新月の夜――そして彼が帰るべき場所
「お願いします! 私と一緒にパーティーを組んでください! 先輩とならどんな困難でも立ち向かえると思うんです!」
突然のビギナの懇願に、さすがのクルスも動揺していた。
「私、冒険者を、魔法使いを辞めたつもりで実家に戻りました。だけどこうして先輩とまた会って、一緒に戦って、分かったんです! やっぱり私は、ショトラサのみんなのために立派な魔法使いになりたい! そのためにも冒険者としてたくさんの経験を積みたいって! そして先輩なら安心して背中を預けられるって!!」
ビギナの熱の籠ったアプローチは続く。
「おー! 良い皮なのだぁ!」
ドッセイは興味がないのか、脇で毒蛇の死骸から素材の剥ぎ取りを行っている。どうやら助けは望めないらしい。
「先輩っ! だからお願いします!」
「ま、待て! 待ってくれ! いきなりそんなことを言われても、すぐに答えられるものか!! 落ち着けっ!」
「ッ!?」
クルスの叫びを受けて、ビギナの長耳がピクリと反応を示す。
顏はまるで叱られた子供のように曇ってゆく。
「す、すみません。私……」
「こっちこそいきなり怒鳴って済まなかった。とりあえず、戻ろう。話はそれからだ」
「……はい」
クルスとビギナはドッセイに倣って、倒した貴族毒蛇などから素材を剥ぎ取り、山をくだってゆく。
その道中クルスはビギナからのアプローチのことを考えていた。
ありがたく、そして嬉しい申し出とは思っていた。恐らく、かつての自分だったら二つ返事で了承をしていたように思う。しかし今は、胸の奥に何かがつっかえていて、踏ん切りがつかない。
「ワイン、ゲットなのだぁー!」
GINAヴィンヤードの事務所に戻り、副賞の赤ワインを手に入れたドッセイは凄く嬉しそうだった。
「そんなにワインが欲しかったのか?」
「そうなのだ! これが目的だったのだ!」
「まさか、君が飲む訳じゃ……」
見た目は童女なマンドラゴラの童女ドッセイ。人間の尺度では、飲酒は明らかに御法度だが、魔物だから関係ないのか否か。
「違うのだ。ねえ様のためなのだ」
「あの子の?」
「ねえ様には必要なものなのだ!」
「そうか……」
クルスも副賞としてもらった赤ワインの入ったボトルへ視線を落とす。不思議と彼の脳裏に森に独りでいるアルラウネの姿が浮かんだ。
美しくもあり、時に愛らしく、そして傍にいると何故かホッとできる不思議な魔物。いつも帰れば満開の花のような笑顔を浮かべて、温かく迎えてくれる。そうしてクルスはようやく、胸の奥にあるつっかえの正体に気が付いた。
彼は今日もアルラウネのところへ戻りたかった。今でも深い森の中で、自分の帰りを待ってくれている彼女へ、“ただいま”を言いたかったのだと。
もしもビギナの申し出を受ければ、また放浪の旅が始まるだろう。そうしなければ、彼女が目標とする魔法使いの頂には到底手が届かない。
彼女の将来を考えるならば、日帰りで終わってしまう簡単な依頼ばかりでは何のためにもならない。
ならばアルラウネのために日帰りを希望し、極力安全な依頼を受けたいクルスとは冒険者としての方向性が全く違う。
クルスは奥の机で、書類に依頼達成のサインをしているビギナへ進んでゆくのだった。
「ビギナ、少しいいか」
筆を止めた愛らしい後輩は、赤い瞳から真っ直ぐで純真な視線を送ってくる。
胸にちくりと痛さが沸き起こる。しかしクルスは意を決して、口を開く。
「先輩?」
「さっきのパーティーの申し出だが……」
「はい」
「すまない、断らせてくれ」
「……なんとなく、そう仰るって思ってました……」
ビギナの寂しそうな声が、クルスの胸に突き刺さる。
しかしそれでもクルスの考えは変わらなかった。
「教えてください。どうしてですか?」
「俺は帰らなければならないんだ。そのためにも俺はあまり遠くへ行くことができない。しかしビギナ、君はもっと広い世界へ飛び出して、様々な経験をするんだ。俺なんかと一緒にいるよりも、君の将来にとってその方がためになる」
「……」
「ありがとう、誘ってくれて。感謝する」
「……これでお別れじゃないですよね……?」
ビギナは不安げな顔で見上げてくる。彼は敢えて笑顔を浮かべた。
「俺と君は冒険者だ。別れは付き物だ。だけど約束する。困った時、俺を見かけて役に立ちそうだったら声をかけてくれ。その時は全力で君に協力する。君の力になると誓う」
「わかりました。先輩も、もし私を見かけて、役に立ちそうだと思ったら声をかけてくださいね。先輩のためだったら、一生懸命頑張ります!」
「頑張れよ、ビギナ」
「ありがとうございます! またよろしくお願いします、先輩っ!」
ビギナは赤い瞳へ僅かに涙を浮かべながらも、元気よく答えた。
二人は互いに強く握手を交わす。そしてクルスは、名残惜しさを覚えつつも、ドッセイと共に、GINAヴィンヤードを後にするのだった。
「なぁ、本当にあれで良かったのか?」
帰りの馬車の中、マンドラゴラのドッセイが聞いてくる。
「ああ。今の俺はビギナと冒険に出るよりも、このワインをあの子のところへ持って帰りたいという気持ちの方が強いんだ。おそらくこれからも」
「なんだ? クルスは今日もねえ様のところへ戻るつもりなのか?」
「ダメか?」
クルスがそう聞くと、ドッセイは満面の笑みを浮かべた。
「いいのだ! じゃあ、一緒に帰るのだぁ!」
ドッセイは大事そうにワインボトルを抱えて笑顔を漏らす。
行きの馬車よりも、ドッセイとの距離が少し近いような気がするクルスなのだった。
●●●
夜空に黄金が存在しない時――新月の夜。
わずかな星の光が空に浮かんでいるだけで、森の中はいつも以上に暗い。
以前ならばこの暗さにただ恐怖を覚えるだけだったのだろうとクルスは思った。
しかし今は森に戻り、安堵して、更には足を進んで前へ蹴りだしていると気が付く。
彼女が咲かせてくれている目印の赤い花を辿って、彼はドッセイと共に家路を急ぐ。
やがて香ってきた花のような香りと、暖かな雰囲気。
クルスははやる気持ちに後押しされて、木々の間を抜ける。
「ただいま! 戻ったぞ!」
「お帰りなさい!」
星空の下、綺麗なアルラウネがクルスの帰りを待っていた。
いつも以上に綺麗に感じるのは気のせいか。
「あら? 一緒だったの?」
アルラウネはドッセイ――眷属のマンドラゴラへ優し気な笑顔を浮かべてながら聞いた。
「そうなのだ! 一緒に冒険者の仕事してきたのだ! クルス、めっちゃ役にたったのだ!」
冒険者の時は少し大人びて見えたマンドラゴラも、アルラウネの前では、幼子のような笑みを漏らす。
クルスの目には二人の様子が姉と妹、親と子のように見え、胸に暖かいものを感じていた。
「ねえ様! どーぞ! クルスも早く渡すのだ!」
ワインを差し出したマンドラゴラに促されて、クルスも同じものをアルラウネへ差し出した。
「二本もありがとうございます。とっても嬉しいです」
「そのワインをどうするんだ?」
「飲むに決まってるではないか! クルスはばかなのか?」
「こら! すみません、失礼なことを……」
「いや。でもなんでワインを?」
アルラウネはにっこり微笑んで、葉でカップを形作る。
「その……好きなんです」
「えっ?」
「だから、えっと、お酒が……特にワインが……へ、変ですよね! 私、魔物なのに、人間さんが造ったものが好きなだなんて……。新月になると無性に飲みたくなるんです」
アルラウネやマンドラゴラは新月の夜に葡萄酒に浸すと、予言をしたり、奇跡を起こすと言う伝承があったような気がする。もしかするとそれに関係あるのかもしれない。
「気にすることないと思うぞ。好きなものは好きでいいじゃないか。人間だとか魔物だとか、そういうのは関係ないと思う」
「クルスさん……」
「俺も頂いても良いか?」
「もちろんです!」
アルラウネは器用に葉でカップをもう一つ作ってくれた。
彼は彼女へ、彼女は彼へ互いにワインを注ぎあう。そんな何気ない行為でさえ、尊いことに感じられる。
「あらためて、お帰りなさいクルスさん」
「ただいま」
葉のカップを互いに掲げ微笑みあいワインを口へ運ぶ。
GINAヴィンヤード自慢の赤いワインは疲れた体にじんわりとしみ込んでゆく。
心から美味いと言えた。そして今、目の前には癒しを与えてくれた大事な存在が、一緒に酒を楽しんでくれている。
これを幸福というのだろう。
「どっせーい! ねえ様とクルスばっかりずるいのだ!」
と、一人のけ者にされた思ったマンドラゴラが、ぷっくり頬を膨らませて割って入ってくる。
「ごめんね、無視してたわけじゃないから! 歌を歌ってあげるから許して。ねっ?」
「それでいいのだ! 早く聞かせてほしいのだ!」
アルラウネは歌いだす。その美しい歌声を聞いて、クルスはこの歌声に惹かれてこの森に踏み入ったことを思い出す。
確かに必死に貯めた魔力はもう戻らない。手に入れたのは状態異常を無効にする力だけ。でも、この力を得たことで、クルスはアルラウネやマンドラゴラと出会い、こうして触れ合うことができている。これはこれで悪くない。むしろ幸福感を感じる。
「良い歌声だな」
「“あの日”もクルスさんはそうおっしゃってくださいましたね」
「えっ?」
「最初に出会ったとき、クルスさんは私の歌声を綺麗って言ってくれました。他の生き物はみんな私の歌声を聞くと、おかしくなってしまう中、貴方だけは違って……」
それは獲得した状態異常耐性のおかげだと思うが、話に水を差しそうなので黙っておいた。
「そればかりか私を頼ってくれて。毒だらけの私を怖がらずわんわん泣きながら抱き着いてきて。そんなあなたがかわいそうで、放っておけなくて……そのままナデナデしてたらぐっすり眠ってしまって。あの時、私を“使ってくれた”クルスさん、可愛かったですよ」
うっとりとした表情でアルラウネはそう語る。その話を聞いて、クルスはようやく彼女と初めて出会った夜、彼が何をしたのかわかったような気がした。
(つまり俺ははただアルラウネの歌声を褒めちぎり、感極まってむちゃくちゃ愚痴を零していただけ……?)
真実を知り、どっと肩の力が抜けたのだった。
「どうかしたのですか?」
「いや、なんだ、その……激しい夜って、いわれて、朝起きたら君が隣にいてだからな、俺はてっきり君と、なんだ……男女の交わりをしたというか……」
「――ッ!?」
突然、アルラウネの体が真っ赤に染まった。どうやら、このアルラウネは“男女の交わり”がどういうものか理解しているらしい。
「お、おい、大丈夫か?」
クルスが手を伸ばすの同時に、アルラウネは蔓を飛ばす。
蔓は優しくクルスを緊縛し、しかし力強く彼女へ抱き寄せられる。
「ど、どうしたぁ!?」
「……きます」
「えっ?」
「わ、私だって、できるんですよ? だって私は人間の精を食べられるアルラウネ、ですから……。一応、ほかのアルラウネもどうしているかはみたことありますからっ!!」」
アルラウネの身体が震えている。言葉では強気なことを言うくせに、怯えている様子。
そんな彼女の頭をクルスはポンと撫でた。
「そういう割には凄く緊張しているな。なら今、この場で良いか?」
「えっ!? あ、あ、その! いや、今は、マンドラゴラもいますし、それに、えっと!」
「ばか、冗談だ」
「もう、クルスさんは……でも……」
アルラウネはクルスの耳元へ唇を添える。
「誰も見ていないところなら、私はいつでも良いですからね? 美味しく貴方を食べてあげちゃいます」
「ッ!?」
「し、したことないですから、上手にできるか自信はありませんけど……」
「なぁなぁ、ねえ様とクルス、なんの話しているのだ?」
マンドラゴラの割り込みに、クルスとアルラウネはどぎまぎと、どう答えて良いのやら狼狽えた。
人間と魔物。互いに狩るもの・狩られるものではある。
しかしクルスとアルラウネはそんな殺伐とした関係ではない。
彼は彼女を欲し、彼女もまた彼を欲している。その事実だけで、種族など関係は無い。
今がとても幸せ。
クルスはそう思いながら、人を寄せ付けない森の中で、アルラウネと共に穏やかな夜を過ごすのだった。
*以上で、一章終了です! ありがとうございました。
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こちらは執筆を終えている100%完結保障の作品です。




