2 咎人
見習い兵への伝達事項のひとつは、王都から逃亡した咎人がハノーラ近辺の荒野に向かった可能性があるための警戒要請で、もうひとつは、特別任務の発令であった。
先日国王は、マドゥカという属国に反意ありとして討伐軍を遣わしており、その役が完了したとの事。
討伐軍は近日中にハノーラの港へ帰還、事後処理には王太子領の兵が順次当たるが、その第一隊の後方支援として新兵を同行させるようにと、新たなお達しがあったのだ。
ひと月程度の任務期間になるが各配属は保留とし、出立までは通常の訓練を継続することになる。
総じて微妙な表情の見習い兵たちに対しシオンは、
「おそらく、かなりの惨状を目にすることになる。心しておもむけ」
――と、付け加えて本日の訓練開始を号令した。
「この組の募集前にも戦があって、わが国は北の小国をひとつ取っている。その出身者に、討伐された国を見せしめるのが国王の意向なのですよ。絶対に反意を持つなとね。彼らは皆、兵士となって故郷の復興と保安に尽くしたいと願う、いい子たちなのに」
「はぁ」
走り込みを眺めながら語るシオンに、カマロは適当な相づちを返した。
「この練兵所はいかがです?
兵の増強という国の方針に沿いながら、行き場を失くした子供たちを、国が直接養ってあげられます。いずれ大人になれば、戦地に向かう日も来ないとは言えませんが、今は飢えたり盗んだり、身を売ったりなどせずにすむ」
「はぁ、そうですね」
「まあ兄君としては何より妹御がご心配でしょう」
「…いや、ランブレッタは俺より強いので」
妹の話題なら少しは会話になるようだ。
カマロはランブレッタをそのまま男の子にしたような可愛らしい容姿だが、愛嬌のある妹と違って表情に乏しく、人見知りする子なのだとシオンは思う。
けれどきっと、仲の良い兄妹なのだろう。
「ラブはなぜ兵士に志願したのでしょうか。
武芸の才はあると思うので騎士見習いに推挙してもよかったのに、一般兵卒でいいのだと断られてしまいました。任地に関しても特に希望はないと言うし」
「昔…、食い物の取り合いか何かであいつとケンカして、覚えてないけど俺は死にかけたらしい。
だからじゃないですかね」
「だから…?」
「すいませんがお姫様、俺はもう帰ります。
見学もしたし、休みもないらしいんで、…ランブレッタにもそう言っといて下さい」
「えっ――ま、カマロ殿?!」
身の上話になるかと思えば、いきなり帰ると言う。人見知りというよりは、ただ愛想がないだけのようだ。
シオンは仕方なく、立ち去るカマロを見送った。
◇
その夜、とりあえずお別れ会は中止になった。
皆が寝静まってから、ランブレッタはそっと起き出し外に出る。
兵舎の外には訓練中にいなくなっていた兄、カマロが待っていた。
「それで、何があったの?」
「怪我人を拾った。眠らせているが毒矢でやられて死にかけだ。追われていたらしい」
「――それって」
「お姫様の話にあった咎人かもしれないな」
「いつ?」
「今朝、ハノーラに着く直前だ」
「じゃあなんで」
「差し出せるわけはない。同族だ」
「同族?!」
「だが会ったこともない男だ」
二人は聞き取れないほどの声と速度で、そこまで一気に話しながら兵舎の陰まで移動していた。
「とにかくどこ?」
「この街にある家だが、待て、まず先に」
カマロが何をか言いかける間に、ランブレッタは首から下げた小さな巾着袋を服の下から取り出した。それを両手でつつんで祈るように目を閉じる。
次の瞬間、何事があったわけでもなく、二人は別の場所にいた。
どこかの家のトイレの中だ。
「まて…と、いうのに…」
「ごゆっくり」
――成功した。これをやるとカマロは必ず酔うから、トイレに直行してみたのだ。
ランブレッタは軽い足取りでトイレを出て、裏庭に面した勝手口から家に入った。
勝手口に鍵はかかっていない。ランプの置き場所は決まっている。各地にある一族の『家』の間取りは全て同じ。キッチンとダイニングと物置部屋、そして広い居間があるだけだ。
居間に入るとすでに明かりがあって、部屋のすみによせた毛皮の敷物の上に、人が横たわっているのが見えた。
金糸の刺繍をした白い衣装には赤黒いしみがあるが、金色の髪は揺らめくランプの光を受けて、きらきらと輝いている。
近づいて、ランブレッタはその人物にぼうっと見とれていた。
「マドゥカの王、ロメオ殿…?」
誰かのつぶやく声に、ハッとして後ろを振り向く。
「シオン様――!!」
「ラブ…?これは、どういう事だ…?」
――失敗だ。
呆然とするシオンと絶望するランブレッタ。
用事をすませたカマロが来るまで、二人はしばらく立ちすくんでいた。
シオンのカマロに対する人物評価の部分を少し書き換えました。
”人見知りというよりは、ただ愛想がないだけのようだ。”を追加。