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鼻水と花のお嬢様


「羊は正直厄介なのだ! だからクルスが付き合ってくれてすごく助かってるのだ! ねえ様の根っこも北の岩場までは届いていなくて、力が借りられないのだ!」

「そうなのか。しかし羊の何が厄介なのだ?」

「厄介なものは厄介なのだ! 見ればわかるのだ!」


 隠しているというよりも、厄介さを言葉で表現ができないらしい。そういうところは人間の童女と変わらないとクルスは思う。


 クルスはベラと共に羊がいるという北の岩場を目指している。

丁度岩場の手前にはラフレシアとマタンゴが住処としている洞窟がある。クルスは二人を“羊狩り”へ誘うべく、ややきつい斜面を登って行く。


「へっくしっ!」


 と、坂の上から盛大なくしゃみが聞こえてきたのだった


「お嬢様、お加減はいかがですか?」

「だ、大丈夫よ。しっかし、今日は一段と冷えるわね。人間の身体ってなんでこんなに寒さに弱いのかしら……」

「確かにその身なりでは寒そうだな」


 洞窟に入ったクルスは、蹲って肩を抱いていた赤い花の魔物:ラフレシアへ声をかける。

 ドレスのような装いは、見た目は華美であるが、ところどころ肌が露出していて確かに寒々しい。

端正な鼻からちょろっと鼻水が垂れているが、これを指摘しても良いのかどうか。


「あら、クルス。久しぶり……へっくしっ!」

「だ、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫よ。ありがと……へっくし! うう、寒ぶ……」


 ラフレシアは鼻水をドレスの袖でごしごしと拭う。そのためか、子供みたく鼻の辺りが真っ赤になっていた。これでもかなり強力な魔物で、更に樹海の守護者である。しかしそんな威厳など、今の彼女からは微塵も感じられなかった。


「お嬢様! そんなはしたない真似はお止めなさい! ああもう、袖なんかで擦るから鼻の辺りが荒れるんですよ!?」

「別にいいじゃない。もうこの服も結構汚れてるわけだし。鼻だって少し経てば元に戻るわよ」

「そういうことではありません! 淑女レディーとして、袖で鼻水を拭うなど言語道断だと言いたいのです!」

「アンタってたまに人間みたいなこというわよね? なんなの?」

「話を挿げ替えないください!  まったく最近のお嬢様はああ言えばこう言うところがですね……」

「ラフレシア良かったら、これを使ってくれ」


 クルスは腰の雑嚢から真新しい白い布を、ラフレシアへ差し出した。


「ん? これは?」

「モスーラの幼虫の糸で作ったものだ。吸水性はとても良いし、肌にも優しい筈だ」

「良いの?」

「指の血を拭うためにこの間大量に作ったからな」

「そう。じゃあ貰っとくわ」


 ラフレシアは素直に布を受け取って、鼻水を拭った。絹のように柔らかい肌心地が良かったのか、満足そうな笑みを浮かべている。


「これ、良いわね。気持ちいいわ、ふふ」

「気に入ってくれたなら良かった。もしもっと欲しかったら言ってくれ。また用意する」

「ありがと。これホント気持ちいいわね、ふふ……ねぇ、クルス、これで温かい服とか作れたりしない?」

「それは無謀だな。モスーラの糸は通気性が良く乾きが良いので、服にするとかなり寒いぞ」

「そうなの。残念だわ……」

「しかし、もっと服作りに適した素材なら知っているぞ。きっとそれで作った服ならば暖かい筈だ」

「へぇ、そんなのが。どうしたら手に入れられるわけ?」


 ラフレシアは上手く話題に喰いついてくれた。鼻水様々である。


「俺とベラはこれから北の岩場にいる“羊”を狩りに行くんだ。俺もそいつの毛で耐寒装備を作ろうと考えている。良かったら一緒に行かないか?」

「ならばお嬢様! その羊狩りというのは私が獲得してまいりましょう! 服作りもこの私が!」


 間髪入れずにマタンゴが声を上げた。


「服なんて作れるの?」

「勿論です! そのドレスも私が作りましたので! 羊とやらの毛を獲得した際は、お嬢様にぴったりな衣装を作ってご覧にいれます!」

「ありがと。期待してるわね。じゃあさっさと行きましょうか!」


 ラフレシアはぴょんと跳ねるように立ち上がる。それを見て、マタンゴは急に慌てだす。


「お、お嬢様! なにを!?」

「なにって、狩りに行くんでしょ?」

「御身に狩りなど野蛮なことはさせられません! どうぞこちらでお待ちください!」

「いいじゃない。どうせ暇だし。それにマタンゴも“洞窟に引きこもってないで、外に出なさい”ってよく言うじゃない。こういうときばっかり大人しくしてなさいだなんて都合が良すぎるんじゃなくて?」

「そ、それは、ですね……」


 論破されたマタンゴはぐうの音も出ない様子だった。


「ありがとう。同行感謝する」 

「いえいえ。クルスとは少し話がしたいと思っていたから、丁度いい機会だわ。さっ、さっさと行くわよ!」


 ラフレシアとマタンゴを加えて、四人となったクルスは一路、北の岩場を目指して歩き出すのだった。


「お嬢様、斥候はこの私めに。どうぞごゆるりとお進みください。ベラ、君も頼めるか?」

「りょうかいなのだ! 安全点検なのだー!」


 マタンゴはベラを伴って先行してゆく。


「ノリノリねぇ……」


 ラフレシアはそう呟きながら、クルスと並んでゆっくりと歩き続けていた。

ふと見えたラフレシアの横顔。ロナと並ぶほどの美人だと思う。更に鼻水を袖で拭ったり、柔らかい布の質感で笑顔を浮かべるといった、少し子供っぽいところもある。しかしこれでも彼女は強力な魔物である。そのアンバランスさは、不思議でもあり、魅力的でもあった。


「なに? もしかしてまた鼻水でも垂れてる?」

「い、いや、特に……」

「ふーん。あのさせっかくの機会だから色々と聞かせなさい」


 語尾はしっかりとした命令形。どうやらクルスに拒否権は無いらしい。


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