18 もう一人の娘
ラディウスとエレーヌが婚約して三ヶ月が経った。その間にエレーヌは一つ歳を取り四歳になっていた。ラディウスはエレーヌが自分の思う女性に成長してくれたら、言う事はないと思っている。
愛情深く、話し合いが出来、自分の意見を持つ、ラディウスはそういう女性を求めていた。その手助けになるのであれば、ルドヴィーグ伯爵家に脚を運ぶのは苦では無い。
婚約をしてから、ラディウスは月に少なくとも一度の訪問を欠かす事はなかった。礼儀の一つとして、エレーヌが一人の女性として成長するまで、ラディウスはこの約束事を守るつもりだ。公にはこの訪問に疑問を持たれないようにするために、ルドヴィーグ伯爵の書庫の資料が豊富なためだと言い、仕事の一環なのだと認識するように工夫していた。
ラディウスの誠意が伝わるこの行動は、ルドヴィーグ伯爵を喜ばせてもいた。エレーヌの存在は世間に知られてはいない。
ブルーナはアリシアがリングレントに立った後、エレーヌの婚約者がラディウス王太子である事を知らされた。
それを知った時は心の底から驚いたが、ブルーナに取ってはエレーヌの婚約者が決まった、それだけの事だった。その相手がたまたまラディウスであると言うことだけなのだ。成長してエレーヌは家を出て行く。だがそれは、ブルーナにとってはずっと先の話だった。
ラディウスが訪れる時は事前に知らされる。この家の厄介者である自分は人目につかない方がいいと、ブルーナは頑なに思っていた。それだから、ブルーナはラディウスが来る日は自室に篭り、エルダに彼が帰った事を教えて貰うまで自室で本を読んで過ごした。
その日、ラディウスは近くに来たついでに、ルドヴィーグ家を訪れた。この突然の訪問は、いつもの知らせのある訪問ではなかった為、ルドヴィーグ家の侍従達をかなり慌てさせた。だが伯爵はラディウスを快く迎え入れる。
「突然押し掛けてすまない。エレーヌ嬢のご機嫌伺いに寄っただけなのだ」
「いつでもどうぞ、避暑に出掛ける以外はこちらにおりますから」
何度も訪問しているうちに、ラディウスとルドヴィーグ伯爵の関係も身内としての絆の様なものが生まれつつあった。
居間に通され、しばらくするとパタパタと元気な足音が聞こえて来た。その音は居間の扉の前で止まり、扉が開くと同時に、息を弾ませたエレーヌが飛び込んできた。
「お兄様!」
エレーヌは直ぐさまラディウスに駆け寄ると、思い切り抱きついた。
「エレーヌ! 品のない事はしてはならぬ!」
慌ててたしなめるルドヴィーグ伯爵をよそに、ラディウスは子供らしい素直な感情を見せてくれるエレーヌを抱き上げた。
「良いではないか。この素直な所がエレーヌの利点なのだからな」
ラディウスはルドヴィーグ伯爵に笑ってそう言うと、エレーヌに向き合い優しく微笑んだ。
「元気でいたか?」
「はい! エレーヌはいっぱい食べて、いっぱい動きます」
「それが一番だ。君が元気だと私も嬉しい」
エレーヌはラディウスの首にギュッと抱きついた。
「お兄様が来て下さるのが、私はとっても嬉しいの」
この三ヶ月の間にエレーヌは言葉を上手く使い熟すようになっていた。「お兄ちゃま」と言っていた言葉も「お兄様」と正確に言えるようになった。
ラディウスはふと、一番下の弟も、この位の年の頃は自分の訪問を喜んで、遊んでくれとせがんだ事を思い出していた。成長と共にそんなことは無くなり、今では生意気にも対等に話をするまでに成ったが……懐かしく思いながら、心の中にこそばゆい思いが巡る。
「今日は、君の好きな遊びをするだけの時間がある。何をしたいか言ってごらん」
ラディウスの言葉にエレーヌは目を輝かせた。
「なんでもいいのですか?」
「あぁ、何かゲームでもいいし、隠れんぼや鬼ごっこでもいい」
「隠れんぼ! 私、得意よ!」
エレーヌは自信ありげに笑った。
「それはそれは……では、隠れんぼをするとしようか」
笑うラディウスに、ルドヴィーグ伯爵が困った様な表情で声をかけた。
「ラディウス殿下……何もそのような事をする必要はないのですよ」
「いや……少し懐かしい思いがある。伯爵さえ良ければやらせて貰えないか?」
ラディウスは朗らかに笑いながら、エレーヌを下ろした
「あまり遠くへ行っては困る。範囲はこの屋敷の中の一階だけにしよう」
ラディウスはエレーヌにそう言いながら、ルドヴィーグ伯爵を見た。
「それで良いか?」
「まぁ……良いでしょう。エレーヌいつも話しているが……」
「わかっています。入ってもいい所と悪い所があるのでしょう?」
「そうだ。屋敷で働いている者達の働いている場所と彼らの部屋はいけない……それと……」
言葉を切ったルドヴィーグ伯爵に向かって、エレーヌはとても真面目な顔をした。
「……決して、入ってはいけない場所があるのは、わかっています」
エレーヌの言葉にルドヴィーグ伯爵はホッとしたように笑う。
「それなら良い……」
ラディウスは二人のやり取りを聞きながら、幼いエレーヌがよく理解出来るように物事を教えている伯爵の教育方針を垣間見た気がして、更に好感を持った。娘に甘い父親はいくらでもいる。しかし彼は違った。物事の本質を見極める事が出来るよう、幼いうちから訓練をしているように感じられた。
彼の娘は、素晴らしい女性となるだろう。
「ではエレーヌ、私が先に鬼になってやろう。二十を数えるうちに隠れてごらん」
ラディウスの言葉にエレーヌは慌てて出て行った。パタパタという軽やかな足音が次第に遠くなる。ラディウスはその足音を聞きながらクスッと笑った。エレーヌはやはり幼い子供なのだ。足音をたてた事で、どの方向に向かったのかわかってしまうとは考えつかなかったのだろう。
ラディウスはそのままキッチリ二十を数えると、ルドヴィーグ伯爵に目配せをして部屋を出た。足音が消えて行った方へ向かうと玄関ホールへ向かう廊下と食堂へ入る扉があった。少し考えてから、ラディウスは食堂の扉を開けた。
中は真ん中に長いテーブルがあり、クロスはかけていなかった。テーブルの下を覗いてみるが、エレーヌの姿はなく、カーテンの陰や暖炉の薪入れの後ろにもいない。
ラディウスは部屋の中を見回した。この部屋には自分が入って来た扉以外に玄関側から入る扉と、台所へ続く扉がある。念のため台所へ続くと思われる扉を開いてみるが、簡素な廊下の先に台所と思われる扉があるだけで、隠れる隙はなさそうだ。
次にラディウスは玄関へ続く扉を出ると、玄関ホールの探索を始めた。外套を仕舞う大きなタンスの中、サイドに置かれた飾り棚の中、玄関の扉の凹み、エレーヌの姿はどこにもない。二階へ続く大きな階段を眺めたものの、約束は一階のみだ。
「これは……真剣に探さねば成らんな……」
ラディウスは呟いた。
居間へ戻ると、ルドヴィーグ伯爵は長椅子に座り本を読んでいた。
「おりましたか?」
ルドヴィーグ伯爵は微笑みながら声をかけてくる。
「いや……まだだ。彼女は本当に隠れるのが上手いのだな。少し真剣に探してみよう」
ラディウスの返答にルドヴィーグ伯爵は楽しそうに声をあげて笑った。
「健闘を祈りますよ」
「ありがとう」
バツが悪くなり、ラディウスは居間を出ると今度は逆の方向へ歩いて行った。奥は廊下が長く続いており、幾つかの角を曲がると、中庭に続くと思われる陽の光の注ぐ廊下が見えてくる。その廊下の先に大きな建物が続き、扉が開いているのが見えた。だが同時に、微かな侍女達の声が聞こえる。
ラディウスは立ち止まった。この先は、先程ルドヴィーグ伯爵の言っていた侍従達のプライベートなスペースなのだろうか? そうであるなら、この先にエレーヌが行く事はないだろう。
戻ろうと思ったその時、扉から侍女が一人出てきた。侍女はラディウスの顔を見ると驚いて小さく声をあげ、直ぐさま頭を垂れる。
「も……申し訳ありません! この様な所にラディウス殿下がいらっしゃるとは思わなかったもので……」
「いや……私も戻ろうと思っていたところだ」
ラディウスは戻りかけたが、もう一度廊下の先の巨大な建物を見ると侍女に尋ねた。
「少し尋ねるが、あの廊下の先の建物が書庫なのか?」
「はい、そうでございます」
「そうか、書庫か……」
「あの建物全てが書庫に成っておりまして、誰でも入って良い事になっております」
ラディウスはもう一度書庫を見た。何度もここへ来ているのに書庫に入った事はなかった。しかも書庫には誰でも入って良い事になっていると言う。
「確認するが、書庫には入っても良いのだな?」
「はい、誰でも入って良いとの事です。もしも、書物を借りる場合は伯爵様に断れば良い事になっております。その本の名前を帳面に書くようにと言われております」
「そうか……ありがとう」
ラディウスはそのまま書庫に向かった。成程……入ってはならない場所の先に、入っても良い場所があったのだ。エレーヌはあの場所に居るに違いない。
途中、中庭を臨み明るい陽射しに目を奪われながら、ラディウスは書庫へ入った。
書庫は一瞬暗闇に思えたが、目が慣れて来ると多くの書棚が整然と並んでいる様が見えて来た。書棚が並ぶその向こうにもずっと同じ様な書棚が並んでいる。壁際にも書籍が隙間なく並び、入って直ぐのホール部分は吹き抜けになっていた。そこから、見上げると五階建ての全てに本棚が並んでいるのが見える。
「壮観だな……」
思わず呟いたラディウスは、棚の本を眺めながらゆっくりと奥へ進む。床には絨毯が敷き詰められ、歩くラディウスの足音は殊の外静かだった。足を止めると静寂の中で書物が整然と並ぶ様は、高貴で厳粛な空間を思わせる。
「知識の森か……」
誰かが書庫の事をそう表現していた事があった。ここはまさに知識の森だ。奥へと足を向けながら、ラディウスは等間隔に大きな窓が設置されていることに気づいた。建物は実に巧妙に造られており、それは外の明かりを取るための物だ。中央部分の本を探すにはランプが必要だろうが、脇の棚の本は窓からの明りで十分探す事が出来る。
途中、二階への階段があり、それを過ぎて先へ進むと一番奥には広いスペースが取られていて、壁一面の本棚とテーブルが幾つか並んでいるのが見えた。テーブルが置いてある場所を覗き、エレーヌが居ないのを確かめた瞬間、ラディウスは息を飲んだ。
一番奥の窓際のテーブルに、女性が一人座っていたのだ。
艶やかで柔らかな濃く長い髪が、頬杖を付いた肩から緩やかなラインを描きながら落ち、ページを捲ると少し揺れた。彼女は夢中で本を読んでいる。俯き加減の横顔の美しさは、顔が半分隠れていても隠せるものではなかった。窓辺の光がその姿を包み、まるでこの世のものとは思えない。ページを捲る白く細い指が、静かに動いている。静かな空気の中で、微かな紙をめくる音だけが聞こえる。
ラディウスはその姿に魅せられたまま、視線を外すことも出来ず、音を立てれば忽ち彼女が消えてしまう様に思えた。
——妖精?……。
現実ではあり得ない発想がラディウスを支配し始めた時、静かに彼女が顔を上げた。ラディウスと目が合うと、彼女は驚いた表情をしたが、ラディウスを見つめたまま何も言わなかった。
「あ……邪魔をする気は無かったのだ……その……ちょっと人を探していて……」
見つめていた時間の長さを彼女に知られてはいないだろうが、言い訳をするようにラディウスは言葉を口にした。声を発してしまったが彼女は消える事は無い。
「ここには私しか居ません……」
彼女の声は凛とした小気味良い声をしていた。
「そうか……失礼した」
ラディウスが返答すると、彼女は表情を崩すことなく、静かに礼をして、また本に目を落とした。それ以上邪魔をする気にならず、ラディウスはもう一度その横顔を見つめ、その場を離れた。
——彼女は誰なのだ?……侍女にしては、言葉も身なりも態度も落ち着いたものだ。ルドヴィーグ伯爵の身内だろうか?
ラディウスは書庫を出た後、中庭へ出る戸口の側に立った。先程はサラリと見て終わったが、よく見るとなかなか居心地が良いように作られている。
数本の大きな樹木があり、その下にベンチが備えてある。ベンチは木洩れ陽の中にあり、座った人に優しい影を落とすようになっていた。その周りには低い木が植えられ、優しい空間を作っている。
先程の女性もここで休む事はあるのだろうか……ふとそんな事を思いながら、ラディウスは自分にはまだ仕事が残っているのを思い出し、居間へ戻って行った。
居間の扉を開けると、先程と同じ様にルドヴィーグ伯爵は長椅子で本を読んでいた。
「どうですか?」
ルドヴィーグ伯爵の問い掛けに、ラディウスは苦笑いをした。
「何処にもいない……残るはこの居間の探索だけだが……」
ラディウスが答えると、ルドヴィーグ伯爵は笑った。
「どうぞ好きなだけ探索してください」
そう言いながら、奥の大きなデスクを黙って指差した。ラディウスは一瞬まさかと思ったが、伯爵の頷く様子に半信半疑デスクの下を覗き込んだ。
「あ……居た!」
エレーヌは机の下で小さく足を抱えて隠れていた。
「うふふ」
エレーヌは見つかると笑顔で机の下から這い出てきた。
「全くここに居るなんて……本当に君は隠れるのが上手い」
ラディウスが抱き上げると、エレーヌは自慢げに笑う。
「思い込み作戦よ」
ラディウスは大袈裟に目を見開いた。
「思い込み作戦?」
「そう! 先ずは、大きな足音を立てて逃げるの。それから、お兄様が出て来るまで玄関と食堂を繋ぐドアの所に隠れるの」
ラディウスは興味を持ってエレーヌの話を聞いた。
「それで、どうするのだ?」
「お兄様がどちらに行くのか、そこで見ているの。ルートは食堂のドアか玄関への廊下か二つしかないもの、必ずどちらかに行くでしょう? それから、お兄様が行った別のルートでここへ戻ってデスクの下に隠れるの!」
これを聞いたラディウスは心底驚き目を丸くした。思い込み作戦とはうまく名付けたものだ。
「では、あの足音はわざとだったのか?」
「はい!」
胸を張るエレーヌを見直すと、ラディウスは声をあげて笑った。
「なんと……完全にしてやられたものだな」
「申し訳ありません、私もこの子にいろいろな方法でやられっ放しなのです」
ルドヴィーグ伯爵は申し訳なさそうにラディウスに言うと、エレーヌに顔を顰めて見せた。
「いや、謝る必要はない。君が年端もいかないからと油断していたのは、こちらなのだから」
そう言うと、ラディウスはエレーヌの頭を撫でた。
「しかし、思い込み作戦とは……よく言ったものだな」
感心しきりのラディウスにエレーヌは満面の笑みで答えた。
「お姉様が考えて教えてくれました」
「エレーヌ!」
エレーヌの発言にルドヴィーグ伯爵が慌てた様子で制止しようと声をあげた。その声の大きさに、エレーヌはビクッと体を震わせ、抱き上げているラディウスの腕にしがみついた。
ラディウスの脳裏に先程書庫で出会った女性が浮かぶ。
「伯爵、彼女を叱らないでくれ。多分、私もそのお姉様とやらに会っている」
ラディウスの言葉にルドヴィーグ伯爵は一瞬目を見開いた。
「……どこでお会いしたのですか?」
「あぁ……エレーヌを探している最中に、書庫へ入った。その時に……」
「お姉様は書庫にいるの? あ……じゃあ今日はご機嫌なのだわ!」
エレーヌは嬉しそうな声を出し、そわそわと落ち着かない様子でラディウスに下ろして欲しいと頼んだ。そして、ラディウスに礼をすると居間から出て行こうとする。
「待ちなさい、エレーヌ! どこへ行く?」
ルドヴィーグ伯爵が声をかけると、エレーヌは立ち止まって黙ったまま下を向いた。
「エレーヌ……今日はラディウス殿下がおいでになっているのだよ」
エレーヌに言い聞かせるように、伯爵は静かなトーンで話すが、エレーヌは振り向いて伯爵の顔とラディウスの顔を交互に見た。
「……でも……早く行かないと、お姉様はまたお部屋に篭ってしまうから……」
エレーヌはまた下を向いた。
ラディウスはこのやり取りを暫く観察していたが、ユックリとエレーヌに近付くとしゃがみ込みエレーヌの顔を覗き込んだ。
「私はもう帰らねばならない……この次に来た時も、今日の様に遊んでくれるか?」
エレーヌはラディウスをしっかりと見た。
「はい。私、お姉様の次にお兄様の事好きだもの」
ラディウスは笑った。
「ありがとう。では、お姉様の所へ行ってもいいよ」
「はい!」
エレーヌはラディウスの首に抱きつき、頬にキスをすると部屋を出て行った。奥の方へと向かう足音が聞こえる。
「あの足音は間違いなく書庫へ向かっているのだろうな?」
ルドヴィーグ伯爵は恐縮していた。
「ラディウス殿下。誠に申し訳ございません。娘には言って聞かせますので……」
ラディウスは伯爵の緊張を説くように笑った。。
「良いではないか。まだ、四歳の女の子なのだ……お姉様の次で、私は十分だ」
そして真面目な顔になり尋ねた。
「その、お姉様の事だが……彼女は何者なのだ?」
「それは……」
伯爵は話す事を躊躇っていたが、少し間を置いた後、心を決め話し始めた。
「あの子は私の娘です。先妻レティシアとの間に産まれたエレーヌの姉になります……」
ラディウスは少し驚いた。彼にエレーヌ以外の娘がいる事を知らなかったのだ。
「貴方と血が繋がっているのか?」
「はい……ただ……あの子は大変気難しい子で……その……身内の恥を晒すようなのですが、あの子はエレーヌと侍女にしか気を許しておりません。ラディウス殿下にお会い頂くのも躊躇しておりました。失礼な事をするのではないかと……」
伯爵は言葉を切り、ラディウスの顔をしっかりと見た。
「話す機会が遅れてしまい、大変申し訳なく思っています。今日あの子にお会いした時、何か失礼な事はしませんでしたか? それだけが気がかりなのですが……」
伯爵の話を聞きながら、ラディウスは大変気難しいという彼女の静かな瞳を思い出していた。
「いや、何も……寧ろ、ここには自分以外誰も居ないと教えてくれたが……」
「そうですか、それなら良かった」
ホッとしたように胸をなで下ろす伯爵を見ながら、ラディウスは彼女の瞳を思い出していた。その瞳は気難しいとは思えなかったが、意志の強さを感じた。
「娘の名は何と言うのだ?」
「ブルーナと申します……ブルーナ・レティス・ド・ルドヴィーグ」
「ブルーナ……」
ラディウスは呟いた。その名は、静かな瞳の彼女に相応しい名前だと思えた。




