13 ラディウスの憂鬱
女性陣から逃れてホッとするラディウス
イラスト:白月さん『Twitterアカウント:白月(@Shiratsuki6200)』
『すずらん祭り』の舞踏会から十日が過ぎた。
ルガリアードの王宮では中庭に続く階段に座り、大層な溜息を吐き、目の前の植物に視線を送る者がいた。王太子のラディウスである。
彼は王城内でオルファ王の選んだ妃候補の三人の娘達から逃げ回っていた。良い年をしてラディウスは舞踏会の後も結婚相手を決めきれていなかったのだ。
オルファ王はこれが一番の悩みの種だと思っている。王室の安泰の為には早く結婚をして子をなす事が良しとされていたが、ラディウスにはその気がなかった。良い娘が見つからないと伸ばし伸ばしにしていたものを、ここへ来て一気に絡み取られ始めた。
ラディウスの理想とする結婚観は、自身の両親が大いに見せてくれていた。
父オルファ王と母エマ王妃は周りが驚くほど仲が良い。ラディウスの知る両親は小さな事でも何かと話し合って事を決めていた。根本的な性格は愛情深く、お互いを信頼し合い、思いやりの深い二人だ。
それに加え、個々の性格としてオルファ王は物事の本質を重視し改革を恐れない人だった。そしてエマ王妃は大本の流れを重視し物事をはっきりさせる人だった。この違いが二人に話し合う時間をもたらし、いつまでも仲睦まじい王一家として国の民に知られていたのである。
ラディウスは同じようにそれを求めた。目の前に最も良いお手本があるのだ。それを目指したいのは道理というものだ。
ラディウスはその目標に近づくために、多くの貴族の令嬢と話をした。だが、彼のおメガネに敵う者はいなかった。皆どこか貴族としてのプライドがあり表面を繕う。彼らは心を開いて話す相手ではなかった。心を開いたとしてもラディウスの求めるものは持たず、気付くと理想の令嬢は何処にもいないのだと思い知らされた。
舞踏会が来る度に新しい出会いを求めたが、やはりそんな者はいなかった。ラディウスが話しかけると高揚した眼差しが彼を追う。徐々にラディウスは辟易し始めた。彼らが興味を持つのは自分の立場でありラディウス自身ではない。それを嫌でも感じた。
今年の舞踏会では、いつも同じように感じていた筈の隣国の王太子ディオニシスが相手を見つけたと言った。
一歩出遅れた感がラディウスを更に憂鬱にする。何故あの中でディオニシスは見つけることが出来たのか。自分が執務の文官に呼ばれているほんの一時の間に、彼の心を動かす程の者が現れたと言うのが恨めしい。
その場に自分も居たとすれば、自分も惹かれただろうか? それに比べてオルファ王の選んだ相手は……言わずもがな、ラディウスは天を仰いだ。
中庭は春の花が咲き始め、それらの花が良い香りを放っている。それを見つめ、ラディウスはまた大きな溜息をついた。何をどうすれば良いのか正直分からなくなっている。自分はただお互いに信頼でき、愛し合い、思いやりを持ち話が出来る相手と結婚をしたいだけなのだ。
ラディウスがそのまま中庭を眺めていると廊下の先で歩く音がし始めた。徐々に大きくなるその音を聞きながらラディウスは身構えた。こちらに来るのならここを去らなければ……そう思った時、女性の声がした。
「あぁ、ルドヴィーグ伯爵、ご機嫌よう。先日お借りした本はとても為になりましたわ」
「ご機嫌よう、セイデル侯爵夫人、そうですか。お役に立てて良かった」
会話からセイデル侯爵夫人と文官のルドヴィーグ伯爵だと分かり、ラディウスはホッと胸を撫で下ろした。このまま立ち去るかどうかを考えていると、会話は先に進んでいく。
「お嬢様はお元気? とても可愛らしくて賢い娘でしたわね。あのようにお話が上手で愛らしい娘を隠して置くなんて罪ですわ」
「いえいえ、娘はまだ皆様にお披露目出来るような躾はしておりませんので……」
「あら、ご謙遜ね。あんなに素敵な娘に会ったのは久し振りですわ。穏やかで、朗らかで、私の質問にも躊躇いなく応えていらしたわ。何より自分の思う事をきちんと仰るのは美徳ですよ」
「お褒めに預かり恐縮致します。娘にも伝えておきましょう」
「ふふふ、ではまた本をお返しする時にお会いしたいと伝えておいてくださいな」
ラディウスが近くにいる事を知らず、セイデル侯爵夫人とルドヴィーグ伯爵は遠退いて行った。幸か不幸か、ラディウスはその会話の殆どを聞いてしまった。
「文官、ルドヴィーグ伯爵の娘……」
ラディウスは考え込んだ。セイデル侯爵夫人はルドヴィーグ伯爵の娘がとても気に入ったと言った。素敵で、朗らかで、穏やかで、そして何より自分の意見をはっきりと言うという、その評価が気になった。
セイデル侯爵夫人は躾に厳しいので有名だった。彼女はラディウスの直ぐ下の弟エリウスの教育係としてこの城に勤めて居た。エリウスが成人してからは歳を召した事もあり職を辞したが、厳しい目を持つ彼女が言うのであればあながち嘘では無いだろう。これは自分の求める女性なのでは無いだろうか? 舞踏会に来て居ないとすれば、まだ成人していないのかもしれない。そう思いつつラディウスは興味を持った。
ラディウスはセイデル侯爵夫人を追いかけた。廊下を行くとルドヴィーグ伯爵と別れ一人で歩く彼女が居た。
「セイデル侯爵夫人、ご機嫌よう」
追いかけてきた事を隠し、何事も聞いてはいない体でラディウスは話しかけた。
「あら、ラディウス殿下、ご機嫌よう」
「この時間に城へ来たのですか?」
「えぇ、本を借りていたので返しに伺ったのですよ」
「そうですか……何を借りたのです?」
「庭の制作の本ですわ」
「庭? 貴女の屋敷には既に美しい庭があるのでは?」
「えぇ、それにもう少し手を加えようと思いまして……一年中花の咲く庭を作るとなると、植物の種類を分別しなくてはなりませんでしょう?」
「そうですね。城の本だけで事足りましたか?」
「いいえ、城の本は一度に三冊以上はお借り出来ないので、ルドヴィーグ伯爵に植物の本をお借りして種類を分け、こちらでお借りした庭制作の本を基本に考えたのですよ」
「ほう……ルドヴィーグ伯爵の書庫は有名ですからね」
「えぇ、この城に匹敵するか、或いはそれ以上にありましたわ」
「そうでしょうね。世界中の面白い本を見つけたら、彼の手腕で書き写され王城の書庫にもたらされるのですから。彼の仕事ぶりは実に素晴らしい物がある」
「まぁ、ルドヴィーグ伯爵がそれを聞いたら喜びますわ」
話しながらラディウスはルドヴィーグ伯爵の娘の話をどう切り出したものかと考えあぐねていた。ルドヴィーグ伯爵の娘の情報を得るのであれば、良く知るセイデル侯爵夫人から情報を得た方が良い。そう思っていると夫人が口を開いた。
「そう言えば……聞きましたわ」
「何をですか?」
「三人の方々から逃げておられると……」
ラディウスはギクリとしてセイデル公爵夫人を見た。
「逃げても良い事はありませんわ。ちゃんと向き合えばそれぞれの方々の良い所も見えてくると言うものですよ」
「あぁ……まぁ……」
「私は老婆心から申しているのです。こだわりをお捨てなさい。相手に委ねるのも大事な事ですよ」
「そう言われても……一事が万事、全ての考えが彼女らとは違いますからね。正直、理解が出来ない……」
ラディウスは三人の候補の顔を思い浮かべながら素直に言うと、セイデル侯爵夫人は笑い出した。
「初めから分かる者などおりません。夫婦は皆、歩み寄るのですよ。まぁ、今このような事を言われても分からないでしょうが……虫唾が走るほど嫌いならお辞めなさい」
そう言われるとラディウス自身も考え込んでしまう。彼女らを虫唾が走るほど嫌いだろうか? だが心底苦手ではある。それだけはハッキリしている。
セイデル侯爵夫人はラディウスのそんな様子を楽しんでいるかのように微笑んで見ていた。
「誰を迎えようと悩みは付き物です。要は受け入れる事が肝心なのです」
そうしている内に二人は廊下の端の方に来ていた。
「殿下、私は帰ります。良く考えて答えを出したら後は悩まない事です。では、ご機嫌よう」
セイデル侯爵夫人は去っていった。
ラディウスは肝心のルドヴィーグ伯爵の娘について聞く事が出来なかった。去って行くセイデル侯爵夫人を見つめながら、ラディウスはまた溜息をついた。
そして執務室に戻ろうとした時、強い花の香りがして後ろから呼び止められた。
「ラディウス様、ご機嫌よう。お探ししたのですよ」
ラディウスが小さく舌打ちをして振り向くと、妃候補の三人の内の一人、オルガード侯爵の娘のヴァイオレットがそこに居た。大柄なヴァイオレットは濃い茶色の髪を高く結い上げ、髪飾りがわりに生の花を大量に付けていた。花の香りがきつく感じ、目眩がしそうだ。
「あぁ、ヴァイオレット嬢、ご機嫌よう……」
「どちらにいらっしゃるの? ご一緒してもよろしくて?」
「あー……たった今、人を送った所なので、これから仕事に戻らねばなりません。ご一緒したいが……申し訳ない」
「あら、残念ですわ。わたくし、今後のことについてお話ししたかったのに……」
ラディウスはゾッとした。彼女と一緒になると、いつもこの咽せるような花の匂いに悩まされる事になる。そんなのは御免だ……。
「申し訳ない。私は急ぐので……」
「あら……お待ちになって……」
ヴァイオレットはラディウスの腕を取った。ラディウスは腕を引っ込めようとしたが遅かった。そして彼女はラディウスの前に回るとその胸にもたれ掛かるようにしな垂れ、耳元で囁いた。
「いつでも……待っておりますわ……」
ラディウスの全身が泡立った。ヴァイオレットは花の匂いがきつい上、完全に何かを勘違いしている。
「……申し訳ないが、忙しいので私はこれで」
どうにかそれだけを伝えると、ラディウスはヴァイオレットから離れた。だが、離れた時、何故ヴァイオレットがそのような行動をしたのかが分かった。廊下の先にこちらを見る一人の女性が立っていたのである。顔を蒸気させ、怒りに満ちた顔がラディウスと目があった途端、コロッと変化した。
「ラディウス様!」
彼女はラディウスを呼ぶとニコニコと笑顔を振り撒き手を振りながらやって来た。ラディウスはまたもや溜息をついた。今度はバトゥール侯爵の娘のユリアナだった。
彼女はヴァイオレットに比べ小柄で見た目は大人しく優しい雰囲気の女性だ。だがそれは見た目だけである。三人の妃候補の中でも彼女は斗出して気が強く意地が悪い。まだリルデンシュ侯爵の娘のローズの方が意地は悪いが地が天然な分まだましだった。
ユリアナはシナシナとラディウスに近寄り顔をラディウスの胸に寄せるとクンクンと鼻を鳴らし顰めた表情を見せた。
「まぁ……ラディウス様、こんなに強い花の匂いをさせて……部下の方々に何をして来たのかと良からぬ勘違いされますわ」
「……」
それに対しラディウスが黙っていると、ユリアナは上目遣いにラディウスを見てニッコリと笑った。ラディウスは初めてユリアナと対面した時に、この笑顔に騙される所だった事を思い出す。
「わたくしが一緒に参りまして、誤解を解いて差し上げます。ご一緒してよろしいかしら?」
「あぁ、いえ、誤解はないと思われますので……失礼」
ラディウスは彼女の前を通り過ぎようとしたがユリアナはスッと動きラディウスの行く方向を遮った。そして驚いたような顔を向け周りに聞こえるように声をあげた。
「まぁ! ラディウス様ったら! わたくしをお誘いになりますの?」
ラディウスは固まった。自分はその素振りさえしていない。一体これは何の罠なのだ? 慌てて周りを見るとヴァイオレットが物凄い形相でこちらを見ていた。
「いいえ。誘ってはおりません! 私は執務に戻りますので、失礼!」
ラディウスも周りに聞こえるように少し声を張り上げそう言うと、足早にその場を去った。うんざりだった。もう本当に心からこの状態を少しでも早く脱したい。
彼女達は明らかに父オルファ王の前と自分の前では態度が違う。オルファ王の前だと彼女達は慎ましやかで穏やかな表情を作り、楚々とした装いで静かに佇んでいる。ところがラディウスの前になると女達の戦いが始まるのである。選ばれた者の家は必然的に発言権が増す。こうなると一家総出での争奪戦になるのだ。
「……疲れた……」
ラディウスは周りに人がいなくなると、思わずそう口にした。彼は心身共に疲れ果てていた。執務室に戻るラディウスの背中が何にも増して力を失っているように見え、側近を含めた周りの者達は誰も声をかける事が出来なかった。
それから二日が経った。執務室で仕事をしていたラディウスはオルファ王から呼び出しを受けた。ラディウスは嫌な予感しかしない。だが断る訳にもいかず、渋々立ち上がり部屋を出る。
ラディウスは廊下を父の執務室に向かいながら、どうすれば三人の中から選ばずに済むかを考えた。要はあの三人から選ばなくてはならない状況が嫌なのだ。ならばどうするか……ラディウスの脳裏にルドヴィーグ伯爵が浮かんだ。
「……」
オルファ王の執務室の前に立つと、ラディウスは扉を叩き侍従が扉を開けるのを待った。
扉が開くとオルファ王が机につき何かを書いている最中だった。ラディウスは机の前に立ちオルファ王が終わるのを待つ。
オルファ王は四十代に入ったばかりの精悍な男であった。彼の政治は国民に安心を与え、老若男女あらゆる世代から支持されていた。ただ、政治に干渉する教会の司祭達からは不満の声もあり、彼は色々と苦労していた。国民の方向を見れば教会側が文句を言い、教会の方を向けば国民が文句を言う。世の流れとはそのようなものだが、それを解決するために王となってからの日々を彼は粛々と過ごしていた。
「来たか?……」
暫くすると漸くオルファ王が顔を上げ、ラディウスを見た。その顔に疲れが見える。ラディウスはピシッと背筋を伸ばした。
「それで? 妃候補の三人の中から誰を選んだのだ?」
オルファ王は時間が惜しいといきなり本題に入った。ラディウスはそれに返事が出来ない。あの三人は嫌なのだ。ラディウスは視線をずらし黙ったまま何も言わずにいると衣擦れの音が大きく聞こえた。立ち上がった父の姿が想像できる。
「良い加減にしろ。お前は一体何を考えている?」
オルファ王の怒りが静かな声の奥に潜んでいた。だがあの三人の中から選ぶ事は無理だとどう説明すれば分かってもらえるのか……。多分、ラディウスが素直に本心を打ち明け、それぞれの候補者のここが嫌だと言った所で、我儘だと一刀両断されるのがおちである。
「お前は候補者三人の何が不満なのだ? 自ら見つけて来るかと思うから今まで何も言わずにいたが、それすらも叶わぬではないか」
ラディウスには父の言葉が耳に痛い。悠長にしていた自分にも責任はあるだろう。だがこれぞと思う者はいなかったのも事実だ。
「父上、もう少しだけ待っては頂けないでしょうか?」
ラディウスはそう言うとやっとオルファ王の顔を見た。
「お前は以前も同じ事を言ったぞ」
「……はい」
「……ならばこれが最後だ。この五日の間に答えを出せ。それ以上は待たぬ。こちらの決めた者と夫婦になるのだ。良いな五日だぞ」
オルファ王はそう言い手を揺らすとあちらへ行けと示し、また書類に目を落とした。
ラディウスは最後通告を受けた。だがホッとしたような気持ちにもなりオルファ王の執務室を後にした。
自分の運命は五日の後決まってしまう。そう思うとラディウスはまた大きな溜息をついた。




