10円玉
机の上の10円玉。はしっこにあって、今にも落ちそう。横目で見ながらコーヒーを飲んだ。苦くて温かい。
少し前のドラマ「カルテット」で松たか子演じる真紀が、家出した旦那の靴下を片付けられないというシーンがあった。旦那が脱ぎ捨てた靴下は、脱ぎ捨てられた時のままで床にずっと置かれていた。真紀に片思いしている司から「靴下に恋をしている」と言われてしまう。
今の私も似たようなものだ。
あの日彼を待っている間に、彼の好きなブラックコーヒーを自販機で買った。110円すると思って財布からちょうど出して自販機にお金を全て入れた時に彼の姿が見えた。コーヒーは100円だった。いつもなら、お釣りのお金は財布にしまってしっかりチャックを閉めるのだが、熱いコーヒーを早く渡したくて、彼に遅いよって言いたくてコートのポケットにお釣りの10円を押し込んで彼に駆け寄った。
彼の手元には空いた缶コーヒーとタバコがあった。タバコをくわえて歩く少し不機嫌そうな横顔を見てたら遅いよも言えなかった。カバンに熱い缶コーヒーを押し込んだ。
どこでもいいって言ったからいつもの安い居酒屋に行った。適当に注文するねって言って頼んだ料理には、彼はあまり手をつけなかった。冷めたからあげを飲み込むのに苦労した。
彼を不機嫌にさせたものはなんだろう。彼の心を動かせたもの・人に嫉妬した。何かあった?が聞けなかった。何でもないってめんどくさそうに答えられるのが怖かった。
お店を出て駅まであんまり話さずに2人で歩いた。じゃあ、って言って彼は一度も振り返らずに改札を通った。
しばらくして、彼が会社の同期と付き合ったことを知った。彼と何気ない会話をしている時だった。あんま2人で会えねーわ、って言われた。
ふられたわって笑ってみた。彼も少し笑った。
机の上の10円玉。はしっこにあって、今にも落ちそう。横目で見ながらコーヒーを飲んだ。苦くて温かい。