8 王城の約束
いつも読んでくださってありがとうございます。
令和元年、最後の投稿になります。来年もまたよろしくお願いいたします。
みなさんが良いお年を迎える事が出来ますように……
ブルーナとアリシアは城の従者に案内されテラスへと出た。外の空気はまだ少し冷たいが、それでも日差しが心地良く、二人は大きく息を吸った。
「やはり外は良いですわね。新鮮な空気が美味しいですわ」
アリシアが朗らかに笑う。
舞踏会ではたくさんの人の熱気で暑いくらいだったが、ここの方が居心地は随分と良い。ブルーナは早速植物の植えている状態を眺めた。
「テラスの植物の植え込みの形態はご覧の通りでございます」
テラスの縁に沿って、石を切り取ったような花壇が飛び飛びに作られていて、その間に背の高い大きな鉢が据えられている。鉢には常緑の低木が植えられていて、それがリズミカルに並んでいるのだ。それに反して石を切り取ったような花壇の中に植えられている植物は枯れているようだ。
「あの枯れている植物は?」
「あれは薔薇の茂みでございます。例年通りであれば葉が繁って幾つか花が咲いていてもおかしくはないのですが……今年の冬は特に寒さが強うございましたから、今はこのような新芽も出ていない状態です。もっと暖かくなればそれはそれは美しい花を咲かせます。その頃に開かれる舞踏会がございますので、一度参加されるのもよろしいでしょう」
ブルーナは従者の言葉に明確な返事はせず、ただ微笑んだ。正直に言ってしまうと、舞踏会はもう懲り懲りだと思ったのだ。だが、薔薇が咲き誇る様子は一度見てみたいのも確かだ。そう思っているとアリシアが従者に尋ねた。
「舞踏会は年に何度も行われるのですか?」
「はい、その都度その時期に咲き誇る花を愛でる意味もございますが……薔薇の咲き誇る初夏の舞踏会は『すずらん祭り』で出会いのあった方々のお披露目の席でもございます」
アリシアとブルーナは顔を見合わせた。
「では私達は今年は参加出来ませんわ」
「私は一生見る事は出来ないわ……」
二人の言葉に従者は慌てた。
「何を仰るのです? お二人共とても聡明で美しく、殿方が放っては置きませんよ」
従者がもっと話そうとするのをブルーナは笑って止めた。
「あなたはとても優しい方ですわね。でも私は今日はもう失礼しようと思っているのです。お相手を探す時間はありません」
「あら、ブルーナはもう帰ってしまうの?」
「えぇ、舞踏会の様子を見る事は出来たもの……これ以上の長居は止めておきます」
アリシアはつまらなそうに肩を落とした。だが直ぐに顔を上げるとブルーナの顔を正面から覗き込む。
「私はもう少しこの王都に留まるの。ブルーナ、あなたの家へ遊びに行っても良いかしら? 行く日は手紙で知らせるわ。いかが?」
「あ……来て下さるの? えぇ、勿論、良いに決まっているわ」
途端にブルーナの顔が綻んだ。
この時、エルダは少し驚いてブルーナを見ていた。アリシアと話す時のブルーナはクルクルと表情が変化し、楽しそうに会話をする。
「ではその時に書庫を見せて頂いてもいい? とても興味があるの」
「好きなだけどうぞ。面白い本を紹介するわ」
二人の話は一気に弾んだ。楽しそうに話す二人をエルダもルティアも従者さえも微笑んで見ていた。その中で従者が口を開いた。
「ルドヴィーグ伯爵令嬢がお帰りになるのであれば、馬車の準備をしなければなりませんね。先に準備をするよう伝えて参りましょう」
従者の声に二人は同時に従者を見た。二人はおしゃべりに夢中になり、彼の存在を忘れていたのだ。
「……お願いしてもよろしいのでしょうか?」
ブルーナは恐縮して声を掛けた。彼の仕事ではないのではないだろうか?
「えぇ、勿論構いません。直ぐにお立ちになりますか?」
ブルーナはアリシアに微笑み、従者に向き合った。
「出来れば大広間には戻らず、このまま失礼したいと思っています」
「承知いたしました。伝えて参りますので、少しこちらでお待ちください」
従者はテラスから建物の中に入って行った。アリシアがまたつまらなそうに溜息をつく。
「私も帰ろうかしら……ブルーナが居ないのでは、つまらないわ」
「アリシア嬢様は駄目ですよ。ご挨拶しなくてはならない方々と、半分も済ませてはないではありませんか」
「そういうのばかりよね……」
「この舞踏会場はご自分を知っていただく場でもあるのです。我慢なさってください」
ルティアの意見は尤もだ。アリシアにはアリシアの役目があるのだから。
「家に来てくれるのでしょう? それならまた逢えるもの。アリシアは自分のすべき事をした方が良いわ」
「そうね……」
アリシアは素直にブルーナの言葉を受け入れた。
その時またテラスのガラスの扉が開いた。建物から出て来たのは身なりの良い男性だった。貴族の者らしくしっかりとした身なりではあるが、幾分顔色が優れないように見える。
「……あぁ、申し訳ありません。人が居たとは思いませんで……」
彼は少し驚いたようにそこにいる女性陣を見廻した。
「大丈夫でございますか? お顔の色がよろしくないようですが」
彼の顔色を見ながらルティアが声を掛けた。
「……申し訳ありません。女性の前では言い難いのですが、少し酒を飲み過ぎたようで、風に当たりたかったのです」
「それならご遠慮なさらずに、どうぞあちらの椅子にお座り下さい。お付きの方はいらっしゃらないのですか?」
「はい……」
ルティアはアリシアとブルーナにその男性が近付くのを防ぐように間に立ち、石のベンチのある場所を示した。男性はそれを見ながらそちらに行こうとしたが立ち止まり、その場に座り込んでしまった。
「まぁ! 大丈夫ですか?!」
慌てたのはルティアだけではなかった。アリシアとブルーナも男性の傍へやって来た。
「本当なら横になった方が良いと思うのですが……エルダ、急いでお水を持って来て頂戴。身体に入れた物は水を飲んで早く外に出した方が良いわ」
「ルティアは肩から掛けるものをお持ちして」
ブルーナとアリシアの声に二人の侍女は反応し急いでその場を離れて行った。
「ご気分が悪いとは思いますが、私達ではあなたを運ぶ事は出来ません。ご自分の力であの椅子まで行けませんか?」
男性は顔を上げブルーナを見た。精悍な整った顔つきの彼には騎士を思わせる何かがある。彼の切れ長の青い目がブルーナを捉えた。その瞳の強さにブルーナが一瞬躊躇した時、アリシアが声を掛けた。
「ご自分で行けそうになければ従者をお呼び致しましょう。どうです? 歩けますか?」
彼はそう言われると頷きゆっくりと立ち上がって、石のベンチへヨロヨロと歩き出す。アリシアとブルーナはその後を追いながらエルダとルティアの到着を待った。
ベンチに座ると男性は腰から落ちるように座り、ホッと一息ついた。
「本当に……恥ずかしいところをお見せして申し訳ない……」
男性はそう言って俯いた。それを見てアリシアが微笑みながら声をかける。
「これを機に少し自重なさったら良いですわ。ご自分をコントロールする事も大事ではなくて? 騎士ならば尚更ですわ」
「え?……」
彼は意外そうに顔を上げた。ブルーナも驚いてアリシアを見る。
「貴方は騎士なのでしょう? 後ろから手のひらが見えましたわ。貴方の手のひらには豆の痕が沢山ありましたもの」
「……これは、参りましたね……いかにも私は騎士をしております。リングレントから『すずらん祭り』に参加するために参りました。まぁ、少し羽目を外してしまったので、目的は果たされてはおりませんが……」
リングレントから来たと言う騎士の言葉に、アリシアとブルーナは驚いた。そしてブルーナが嗜めるように言葉を発した。
「隣国からわざわざ来られたのに羽目を外すなど……少し浮かれすぎではありませんか?」
「それは……面目ない……」
反省し頭を垂れた騎士にアリシアは笑い出した。
「それだけ楽しまれたと言う事でしょう? ルガリアードがお気に召したのなら、それはそれで良いではないですか? それよりお尋ねしたい事があります。貴方はリングレントの竜を見た事がありまして?」
「えぇ、勿論。彼等とは良き友ですので……」
「まぁ……本当ですの? 竜はどのような風貌なのですか? よく本に載っているように火を吹くのですか? 人は食べないのでしょう? 人間と同じものを食べるのかしら? 大きさは山のようだと聞き及んでおりますが、本当ですか?」
アリシアは顔を輝かせ騎士を質問漬けにした。それにはブルーナも驚き、騎士は黙って質問するアリシアの表情を見ていたが次第に笑い出した。
「どうしたのですか? 私、何かおかしな事を言いまして?」
「あぁ、いや、可愛らしい方だと思ったもので……」
騎士の言葉にアリシアは赤くなった。
「そのような事はこのような場所で言わない方が宜しいと思いますわ。貴方のような方がそのような事を言いますと、勘違いしてしまう女性もいると思いますもの」
それでも騎士はアリシアの様子を笑って見ていた。アリシアは気を取り直して口を開いた。
「それで、竜の話です。どうなのです?」
「竜ですか……」
「えぇ、とても興味がありますの。だって竜ですよ。しかも賢いと聞いております。翼があるものと翼がないものがいるのでしょう?」
騎士は少し空を眺めた。
「彼等はとても賢いですよ。でも、火を吹く事はありません。人を思いやる心が強く、人の助けになる事に喜びを見出し、いつも人の事を思っている……ふむ……そう考えると、竜は王の務めと同じような事をしているのかもしれない」
「王の務めですか? 成る程、そうですわね。そのような王が居たら、その国はさぞ居心地が良いでしょう。人は王を愛し、王は民を愛する。その絆は測ってできる物ではありませんわ」
アリシアは無邪気に笑った。騎士はアリシアを観察しながら微笑んで見ていた。その時ブルーナが考え込みながら口を開いた。
「……リングレントの王は竜を手本にしているのでは無いですか?」
ブルーナはそのまま話し出した。
「きっとそうだと思いますわ。竜を手本とした事で、リングレントの歴史から戦いがなくなった。永きに渡りリングレントとルガリアードは共同体として生きて行く事になりました。その精神は竜にあったという事なのでは無いでしょうか?」
「ほう……貴女はそう思われるか?」
騎士の目がブルーナに向いていた。ブルーナは慌てて俯いた。何故だか騎士と目を合わせると見透かされているような気分になるのだ。
「過ぎた事を申し上げたかもしれません。リングレントの方にルガリアードの私が申す事ではありませんでした……」
「過ぎた事とは思いませんよ。私もその通りだと思っています。リングレントにとっての竜は生きた神も同然です。彼等を手本とするのは当然の事でしょう……そこに貴女は気付いた」
騎士は笑みを深めた。ブルーナは自分の意見をまともに聞いてくれる人を、アリシア以外に初めて得たように思った。アリシアとの会話は楽しくて時間を忘れる。そしてこの騎士との会話は考察が混じり深く考える。
面白いものだとブルーナは思う。屋敷から出ずに本ばかりを読んでいた自分が、今この王城内にいて知らない者と会話をしている。今まででは考えられない出来事の中に自分はいるのだ。そしてそれは喜びをもたらしている。
ブルーナはこの会話が楽しかった。意見を述べ、それに対して相手が自分の意見を言う。アリシアとの会話の中も、騎士との会話の中にもそれがあり、心から楽しいと思えた。
「どうかされましたか?」
ブルーナが黙っていると騎士が尋ねてきた。ブルーナは思った事を表情に表した。舞踏会内での貼り付けた笑顔ではなく、ニッコリと心から楽しそうに笑ったのである。アリシアもブルーナの様子に気付き、それはそれは嬉しそうに笑った。
「今日はここへ来て良かったと思っていたのです。とても楽しい時間を過ごせました」
ブルーナはアリシアと騎士の顔を代わる代わる見た。騎士に対する初めの警戒心は小さなものになっている。
「……それは良かった。時間が許すなら、もう少し話していたいが……」
騎士は城の中へ目線を移した。そしてすぐにアリシアとブルーナに視線を戻す。
「貴女方お二人と話していたら、気分の悪さがなくなってしまいました。もう大丈夫です。私はアルヴァン・ディオ・ド・バルトゥークと申します。お二人にお礼をしたいのですが、お名前を教えて頂けませんか?」
「お礼など……私達は何もしておりませんわ」
少し困ったようにアリシアは頬に手をやった。だがアルヴァンと名乗った騎士は首を振る。
「いいえ、楽しい会話が何よりの薬になりました。是非お礼がしたい」
「そう仰られても……」
アリシアは一度ブルーナの顔を見た。ブルーナは顔を少し下げて考え込んだ。名前を教えるべきか否か……そんなブルーナを見ながら、アリシアは意を決した覚悟でアルヴァンと名乗った騎士にきちんと向き合った。
「お礼をしないと言うのなら教えて差し上げます。でもお礼をすると言うのであればお教えいたしません」
アルヴァンはそれを聞いて少々驚いた。
「……おかしな事を言いますね。私はお礼がしたいと言っているのですよ」
「私はお礼をする程の事ではないと思うのです。私達はただ、少し貴方とお話をしただけですわ。気分が悪かったのは貴方ですが……それだけの事にお礼をすると言うのなら、貴方は周りの人達全てにお礼をしなければなりません。従者も含めて全てですよ。そんなのおかしいとお思いになりませんか?」
アルヴァンはアリシアの顔を見つめた。彼は名前を知りたいだけなのだ。ここで聞ければ後が楽である。聞けなければまた別な方法を考えなければならない。せっかく彼の側近がこの二人の後を付けて持ってきてくれたチャンスを無駄にはしたくない。
「……確かにそうですね。ではお礼はしません。その代わり、名前を教えて頂きたい」
アリシアはアルヴァンの言葉を聞いてニッコリと笑った。
「それなら教えてさしあげますわ。私はアリシア・フィリス・ドゥール・パルストと申します。パルスト辺境伯の娘です。以後、よろしくお願いいたします」
「あぁ、貴女はパルスト辺境伯の御息女でしたか……」
アルヴァンはその名を記憶に刻み付けるように口の中で復唱した。
「貴女は?」
次にアルヴァンはブルーナにも向き合った。このような事に慣れていないブルーナは、一瞬躊躇ったが素直に応じた。
「私はブルーナ・リアス・ド・ルドヴィーグと申します。父は文官をしております」
「……あぁ、ルドヴィーグ伯爵ですね。貴女のお父上には世話になった事がある。お元気でおられるのだろうか?」
「えぇ、父はとても元気ですわ」
ブルーナは意外な気がした。勿論、宮廷での父の事を聞くのは初めてである。世話になった事があると言う事は、この騎士は何度もルガリアードを訪れているのだろう。ブルーナがそう思っているうちに、アルヴァンは頷き口を開いた。
「お二人と話すのは実に楽しかった。あんなに気分が悪かったのに、今はなんともありません。さて、お二人は大広間へ戻られますか?」
ブルーナは首を振った。アルヴァンは意外そうな顔をした。
「戻られないのですか?」
「はい、私は大広間へは戻らず失礼いたします」
「……それは残念ですね」
アルヴァンは本当に残念そうにブルーナを見た。そしてアリシアにも向き合った。
「アリシア様はどうされるのですか?」
「私はまだ挨拶回りが終わっていませんの……それを終わらせたら失礼しようと思っておりますわ」
「……そうですか、ではお二人共最後まで残る事はないのですね」
アルヴァンはそう言いながらまた城の方を見た。アリシアが振り向くと、ガラス戸の影に男が一人立っていた。
「お連れ様がいらしたのではなくて?」
「あぁ、そうなのです。もう行かなければ……またお会い出来るのを願っていますよ。では、失礼」
アルヴァンはそう言うと扉へ向かって歩き出した。颯爽と歩く後ろ姿には、先ほどここへ来た時の具合の悪さなどどこにも見えない。ブルーナとアリシアは顔を見合わせクスッと笑った。
「不思議な方ね」
「えぇ、本当に。具合が悪いというのが嘘のようだわ」
それから程なくして、エルダとルティアが戻って来た。ベランダにはアリシアとブルーナしか居ないのを見て辺りに目をやる。
「あの騎士の方はどうされたのですか?」
エルダは水差しを、ルティアはブランケットを持ち、騎士の姿がない事を訝しんだ。
「それが、少し話をしていたらその間に具合が良くなったようで大広間へ戻られたのよ」
アリシアが笑いながら言うと二人は尚も眉間に皺を寄せた。
「あんなに具合が悪そうだったのに……そんなにすぐに良くなる物でしょうか?」
そこへ従者も戻って来た。
「お待たせ致しました。おや……何かありましたか?」
従者はエルダとルティアの持つ水差しとブランケットに目をやり、ブルーナとアリシアを見た。ブルーナは従者に対して端的に説明をする。
「具合の悪くなったリングレントの騎士が風に当りに来られたのです。でも、水とブランケットを取りに行っている間に、具合は良くなったと戻られたようです」
「……左様でしたか」
従者は何か思うところがあるような仕草をしたが、あえて何も話さなかった。
「この水差しとブランケットは、廊下におられた従者の方にお願いしてお借りした物です。結局、使用は致しませんでしたが……」
ルティアの持つブランケットとエルダの持つ水差しを見ると従者は笑う。
「では、それは私が返しておきましょう。それから、ルドヴィーグ伯爵令嬢、馬車のご用意が出来ました。ご案内いたします」
従者はルティアとエルダからブランケットと水差しを受け取ると、案内するように先を歩いた。
「ありがとうございます」
言いながらブルーナはアリシアの手を取った。
「アリシア、きっと私の家へいらしてね。きっとよ」
「えぇ! 手紙を先に出すわ。ねぇルティア、良いでしょう?」
ルティアは笑顔で頷く。
「アリシア嬢様が務めをきちんと果たして下さるのであれば、私から反対する理由はございませんね」
ルティアからはチクリと念を押されたがアリシアは嬉しそうに笑った。
「えぇ勿論務めは果たします。ルティアからの許可が出たのだもの、ブルーナ、近々貴女の家を訪ねさせて頂くわね」
ブルーナも応えて心から嬉しそうに笑う。
そして二人は城の廊下で別れた。
帰りの馬車の中で、ブルーナは自分の心が晴れ渡るのを感じていた。友という大きな宝をブルーナは得たのだ。この日、ブルーナにとってはすずらん祭りの舞踏会の行事より、アリシアという友を得た事実の方が大きな意味を持つ事となった。
二人の絆はこの後、生涯に渡りお互いに深く強く繋がって行くのである。