26 ラディウスとディオニシス
その次の日の夜、ラディウスとディオニシスは部屋で二人して酒の杯を傾けていた。
「明日ルガリアードへ戻るのか?」
「あぁ、祝いの席はもう良いだろう?」
ラディウスは酒の杯を口にする。ディオニシスはそんな友の姿を眺めていた。
「ひとつ聞きたいのだが……ラディウス、君は何を考えている?」
ディオニシスの言葉にラディウスは目の前の友を見た。
「晩餐会の時、ブルーナ嬢と入って来ただろう。何故そうした?」
ラディウスは酒の杯を見つめた。
「理由はない。彼女は私の婚約者の姉君だ。身内をエスコートしただけだが……」
「それだけではないだろう? 彼女は注目を浴びるのに慣れてない。それを敢えてそうしたのには理由があるのだろう? 私が気づかないと思うのか?」
ディオニシスの言葉にラディウスはニヤリと笑った。
「理由はないが……慣れて貰わねば困るのだ……」
「どういう事だ?」
ラディウスはディオニシスを見た。
「話す必要はないと思うが……」
「そうはいかぬ、彼女は我妻の親友だ。ぞんざいに扱ってもらっては困るのでな」
ディオニシスが酒に口を付けた。
「ぞんざいに扱うわけがなかろう……ただ、彼女を欲しいと思ったのだ」
ラディウスの言葉にディオニシスはピクリと眉を上げた。
「勘違いをするな。彼女の知性を欲しいと思っただけだ。私の文官に付けたい……」
ディオニシスは表情を崩さず杯を持ったままラディウスを見つめた。
「悪いことは言わぬ、やめておけ。女性が文官になるなど、彼女の苦労が目に見えるようだぞ」
「あぁ、だから慣れて貰わねばならない」
簡単にはラディウスの意志が動きそうにないのを見てとるとディオニシスは溜息をついた。
「私がアリシアと出会った時、ブルーナ嬢も傍にいた。正直に言うと、初め私はブルーナ嬢に興味を持った。恐らく感じたのは君と同じだと思う。彼女は控えめだが芯がある」
ラディウスはディオニシスに視線を向けた。
ラディウスはブルーナを思った。確かに芯はある。だが控えめだろうか? ブルーナは自分の意思をハッキリと示す。
ディオニシスは言葉を続けた。
「だがな、彼女の父親はルドヴィーグ伯爵だった。宮廷内の文官の中でも中心になる人物だ。これはまずいだろう? 国を動かす中枢にいる人物の娘だ。彼がリングレントの王太子に自分の娘を嫁に出すとは思えぬ。アリシアはパルスト辺境伯の娘だった。彼にはたくさんの子がいたのでな。一人くらいは隣国へ嫁に出しても構わぬだろう。これはしめたと、すぐに手を打つべく動いたわけだ」
ディオニシスは正面からラディウスを見ている。
「わかるか? あの二人の知性と度胸が……」
「……あぁ。だから私は彼女を私付きの文官にしたいと……」
ラディウスの言葉にディオニシスは呆れた表情を浮かべた。
「何故ブルーナ嬢を妻に迎え入れんのだ。その方が早いだろう?」
「……それに関しては……私は彼女の妹のエレーヌと婚約してしまったのでな……」
「婚約などに縛られてどうする?」
ディオニシスの問いにラディウスは小さく笑った。
「家庭は大事だ。君は疲れて戻った時にホッとしたいと思わぬのか?」
「思うに決まっている。だから私はアリシアを妻に迎えた。彼女は興味の幅が広く、あまり物事に動じない。それに……細やかさを持っている」
ラディウスは小さな溜息をついた。
「私の場合は事が複雑なのだ……」
「私には、自ら複雑にしているようにしか見えぬがな」
ディオニシスは容赦無くラディウスに言った。
「ブルーナ嬢は本質を見抜く目を持っていると思う。彼女は貴重な存在だ。だから君に残したというのに……」
ラディウスは杯の中の酒を飲んだ。
エレーヌはまだ小さい。彼女の成長を待とうと決めた時、ブルーナの存在を知らなかった。確かにもっと調べればよかったと後悔はした。だが仕方のない事でもある。自分から無理にルドヴィーグ伯爵に婚約を申し出た事なのだ。時間がなかった。それは事実だ。
それを別にするとエレーヌも成長を待てば聡明な女性になるだろう。エレーヌとてブルーナに負けず劣らず聡い。ラディウスの脳裏に『思い込み作戦』の鬼ごっこが浮かんだ。あのような事を四歳の女の子が考えるのだ。先の成長が楽しみではないか。
フッと笑いラディウスは杯の中の酒を飲み干した。
「翼のある竜のソラがな……ブルーナ嬢に懐いたのだ。その意味を君は分かるか?」
「ほう……」
ラディウスが考え込んでいると、ディオニシスがそう言い意味ありげに笑った。
「まぁ、我妻アリシアも同じくソラは瞬殺で懐いたのだがな。あの二人は面白い」
竜が懐く。その意味は人間性が良いことを意味している。竜はそれを見抜く。リングレントでは重要人物になりそうな者達を全て竜の前へ連れて行く。竜が懐けば起用するのだ。
ラディウスはブルーナの瞳を思い出していた。初めて見かけた時の眼。彼女は印象が強く深い目をしていた。
「竜が懐くのも分かる……彼女は人を寄せ付けないようでいて、心を許すものには素直だ」
「そこまで見えているのなら何故手に入れぬ?」
ラディウスは黙ったまま、からになった酒の杯を見つめた。
「何故かな……」
ラディウスの言葉にディオニシスは深い溜息をついた。
「まぁ、君自身の事だ……好きにすれば良いがな。彼女を傷つける事だけはするな。アリシアに恨まれるぞ」
ラディウスとディオニシスは杯に酒を注ぎ足した。
ラディウスにはブルーナが触れてはならない花のように思えていた。誰もブルーナには近づく事はできない。あの凛とした物言いと瞳、それから纏う空気は誰にも侵す事は出来ない。
それを口にした所でディオニシスにはこの気持ちは分からないだろう。目の前の男は思う事はやり通す男だ。ラディウスはディオニシスに気づかれないように息を吐いた。
長い夜、ラディウスはディオニシスの部屋から戻っても考えていた。中庭を挟んでテラスの向かいにあるブルーナの部屋の明かりはもう既に消えている。
明日の午前中の間にラディウスはルガリアードへ向けて出立する。旅の間にブルーナと交流が持てたらと思っていたがそれは叶わなかった。自国に戻ればまた忙しくなる。束の間の休暇が終わる事にラディウスはまた溜息をついた。




