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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
9/88

Missing heart 2

 結婚式から、およそ2週間後。


 明子が目を覚ますと、夫の達也の顔がすぐ横にあった。

 窓の中央で合わさった二枚のカーテンの隙間からこぼれる朝の光が、彼のの額から肩にかけて、細くて眩しい光の筋を描いている。


 ここのところ深夜の帰宅が続いている達也を起こさぬように気遣いながら静かに床から抜け出すと、明子は、彼が眩しくないようにと、しっかりとカーテンを閉め直し、いつものように、薄暗い部屋の中でタンスの陰に隠れるようにして着替えを始めた。夫婦とはいっても結婚してまだ日が浅い。達也の前で肌をさらすことに、彼女は、まだまだ恥じらいがあった。


 明子が暗がりでゴソゴソしていると、背後で達也が動く気配がした。明子はピクリと身を震わせながら、慌ててブラウスの前を合わせた。

「おはようございます。 ごめんなさい。起こしちゃいましたね?」

 達也から背を向けたままブラウスのボタンを留めながら、明子は、小さな声で謝った。

「今、何時?」

「6時です」

「早いな。まだ寝てればいいのに」

 達也が目をこすりながら、「戻っておいで」というように、空になった自分の寝床の隣を2度叩いた。


「達也さんは、まだ寝ていらしてもいいですよ。いつものように、7時に起こしにくればいいですか?」

「うん、頼む」

 達也は大きな欠伸をすると、頭から布団をかぶって芋虫のように丸くなった。結婚してからわかったことだが、彼は朝が弱かった。日中には決して見られない夫の子供っぽい仕草に顔をほころばせながら部屋を出た明子は、まずは顔を洗い、それから食堂へと向かった。



 鏡のように磨きこまれた黒くて長いテーブルを囲む真っ白な椅子。壁際には、実用向きではなさそうな、黒い板とガラス板を組み合わせた、モダンなデザインのサイドボード。 テーブルの奥にある大きな窓は、色合いの違う常緑樹がモザイク状に配された庭に面しており、大きな一枚のタペストリーのようにも見える。喜多嶋家の食堂は、六条家の食堂を比べるとずっと小さくて、少しばかり生活感にかけた冷たさがあるものの、洗練された美しさがあった。


「おはよう」


 エプロンを付けた明子が使用人たちを手伝ってテーブルのセッティングをしていると、この家の女主人である姑の多恵子が入ってきた。


「おはようございます」

「明子さんは、本当に感心ねえ。おかげで嫁いびりができやしない。面白くないこと」


 彼女のためにコーヒーを運んできた明子に、着席した多恵子が片肘を突きながら微笑んだ。化粧も衣装も比較的おとなしめなものでまとめている多恵子だが、彼女は、時々、そんなものでは装いきれないような、女の明子でさえドキリとするような艶やかさをみせることがある。


 達也と結婚してこの家に入るまで、明子は、多恵子に対して家柄の良さを鼻にかけた気取った女性だという印象を持っていた。だから、彼女とずっと付き合っていかなければいけないことに、少しの苦痛を感じていた。


 だが、多恵子が明子の印象通りに振舞っていたのは、結婚式後3日目までだった。4日目から、多恵子の明子に対する接し方は、一気にくだけたものに変った。


「だって、疲れちゃったんだもの」と、多恵子は明子に打ち明けた。

「紘一には悪いけれど、これから日中はずっと明子ちゃんとこの家で過ごすわけでしょう? 猫を被り続けるのは無理ってものよ。だったら、さっさと地を出したほうが楽じゃない」

 実際の多恵子は、どちらかといえば男っぽく、思ったことを思った通りに口にする、天真爛漫で表情の豊かな人だった。明子にとっては、一番嬉しい誤算である。


「お義母さま。嫁いびりがしたかったんですか?」

 足を組み、明子が持ってきたコーヒーをすする多恵子に、彼女はたずねた。

「ええ。可愛い達也を取り合って、嫁と姑で派手にやり合うつもりだったのよ。ああ、つまらない」

「それは、申し訳ないことをしましたね。お代わり、お持ちしましょうか?」

「いただくわ」

 多恵子が、カップを明子に突き出した。すかさず、明子が盆を差し出す。すると、多恵子は、カップを明子から遠ざけるように腕を上げて、カラカラと笑った。


「だから、そんなに気を使ってくれなくていいの。毎日それじゃあ疲れちゃうわよ。ここは家なんだから楽にしなさいって」

「あ、はい。すみません」

「ねえ? 他に我慢していることはない? 言いたい事があったら、何でも言っていいわよ。聞いてあげる」

 明子を問い詰める多恵子を見て、「奥さま、それではかえって若奥さまが怖がってしまいますわ」と、使用人たちが鈴を転がすような笑い声を上げた。多恵子が明子に対する態度を変えてから、彼女たちも、明子に対して親しげに接してくれるようになった。


「あら、そうなの? 姑をやるのも、なかなか難しいものなのね」

 使用人たちの軽口に気を悪くするでもなく、多恵子は、腕を組むと難しい顔をした。どうやら真剣に悩んでいるようである。彼女を安心させるために、『大丈夫ですよ』と言って、明子は微笑んだ。

「でも、言いたいことがあったら、本当に言っていいのよ。例えば、新婚なのに、仕事優先で新婚旅行がお預けっていうのは、あんまりじゃないか……とか?」

 多恵子が身を乗り出すようにして、明子にたずねる。

「仕方がありませんよ。結婚式そのものが急に決まったのだし」

「確かにねえ。こんなに急いで結婚させなくても良かったのにね。紘一も、なにをそんなに焦っているのだか」 

「お義母さまは、私たちの結婚に反対していらしたんですか?」

「もちろん大反対だったわよ」

 驚く明子に、多恵子が大きくうなずいた。

「相手のことを知らないうちに一緒にさせたって、いいことがあるとは思えなかったもの。でも、紘一の馬鹿は、私の忠告なんて聞きやしない。それでもね、紘一が話を持っていったところで、六条さんが受けやしないだろうって高を括ってたわけよ。それなのに、スルスルと縁談がまとまっちゃうんだもの。みんな、どうかしているんじゃないかと思ったわ。でも、お嫁に来てくれたのが、明子ちゃんでよかった。思いがけない当たりくじを引いた気分」

 多恵子が、明子を見て、とても嬉しそうに笑う。

「私も、お義理さまがお姑さんで良かったです」 

 照れながら明子が言うと、多恵子は、「ふふふ、義理の母子で愛の告白って。なんだか素敵」と、これまた嬉しそうに口の端を大きく上げて微笑んだ。


「私、お母さまが、こんなに気さくな人だなんて思ってもみませんでした」

 笑いながら、明子は思い切って打ち明けた。

「私? 外での私はプライドの高い喜多嶋家の奥さまぶって猫をかぶっているから、結婚式のときは違う人に見えた……わよね? ああ、でも、1回だけ、地が出ちゃったんだった」

 多恵子は、眉根をぎゅっと寄せて、ひどく悲しそうな顔をした。 


「私、勢いに任せて、あなたのお姉さんのことを傷つけちゃったのだったわ。紘一が『中村の影の社長を呼んできてくれ』って、情けない顔でお姉さんを拝み倒しているのを見ていたら面倒になっちゃったのよ。中村財閥がどれだけ偉いか知らないけど、そんなにもったいぶることないじゃないよってね」

「義兄は、別にもったいぶっているわけでは……」

 苦笑しながら姉夫婦を擁護する明子に、多恵子は、『そうなんでしょうね』と、重々しくうなずいた。

「さっぱり意味がわからなかったけれども、あれだけ念の入った祝電を書く手間をかけてくれる人だもの。あれを聞いたら、中村さんが外に出られない事情っていうのも、お姉さんが言うとおりなんだろうと思ったわ。それなのに、私ったら、ひどいこと言っちゃった」 

「大丈夫ですよ。姉は、気にしていないでしょうから」

 テーブルに額を押し付けて落ち込む多恵子を、明子は慰めた。確認するまでもなく、姉は多恵子の言ったことなど既に気にしていないだろう。彼女は、過ぎたことを根にもつタイプではない。それに、義兄が式場に送って寄こした慇懃無礼な祝電によって、充分すぎるほどの意趣返しを果たしたと思っているはずである。


「そうかしら? 本当にごめんね。紘一は、『あの結婚式はだな。こちらに六条と中村という協力な後ろ盾ができたということを、世の中と伊織たち喜多嶋化粧品チームに知らしめることこそに重要な意義があるのだ』とかなんとか偉そうなことをほざいていたけれども、本当は、有名な知り合いがいることをアピールして、皆から羨ましがられたかったってだけなのよ。まったく、どこまで馬鹿なんだか」

 多恵子が大きく息を吐いた息が、テーブルにふんわりとした靄をかけた。

「でも、私、そんな馬鹿で見栄っ張りな紘一が大好きなのよねえ。あんまり馬鹿なんで、放っておくわけにはいかないというか……」

「お義母さまったら」

 明子は、思わず姑の頭を撫でてやりたくなった。明子に対して装った態度を取らないようになってから、彼女は、この姑が日ごとに愛らしさを増していくように感じていた。こんなふうに多恵子から慕われている義父は本当に幸せ者だ。そんな果報者の夫の紘一が入ってくる気配を感じるやいなや、落ち込んでいたはずの多恵子が、しゃっきりと起き上がった。 


「おはよう。あなた」

 多恵子が、取り澄ました微笑みを浮かべて夫を迎えた。紘一が現れた途端、明子も使用人たちも、スイッチが切り替わったかのように多恵子に接する態度を改めた。夫の前以外の場所でも多恵子が地を出しまくっていることは紘一が快く思わないので、女たちだけの秘密なのである。


 さて、結婚式の時には、かなり情けない人物に見えた紘一だが、普段の彼は、見栄っ張りというより洒落っ気たっぷりの、なかなかダンディなオジサマである。達也が年を取って少しの贅肉と沢山の貫禄をつければ、この人そっくりになるに違いないと明子は予想している。


「なんだ? まだ、達也は起きてきていないのか?」

 食堂を見回しながら、紘一が不快そうに眉をひそめた。

「すみません! いますぐ起こしてきます!」

「いいよ。自分で起きない奴は遅刻させておけばいい」

 立ち上がりかけた明子を、紘一が止めた。


「いい大人が自分で自分の面倒をみられないでどうする? 遅刻が過ぎて自分の席がなくなったとしても、それは自業自得というものだ。放っておきなさい」

「でも……」と、明子が反論しかけた時である。「ひどいな、お父さん」 と言いながら、達也が食堂に入ってきた。


「遅刻を理由に、僕をクビにするつもりですか?」

 達也は、寝起きの悪さなど毛ほども感じさせぬほどスッキリとした顔に微笑を湛えて言った。

「そうなったら、伊織の奴が、さぞや愉快がることだろうよ」

 紘一が嫌味を言いながら、ソーセージにフォークを突き立てた。

「伊織だけでなく、文緒も喜ぶことだろう。『うちの俊鷹にも、とうとうお鉢が回ってきた』ってな」


(ええと…… 伊織さんは、お義父さんの弟さんで、紫乃姉さまのお友達の繭美さんのお父さまで、喜多嶋化粧品の社長さん。それから、文緒さんは、お義父さんの妹さんで、森沢さんのお母さま、だったわよね?)

 ふたりの会話を聞きながら、明子が、喜多嶋一族の家系図を頭に描いておさらいする。


「お父さん、そこまで言わなくたっていいでしょう? ちゃんと起きてきたんだから」

「そうですよ、あなた。少し言い過ぎですよ」

 微かな不快感を顔ににじませて、多恵子が紘一を諌める。表情豊かな多恵子を見慣れてきつつある明子は、彼女の言い方に物足りなさを感じた。だが、叱られた紘一は、ひどく堪えているらしかった。どうやら多恵子は口と表情に出さなかった分をテーブルの下で彼のむこうずねを蹴ることで補ったようだと、明子は紘一の表情から察した。 


「お父さん?」

 説教を中断したまま、テーブルの縁につかまって何かを必死に耐えている父親を、達也が怪訝そうに見つめている。

「なんでもない。それよりも、あれだ、あれ! あれは、どうなっている?」

 強がりを言いながら何食わぬ顔で食事の続きを始めた紘一が、無理矢理話題を変えた。


「あれって、ああ、昨日の話?」

 達也が応じると、「そうそう。たぶん、昨日のそれだ」と、紘一が強引に話を繋げた。


「その件につきましては、昨日、お父さんにお話した通りです」

 仕事の話だからだろうか。達也が言葉使いを改めた。 

「方針を変更する気はありません。海外への工場移転計画は予定通り進めます。その代わりに、北陸、東北、山陰の3工場を閉鎖。それから、喜多嶋ケミカルの研究所の大幅な規模の縮小……」

「え? 喜多嶋ケミカルの研究所って、森沢さんのところのでしょう?」

 多恵子が大きな声を上げて、達也の話を中断させた。

「でも、あの研究所は自由にさせておくのではなかったの? 亡くなったお義父さまがそう決めていらしたはずでしょう?」

「お母さんは、黙っていてください」

 達也が厳しい口調で母親から話の主導権を奪い取った。


「確かに、喜多嶋紡績は繊維業界のリーディングカンパニーとして常に最先端を行くべしという亡きお祖父さまの方針はわかります。実際に、あの研究所は幾つもの素晴らしい実績を上げてきました。ですが、あそこでやっていることの大半は的外れなことばかりです。改善の余地はいくらでもあります。それに、石油ショック以来、うちは業績が落ち込んで経営的に非常に苦しい状態なんです。お祖父さまの遺言に縛られて、いつまでもあんなお荷物を背負い込んでいるわけにはいきません」

「……と、いうことだそうだよ」

 コーヒーカップに口をつけながら、紘一が話を締めた。

「私としては、父の方針を変えるのは、あまり気が進まないんだがね」

「お父さんは、甘いんですよ」

 達也が父親に言った。

「お父さんは、文緒叔母さんたちから、やいのやいのと言われるのが嫌なだけでしょう? 身内の情に流されていたら経営は成り立ちませんよ。利益のでないところは思い切って切る。喜多嶋のトップとして、もっとドライになってもらわないと」

「そんなこと、お前に言われんでもわかっている」

「達也さん、言い過ぎですよ」

 ムッツリとだまりこんだ紘一を気遣うような視線を向けながら、多恵子がやんわりと達也をたしなめた。だが、今度の彼女は、テーブルの下で息子の足を蹴飛ばすようなことまではしていないようで、達也は涼しい顔をしたままだった。紘一は、息子のやり方に危うさを感じながらも、彼が大きな成果をあげているがゆえに戒めることができず、多恵子は、もともと達也に対して厳しい事が言えない。明子の目には、そんなふうに見えた。


 主が黙り込んでしまったので、 しばらくの間、食卓についている者たちは、無言で食事を取ることに専念した。居心地の悪い空気が漂う食堂の中で、目玉焼きを切るためにナイフを動かす音や、カップを受け皿におく音だけが、いつもより大きく響く。


「で、でも、あれですよね?」

 沈黙に耐えられなくなった明子は、おずおずと口を開いた。

「研究所は、縮小するだけであって、なくなってしまうわけではないんですよね?」

「もちろんだよ」

 達也もまた、言い過ぎたことを反省していたのだろう。嬉しそうな顔で明子の言葉に飛びついた。


「他社との競争に勝ち抜いていくためには、独自性のある良い製品を生み出すことが不可欠だということは、僕だって十分に承知している。だから、いらないところを無くした上で、そういう部分を強化していくつもりなんだよ」

「なるほど、そういうことなんですね。あ、すみません」

 達也の説明に感心しながらうなずいていた明子は、慌てて口を覆った。

「私ったら、なにも知らないくせに、会社のことで意見するようなことをして」

「かまわないよ」

 達也が明子に優しく微笑みかけた。

「いや、むしろ、奥さんが僕の仕事に興味をもってくれて嬉しいよ」

「そう、ですか?」

 明子がほんのりと染まった頬に手を当てた。そんな明子を、多恵子と紘一が微笑ましげに見つめていた。


 朝食が終わると、明子は、会社に出かける彼の仕度を手伝った。若奥様として使用人にかしずかれて生活させてもらっているのだ。せめて家にいるときの夫の世話ぐらいきちんを焼きたいと、彼女は思っていた。


「じゃあ、行ってくる。何度も言っているけれども、夜中まで僕を待って起きていなくてもいいからね」

 玄関先で明子から黒くて重い鞄を受け取ると、達也は迎えの車に向かって歩き出した。この日は、いつもの運転手に加えて秘書の久本英理子も車の側で達也を待っていた。

「本日は、このまま埼玉のほうにある取引先の縫製工場に向かうことになっております。午後には本社に戻りますが、本日は会議もございませんので、早くお帰りになられると思います」

 達也が車に乗り込んでいる間に、英理子が明子の傍によって耳打ちしてくれた。 


 その後の達也と英理子のやり取りから、明子は、達也がたまには早く帰って奥さん孝行できるようにと、英理子がかなり無理をしてスケジュールを調整してくれたことを知った。銀縁眼鏡が知的で冷たい印象を際立たせている英理子に対して、明子は苦手意識を持っていた。だが、多恵子の時と同様に、それも明子の思い込みに過ぎなかったようだ。自分はどうも先入観に振り回されるところがあっていけない……と反省している明子に丁寧なお辞儀をすると、英理子は達也と共に出かけていった。


 達也に続いて紘一も送り出してしまうと、多恵子が、せいせいしたと言わんばかりに太陽に向かって大きく伸びをした。


「ごめんね。 明子ちゃん」

 家の中に入る道すがら、多恵子が申し訳なさそうに明子に謝った。

「はい? 何がです?」

「朝ごはんの時のことよ。あんな雰囲気の中で食べたら、不味いだけよね?」

 多恵子が、食事の不味さを再現してみせるかのように、顔をしかめる。多恵子によると、達也は、昔から、あえて場の空気を読まないところがあるというか、自分が正しいと思うと何がなんでも相手をやりこめようとする負けず嫌いなところがあるそうだ。


「本当に、子供で困っているのよ」

 多恵子が弱々しく微笑んだ。

「でも、達也は、自分は充分に大人だと思っているから、母親の言うことなんか頭っから馬鹿にして聞きやしない」

「そんなことはないですよ。達也さんも言い過ぎたことは反省していらしたみたいです。それに、達也さんは、将来の喜多嶋グループ背負って立つものとして一生懸命頑張っているだけだと思いますよ。まだ若いから、少しばかり空回りしているというだけなんじゃないでしょうか?」

 母親としての多恵子の気持ちを慮りながら、明子が言った。それに、多少融通が利かないところがあったとしても、面白おかしく生きている人よりも一生懸命な人のほうが、ずっと好ましいと思う。明子が自分の気持ちを告げると、多恵子が嬉しそうに笑った。


「やっぱり、明子ちゃんが達也のお嫁さんに来てくれて良かったわ。あなたなら、達也がどんな馬鹿をやっても暖かく見守ってくれそうだもの。結婚式の時にはどうなるかと思ったけれども、あなたなら、きっと達也とうまくやっていける。これなら、私が孫の顔を見るのも、そう遠いことではなさそうね」

「そんな、子供だなんて……」


(でも、たぶん、当分は無理だと思います)

 嬉しげな多恵子に照れたような笑みを返しながら、明子は内心で姑に謝った。


 いくら達也と同じベッドを使っているといっても、彼とは、ただ並んで寝ているだけだ。彼と身を重ねてひとつになったことがないばかりか、キスさえしたことさえないとなれば、子供ができるはずがない。


 いくら明子がうとくても、それぐらいのことは知っていた。



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