から道を作る。
地獄への道は、正に善意で舗装されていた。
ミスティカさえいなければ、きっと全て上手くいくのに。
自分のせいで。
この傷のせいで。
だからもう、これで終わりにするのだ。
そう、ミスティカが口を開こうとした、ところで。
「ニンニン」
と、珍妙な言葉が聞こえた。
「……?」
皆が一斉にそちらに目を向けると、いつの間にそこに居たのか、黒装束の何者かがそこに立っていた。
「話し合いの最中、御無礼でござる。どうも、ミスチカ・サン」
「……どうも」
いきなり訛りのある声音でそう呼ばれて、思わず返事をしてしまったが。
「どなたですの?」
「ニンジャにござる。ニンニン」
その言葉に、一部の貴族がざわめいた。
『ニンジャ!? あの【ニンジャ伝説】に記された!?』
『極東に住むという超人……!!』
『凄まじい技能を持つ伝説の存在が……!?』
『なぜこのようなところに!?』
声を上げているのは、男性達だった。
【ニンジャ伝説】というのは、最近男性の間で大流行りしている、書物のタイトルだ。
残念ながら、ミスティカはその中身を知らないのだけれど。
「……そのニンジャが、どのような御用かしら?」
相手が誰であろうと、部外者は部外者である。
さりげなく足を踏み出して、ミスティカはカーシィ殿下を庇うような位置に移動した。
危険な人物であるなら、王族を守らねばならない。
「某が用があるのは、ミスチカ・サンでござる」
「わたくし?」
「左様! 某、そなたの悪辣さ、堂々とした立ち振る舞いに心を奪われたでござる! そのお命、是非お預かりしたく!」
「は? ……は?」
そうしていきなり、目の前からフッと消えたニンジャは……次の瞬間ミスティカにピッタリと寄り添っており、その腕で腰を抱かれていた。
―――!?
淑女の体にみだりに触れるなど、とミスティカが驚愕に目を見開くと。
「彼女の身柄、頂戴致すでござる! さらば!」
「なっ……待て!!」
カーシィ殿下が剣を引き抜きながら、一歩を踏み込むのと同時に。
「〝忍法・雲隠れ〟!」
ドロン、という謎の音と共に、ミスティカの視界は白い煙に包まれた。
ハッピーエンドです。コミカルですがちゃんと異世界恋愛です。
次話以降は本日昼12時、夕方17時更新です。
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