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まじかよ、暁くん  作者: はつきみかん
第一の災厄『獣』前編
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2. 2×22年五月早朝

 2×22年五月早朝。

 都内、桁山ひかり教会。


 築六十年近くのこの古い小さな木造教会の二階の和室が、荒野光太郎(あらのこうたろう)の一人部屋だった。色素の薄い髪は短くしていてもまだ癖が強く、ラファエロの子供の天使画の如く跳ね返っており、その下の色白の顔は高校二年生というにはいささか幼い、瞳の大きなベビーフェイス。けれどその小さな口元は、今日という日のために頑固そうに引き締まっていた。

 高校指定の白地にブルーラインのジャージを着こんで部活用のリュックを背負い、光太郎が自室を出ようとドアノブに手を伸ばした瞬間、それが勝手にガチャンと開く。


「わっ元太郎、ドア開けられるようになったの⁉︎」

「ばぁー!」


 見下ろすと一歳半になったばかりの弟が、満面の笑みで兄の膝に抱きついてきた。


「正太郎と明里に置いてかれちゃったのか?もー元はまだ階段降りれないっつってんのにー」

「あーう?」


 たちまちやにさがった彼は、まだ喋れずおむつも取れない、ガニ股でよちよち歩きの赤ちゃんを抱き上げる。面影の似ない兄弟は、しばし朝日の注ぐ木造の古い廊下でトーンの違う色白の頬を寄せ合った。


「やべ、兄ちゃん今日試合!また迷って遅れたらみんなに怒られちゃう、行こ行こ!」


 むちむちの弟の感触を楽しみつつ、抱きしめたままベビーゲートを開けて軋む階段を駆け下りる。そこではすでに、三男一女を抱えたひかり教会・荒野家の土曜の朝が忙しなく始まっていた。主戦場となるキッチンから母親が声をかけてくる。


「光太郎、おはよー!道着洗ったの玄関に出してあるからね!あとこれハイ水筒!朝ごはんそっち、元ちゃん椅子に座らせて!」

「にいちゃん、あかりもだっこぉ」

「うわっ明里、元ちゃん座らせるから足にしがみつくのやめて!」


 ご飯と味噌汁とハムエッグの皿の隣に子供の食器がどん、と置かれ、柔和な牧師の父が「おはよう」と正面から声をかけながら末っ子にエプロンをかける。返事するまもなく次男の正太郎がテレビを指差し騒ぎ出した。


「とーさん、みてみて!アルマゲドン!」

「うーん、父さんそのニュース苦手ぇ……」


 熊のような巨体にごましお頭と髭のいかつい父が、丸メガネの奥で小さな目をぱちぱちやって、分厚い肩を竦めながらテレビを横目で見る。その背中から、腰に手を当てた小柄だが気の強い母が、「おっ天才少年だ」と容赦なくリモコンで音量を上げる。インタビュアーの流暢な説明がしばし朝の食卓に響いた。


『イスラエルでの発見から一世紀近く経ってなお謎に包まれていた貴重な写本『終末(アポカリプス)手稿(マニュスクリプト)』。キリスト教の終末思想を描いたと思われる多数の挿絵からこう呼ばれていますが、記された文字は現在わかっている言語のどれにも当てはまらず、記された内容は長年謎のままでした。ところが先月、その解読に日本の十歳の小学生が成功したと発表がありました。今日はその天才少年、高倉佳樹くんにスタジオに来てもらっています』

『小学生と呼ばれるのが適当か甚だ疑問ですな。ここ数年小学校教育をまともに受けていないので』


 静まり返るスタジオ。もうすぐ四歳になる妹の明里を膝に乗せたまま白米を掻き込んでいた光太郎が、さすがに咀嚼をやめる。


「なに?今この子が言ったの?」

「そうだよー!光太郎、空手ばっかりでテレビもまともに見ないもんね。このキャラがウケてて今テレビに引っ張り凧だよ、彼」


 小猿のようにちんまりと兄の膝に収まっている、長い黒髪を寝癖に逆立てた明里を引き剥がしてくれながら、母が笑って親指で示す画面には仏頂面の青白い少年がいる。きちんととかしたマッシュに近い丸い黒髪に白シャツ、金ボタンの小さなスーツ。にこりとでもすれば可愛らしい顔立ちだったかもしれないが、愛想のあの字も持ち合わせていない冷たい顔で、大人のパネリスト達となぜか『義務教育の有意性』について互角の議論を始めている。


「すんごいのよ、言うことが大人顔負けで。最近は解読した本の話になかなか辿りつかないのよねー」

「いいよぉならなくて、この子怖いことばっかり言うもん。七つの災厄だとか人類滅亡〜とかさぁ」

「……道太郎さんはもう少し終末思想で迷える子羊たちを脅して、献金むしり取るくらいの商売っけがあってもいいと思うよ」


 苦笑する母に同調して「おとーさんよわむしー!」と正太郎と明里がはやしたてた瞬間、光太郎が目にも留まらぬ速さで自分の空いた食器を重ねると、「ごちそうさまでした‼︎」と叫んだ。


「兄ちゃん、空手の試合⁉︎」

「がんばえーのおまじない、しる?」


 壁の薄い隣の洗面所で大急ぎで歯を磨いている間にも、弟妹からのそんな声が聞こえる。戻ってみると、小さな可愛い口にご飯を頬張ったまま、母似の明里が「おまじない?」と黒目がちなお人形のような首を傾げた。光太郎は拳を握って見せて溌剌と応えた。


「まだ地区大会だから、兄ちゃん自分でなんとかする!インハイんときおまじないして!」


 「絶対優勝」「ゆうしょー!」「母さん、今夜はカツ丼だな」「昨夜したよね⁉」︎「にいちゃん、ちゅー!」と口々に手を広げる家族一人一人の頬に大急ぎでキスしてまわる。そうして六人家族にはいかんせん狭すぎる食堂を出るとき振り向いて、光太郎は日の光を集めて灯したような大きな薄茶の瞳を潰して微笑み、元気に叫んだ。


「行ってきまーす‼︎」

「「「「いってらっしゃい‼︎」」」」


 ばいばい、ばいばいと元太郎が懸命に可愛い手を振るのを視界の端に入れてから、光太郎は小柄な体を翻し食堂のすぐ外のがらんとした広間を駆け抜ける。古い長椅子の並んだ、十字架の一つもない教会の会堂にはいくつもの大きな窓から朝陽が差し込み、光太郎は心から思った。


 今日も世界は明るく綺麗だ。







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