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ぼくの罪ときみの裁定

作者: 魚河岸

 ふとぼくは辺りを見回す。

 気がつけば暗がりにぼくは立っていた。

 それまで何をしていたんだったか記憶が曖昧で、ともすれば布団に入って寝ていた気もする。

 つまりこれは夢なのだろうか。

 いや、それにしては妙な現実味があった。


「ようこそいらっしゃいました」


 背後から声をかけられた。

 振り向けばそこには黒い布を纏った少女がいた。

 少女の後ろには長い階段があり、その先に大きな扉がある。

 ぼくはゴクリと息をのむ。

 声をかけられるまで気配がないどころか急に現れたこと用に感じだことにも驚いたが、なによりぼくにはその長い階段が断頭台への階段に思えてしまったのだ。

 もしそうならば彼女は執行人といったところだろうか。

 そんなその場の空気に飲まれているぼくを気にもせず彼女は続ける。


「ここは審判の間。罪人であるあなたの罪をはかる場所です」


 ふと聞き捨てならないことを聞いた気がした。

 ぼくが罪人だって?

 ひどい誤解だ。

 ぼくは慌てて言い返す。


「ぼくは品行方正とまではいかないけど、犯罪はもちろん刑事事件になるようなことはした覚えがないけど」

「いいえ、あなたの罪はそういったものではありません」

「ふーん、ならどういった罪なのさ」

「あなたの魂に刻まれた罪です」


 なるほど、魂ときたか。

 あまりの現実味のなさに少し笑ってしまう。

 いよいよもって夢幻として切り捨ててしまったほうが楽な気がしてきた。

 だが、それならそれで良い経験として流れに身を任せるのも悪くないかもしれない。

 まずはここがどこなのかはっきりさせよう。


「ここは夢の中なのかな。それとも、ああ死後の世界っていうのもアリか」

「そうですね。そのどちらでもあり、どちらでもないというのが正しいでしょう」

「というと?」

「あなたの罪によってはこのまま死という罰が下るかもしれませんから」

「それは物騒な話だな」


 少女は大きな扉の先を見つめるようにして言った。

 扉の先は死後の世界なのだろうか。

 つまりことと次第によってはベッドの上でポックリとか突然死があり得るということだ。

 まあ、夢なんだろうが。

 そうなると俄然ぼくの罪というものが気になってくる。

 なにしろぼくの今後が関わってくるのだから。


「もう一度言うけどぼくに罪の意識はないんだ。ぼくの罪っていうのはなんなんだい?」

「あなたの魂にあなた自身が刻んでしまったものです」

「それは……なんとも抽象的な」

「あなたが人の営みの中で自身に刻み込んだ想念や欲望。あなた自身が罪だと思っている何かがあるはずです」

「それは、例えば七つの大罪みたいな?」

「わかりやすい例とすればそうです」


 そこまで聞いて何かが心のなかで引っかかった。

 いままでそうとは思わなかっただけで、目をそらしていただけでずっと存在していた疑問のようなわだかまり。

 氷解するようにそんな何かが首をもたげてきた気がした。

 少女は一息つくと、そんなこちらを見透かすように見つめて言う。


「あなたは一体なぜ自身を罰したいと思っているのですか」


 その言葉で一気に視界が開けた気がした。

 ああ、何故罰したいのかなんて決まっている。

 そうすることで楽になりたいからだ。

 この罪は誰にも裁いてもらえなかったからだ。

 なら聞いてもらおうか。


「きみは裁判官かなにかなのかな。ぼくの罪をはかってくれるの?」

「厳密には違いますが、似たようなものです。裁判官でも閻魔さまでもなんとでも。私があなたの罪をはかりましょう」

「なら、少し長いけど聞いてほしい。ぼくの人生の話だ」

「それが罪に関係しているのですね」

「ああ、ぼくの罪は『怠惰』だ。『傲慢』も少し入ってるかもしれない」


 その前置きを言って、近くに腰を下ろす。

 ぼく1人分の人生を語るのだから長いが、中身がすっからかんなので短い話。

「なにもしなかった」というのを大仰に話すだけ。

 まずは何から話すべきか考え、静かに少女に語りだす。


「ぼくはね、小学校くらいのときはできる子だったんだ。まさに『やれば出来る』って言葉をそのまま形にしたような子供でね」

「優秀だったのですね」

「いいや、今考えればそんなことはないんだ。誰かに怒られることが嫌いでね。言われた通りのことをしていた。ただそれだけだった」

「それは真面目で優秀なのではないのですか?」

「ああ、違う。ぼくは自発的に何かをやってはなかったんだよ」


 そう、自分では何もしようとしなかった。

 ただ言われたことをこなしていれば怒られることがないということを知っていたから、怒られないようにしていただけ。

 そういった意味では賢いというか小賢しいと言えるかもしれないが、この後のことを考えれば頭が良かったわけでないのだろう。

 とにかく、結果を出そうという感情。それにともなって努力するという行為をぼくはしてこなかった。知らなかったと言い換えてもいい。その結果は少しずつ表面化していた。

 わかりやすいのは運動方面だった。

 運動や競技は反復練習が物を言う。

 センスの問題があるかもしれないが、結局のところ土台には努力があるのだ。

 努力を知らないぼくが到底敵うはずもなくドンドン置いてかれた。

 だというのに、ぼくはまだその時の体裁の良さにあぐらをかいて努力というものをしなかったのだ。

 そのツケを後で払うとも知らずに。


「小学校を卒業しそうな頃、少しずつ拙いなと感じ始めたんだ」

「それはどうしてですか」

「どんな面においてもかなわない子がいたからさ」

「それは、仕方のないことでは?」

「うん、かなわない事自体はどうでも良かったんだ。問題はその子が努力の子だったことなんだ」


 その子はまさに努力の子というに相応しい存在だった。

 塾に通い成績優秀。真面目で努力家。運動神経抜群でソフトボールなんかもやっていた。

 今思えば嫌味なほど完璧超人だが、当時今ほど捻くれていなかったぼくは漠然とした不安を抱えていた。

 その子を見ているとなにか自分が間違っている気がしたのだ。

 ああとまでは成れなくとも、あの子の何かを見習わなくてはなにか手遅れになる気がしていたのだろう。

 その不安の正体を当時は掴めなかったが。


「まあ、そんな不安を抱えていたのに何をすればいいのかわからず時が経ち、中学生になった。なってしまった」

「何かあったのですか」

「ああ、すごい勢いで落ちこぼれたんだよ」

「それは……」

「ああ、特に事情があったわけでも、進学校で周りのレベルが高かったわけでもない。努力をしなかっただけだ」


 小学校と中学校では勉強ですら少し事情が違う。

 いや、当時の話だから今となっては小学校のうちからぼくみたいなのは落ちこぼれるかもしれないが。

 まあ、そこはいいや。

 とにかく勉強についていくのが辛くなり始めた。

 ずっと上の方にいたぼくはいつの間にか中の下が関の山になっていた。

 これに関して落ちこぼれというほどではないという人もいるかもしれないが、ぼくにとってはそれくらい衝撃だった。


「まあ、ショックでね。ひとしきり悩んでどうにかしようとした結果、どうにもならないことに気がついてしまったんだよ」

「学力に関しては勉強をすればいいのでは?」

「うん、そうだね。でもねぼくは、勉強の仕方を知らなかったんだ。自分で学習する方法がわからなかったんだ」

「――――それは」

「うん。授業とかに参加して習うことはできた。でも自習するような努力をする方法をぼくは知らなかったんだよ」


 これは致命的だった。

 勉強とは授業を受けるだけではなく、自身で復習して初めて理解できるのだと誰かが言っていた。それに習えば、ぼくは授業を受けているだけで理解はできていないことになる。

 事実ぼくは授業を受けている中で理解できないことがあっても、授業の進行についていくため理解できていない状態で次に進んでいた。

 要するに虫食い状態だったのだ。

 こんなものすぐに破綻する。

 結局ぼくは周回遅れの学力に振り回されることになる。


「部活にも入ったんだけど、努力ができないからまあ、身が入らない」

「楽しくはなかったのですか」

「楽しくはあったんだけどさ、周りが努力を重ねている中でぼくだけはどこか浮いているような、馴染んでいるのに他人事のような感じがずっとしていたんだよね」


 そんなこんなで中身のない中学時代が終わった。

 高校生に無事成れはしたが、似たようなものだった。

 どこか浮いているような空虚な感覚のままドンドン時は流れる。

 そして、もはや完全に手遅れになった。


「ぼくはさ、大学に行こうってなった時初めて気がついたんだよ。いや、そこまで気が付かなかったってのが正しいか」

「一体何に気がついたのですか」

「ぼくには特技も趣味もなかったんだ」


 すべてが時間つぶし。

 誰かに誇れるような特技も、没頭できるような趣味もぼくにはなかった。

 自己PRなんて何を話せばいいのかもわからない。

 言われるがまま生きてきたのだ。

 自分の中身なんて無いも同然。

 すべては努力というものにつながっているのだと思う。

 もっと上手くなりたいから努力して特技になる。

 もっと知りたいから努力して趣味になる。

 そういった物を持っている人たちは人生を楽しそうに生きている。

 方やぼくときたら。


「大学は卒業したのに、何がしたいのかもわからず日々フリーターとして生きているんだぼくは」


 一応それなりに過ごせているので、誰かに文句も言われない。

 いや、違うな。

 大人として扱われているから、誰にも怒られない。そもそも興味もないのだ。

 だから断罪されることもない。

 なら一生ぼくはこのままなのだろう。


 気がつけば長いこと話していた気がする。

 傍らでは少女が静かに、見透かすようにぼくの言葉を聞いていた。

 なんというか壮大な自分語りをしてしまった。

 次第に恥ずかしくなる。


「まあ、だからぼくの罪は『努力ができない』という怠惰の罪なんだ」


 強引に結論づけ、話を終わらせる。

 なにもかもさらけ出してしまった。

 懺悔とはこういったものなのかもしれない。

 少なくとも少女にはそうさせるなにかがあった。

 すべてを包み込むような優しさはないが、叫び声がそのままこだまするような爽やかな無機質さがそこにはあったのだ。

 しかし、自身の告げた言葉でハッとする。

 この場は審判の間。

 自身の罪を裁定されるのだ。

 体がこわばる。

 どれだけ誰かに裁いてほしいと思っていても、一定の恐怖はどうしてもあるものだ。

 少し間を置き、少女が口を開いた。


「あなたはもう、罰を背負っているのですね」

「はぁ?」


 予想外の言葉に、間髪入れず口を挟んでしまった。

 でも、仕方ないだろう?

 一体何が罰だというのか。


「ぼくは罰せられた覚えがないよ」

「いいえ、あなたは罰を背負っています。だってあなたは、そんなにも自信がない」

「――――自信」

「はい。自信とは積み重ねた努力や成功体験によって培われると聞いています」


 あれだけ努力したのだから自分には力がついているだとか、勝利したのだから合格したのだから自分はすごいみたいな感じだろうか。

 しかし、努力に関してはわかるが成功体験がないということはないのではないか。

 一応大学合格とかしてるわけで。


「いいえ、あなたに成功体験はありません」

「それはなぜ?」

「だってあなたは、言われたことをこなしただけなのでしょう? それはあなたの成功体験ではなく、あなたの道を決めたものの成功体験です」

「それは……」


 それは屁理屈ではないかという言葉が出かけるのと同時に、なんとなく腑に落ちる。

 確かに言われるがままに進路を決め、そのまま合格した。

 それは決められたレールを滑り落ちるようなもので、所謂大きな壁を乗り越えるような体験ではなかったように思える。

 なら、そこまではいいとして、どこがどう罰なのか。


「あなたが抱えていたわだかまりは自身の無さからくるものです。あなたの人生や人格を支える体験があなたにはなかった」

「ああ、それは間違いない。ぼくには中身がない」

「はい。そしてそれは一生変わらないでしょう。あなたはその空虚を抱えていくのです」


 その言葉に不安になる。

 このどうしようもない感情を晴らすすべはないのだと言われたのだ。

 なら今すぐこの人生を終わらせてしまいたい。

 楽になれるのなら、それが一番なのではないかと頭によぎる。

 そんな中少女は祈るように手を合わせ、無機質にぼくに告げた。


「あなたは不安なまま、それでも懸命に生きて行くのです。それがあなたの罰なのです。この扉の先にあなたの安寧は存在しません。」


 その言葉はなぜかぼくには本当に祈りのように聞こえた。

 救いのない言葉なのに自然と心が軽くなる気がした。

 不安があってもあなたは生きていけるのだと、懸命に生きていける人間であると認めてくれているような気がしたのだ。

 ぼくの代わりにぼくを認めてくれているようなその言葉はどこか祝福を感じさせた。

 ぼくは口の中で言葉を反芻させ、力なく笑いかけながら彼女に問いかける。


「生きるしか無いか」

「はい」

「そりゃひどい罰だな」

「そうですね」

「――――ならがんばらないと」


 自然と立ち上がっていた。

 少女は少し驚いたように目を見張っている。

 初めて少女の表情が変わった気がして、少しおかしくなる。

 まあ、わからないでもない。

 急に罰を言い渡したやつが元気になったらおかしいのかもしれない。

 いや、帰れるのだから普通は元気になるのだろうが、なんとなくここに来るものはどこか扉の先の世界を望んでいるのかもしれないと思った。


「帰り道は、あっちか」

「ええ、あちらからお帰りください」


 大きな扉とは真反対に小さな光が見えた。

 どうやら出口らしい。

 出口に向かって歩き始めて、ふと思い立ったように振り返り少女に声をかける。


「またいつか、大往生したときにでも話を聞いてくれ」


 その言葉に少女はまた少し表情を変えて答える。


「――――ええ、またいつか。お待ちしております」


 ああ、あと一つ忘れていた。


「きみ、今度からシスターとでも名乗るのが似合うと思うよ」


 その言葉の返答を待たずにぼくの意識は光に飲まれた。


 ■


 ふと目を覚ます。

 まだ起きる時間には早い気がして布団に潜ろうとするが、その日はなんとなく気分が良くて身体を起こすことに変える。

 まったくひどい夢を見ていたようだ。

 意味のない活力が湧いている。

 どうやら生きて行くしか無いらしい。

 それも大往生を目指さなくては。

 とんでもない約束をしてしまったものだ。

 まあ、まずは趣味でも見つけてみようか。

 ああ、それと――――


「教会でも行ってみるか」


 ■


 とある噂がある。

 いつの間にかたどり着いている暗がりの中。

 大きな扉を背に少女が語りかける。


「ここは審判の間。罪人であるあなたの罪をはかる場所です」

「私のことは、シスターとでも閻魔さまとでもなんとでも」


 その場所では魂に刻まれた罪が裁定される。

 死にふさわしいものには死を。

 それ以外のものには罰と祝福を。

 シスターと名乗った少女が問いかける。


「あなたの罪はなんですか?」




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