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セシリー=カロッゾ(*セシリー視点)


「フェア、いる……?」


 ベッドの上で目覚めたカロッゾ家の三女"セシリーは"侍女の女騎士フェアを呼んだ。

声はシンと静まり返った自室へ溶けて消えてゆく。どうやら今、そばに居ないらしい。

 いつもそばに居てくれる人がいないのは寂しかった。こと更に、病のために寝ていることが多いセシリーにとっては、フェアがほとんど唯一交流できる人だった。


 しかしそんな暗い気持ちを吹き飛ばすように、窓からは燦々と明るく暖かい陽光が差し込んで来ている。

だからなのか、今日はいつも以上に体が軽く感じた。自然と体から良い熱が沸き起こって、胸の奥が踊り始める。


 籠の中の鳥も、たまには自由に空を飛び回りたい。


 そんなことを思いつつ、セシリーは意を決して豪奢なベッドから起き抜けた。


 ベッドの脇に立てかけてある太い樫木の杖を持ち、それを支えにして、足を踏ん張ってみる。

辛うじて立てたものの、足が震えた。どうやら運動不足らしい。そういえばこうして歩くのは二週間ぶりだったと思い出す。


「寝てばっかりいると、こうなるのよねぇ……」


 セシリーは嘲るようにそう言って、杖をついて歩き、そしてなんとか部屋を出て行った。


「お出かけですか、お嬢様?」


 聞き覚えのない声がした。扉の脇には、弓を背負った少しみすぼらしい若い男がいた。

セシリーは風貌が怪しい彼に警戒心を抱き、やや身を引いた。


「自分はクルス。冒険者です。今日一日、あなたを見守るようフェア=チャイルド殿から仰せつかったものです」


 彼はカロッゾ家からギルドへ送られた依頼書と、真鍮へ文字を打った冒険者ライセンスを提示する。


 Eランク冒険者弓使いのクルス――という名前で間違い無いらしい。


「フェアはいないの?」

「はい。本日は終日、聖王都に行っておられます。他の皆様も所用でほとんど出払っています」

「そっ。わかったわ」


 セシリーはそれ以上何も言わず、杖を突いて歩き出す。


(私を放っておいて、出かけるなんてフェアは酷いわ……)


 心の中でそう文句を言いつつ歩いていると、背中に気配を感じ続けていることに気がついた。

セシリーは杖を突いて、カクカクと踵を返す。


「なに? なんで付いてくるの?」

「あなた様を今日一日見守るのが俺の仕事ですので」

「あなた冒険者でしょ? ずいぶんつまらない仕事を受けたのね」


 セシリーの辛辣な言葉を受けても、クルスはにっこり微笑むだけで真意が見えなかった。


「私は大丈夫だから放っておいて」


 セシリーはクルスに構わず、再び杖を突きながら歩き始めた。


 外へ続く二枚扉をセシリーは全身を使って押し開ける。

瞬間、麗かで暖かい陽光が、彼女を包み込んだ。

 広い中庭には日の光を浴びた草木の葉が青々しく燃えている。薄暗く、年中室温が変わらない、死んでいるような自分の部屋とは大違いだった。世界は自分の部屋だけではなく、こんなにも広く、そして命の輝きに満ち溢れているのだ思った。

 早く命の息吹を全身で感じたい。そう思ったセシリーは流行る気持ちで杖を突き出し、一歩を踏み出す。


「あっ!?」


 しかし気持ちに衰えた体が付いて行かず、足がもつれた。

足元は芝生で柔らかいが、転んだらきっと痛いに違いない。セシリーはせめて、少しでも痛くならないよう体に力を込める。

すると体が芝生の目の前でピタリと止まった。


「急がなくても晴天は逃げません」


 影のように現れたクルスが、セシリーを抱き止めていた。


「わ、わかってるわよ!」


 変なところを変なやつに見られて恥ずかしい。そう思ったセシリーは彼を払い除ける。

とは言っても、セシリーの力の掛け方に、クルスが従って離れた、というのが正しい状況だった。

それでもまるで自分の力で払い除けた、といった具合に"ふん!"と鼻を鳴らして歩き出す。


 セシリーはまっすぐと大好きな花壇へと向かってゆく。

自分のように自由には動けないが、凛として咲き誇る花。そんな自分にはない強さと美しさを持つ花がセシリーは好きだった。


 ふと花壇の隅にまるで"風車"のような形をした花が密集して咲いていることに気がついた。

自分の部屋から毎日花壇を眺めていたが、角度のせいで気がつかなかったらしい。


 その花が咲く場所は決して日当たりが良くない。更に花の茎が傷ついていて、乳白色の液体を涙のように滴らせている。


「かわいそう……」


 頑張って咲いているのに可哀想。傷は直してやれないが、せめて涙ぐらいは拭ってやりたい。そう思って指を伸ばす。

そんなセシリーの指を、再び現れたクルスが掌で制した。


「だからさっきからしつこいのよ! なんで付き纏うわけ!?」


 セシリーは怒鳴るが、クルスの表情は変わらなかった。その態度が余計に腹が立った。


「触ってはいけません。カザグルマソウの樹液には毒があります。見ていてください」


 クルスは腰にぶら下げた雑嚢から木片を取り出した。それへ乳白色の樹液をつけ、皮膚の硬い肘へと塗る。

やがて樹液を塗った肘が赤く腫れて、虫刺されのようにぷっくりと膨らむのだった。見るからに痛そうだった。


「本当だ……って、あなた大丈夫なの!?」

「これぐらいは特に。こんなので痛がっていては冒険者などできませんので」

「そ、そうね……」

「お邪魔をして申し訳ありませんでした。俺の見たところ、他の花は触れても大丈夫なようなので、ごゆっくりお楽しみください」

「待ちなさい!」


 立ち去ろうとしたクルスをセシリーは止めた。


「なんでしょうか?」

「クルス、だったかしら? あなたお花には詳しいの? ここにあるお花のことは全部わかる?」

「こちらの花程度でしたら」

「なら教えなさい! これはなんて花なの?」


 セシリーは精一杯威勢を張って、赤い花を指し示す。

クルスはにっこりと微笑んだ。


「それはゼフィランサスです。その花は多年草で……」


 クルスはまるで図鑑のように次々と花の話をセシリーに聞かせてくれた。


 セシリーは興味深そうにクルスの話へ耳を傾ける。自分の大好きなことを彼は延々と聞かせてくれた。屋敷の中が世界の全てであるセシリーにとってクルスが聞かせてくれる様々な話は、とても充実したものだった。

 フェア以外の人間のことをあまりよく知らないセシリーにとっては、家族や従者以外で初めて言葉を交わす相手だった。


「そういえばカロッゾ家の領地に樹海がありますが、あそこには巨大な赤い花をつける"ラフレシア"というものがあるそうです」

「どれぐらい大きいの?」

「そうですね、お嬢様の頭がすっかり花に埋もれてしまうほどなようで」

「へぇ!」

「しかも噂では生き物に寄生して、魔物にしてしまうという噂もあります」

「お花が!? それ本当ですの!?」

「あくまで噂です。ラフレシアを体に咲かせた動物がいたと、聞いたことがありまして」


 自分の頭よりも大きく、そして魔物にしてしまうというラフレシアという花。その妖しい存在にセシリーは強く心を惹かれる。


「ならクルス、今度そのラフレシアを摘んできなさい! これはカロッゾ家の三女としての依頼よ!」


 クルスは穏やかな笑みを浮かべて、


「善処しましょう。幻の花なのでいつになるかはわかりませんが」

「さっさとなさい! さっさとするのよ! てか。さっさとしないと承知しないからね!!」

「が、頑張ります……」


 クルスは困った顔をする。そんな彼の様子がおかしくて、セシリーはケラケラと笑う。

 生まれて初めて、心の底から笑ったように思う。


 クルスがカロッゾ家へ来たのは、これが一回きりだった。

しかし幼く、まだ自分で歩くことができた頃のセシリーは、ずっと彼が約束通り"ラフレシア"を持ってくる日を心待にしていたのだった。



……

……

……


 

 樹海の住処である洞窟で"ラフレシアのセシリー"は目覚めた。

 出口には闇が張っている。どうやらまだ真夜中で、目が覚めてしまったらしい。


「クルス……か」


 ラフレシアのセシリーは彼の名前を呟く。すると、胸の奥が高鳴り、そして息苦しくなった。

それは心地よく、そして幸福感に溢れるものだった。


 ここ最近、クルスと過ごすと既視感を抱いていた。これはおそらくセシリー=カロッゾの体に刻まれた記憶。

その結果、幼い日に抱いた感情を思い出し、その時のことを夢に見たのだと思った。


 しかし今抱いている"想い"は、セシリー=カロッゾの記憶に引きづられたことで生まれたわけではなかった。


 自分を可愛いと言ってくれた彼の声。頼りに感じる大きな背中。そして彼の匂い。

 これまで共に過ごし、そのどれもが彼女にとっては好ましいものだった。


 セシリー=カロッゾとしての記憶。ラフレシアのセシリーとしての体験。

その二つが重なって――気づけば、クルスを欲する気持ちへ変わっていた。


 彼が欲しい。自分だけを見てほしい。自分だけのものになってほしい。


 そう考えると決まって、いつもそばにいる"アルラウネのロナ"の姿が浮かんだ。


 この衝動へ、一人の女として従うならば、ロナの存在は邪魔となる。

しかし彼女は今や樹海に深く根を張り、更に危険を察知する耳目的存在である。

樹海の守護者としては、クルスを奪うために、彼女と対峙するなどあってはならない。


 ならばクルスをセシリー自身が魅了して心を奪うか? その自信もなかった。


「私はどうすれば……」


 セシリーとしての想いと、樹海の守護者としての使命がぶつかり、葛藤を呼ぶ。

 判断がつかず、セシリーは頭を抱える。


 その時袖の奥で自分の蔓が激しく蠢いていることに気がついた。


 この体になってから初めて、湧き上がるような力を感じる。

もしかすると、先日の戦いで、こっそりキングワームから生命力を吸収したのが原因なのかもしれない。


「あっ、うっ、くぅっ……!!」


 袖の奥の蠢きが更に強まった。もう我慢ができない。

 たまらずセシリーは洞窟を飛び出した。


 途端、目の前にあった木へ向かって、袖から怒濤のように無数の蔓が飛び出た。


 蔓は木へぐるぐると絡みつき、すっかりと覆い尽くす。木は蔓に絡まれ、不気味な様相を呈する。

そしてセシリーの頭に咲くものと同じ、真っ赤な大輪の花が咲き誇る。


 幼い日、クルスが聞かせてくれた、自分と同種の"ラフレシア"だと思った。

ラフレシアに変貌した木は、まるで意志があるかのように蔓を木々の間へ飛ばす。


 茂みの向こうから獣の悲鳴が聞こえた。やがて茂みから蔓に緊縛された様々な獣が引摺り出された。

 獣は蔓に何かを吸われて、皮と毛を残す。


 すると騒ぎを聞きつけたのか、今度はセシリーへ向かって、複数のブレードファングが迫る。

しかし彼女は臆することなく、僅かに金色に輝いた棘の鞭を打ち付けた。


「キャウ! キャキャ……!」


 鞭で打ち据えられたブレードファングがみるみるうちに"石化"し、そして崩れ去った。

どうやらキングワームからは"石化"の力も吸収したらしい。


「お嬢様、これは……?」


 いつの間にか起きて、セシリーの後ろにいたマタンゴのフェアは、状況を見て声を震わせている。


「この力を使えば、もしかして……」


 セシリーの中で一つの答えが浮かび上がるのだった。


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