24 婚姻の儀の後の晩餐会
とうとうアリシアの婚姻の儀が執り行われることになった。
ブルーナは母から譲り受けたドレスを身に纏い、静かに馬車で聖堂に向かった。
朝から街は大賑わいで多くの人が聖堂前の広場に集まっている。その中を騎士に守られながらブルーナは聖堂内に入った。
聖堂内は多くの人が居た。皆リングレント王太子とアリシアの婚姻の儀に参列するために来た者達である。着飾り、正装し、思い思いの服装で参列している。
ブルーナは中央の通り道のすぐ傍に通された。ブルーナの前の列には矍鑠とした大きな人物がいた。彼は初老の貴族のようで髪が殆ど白くなっていた。そして黙ったまま祭壇を見ている。
ブルーナはその後ろに座り同じように祭壇を見ていたが、不意に前に座る人物が振り向いた。彼はブルーナと目が合うとニコッと笑う。きちんと手入れされている髭が印象的なその御仁にブルーナは会釈をした。
「もしかすると、貴女がブルーナ嬢かな?」
初老の彼によく響く低い声で名を言われ、ブルーナは少し驚いた。
「……はい。あの、失礼ですが貴方は……」
彼は尚も笑う。
「アリシアの父親のルディオール・チェンバー・ド・パルストと申します」
「あ……」
ブルーナは目を見開いた。
「これは、大変失礼をいたしました。私はブルーナ・リアス・ド・ルドヴィーグと申します」
「えぇ、アリシアより貴女のことはよく聞いておりました。ルドヴィーグ伯爵はお元気ですかな?」
「はい、とても元気にしております」
ブルーナは珍しくドギマギした。父や従者以外に年長の者と話す機会など殆どない。
「あの子は舞踏会の席で貴女と親友になったと嬉しそうに言っておりましたよ」
パルスト辺境伯は小さな声でブルーナだけに聞こえるよう囁き頷きにこりと笑った。相手を威圧する空気は微塵もなく、懐の大きな人であるのが窺える。
「私もアリシア様と友人になれたことが何より嬉しいのです。ここにもこうして呼んで頂いて感謝いたします」
パルスト辺境伯は満足そうに笑った。
「これからもよろしくお願いしたい」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
ブルーナはホッとして笑顔を交わした。
その時、リュートとハープの優しい音色が聖堂に響き始めた。ざわめいていた聖堂内が静まり返る。誰も口を開かず出入り口に身体ごと視線を向けると二重の大扉の内側の扉が開かれた。そこからディオニシスとアリシアがゆっくりと聖堂内へ入ってきた。
ディオニシスは白の正装服に身を包み、髪は後ろに撫でつけ不適な笑みはそのままにアリシアをエスコートしている。
アリシアは真っ白なドレスを身に付けていた。光るシルバーの糸で細かく花が刺繍された布は遠くから見ると時にキラキラと煌めいて見えた。プラチナブロンドの髪は美しく結い上げられ『蒼き夢』の冠を付けている。襟の高いその隙間から同じ『蒼き夢』のチョーカーが覗いている。頬を少し染め、ディオニシスに手を取られながら歩くアリシアは、とても幸せそうでどこからみても完璧だ。
二人はブルーナとパルスト辺境伯の並ぶ直ぐ側を過ぎて行く。ブルーナと目が合うとアリシアは嬉しそうに微笑んだ。
ブルーナは微笑みを返しながらも、目頭が熱くなった。アリシアとの短い付き合いがこんなに深くなるとは思っていなかった。その友が今、隣国の王太子と婚姻を結ぶのだ。
その後の儀式は司祭によって進行されていく。二人は祭壇前に跪き頭を垂れ司祭からの祝福を受けて、儀式は重々しくも滞りなく過ぎて行った。
そして儀式の最後には王都中に鐘が鳴り響く。祝福の鐘の音は大きな幸福の波となってリングレントの国中に鳴り響いた。
これでアリシアはブルーナの友という立場の他に、リングレントの王太子妃という立場になった。
心なしか前のパルスト辺境伯の背中はホッとしたようであり寂しそうでもあった。彼はブルーナの視線に気付き少しだけ頬を緩める。
「娘の婚姻の儀は何度経験しても慣れないものなのですよ」
そう言って去りゆくアリシアの後ろ姿をずっと見ていた。アリシアはもう彼の娘というだけではないのだ。
儀式が終わると祝いの場は王宮内の大広間に移された。そこで舞踏会が行われるのだ。ブルーナはそのまま大広間へ行く事を迷った。アリシアとディオニシスが踊る姿は見たい。だが自分は踊れない。
「お嬢様、どうなさいますか?」
エルダにもブルーナは迷ったまま王宮へ戻った。舞踏会の行われる大広間へ向かう廊下はすでに行列ができている。一人一人確認し中へ通されるようだ。
ブルーナは溜息をついた。舞踏会は苦手だ……。
「一度、部屋へ戻りましょう」
エルダがそう提案しブルーナは頷いた。少し熱気に当てられたかも知れない。体調は悪くはなかったが少し静かな所へ行きたい。
部屋に着くなりブルーナはホッとして椅子に座った。エルダがお茶の準備をする。
——アリシアはとても綺麗だったわ……。
エルダがお茶の準備をする姿を見ながら、ブルーナは自分の胸の奥にモヤモヤするものがあるのに気付いていた。理由はわかっている。だがそれを口にしてもどうしようもない事も分かっている。
アリシアの嬉しそうな顔を見た時、ブルーナ自身も嬉しくなった。同時に寂しさもあった。それを説明するには自分の嫌な部分を認めなくてはならない。アリシアを羨んでもブルーナの生活は何も変わらないのだから……。
ブルーナは舞踏会へは行かなかった。晩餐会に向けて無理をしたくないというのもあったが、心を鎮めるために部屋で静かに本を読んだ。ブルーナの部屋は大広間のある建物と離れている。窓は中庭に面しているため静かなものだ。
「お嬢様、晩餐会へは行かれますか?」
ブルーナは本から視線を外し尋ねたエルダを静かに見た。正直に言って仕舞えば、もうそれすら面倒に思えている。でも、アリシアの婚姻の儀の晩餐会だ。
「えぇ、行くしかないわね」
エルダは微笑むと隣の部屋へ下がって行った。
そのまま静かな時間は過ぎて行く。
陽は傾き心持ち太陽の光が陰り始めた頃、漸くブルーナは本を閉じた。そろそろ晩餐会へ行く準備が必要だろう。ブルーナが隣の部屋へ移動すると、そこにはエルダがドレスを準備して待っていた。
「お嬢様はやはりルガリアードでお召しになったブルーのドレスがお似合いだと思うのです。こちらに着替えましょう」
そこに用意されていたのはアリシアと初めて会った時の青いドレスだった。大勢の人たちとの晩餐会は初めての経験だ。ブルーナはそういう場に行く事を気後れしていた。このドレスは初めての舞踏会を経験している。何故か安心感があった。知らず知らずブルーナの表情が和んだ。
「ありがとうエルダ。ちゃんと考えてくれたのね……」
「いいえ、私は共に行くことが出来ませんので、お嬢様が出来るだけ心を穏やかにいられたらと思っただけです」
エルダはブルーナの気持ちを察してくれている。ブルーナはそれが嬉しかった。
青いドレスに身を包むとエルダはブルーナの髪を整えた。化粧を施し、宝石を飾る。鏡の前には舞踏会の時より少し大人になったブルーナがいた。
「お嬢様、とても素敵ですよ」
エルダの微笑みをブルーナは嬉しく思った。
窓の外の夕暮れの空が赤く色付いたのを見て、ブルーナはテラスへ出た。陽に照らされた赤々とした空と本来の色の青さが混じり合い、不思議な色を見せている。
「エルダ、空が綺麗よ」
思わずブルーナは部屋の中のエルダに声をかけた。エルダは急いで出て来るとブルーナの横に並び空を見上げる。
「何て神々しいのでしょう……」
二人は声を上げる事をせず、その色に酔いしれた。徐々に変化して行く空の色の中に星が光る。今日一日が終わるのだという気持ちと、これから晩餐会があるのだという緊張がブルーナの心で混じり合っていた。
「そろそろ行かなければね……」
ブルーナは緊張の糸を切るように背筋を伸ばした。エルダは柔らかく微笑んだ。
「途中までは私も参ります。控え室にて待っておりますから」
「えぇ、ありがとう。エルダ」
晩餐会の行われる部屋は大広間とは別の部屋だった。案内する従者が部屋まで呼びに来て、ブルーナとエルダは部屋を出た。
長い廊下を行き多くの角を曲がり中庭に面した廊下を歩いていると中庭から廊下へ来る集団がいた。従者が歩みを緩めその集団を先へいかせようとした時、集団の中の先頭付近にいた者がブルーナに視線を投げた。
思わずブルーナはその人を見ないように視線を落とした。すると……
「ブルーナ嬢か?!」
その声には聞き覚えがある。顔を上げるとその人物はラディウスだった。
「ラディウス殿下?! 何故ここに?!」
「それはこちらのセリフだ。君はここで何をしている?」
ラディウスは中庭から廊下へと上がった所にいた。
「友の結婚の祝いに駆けつけたのです。殿下こそここで何をされているのですか?」
「私も同じだ。ディオニシスの婚姻の儀の……あぁそうか。アリシア嬢の友人とは君の事か?」
何という事か。隣国まで来たと言うのにラディウスと出会うとは……しかし彼はブルーナの傍へ嬉しそうにやって来る。
「ここへ来る一日前に私はルドヴィーグ家を訪れたのだ。逃げるなと言ったにもかかわらず、君は居なかった。またしても逃げられたと思っていたのだが……成程な、君はここへ来ていた訳だ」
ラディウスはそう言った後、自分の顎に手をやりブルーナを上から下へと視線を落とした。
「……何か?」
その視線が気になりブルーナが口を開くとラディウスは片眉を少し上げスルッと目を逸らした。その態度はどういう事なのか、ブルーナは眉間に皺を寄せる。
「先程から何なのでしょう? 言いたい事があれば言ってくださらないと分かりません」
「いや……」
ブルーナがそうハッキリとした態度で言って来るとは思っていなかったのだろう。ラディウスは言うかどうかを迷うそぶりを見せたが、口を開く。
「書庫で会う時とは別人のようだ。なんと言うか……綺麗だ」
途端にブルーナの頬が燃え立つように熱くなった。
「な……何を……」
その先の言葉が繋げない程動揺する。動揺すると共に自分を落ち着けようと尚更眉間に皺が寄る。
するとラディウスは小さな溜息をついた。そして声を落として囁いた。
「その顔、ここではやめておけ……」
「?……」
「眉間の皺だ……」
ラディウスは自分の眉間を指差し皺を寄せた。ブルーナは目を見開くと、慌てて右手で己の眉間を押さえた。途端にラディウスは声を立てて笑い出す。
「まさかとは思うが、君は自分の眉間の皺にずっと気付いていなかったのか?」
ブルーナは憮然とした表情で顔を逸らせたのを見て、尚もラディウスは笑いだした。
「私と書庫で会った時も、君はずっと眉間に皺を寄せていたのだぞ」
ラディウスはブルーナの顔を見ながら何度も笑うのだ。そんな彼を目の前にブルーナは眉間に皺を寄せるわけにも行かず、無表情を作るのに苦労した。
そんなブルーナを見ながらラディウスはニヤリと笑う。
「私から一つ提案があるのだが……」
「……」
「義姉上。ここで会ったのも縁だ。晩餐会へ共に参るのはいかがですか?」
ラディウスは腕を曲げた。だがブルーナはそれを見たまま動けない。
「腕をお貸しするだけですよ。義姉上」
「いいえ、結構ですわ。それにまだ殿下はエレーヌと婚約は致しましたが、結婚はしてはおりません。義姉上はやめていただけませんか」
ブルーナは自分の両の腕を後ろに回し眉間に皺を寄せた。そしてハッとして直ぐに右手で眉間を抑える。ラディウスはまた笑い出した。その居心地の悪さといえば今までにブルーナが感じたことのないものだ。
「同じ場所へ行くのだ。共に歩く気はないのか?」
もう一度ラディウスが今度は少し下手に出て言った。
ブルーナはラディウスの腕を見たまま何も言わなかったが……ラディウスが不意に動き、ブルーナの腕を取り自分に掴まらせた。
「何を……」
ブルーナは言いかけて辞めた。後にはラディウスの側近や案内の従者や侍女達がいる。これ以上は騒ぐ訳にはいかず、こうなるとブルーナにはもうどうしようもない。
ラディウスは晩餐会会場へ向けて歩き始めた。
ブルーナはラディウスの顔をチラリと見た。彼は書庫で会うより人懐こく朗らかに見えた。ここでのラディウスは伸び伸びとしている。それをブルーナは少し不思議に思った。
ラディウスは一度満足げにブルーナを見下ろし、ブルーナは慌てて前を向いた。
考えて見ればブルーナはエスコートを受けた事がない。これは自分にとっての初めてのエスコートなのだと気付くと、ブルーナの心に気恥ずかしさと苛立ちが同時に湧き上がった。
ともすれば眉間に皺が寄りそうになるのを堪え、ブルーナは平然を装い歩いた。
晩餐会ではラディウスとブルーナが二人で入って来たことで集まった人々は驚いていた。ルガリアードの王太子のお相手は誰なのか……知らぬ人々は噂をし合った。ルガリアードの王太子は半年前に婚約したらしいと誰かが言うと、お相手は連れているあの女性ではないかと囁き合った。噂が真実とは限らないに関わらず、アリシアやディオニシスと親しげに会話を交わすブルーナの姿が噂の決定打になった。
晩餐会の間中、ブルーナは多くの人の注目を集め辟易していた。ブルーナの一挙手一投足を、噂をするもの達は見ている。
その中で長い時間を過ごすのに慣れていないブルーナは、早々に退散した。これがまた噂に拍車をかけていった。




