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まじかよ、暁くん  作者: はつきみかん
第一の災厄『獣』前編
3/38

3. 『ですから日本が




『ですから日本が欧米のような飛び級制度を小中学校に導入するまで私に就学の意思はありません。もしこの数年無為に義務教育に縛られていたならば、終末手稿の解読は不可能でした。目下私は共同研究者である黒沢准教授の推薦という体で諸学術施設に出入りを許されておりますが、これは誠に理不尽な状況と言わざるを得ずーーーー』


 壁掛けの薄型テレビ画面の中でカメラを独占して喋りまくる十歳児に、「この子何しに来たんだ……?」と兄の(あかつき)直人があっけにとられてテーブルにコーヒーカップを置く。

 

「テレビ局も面白がってんだろ」


 弟の暁煉人(れんと)は答えながら、トーストとサラダ、ソーセージを平らげた後の空の皿を持って広い食卓から立ち上がった。ワイシャツ姿で土曜出勤前の父が新聞を繰りながら答える。


「まあ、ノストラダムスの二番煎じみたいな預言が今更解読されたところでなぁ」

「確かに。それよりこの子のしゃべりの方が視聴率取れそう」


 微かにワクワクした口調で直人が無邪気にテレビに食い入る。ゆっくりコーヒーを飲んでいた、銀色に見えるほど色の薄いロングの金髪に陶器のような顔をした母が、思い出したようにおっとりと弟の方を見上げた。


「煉人さん、土曜日だけどジャージでお出かけ?」

「……部活の……」

「空手部の練習、こんな早い時間から?」

「……大会で」


 きれいに片付いたダイニングが、息を飲む気配に静まり返る。渦中の男子高校生は、短く刈った黒髪の下の、形の良い眉を歪めてこの時間に耐えた。

 

(だから言いたくなかったんだ)


 薄い唇をへの字に曲げて待ち構えていると、次の瞬間予想通りの抗議の嵐に見舞われる。


「なんで事前にちゃんと言わないんだ、仕事入れちゃったじゃないか!」

「俺今日暇!車出す⁉︎応援行く⁉︎声出しOK⁉︎」

「お洋服どうしたらいいかしら、体育館ってスカートで入っていいの?」


 どす赤い百合柄のワンピースで、白魚のような人差し指の第一関節を顎の両側に添えてにわかに立ち上がる母を、どうにか席に押し戻すと、暁家の次男坊は努めて冷静に宣言した。


「応援はいらない。地区予選だし……もし全国に残ったら頼む。……かもしれない」

「頼めよー‼︎水臭いな、頼めよー‼︎」


 母を押し戻した労力虚しく、バネみたいな勢いで兄が立ち上がり馴れ馴れしく弟の鍛えられた肩を揺する。ロマンスグレーの父が大きく何度も頷いて「全国を視野に入れているその意気や良し」と唸り、その傍らで母が「ヤワラちゃんみたいねぇ」と何もわかっていないコメントを呟く。異国の血の混ざるブルーグレーの瞳が、絵本のお姫様のように輝いていた。


「……じゃあ俺はこれで……」


 生まれて早十七年、未だに慣れないこの空気のむず痒さに必死に耐えながら背を向ける。逃げるように長い廊下を急ぎ足で通過し、洗面所を使ってから敢えてダイニングの扉を素通りして玄関までたどり着いたのに、いつもながら朝からテンションの高い兄が追いすがってきた。


「煉ー!これな、他なんもなかったから、必勝祈願の代わりな!」

「……」


 手に握らされたのは『交通安全守』と刺繍された、数ヶ月前に初詣で彼が自分で買ったお守りである。あまりにアバウトだった。


「……ありがとう」

「せめて無事に往復できますよーに……!」


 直人が祈るように顔を覗き込んでくる。弟と同じ艶のある黒髪だが、美容室で長めにセットさせており、端正な目鼻立ちに似た面影はあるが大分柔和、悪く言えば軽薄だ。歳は二歳上だが、こちらが追い上げているせいで身長差はほとんどない。『どっちがお兄さんだっけ?』は近所のおばさんたちのお決まりのセリフだ。その兄が悪戯っぽく耳打ちする。


「ずーっと帰宅部だったやつが、今年んなっていきなり空手部って。みんなでちょっと心配してたからさ」

「……おー」

「なんか大事な試合なんだよな?」


 血が繋がっているせいか知らないが、昔から妙にお見通しの彼だった。きまり悪そうに、しかし正直に弟はぼそぼそと打ち明ける。

 

「……当たってみたい相手が出る」

「もうライバルがいんの⁉︎かっけぇね……!運動部っぽい……‼︎」


 さも尊そうに口元を隠して感動を抑えているらしい直人に、慌てて背を向けてスニーカーを履き、玄関のドアノブに手をかける。そうして、ほとんど唇を開かないくらいの微かさで呟いた。


「……行ってきます……」

「「「行ってらっしゃい‼︎」」」


 振り向かなくてもわかる。兄は面立ちいっぱいの愛嬌のある笑みで、両親はダイニングのドアからそろってそわそわと顔を覗かせている。道着とガードの入ったリュックを背負って、交通安全守をジャージのポケットにねじ込んで、踏み出した外のこぎれいな住宅街は眩しい初夏の晴天。我知らず緩んだ頬を引き締めながらも暁は思う。

 

 今日も世界は明るくて綺麗だ。







 

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