閉ざされた向こう
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
やあ、つぶらやくん。今日もまた調べ物かい?
ほほう、今度はおまじない特集か。一定の周期で流行るよねえ、学生たちの間だとさ。
そういえば友達も、こっくりさんとか、よくやっていたって話していたなあ。あれって手順が集団暗示に近いらしくって、使っている10円玉もこっくりさんが動かしているように見せかけて、実は暗示にかかった自分たちが動かしているのだと聞く。
そう考えると、人間って結果よりもむしろ、過程さえよければ納得する面があるんじゃないかな、と思う。
「『こっくりさん』が動かしているんだ」という実感、状況を体験するのが本来の目的であって、当初、求めていたはずの占いとその結果は、手段にすぎないんじゃないかなって。
後始末を考えない、いきあたりばったりな感もあるが、そのために思いがけないものと出会えるかもしれない。僕自身も、以前にそんな体験をした。
どうだろう? 聞いてくれないか?
僕が小学校3年生くらいの時だ。学校は怪談、七不思議ブームで、ちょっとでも背筋が冷えるものさえあれば、ひとりで帰れない、トイレにいけないと騒ぎだす子たちの姿もちらほらと見受けられた。
その中でも、全学年に渡って知られているうわさのひとつに、こんなものがあった。
「この学校のどこかの壁の一部は通り抜けられ、向こう側へ入ってしまうことができる」。
一部というのがミソだ。職員室や校長室、異性のトイレなど、堂々と入り込めない場所の壁にあったとしたら、ほとんどお手上げ状態。
調べていない壁がある。でも、試行することができない。噂はデマと真実の間で、延々と揺さぶられる運命を帯びたんだ。
時間を見つけては、壁をさわさわと触る児童たち。鉄筋コンクリートだろうが、掲示板に使われている、緑色のフェルトの上だろうがおかまいなし。
誰かが「なかった」と伝えても、「それはお前の調べ方が悪いせいだ」と信用せず、結局、同じ場所が調べ直される。「学校に通っていた親は、ここだといっていた」という話が出れば、授業がない時でも生徒が殺到した。
それで成果があがらなくても、みんなはあきらめない。やれ時間が悪いだの、やれ日が良くないだのといちゃもんをつけて、調査の手が止むことはなかった。
今日結果が出せなくても、明日には出るかも知れない。まるで穴を掘り出したからには、「絶対、ここには宝がある」と思い込んで、深みへはまっていく人のようだったよ。
「本当はないんじゃ……」なんて言い出したら、即座にはぶられそうな空気。熱に浮かされるとは、あんな状態のことを指すんだろうな。
その日も帰りの学級活動の前。いったん先生が職員室へ引き上げて戻って来るまでの間、クラスのほとんどが調査グループのリーダーの席付近にたむろしていた。それ以外のクラスメートたちも、多かれ少なかれ壁の話を持ち出し、いまや話をしていないのは僕だけじゃないかと思われた。
僕は通り抜けられる壁についての興味は「あったら面白いな」程度。モチベーションは高くない。仲間外れにならないための、ファッション的な意味での調査を行うだけ。
彼らの集まりも「よくあることだ」と思いつつ、教室後ろのロッカーの前でかがんで、ランドセルを取り出そうとしていた時。
ドン、と僕の丸まった背中を誰かが押した。思わずロッカーに頭をぶつけそうになって、文句交じりに振り返ったのだけど、そこには誰もいなかった。本当に、誰も。
あの集まっていたグループを初め、思い思いに居座っていたはずのクラスメートたちは、ひとりもいなくなっている。気配が消えた教室だけれど、人が消えた分を補って余りあるものが存在していた。
ゴミ。つい数十分前の掃除の時間に、ほうき係として格闘したわたぼこりたちが、あちらこちらに溜まっている。
改めて、ロッカーへ向き直る僕。自分のものはおろか、他の人のロッカーも絵の具やランドセル類といったものが消え、ほこりがぎっしりと詰まっている様は、てんつきから押し出されるのを今か今かと待っている、ところてんを思わせた。
僕の足元にはすでに、上履きが隠れて見えなくなるくらいの、わたが積もっている。しかも頭上からはらはらと、新手が舞い降りてくるんだ。
見上げると、本来の主である蛍光灯が消えた天井にさえも、ほこりたちが溜まっていた。すきまなく埋め尽くした上で降ってくる彼らの姿は、落ちるというより、分かれると表した方がいい。
鍾乳石から垂れ落ちる水滴のごとく、天井に生えたほこり本体はそのまま、きりなくほこりを落とし続けてくるんだ。降ってくる量も多く、今や僕のすねあたりまで沈んでしまっている。
このままじゃ埋もれてしまう。僕はさっと教室を見渡したけど、窓は曇りガラスに変わっていて向こうの景色が見えず、鍵もなくなっている。椅子や机もぶつけてみたけど、逆にそれらが跳ね返されて、足が曲がってしまう始末。
ならばと教室のドアへ飛びつくも、やはりはめられた窓は曇っている。そこさえ割れれば外に出られそうな大きさなのに、凶器攻撃もショルダータックルも効果がない。
すでにほこりのかさは、ももの辺りを超えようとしている。歩くことを妨げる重さはないが、息苦しさの方が問題。鼻や口から息を吸うたび、むずむずむずと、のどを逆なでする感触が駆け上がってきて、咳をこらえられない。
僕はゴホゴホしつつも、誰かに気づいてもらうために、ドアをどんどんと叩き、いるかもわからない誰かへ助けを呼ぶ。それで反応がないと、わたぼこりを踏み分けて、今度は窓際へよって、どんどん。
咳もひどくなってきて、吸える息が足りない。リミットは思っていたよりも迫っている。それでも僕は声を張り上げ続けた。
もう、胸のあたりまでほこりが溜まっていた時だろうか。移動するのに、ほこりを手でかく必要も出てきて、そのたびに舞い上がるものだから、鼻水がぼろぼろに出た。目も半開きがせいぜいで、視界はもう涙でゆがんでいる。
ドアももう何度叩いたか、覚えていない。相変わらず、キズやへこみのひとつもつきはしなかった。
状況的に、もう何度も場所を移すことはできないだろう。もう少し粘るか、意を決するか。
――ああ、壁探しをしているみんなも、こんな気持ちだったのかな、
そう思い始めた僕の耳に、新しい音。
ドアにはめられた曇りガラス。それが右端から現れた、黒い影で濁ったんだ。影はそのまま左へとスライドしていく。
千載一遇の好機とばかりに、力を振り絞ってドアを叩きまくり、大いに揺らす僕。影は動きを止めると、こちらへ向き直る。それを見て、少しだけ僕は震えた。
こちらとドアを挟んで向き合った影。葉を失った樹木の枝のように、五つに分かれて広がった直線のみで構成されていたんだ。
それぞれの柱は僕の腕ほどの太さ。長さも小さい窓の中に収まっておらず、全体がつかめなかった。
頭や背中につけるアクセサリーなら、まだいい。でも、「あれ」そのものが本体だったとしたら……。
考える間に影がまた動いた。広がっていた五本の指が中央に向かって縮んだかと思うと、貝殻のふちのような形状に。そのまま一発、窓へぶつかってきたかと思うと、大きくひびが入った。
更に追い打ちでもう一回。窓が完全に砕け散り、その破片はきれいに僕を避けて、後ろへと飛んでいく。窓を破った影は、そのままにゅっと教室の中へ入ってきた。
それは巨大な握りこぶしだった。僕のものよりはるかに大きいそれは、にゅっと親指から中指までの三本を開いて、僕の頭をマッチ棒のようにつまむと、一気に外へ引きずり出す。
「もうここは閉じます。入ってこないでください」
頭の拘束が解けて、放り出されたと感じる僕は、星のない夜空のような闇へ身体を躍らせながら、そんな声を聞いた。
はっと気がついた時には、クラスの雑音がよみがえっていた。僕はあの時と同じ、ロッカーの前でかがみこんでいて、自分のところにもみんなのところにも、絵の具やランドセルが戻ってきている。
「わりい」と声を掛けながら、クラスメートのひとりが隣へ並んでくる。
思い出したように、背中がかすかな痛みを発してきたところを見ると、「あれ」の直前に僕の背を押したのは彼のようだ。どうやらこちらでは、さほど時間は経っていなかったらしい。
あの時の息苦しさに比べれば、不問レベル。ほどなく先生がやってきて、ランドセルを持って自分の席へ戻ったよ。
それからも壁探しは続いたけれど、僕は以前に、壁の向こうへ行った親を持つ子と話をし、向こう側がどのような場所なのか訊いてもらえないか、と頼んだ。
翌日の彼の話では、ある教室の壁から入った「向こう側」は、こちらとよく似た教室の中だったものの、窓もドアも曇りガラスになっていて開かず、ロッカーやいすの上には本来置いてある荷物や備品の代わりに、本やおもちゃが置いてあったとのこと。
それらは「こちら」にあるものと同じ内容、性能を持つが、しばらく経つと、急に何かが頭を掴んで、天井に放り投げてきた。「ぶつかる」と思った時には、壁に触れた直後の状況に戻っていた自分がいたとか。
きっと彼らは、このおもちゃたちの存在を「向こう側」の証として探し続けたことだろう。実際に見つけたと話す人もいたが、その内容は、親御さんが語ってくれたものの二番煎じで、信じない人が多かったよ。
僕も、実際に向こうへは行けなかったと思っている。そして、これからも壁が見つかることはないだろう。
あの言葉の通りなら、僕の訪れを最後に、向こう側はしっかりと閉じられてしまったはずだから。




