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14 小さな淑女


 ラディウスはオルファ王の執務室から戻ると、側近に声を掛けた。


「頼むが、ルドヴィーグ伯爵を呼んでくれないか? 至急話がしたいと伝えてくれ」

「分かりました」


 二人の側近の内、小柄なカミルが反応し直ぐに部屋を出て行く。

 それを見送り、ラディウスは自分の椅子に深く腰を下ろした。ルドヴィーグ伯爵に全てを話すか……それとも理由を付けて一度訪問し、その娘とやらに会うのが良いか……。少し考えたラディウスは後者を選んだ。話してしまって噂が立つのは避けたい。もし本当に自分の理想の女性だった場合、妨害を受ける可能性がある。それにもしルドヴィーグ家の娘も似たようなものであれば、目も当てられない上に三人の妃候補の侯爵家が黙ってはいないだろう。ここは黙って誰にも理由を言わずに遂行するのが都合が良い。


 暫く待つとルドヴィーグ伯爵がラディウスの執務室にやって来た。まだ三十代半ば過ぎの彼は、こうして対面して見ると中々に誠実そうである。彼は文官の中でも下級の者達から慕われていると聞いている。ラディウスはその話からも好感を持っていた。


「お呼びだと伺いました」


 彼は穏やかにそう言うとラディウスの言葉を待った。ラディウスはニコリと笑う。


「先日、セイデル侯爵夫人とお会いしたんだが、ルドヴィーグ伯爵の持つ書庫のことをとても褒めていた。それで私も興味を持ってね……貴方の書庫を見せては貰えないか?」


 理由はそれで十分だと思えた。ルドヴィーグ伯爵は少し驚いたものの穏やかに笑う。


「そうでしたか……ですが、殆どこの王宮の図書館と変わりはありませんが……まぁ、そうですね。写しきれていない本の分、ここより多い位でしょうか? それでも宜しいのですか?」

「構わない。まだ写し切れていない本を見たいのだ」

「分かりました。では、いつが宜しいでしょうか?」

「今日、今からでは不味いだろうな……明日はどうだ?」

「承知いたしました。では明日、午後からおいで下さい。午前中、私は王城内にて仕事がありますので、午後にご一緒いたしましょう」


 ルドヴィーグ伯爵は実に話の分かる人物だった。機転を聞かせ共に赴く事を提案し、しかも何の気概も無くことを勧める。ラディウスは彼とはまだ仕事をした事はなかったが、慕われる訳が分かったような気がした。


「ありがとうルドヴィーグ伯爵。では、明日を楽しみにしている」

「はい」


 ルドヴィーグ伯爵は執務室を出て行った。ラディウスはホッとする。


 ——これが上手くいけば何事も全てが上手く行く。あの三人からも逃れられる……。


 そんな気がして、ラディウスは久し振りに自由な気持ちになった。



            * * * * *



 次の日、朝からラディウスは落ち着かなかった。ルドヴィーグ伯爵の館は王都の中心から南に少しずれた所にある。そこは緑の木々が多くあり、近くには湖もある場所だった。ラディウスは馬を用意し、伴には大柄で剣の腕の立つデュランについて来るよう指示をしその時を待った。


 午後になるとルドヴィーグ伯爵がやって来た。彼は昨日のように穏やかな表情でラディウスと対面し、そのままルドヴィーグ伯爵家へ向けて城を出た。


 街を抜けると少し緑の割合が増えて来た。石畳の道はまだ続いている。考えて見れば、ラディウスがこの辺りに来たのは少年の頃以来だった。王城から一番近い南の湖で一つ年下のエリウスと舟遊びをしたのをよく覚えている。

 ラディウスとエリウスは二人して何でもよく競い合った。剣もかけっこも木登りも舟漕ぎもそうだ。鮮やかに幼い頃の記憶が蘇り、ラディウスは懐かしさに少し笑った。今にして思えばあの時が一番自由だった。いま現在、弟のエリウスは道を選ぶべく何かと学んでいる。学ぶ事においては自分も同じだが、細部においての人の対応がラディウスとエリウスでは開きがある。王太子となったラディウスにはそれなりの態度が求められるのだ。


「ラディウス殿下、お疲れになりましたか?」


 馬上で黙って進んでいるとルドヴィーグ伯爵が話しかけて来た。


「あぁ、いや疲れてはおらぬ。ただ、昔この先の湖で舟遊びをしたのを思い出していた」

「ナリア湖ですね。湖というには小さいですが綺麗な湧水の出る良い場所です」

「あぁ、幼い頃にエリウスと舟漕ぎを競い合った……」

「はい、聞き及んでおります」


 ルドヴィーグ伯爵はそう言った。ラディウスはルドヴィーグ伯爵を見る。


「聞き及んでる?」

「左様です」


 ルドヴィーグ伯爵はニコッと笑ったままその後は何も話さなかった。

 一行は街道沿いをそのまま進み、田舎の風景になる所で大きく左に道を曲がった。そのまま進むと大きな門が見えて来る。


「我が館はあれでございます」


 ルドヴィーグ伯爵の後を行きながらラディウスは、何故か懐かしい気持ちになっていた。


——この門は知っている……。


 中に入ると館の建物が奥に見えた。前の部分の広い場所、そこは特に見覚えがあった。


「……ルドヴィーグ伯爵、私はここを知っている」


 ラディウスはその前庭を眺めながらそう呟いた。


「えぇ、そうでしょう。私の父がラディウス殿下とエリウス様をお迎えしたと自慢しておりましたから」

「自慢?」

「はい、幼い頃ナリア湖で舟遊びをした時にこちらに来られたようです。私はその頃、隣国リングレントの大学で学んでおりましたので、留守でした」


 ラディウスはしばらく考えていたが、ハッとして顔を上げた。


「思い出した! ナリア湖で舟遊びをした後、帰り際にエリウスが馬から落ちたのだ……あの時駆け込んだのがここだったのか。そうか……ルドヴィーグ伯爵家だったのだな」


 その時の記憶を思い出し、ラディウスは懐かしそうに前庭を見回した。


「どこかにリスの巣穴がある大きな樹木があったが……」

「えぇ、今もございます」

「そうか……よくよく、縁があったのだな……」


 ラディウスがしみじみと笑いながらそう言うと、ルドヴィーグ伯爵は恐縮しながらも笑い返した。


 屋敷の玄関先に止まると一行は馬から降り、馬番に預けると家の中に入って行った。


 中に入ると一番目立つ正面に湾曲した大きな二階への階段があり、その階段の向こうは大きなホールになっていた。ホールに入ると明るい光が入ると共に、二階からこちらが見下ろせるようになっている。下の階の奥には客間と書斎があり、端の方にもう一つ大きな部屋がある。そこと繋がる廊下が屋敷の奥に続いていた。

 ルドヴィーグ伯爵はその客間にラディウス一行を招いた。客間の奥のサイドテーブルには本が積んである。


「殿下がまだ書き写していない本を見たいと言われたので、一部をここに用意しました」


 その量だけでもかなりの数がある。ラディウスは感心してそれらの本を眺め、一番上に積まれた本を手に取った。表紙にはラテン語で『有益な都市』と書かれてある。


「これは?」

「多分、旅をした者の記録だと思われます。各国の都市についてが書かれてあり……後々に役に立つかもしれないと手に入れました」

「ふむ……」


 それぞれの国の内部は知られたくない機密事項が多い。都市についてもそれは言えるのだが、旅をする者にとってそれは関係ない。ただの旅行記であれば問題はないが、地図などを作られると具合が悪い。パラパラと捲って見ると、所々にその国の人の服装の絵が描かれてあった。


「ルドヴィーグ伯爵、貴方はこれに目を通したのか?」

「はい。ただの旅行記だと判断はしましたが、一部地図が描かれてあります。それはリングレントの対岸にある南の島と国のものではありましたが……地形を知られると厄介ですからね……」

「そうだな……貴方の判断は正しいと思う」

「恐れ入ります」


 ルドヴィーグ伯爵はラディウスに椅子を進めた。


「少しお茶を頂きませんか? 我が家の料理長が腕を振るって、ラディウス殿下に食べていただこうと、菓子を焼いたらしいのです」

「それは有難いな。いただこう」


 ラディウスは素直に椅子に座った。ルドヴィーグ伯爵はドアを開け自分の従者を呼ぶ。そして何かを指示すると戻って来た。


「そう言えば……」


 ラディウスは、さも今思い付いたように話し出す。


「先日、セイデル侯爵夫人と話したのは前に話したと思うが……彼女がルドヴィーグ伯爵の娘の事をとても褒めていた。朗らかで、愛らしく、賢く、何より自身の考えをハッキリと言うとな」


 ラディウスがそう言うとルドヴィーグ伯爵は困ったように笑った。


「あぁ……先日、本を借りに来られた時に、夫人は娘に会ったのです。大層気が合ったようで……しばらく共に時間を過ごしておられた」

「ほう……私も会ってみたいな……」

「……それはあの……娘にでしょうか?」

「あぁ、当然だ」


 ルドヴィーグ伯爵は一瞬躊躇いを見せた。


「あのセイデル侯爵夫人が褒めたのだぞ。会って見たくなるのは至極当然であろう?」

「……はぁ、しかし、娘はまだ躾もちゃんとされておらず……」

「かまわぬ、会わせて貰えぬか?」


 渋っていたルドヴィーグ伯爵は少し考え「少々お待ちください」と言うと客間を出て行った。

 ラディウスは少し強引だったかと思ったが、自分の運命はその娘が握っている事も分かっている。少し気持ちが落ち着きを無くしそうになったがそれを抑え、ラディウスは平然とした態度でルドヴィーグ伯爵を待った。


 暫くして扉を叩く音がした。部屋に居た側近のデュランが扉を開けるとルドヴィーグ伯爵が小さな女の子を抱いて入って来くる。その姿を見たラディウスは、一瞬、自分が何をルドヴィーグ伯爵にお願いしたのかを忘れる程の衝撃を受けた。


「……娘というのは……彼女か?」

「左様でございます。まだ三歳なのですが、拙いながらもよく喋ります。エレーヌ、こちらは我が国の王太子のラディウス殿下だ。ご挨拶をなさい」


 床に下ろされたエレーヌは小さなドレスの端を持ち丁寧にお辞儀をした。金色のふわふわした髪をサイドだけ後ろで纏め、化粧っ気のない艶々した頬がほんのり赤い。成長すれば、それはそれは綺麗な女性になるだろうというのはよく分かる。


「エレーヌにございます」

「……上手に挨拶が出来たな」


 ラディウスは引きつる笑顔を向け、どうにかそう答えた。その途端、デュランが背後で咳払いをした。多分、笑いを堪えるためにやった行動だろう。ラディウスは目の前の色がなくなっていくような感覚になった。自分が望んだ者は三歳の女の子だったのだ。


「最近やっと、このお辞儀を覚えました」


 ルドヴィーグ伯爵の娘を見る目尻が下がっている。目に入れても痛くない程、可愛がっているのがそれからもわかる。

 それを見ながらラディウスは絶望していく自分の感情を必死に抑えた。


「確認するが、セイデル侯爵夫人と会ったのは、彼女か?」

「そうです。大層可愛がってくださいました」

「……そうか、他には……」

「他?……」

「あぁ……いや、良い」


 背後のデュランがまた咳払いをした。ラディウスは背後の側近を睨んだ。その時にはデュランはもういつもの表情に戻っていた。何事も無かったかのように涼しい顔で立っている。

 その顔を見ながらラディウスは五日の内の二日を無駄にしたと嘆いた。幾ら何でも三歳の女の子を婚約者にする訳にはいかない。ラディウスは心の中で大きな溜息をつき、息を吐いた。


「お兄ちゃまは何をするために家に来たの?」


 その時、エレーヌが純真な瞳を向け拙い言葉で問いかけた。ラディウスは可愛らしい声の主に笑い掛ける。


「君のお父さんはとても大切な仕事をしているんだ。それを見に来たんだよ」


 崩れた心を立て直し、ラディウスがそう答えると、エレーヌは無邪気な天使の微笑みを見せた。


「お父様はとっても凄いの。本の館の隅々まで分かっているの。お姉……」

「エレーヌ!」


 エレーヌが嬉しそうに話し出すのを、ルドヴィーグ伯爵は慌てて止める。今何か変わったことを言っただろうか? エレーヌは少し驚いて言葉を止め、父親の顔を見上げた。


「ラディウス殿下はエレーヌと遊ぶために来られたのではないんだよ。ただ少しエレーヌにお会いしたかっただけなのだから。さあ、もう部屋に戻りなさい」


 ラディウスはそれを少し冷静に見ていた。ルドヴィーグ伯爵は娘を甘やかすだけではなく、ちゃんとした躾を行っているようだ。静止が効くのはそう言う事だろう。


 それに対しエレーヌは少し不満そうに下唇を突き出している。ラディウスはその顔を見て少し笑った。自分の一番下の年の離れた弟セティウスにそっくりだったのだ。そう言えば、最近セティウスとは遊んでいない。どうしているだろう。そう思うとラディウスは自然に口を開いた。


「ルドヴィーグ伯爵、かまわない。エレーヌ嬢も共にお茶をいただこうではないか。どうかなエレーヌ、私と一緒にお茶をいただかないか?」

「お菓子も出ますか?」

「出してくれるようだぞ」

「では、食べます!」


 ルドヴィーグ伯爵は苦笑したが、ラディウスは弟と遊んでいると思えば十分に楽しめた。


 それからお茶の時間をエレーヌと遊び、ラディウスは本の確認をした後帰って行った。


 エレーヌはセイデル侯爵夫人の言う通りの娘だった。文字を読む練習を既にしているらしく、引っかかりながらも簡単な本を読んだ。その間も始終話をし可愛らしく笑う姿は何とも愛らしい。少女の素直で朗らかな性格は誰からも愛されるだろう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 以前「パソコンや携帯で小説を書く場合でも最初の文章は手書きで書いてみるのがいい」「ひとつの場面に質感を出したいのなら、やはりそうした方がいい」そう描かれた本を読みました。質感ですね。この執…
[良い点] ハラハラドキドキしながら読んでおりました。中々お二人は会われないのですね。王太子のお気持ちはよく分かります。理想の女性像がおありだが中々現実には物足りなさすぎる女性ばかりお出会いになる。つ…
[一言] ブルーナとの運命の出会いが来るかと思ったら、現れたのはエレーヌだった!(笑)二日をすでに使ってしまったみたいだけど大丈夫だろうか…!?((((;゜Д゜)))))))
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