2 ヒラギの国
災害の場面があります。
ランブレッタが王都へ向かって間もなく、カマロは生まれ故郷でもある隠れ里の谷へと、ロメオを連れて戻った。
「あきれたわねえ。ほんとに王様を拾ってくるなんて。おかげであたしも久々に遠出するはめになって、ヒザが痛いわよ」
谷にはミサ婆をはじめ、既に百人を超えるヒラギの民が、ロメオを迎えるために集まっていた。
隠れ里とはいっても、この地に定住する者はない。なので皆、入れ替わり立ち代わりして一族の王にまみえ、またそれぞれの旅先や住処へと散って行く。
けれど、ハノーラの家と同じような仮住まいも何軒かあって、そのうちの湖に近い一軒がロメオのためにしつらえられた。
めったに使われないとみえて周囲は下草ぼうぼうの木立ちだったが、集まった人たちによって適宜刈り込まれ、天幕が張られて煮炊きが始まる。
ロメオと共に人々に囲まれて居たたまれなくなったカマロは、ミサ婆をつかまえて家に逃げ込み、これまでの事を話していた。
「いやだ…!それじゃランブレッタってば、キュージーンの都へ連れてかれちゃったっていうの?なにやってんのよもう!」
「なんか毎日新しい服を着て、うまいものをたらふく食ってるらしいけどな…」
シオンなどは、キュージーン国王の魂胆は孫息子の誰かにランブレッタをめあわせる事だろうと疑っていたが、カマロはハノーラ城乱入事件以来、妹の事を心配するのをやめた。
実際、後になって聞いたところによると、国王は彼女を実の孫娘以上に、ただただ可愛がるばかりだったとの事である。
「あら、それだったらあたしもお邪魔したいわ?でもウチの王様とあちらの王様と、いきさつがナニしてアレなんでしょう?どうするのかしら?」
「…ラブに危害を加えることなどあれば別ですが、私からは何も。――ああ失礼、はじめまして」
「――おおロメオ様!あと十年早くお会いしていたら、あたしはきっと禁忌たる若返りの術に手をつけていた!」
出会うなりそう言って手を握ってきたミサ婆は、ロメオの想像していたより若々しく、しゃんとした老婦人だった。
「ミサ婆、禁忌なのは若返りじゃなく不死の術で、どちらも実在しない」
「そうだったかしら?まあ、十年あれば術くらい編み出してみせるけど?それまで生きるのはちょっと無理かしらねえ」
彼女の細い手はとても温かく老練なチカラを感じる一方で、小さく纏めた真っ白な髪は、その経て来た月日の長さを物語る。目には静かな覚悟が窺えた。
「そして、明日をも知れぬこんな年寄りに、貴方は何を見せる?何をさせる?」
「予言を流布せぬことと、気に病まぬこと。――そのふたつだけですよ」
ロメオはカマロに見せた星の落ちる光景を、すべてのヒラギの民たちとも共有した。千人に満たない彼ら全員と会うのには、ひと月も掛かりはしなかっただろう。
それから間もなく彼らは、薬草を模った緑一色の旗を掲げて”呪医”を名乗り、各地で一斉に『ヒラギの国』の建国を宣言する。
――その、翌日のことである。
場所によっては南の空が輝くのを見た者もあるようだが、人の住む陸地にははるかに遠く、何が起きたかなど分かりはしない。
この頃、陸地は北半球に集中していて、南半球はほぼ全部が海である。一部に一年中夜で氷に閉ざされた海域があり、飛来した隕石が小規模で、その凍った海を蒸発させるにとどまったため、全球凍結や大量絶滅には至らなかった。
幸いだったのだと、後の時代の人は思うかもしれない。
だが数時間の後には、ハノーラも、マドゥカも、大陸の南沿岸のすべてが波にのまれた。
◇
波はひくことなく、何度夜が明けても空は暗い雲に覆われていて、日は一向に差さないくせに気温は高い。
たびたび襲う豪雨は更なる災害を引き起こし、頻発する地揺れが人々の心を安寧から遠ざける。
そうして疲弊した心と体にここぞとばかり、熱病が取りつき蔓延していった。
『ヒラギの国』の人々は、しかし無力だった。
不可避の災禍を予見しても、全てを救うなど到底かなわない。「気に病まぬこと」と王は言ったが、せめて隠れ潜むのをやめ、チカラを尽くそうと立ち上がったのは彼ら自身の意志であった。
しかし当初、ほとんどの国が彼らを武力で排除した。他の全ての国と民たちにとって、ヒラギの民などそもそも噂に聞くだけ、”呪医”といっても怪しげなだけ、見ようによってはただの侵略者でしかない。
差しのべた手を取る者もいないまま、彼らは気に病まぬように、初心を折らぬように旗を掲げ続けた。
ただ、キュージーン国内においてはやや事情が違っている。
ヒラギの民の実在はもう国中に知れ渡っていたし、ランブレッタの治癒の術を見た人たちは第一の信奉者となっていた。
ハノーラでは、彼女の”奇妙な予知夢”の話がどこからか漏れ伝わり、災いとはポンティアック火山の大噴火に違いないとウワサされ、それを信じてハノーラを離れたおかげで命を拾った者もいるとの事だ。
そして、最も熱烈な信奉者は、ヒラギの国に対して躊躇なく援助と協力を申し出た、国王オザム=キュージーンであっただろう。
大国の支援もあって一年二年と経つうちに、次第にヒラギの国は世界に受け入れられ、頼られるようにもなっていった。
なかでも『翡翠の魔女』――というのが今のランブレッタの通り名である――の偉業(とされる出来事)は、信奉者によって世界中に広められている。
いわく、一国中に拡がった病を瞬時に癒し、崩れた山を一夜にして畑に変え、空を飛び海を歩き、荒野に温泉を湧かせたなど…。
「皇帝様は王様より偉いんだって!」
「……」
カマロはお茶と木の実を交互に口に運ぶランブレッタをしばらく眺めた。
腰まで流れる黒髪に翡翠の髪飾り。裾丈を短くつめた黒いドレスとそれに映える翡翠の首飾りは先代キュージーン王から贈られたもの。ミサ婆の形見となった指輪は曾孫にあたる長男にあげたと言っていた。
べつに言うべきことも無いので視線をシオンに移し、無言のまま説明を要求する。
「全ての国を従え帝国として統括統治する――というのは祖父が目指した道だった。そうすれば戦の無い世の中がつくれるとのお考えだったのだ」
「だが、オザム王が病に倒れただけでキュージーンの統治は瓦解した」
「その通りだ。外様の領主は全て離反したし、彼らに嫁していた王族の女たちも誰一人帰らない。皆、祖父が怖ろしかっただけなのだ」
それも王の資質なのだろうとカマロは思う。
仙台キュージーン王の病は流行りの熱病ではなく老いによるもので、ランブレッタにも助けることは出来なかった。
王位を継いだのは王太子の末子、シオンの弟だが、当時でまだ十二歳。王領の穀倉地帯が悪天候で全滅し、他領から来る物資が無ければ王都を保てないという状況で、各領は独立自治を願い出たと聞いている。
現在のキュージーンの領土は、王領と旧王太子領の他に、王族の治める領地が独立した他領に分断されて飛び地になっているという、ややこしい状態である。
世界全体では大陸の三分の一と、人の半分以上が失われた。
国土のほとんどが海に沈んだ国もあれば、為政者をはじめ民のほとんどを失った国、結束を失い孤立した町や村などもある。
この不安定はやがてまた争いにつながることだろう。
「怖れるというなら、ヒラギのチカラに対しても同じことだ」
「そうだな、今最も気に掛けるべきはヒラギの国の動向、そしてヒラギの王だ。皆、かの隠者を円卓の中心に引きずり出し監視したいと考えているのだろう。
しかしカマロ、以前君はどこの国の戦にも加担しないと言った。私はそれを信じるし、愚かな我々を導いてほしいとさえ思っているんだ」
災い有るところ必ずヒラギの旗が翻る。それゆえに『ヒラギの王』は災いを予見すると知られている。或いは『魔女』以上の力を持ち、災いを自在にもたらすのだという噂も囁かれているが、ロメオ自身は全く気に留めず、世間に出ようともしなかった。
にもかかわらず、シオンはあれやこれやと相談を持ち掛けて来るし、面会の申し入れなども来る。おそらく面倒になったロメオは、一度すべての首長で集まって話し合うことを勧めたのだ。
だが彼はその場にも欠席せざるをえなかった。
「だったら供物でも寄越せばどうだ?例えば…王都をロメオに差し出し、キュージーン王はとなり町にでも引っ越せばいい。そうすればお姫様も行き来が楽になるだろう」
「――そうか!」
「いや、例えばの話…」
「実際ちょっと思っていたんだ。私はヒラギの王や魔女と知己であることを隠していないというか、ひけらかしているし、それを妬む者もいるかもしれない。王都を差し出せなどという無茶を突き付けられやむなくそれに従う。それくらいの犠牲は払っておくべきだ。なるほどな!」
シオンに悪気が無いことは、いい加減カマロも分かっている。
しかし、皮肉に皮肉を返してきたのか、本気で言っているのか判別がつきかねて黙っていると、突然真剣な表情で腕をつかまれた。
「カマロ、ロメオ殿は具合が悪いと聞いているが」
「ああ…」
「君もちょっと痩せ過ぎじゃないか?」
「―――は?」
「食糧事情の改善はまだ残る課題としても、体は鍛えたほうがいいぞ?稽古をつけてあげるから、剣でも棒きれでも持ってきなさい!」
…シオンには悪気が無い、それはカマロにもよく分かってはいた。
次回で最終話となる予定です。




