ラフレシアの謝罪
カロッゾ家の依頼が遂行されるのは、今日から三日後の早朝。
ビギナにはこの依頼のこと「検討する」と告げて別れたクルスは、足早に樹海へ戻る。
道中、カロッゾ家の依頼の内容を思い返す――が受けるなどもっての外だった。
確かにカロッゾ家から支払われる報酬は破格で、状態異常が無効化されている自分であれば、魔法使いに匹敵する活躍はできると思う。
しかしそんなことのためにロナとベラへ弓を引くことなどできようもない。
むしろ自分がこの依頼を受注するか否かの選択よりも、この依頼自体へどう対処すべきかを考えていた。
「ずいぶんと早い帰りね。良い依頼がなかったのかしら?」
突然頭上から、少し甲高い少女の声が鳴り響く。
クルスは素早く弓を手に取り、矢を抜く。
そんな強い警戒心を放つ彼の下へ、華の怪人は樹上から堂々と降り立つ。
小さな頭に堂々と咲き誇る赤い花。真っ赤なドレスに肩まであるウェーブがかった髪。
セシリー=カロッゾ嬢の死体に寄生している魔物【ラフレシア】だった。
「警戒しないで。貴方には謝罪に来たのよ」
「謝罪? なんのだ?」
「ほら、今朝貴方にマタンゴがいきなり襲い掛かったじゃない」
「ああ、そういえば」
「申し訳なかったわね。でも許して。あれはあれで少し真面目すぎるきらいがある子なのよ」
ラフレシアの言葉には、マタンゴと同じくどこか愛情めいた暖かいものが感じられた。
それだけラフレシアとマタンゴの関係性は強く、深い絆で結ばれているのではないかと思う。
しかしこれはラフレシアとマタンゴという、互いに“人間の死体に寄生する魔物”だからだろうか。
それとも寄生先である“セシリー”と“フェア”の関係がそのまま引き継がれているからなのだろうか。
もしもそうであるならば、バグ=カロッゾが“セシリーを侍女のフェアが浚った”という言葉は、いささか疑問であった。
「なによ、じろじろ見て。もしかして私の匂いをようやく感じるようになったわけ?」
「ん? いや、別に、とくには」
「あ、そう。もしかしてそれもあれ? “状態異常耐性”とかいう力のおかげ?」
「マタンゴから聞いたのか?」
「ええ。あの子があんなに悔しがるの初めて見たわ。珍しいものを見せてくれて、お礼を言う――」
ラフレシアは言葉を切って飛び、クルスに並ぶ。
彼も空気の緊張を感じ取り、弓を握り直す。
木々の間から唸り声と共に複数の目が爛々と輝きを放っている。
「ウワァオ―ン!!」
そうして姿を現したのは二足で歩き、粗末な石斧を武器にする危険度Dの犬型の魔物――コボルトの集団だった。
「どうしてこんなところにコボルトが……?」
コボルトは主にベルガ山脈に住み着いている。しかし樹海へ降りてくるのは、少なくとも樹海に住み着くようになってからの二か月ほど一度もなかった。
「どうやら私の“誘因臭気”に誘われちゃったみたい。まだ目覚めたばかりで、コントロールできない時があるのよ。ごめんね」
「何故手の内をさらす?」
「まぁ、こうして危険な場面を作り出したのは私の責任だし、貴方も自分自身の力をさらしてくれたのよ。これで同等になったわ」
「そうか。君は律儀なんだな」
「なんとなく、そうしなきゃと思ってねぇ。理由は分からないんだけど」
カロッゾ家は聖王国の貴族の中でも、高潔でノブレス・オブリージュを強く意識しているとの評判だった。
その血筋は死体になっても、ラフレシアへ引き継がれているらしい。
「代わりに手助けよろしくね!」
「ああ!」
ラフレシアは手を思い切り振り落とす。すると袖の間から“棘のついた蔓”が素早く伸びた。
彼女はそれを手に持ち、鞭のように“ぴしゃり”と地面を打つ。
「さぁ、わんこちゃん達、調教の時間よっ!」
ラフレシアが先行する。クルスは彼女の戦い方を見定めるべく、その場に立ち止まりいつでも矢を放てるよう構えた。
「それっ!」
「ウワォ―ン!!」
石斧で殴りかかってきたコボルトと、ラフレシアは茨の鞭で激しく打って怯ませた。
更に他の複数のコボルトが彼女へ襲い掛かる。しかし鞭は、まるで彼女の延長された体の如く、次々とコボルトを打ち据え、攻撃の隙を一切与えない。
「中は覗いちゃだめよん!」
「ぎゃふんっ!」
甘い声と共に、スカートを翻しての回し蹴りがコボルトを宙へ吹っ飛ばす。どうやら鞭に加えて、徒手空拳も得意らしい。
そんな彼女の背後に、茂みから石斧を手にしたコボルトが飛び掛かる。ラフレシアは意外そうな顔をして振り返る。
回避はままならない様子。
しかしすでにコボルトの襲来を予見していたクルスは矢を放ち、コボルトの足を射貫く。
コボルトはバランスを崩して、地面へバタンと倒れこむのだった。
「ありがとう! マタンゴの言った通り、なかなかの弓の腕前ね!」
「君たちはそろって背中が疎かだな」
「ふふ、そうね。だったら今、私の背中は貴方に任せるわ!」
ラフレシアは飛んで立ち位置を変えると、着地と同時に左右から現れたコボルトを茨の鞭で吹っ飛ばした。
赤い花を頭に咲かせた美しい魔物は鞭を振り、次々とコボルトを怯ませる。
それでも相変わらず前ばかりに集中しているので、彼女の背後へ迫った敵はクルスの獲物。
前衛と後衛のペアとしては、最良ともいうべき、見事な連携になっていた。
「これで、お・し・ま・いっ!」
甘い声と共にラフレシアは真正面のコボルトへ向けて、思い切り袖を振る。
袖の先から鋭い刃のような棘のついた、円盤状の“種”が飛び出し、空気を引き裂く。
「きゃぅん!!」
それはコボルトの頭スレスレを過って、頭の毛をごっそり刈り取った。
「さぁ、わんこちゃんたち。この種は痛いわよ。もしかしたら死んじゃうかもしれないわよ? それでもまだ続ける気なら良くってよ?」
ラフレシアは冷たい殺気を孕んだ、軽薄なセリフを吐く。
するとコボルトは尻尾をぴんと逆立てて、慌ててその場から走り去った。
コボルトに人語を理解する知能は無い。しかし、空気や雰囲気を察する程度の能力はある様子だった。
再び森に静寂が戻り、戦闘はあっさりと終結したのだった。
「コボルトも樹海の一部ということか?」
クルスは周囲を見渡しながらラフレシアへ聞く。
多少の返り血が散っているものの、周囲にはコボルトの死体はおろか、身体の一部さえも無かったのである。
「まぁね。それにあの子たちは私の匂いに釣られてやってきて、襲い掛かってきただけだから」
ラフレシアは疲れた様子も見せずに、さらりと応える。
(あの身のこなしで不殺を徹底する。なら殺しを意識したらどれほどの力があるんだ?)
真正面から命を懸けて戦えば、今のクルスに勝機は無い――それだけラフレシアが強力な魔物という証拠だった。
「そういう貴方もやるじゃない。私のように不殺を徹底するだなんて」
「君がそうしたんだ。同じことをしたまでだ。それに弓の狙いをずらすだけだから、そう難しいことではない」
「ふふっ、良いわね貴方」
「そうか?」
「ええ。とっても。それではごきげんよう、クルス! また会いましょう!」
ラフレシアは貴族令嬢らしく、スカートの裾をつまんで礼をして跳躍し、枝の上を器用に飛びながら姿を消してゆく。
人間が欲しているのはラフレシアが寄生しているセシリー=カロッゾとフェア=チャイルドの身体。
それさえ手に入れれば、カロッゾ家の依頼は無かったことになり、冒険者軍団の侵攻を食い止めることができる。
だがそんなことをして果たして良いのか。樹海のためとは言え、それはロナ達、魔物への反逆行為ではないか。
そもそも自分でラフレシアに敵うのかどうか。答えは未だに決まらなかった。




