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悪い女のつくりかた  作者: 風花てい(koharu)
悪い女のつくりかた
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Epilogue 2 

 どうして泣いてしまったのか、明子は、自分でもよくわからなかった。

 悲しいわけではない、嬉しいのとも、少し違う。ただ、牧師の祈りが自分たちを祝福するものに変った途端に、気が緩んだ。そうしたら、涙が止まらなくなってしまったのだ。


 思い返せば、この半年……特にここ一週間ほどの間に明子に起こった変化は、とても目まぐるしいものだった。その変化に遅れまいと、明子は常に気を張って必死に走っていたような気がする。そうしなれば、彼女はこの変化の激流を乗り切れなかったし、今こうして森沢と一緒にいることも叶わなかった違いない。

 だけども、牧師が達也と香坂唯の幸福を祈り、ついで、明子と森沢のことを祝ってくれた時、彼女は、「これからは、そんなふうに走らなくてもいいのだよ」と言ってもらえたような気がした。


 達也や唯を許すことは簡単ではないだろう。だからといって、ムキになっていつまでも彼らを恨む必要もない。恨むなら恨む、忘れるなら忘れるで、時の流れに任せればよい。これからは、負の感情に縛られることなく、自分を傷つけた者たちへの想いに振り回されることなく、隣にいる森沢と前を向いて歩んでいくことこそを一番に考えればいい。 

 牧師の祈りは、明子に苦難の終了と、新しい人生の幕開けを宣言してくれているようだった。


「後日、改めてお式をすることになるのでしょうが、せっかくですからね」

 組んだ手を解いて明子を振り返った牧師の茶目っ気を帯びた微笑と、祭壇後部の窓から差し込む陽光が涙で霞む。 

「明子?」

 心配した森沢が、明子の肩を引き寄せてくれたとたん、ここ数日間の間に何よりも安全で居心地のよい場所に変った彼の腕の中で、彼女は、今度こそ我慢を忘れて泣き出してしまった。

「あらら…… どうやら、栓が抜けちゃったみたいですね」

 神官が暖かい眼差しを明子に向け、「泣かせておいてあげなさい」と、森沢に勧めた。

「彼女、昨日の『外面似菩薩内心如夜叉』を地で行く花嫁さんの向こうを張って頑張ったんでしょう? きっといろいろあっただろうし、辛かったよね?」

 神官の手が、明子を抱え込むようにしている森沢の腕の隙間から、頭を撫でてくれる。明子は、「大丈夫です、彼がいてくれたから」と気丈なことを言おうとしたが見事に失敗し、しゃくりあげながら森沢の胸に顔を押し付けた。



 それから、15分ほど後。

 泣き止んだばかりの明子を残していくのが気がかりなのか、チャペルを出た後も、森沢は、なかなか出かけようとしなかった。しかしながら、今日は、明子よりも森沢と喜多嶋グループにとって大事な日であるはずだ。そんな日に、彼を遅刻させるわけにはいかない。

「本当に大丈夫ですから」

 明子は、森沢の腕を引っ張るようにしてホテルの正面口まで連れ出した。今日の森沢は自分の車を持っていない。彼女は停車しているタクシーの中へ森沢を追い立てると、運転手に行き先を告げた。

「明子、本当に……?」

「本当に大丈夫です」

 心配そうに窓から顔を出す森沢に、明子が笑顔で保証する。神官が言っていたように、さっきは、心の栓が抜けてしまっただけ。その栓から、涙と一緒に心の中にわだかまっていた悪感情も流れ出てしまったようで、明子としては、かえってすっきりしたぐらいである。 

「行ってください」

 明子は、タクシーの運転手に声をかけると、手を振って森沢を送り出した。気を取り直したように森沢が笑顔で手を振り返してくれるのを確認し、ホッとしながらきびすを返す。すると、前方に知った顔を見つけた。


「橘乃?」

 明回転扉から出てきた小柄な女性に向けて、明子は反射的に手を振った。

「明子姉さま!」

 ひとつ下の妹は、大きく手を振り返すと、駆け寄ってきた。一歩近づくたびに、こげ茶色のクセ毛がホワホワと揺れる。  

「橘乃? どうしたの?」

「迎えにきたの」

 ひとつ下の妹は、飛びつくようにして明子の手を両手で握りしめると、満面の笑顔で明子を誘った。

「行きましょう! お母さまたちが、お待ちかねよ」

「お母さまたちが?!」

 明子の声が1オクターブ跳ね上がった。『お母さまたち』? 『たち』と橘乃が言うからには、自分と姉と妹たちの母親全員、すなわち、源一郎の愛人全員のことだろうか? 夕食時にしか顔を揃えることのない彼女たちが、なんだってこんな半端な時間に揃って明子を待っていたりするのだろう?

「なんで? どうして?」

「昨日あれだけ派手なことをしておいて、『なんで?』はないでしょう? それにしても、姉さまが、あんなに大胆なことをなさるなんて思ってもみなかったわ! でも、行動はともかく、動機が姉さまらしくて素敵ね。素敵と言えば、あのドレス! 夢みたいに綺麗だったわ! 森沢さんとも、とてもお似合いで……」

 明子がしでかした大胆なこととやらに興奮しているためだろう。姉の動揺などお構いなしに、橘乃はさえずるように話し続けた。そればかりではない。明子と話す合い間にも、彼女は、フロント近くにいた梅宮に向かって、「昨日は、姉が大変お世話になりました。父がいつもワガママで、ごめんなさいね。でも、協力してくれてありがとう」と、本当は明子が言うべきだったことまで言ってくれたり、通りすがりの子供に笑いかけたりと大忙しである。しかも、口だけでも充分忙しそうなのに、彼女は手もちゃんと動かしていた。


「姉さまの荷物は、まだお部屋? そうそう! お茶菓子にホテルの焼き菓子を買ってくるように頼まれていたのだったわ。ねえ、梅宮さんが一番好きなお菓子は、なに? ナッツの? ああ、あれは私も大好き!じゃあ、それをいただきたいわ。それとパウンドケーキも外せないわね。数は……そうねえ……」

 いつ果てるとも知れない言葉の奔流に明子が翻弄されている間にも、橘乃は、さりげなく梅宮まで使役しながら、自分がするべきことを着々とこなしていった。おかげで橘乃が現れてから30分足らずの後には、明子は、ホテル謹製のドライフルーツたっぷりのパウンドケーキとナッツ入りの焼き菓子の入った大きな紙袋、それから自分の荷物と一緒に車の後部座席に収まって、家路へと向かっていた。



 車の中でも橘乃のおしゃべりは、やむことがなかった。橘乃の好奇心が完璧に満たされるまで、明子は質問責めにされた。車の中で明子が話したことは、六条家に到着後、橘乃によって、本人が語る以上に臨場感たっぷりに、食堂で明子を待ちかまえていた源一郎の愛人6人とその娘たち、そして使用人の一部に余さず伝えられることになった。


「……という訳でね、森沢さんは、明子姉さまをとてもとても大切にしてくださるし、仮とはいえ結婚式らしきものもしたしで、明子姉さまは、今とても幸せなのですって。ね?」

「は、はい、そうなんです」

 橘乃の言葉に、明子は顔を真っ赤にしながら、コクリとうなずいた。

 だが、明子と橘乃の正面に陣取った母親たちの顔は、幸せな話を聞き終わった後とは思えないほど、一様に不満げだった。


「なんか、つまんないわねえ」

 末妹月子の母が口を『へ』の字に曲げると、普段は父親の愛情を奪い合って角突合せているはずの女たちまでもが、彼女に同調するように大きくうなずく。そして、「明子ちゃんの本人の口から聞きたかったのにぃ」と、4女紅子の母がテーブルを両の拳で叩きながら駄々を捏ねれば、他の女たちも「そうだそうだ」と声を揃え、下の3人の妹たちは、「橘乃姉さま、出しゃばりすぎ!」と、野次を飛ばした。

「まあまあ、みんな、そんなに橘乃ちゃんを責めなくても」

 責められっぱなしは可哀想だと思ったのだろう。紫乃の母が、橘乃の援護するように彼女の背後に回った。

「昨日、8ミリだって見せてもらったでしょう? わざわざ本人から話を聞き出さなくても、あれで充分ではないかしら?」

「は、ははははは…… 8ミリ?!」

 明子は飛び上がった。兄は、ビデオは撮っていないと言っていたではないか?!

「源一郎さんがね」

 苦笑混じりに紫乃の母が明かす。 

 源一郎は、紫乃が香坂唯と明子とのやり取りを録音したことを見習って、唯が後から言い逃れできないように結婚式場に隠し撮りのカメラを仕込んでいたのだそうだ。彼に言わせれば、そこに偶然にも明子が映りこんでいただけということになるらしい。

「やっていることは笑えたけど、あのドレスをきた明子ちゃんは、本当にキレイだったわねえ」

 昨夜の映像記録を思い出しているのか、一同が宙を見つめてうっとりと呟く。だが、明子が思い出せるのは、昨日の自分の『笑える』醜態でしかない。

「や、やめてぇっ!」

 明子は、目と耳を塞ぐとテーブルに下にもぐりこむようにして膝頭に顔をくっつけた。ひたすら照れている明子が面白いのか、彼女の頭上で一斉に笑い声が上がった。



「それはさておき。橘乃。一番肝心なことを明子ちゃんに聞き忘れていないこと?」

 喧騒の中、今日も今日とてレースとフリルでゴージャスに着飾った橘乃の母親が、手を叩いて皆の注意を自分に向けた。

「肝心なこと?」

「後悔は、ないの?」

 アイラインで縁取られた大きな目が、射抜くような鋭さで明子に向けられる。 

「……え?」

「そんなこと、聞くまでもな……」

「橘乃ちゃんは、少ぉし、黙っていましょうか?」

 橘乃の抗議を、紫乃の母の柔らかな手がしっかりと封じた。返答を求めて、女たちの視線が明子へと集まる。


「森沢さんへの気持ちに、偽りはない? 夫に浮気されて苦しんでいるところに、たまたま森沢さんから救いの手を差し伸べてくれた。あなたは、ただ夢中でその手にすがりついただけで、助け出してくれるのであれば本当は誰でも良かった……ってことはない? ならば、もしも、森沢さんが浮気したら、あなたはどうするの? 今度は別の男の手にすがりつく? その程度の想いだってことはないのかしら?」

 一時の情熱に浮かされただけの恋なら、それは達也が溺れた恋と大差ない。彼女の指摘は容赦がなかった。

「森沢さんは、浮気なんかしないわ! 森沢さんは、姉さまだけよ!」と、恋に恋する年頃の妹たちが一斉に声を上げたが、人生経験豊富な母親たちから、「『あなただけ』なんて台詞はね、あの源一郎だって、いくらでも本気で言えるわよ」と一笑に付された。しかしながら、貶すそばから、「もっとも、あの馬鹿は、私たち6人に対して、本気でそう思っているようだけど」「そうでも思わないと、あの人もやってられないからでしょう?」「まあ……源一郎さんの場合は、やむにやまれぬ事情で私たちを手に入れたってところもあるから、責めるのも可哀想よねえ」などと庇ってやるところをみると、それだけ彼女たちが源一郎を愛しているということなのだろう。 


「でも、やむにやまれぬ事情……って?」

「例えば……そうね。 私は、そもそも源一郎なんて好きじゃなかったわよ。 あっちもそう」

 娘たちの問いに代表して答えたのは、明子の母親の愛海あみだった。  

「私もね。 母が父のお妾さんだったの」

 それは、明子も初めて聞くことだった。


 明子の祖母に当たる人が5歳で亡くなった後、愛海は本家に引き取られた。本家での彼女は、妾の子にありがちな運命……すなわち、使用人同然の扱いを受けて育てられた。 

 苛められるばかりの愛海の運命が一転したのは、12歳の春だった。母親以上の美しい娘に成長する兆しを見せはじめた娘に、祖父が別の使い道を見出したのである。野心家の彼は、愛海を使って有力者に取り入り、己の事業を拡大することを考えた。

「ちなみに、ここでいうところの明子のおじいさまの事業というのは、今の六条建設のことね」

 六条建設は、六条グループ配下にある。数年前の紫乃の婚約の際に中村グループ内にあった同種の会社と併さったこともあり、今ではグループの稼ぎ頭となっている。


「でもね。妾の娘なんて、有力者が妻として貰ってくれるわけがない。だけども、有力者のお妾さんならば……と、父は考えた」

 要は、有力者との繋がりができればいいのだ。彼女が男に気に入られることで、自分と自分の会社に旨みが流れ込むようになれば、彼の目的は果たされる。  


 彼は、愛海から擦り切れたエプロンを取り上げると、きれいに着飾らせ、淑女としての教育を施しはじめた。『これからは国際化だ』とかなんとか言いながら、複数の外国語も習わせた。そこまで彼女の教育に金をかけたのは、いわば先行投資であり、愛海をより大物の有力者に売りつけるための下準備でしかなかった。けっして、父親としての愛情からしたことではない。それを証拠に、愛海が『売り時』になった時に祖父が彼女の相手として目星をつけた男性は、成功者ではあったけれども妻子どころか孫や他にも妾を囲っているような年寄りばかりだった。

 愛海はなんとか祖父に思いとどまってもらおうと、あれこれ理由をつけては、エロジジイとふたりきりにされる窮地を避けていた。しかしながら、本家の世話になりながら祖父の意向に逆らい続ける彼女への風当たりは、日増しに強くなっていく。

 

 もう逃げ切れないと愛海が観念しかけた時に引き合わされたのが、源一郎だった。当時の源一郎は、事業を起こしたばかりだったが勢いがあった。いわば、ダークホース。祖父は、彼に賭けてみようと思ったらしい。ついでにいえば、源一郎は若くてハンサムだったから、いくら気難しい娘でも断るまいとも思ったようだ。 源一郎には妻がいたが、不仲であるという噂もあったので、もしかしたら本妻に取って代われるかも……という打算も働いたのかもしれない。

「とはいえ、妻以外にも女がいるだろうってことは、始めから察しがついていたわ。ハンサムで野心家なら、この先も、寄ってくる女性は後を絶たないだろうとも思った」

 愛海が他の女たちに目を向ける。 

「でも、源一郎は、私を性的対象としてしか見ていない他の男たちとは、ちょっと違うような気がしたの。というよりも、あの人も、父の会社と繋がりができるメリットに惹かれて私を手に入れようと思っただけみたいだった。それから、少しだけ私の境遇に同情してくれていたようでもあったわ。『エロジジイより俺のほうがマシだと思うなら、とりあえず俺にしとけば? そうすれば、あの強欲親父から自由になれるんだろう?』って言ってた」

 当時の源一郎は、今の源一郎よりも、ずっと野心家で、そしてずっと冷めていたそうだ。寄ってくる女性を拒否することもないかわりに、入れあげることもない。当時の彼は、愛とか恋というものになんの期待も抱いていないようにみえたそうである。 


 もっとも、愛とか恋に希望が持てず、彼を本気で愛していないのは、父親に売られたも同然の愛海も同じだった。

「私、その時、好きな人もいたしね。だから、むこうが不実でいてくれたほうが、こちらとしても気が楽だったのよ」

「え? 好きな人?」

 娘たちが目を丸くする。

「当ったり前じゃない! 私だって、昔はいたいけな少女だったのよ。憧れていた人のひとりやふたり、いたわよ!」

 明子と同じように背が高く、明子と違って態度も居丈高だと思われている女は、少女のように顔を真っ赤に憤慨した。


「でも、今は源一郎だけよ。私は、彼に感謝している。源一郎は、私の抱くためだけの女としての価値よりも、仕事のパートナーとしての価値を見出してくれた」

 母の顔に満足げな笑みが浮かぶ。明子の母は、源一郎に頼まれて、家に彼を訪ねてくる者の応対を引き受けている。ここでの会合は基本的に秘密であるらしく、明子も他の母親も詳しい事はわからないし聞かない。だが、今の母の生活が充実していることは、彼女の表情から充分にうかがえた。

「それに、付き合っていくうちに、彼の複雑なんだか単純なんだかわからない性格も愛おしく思えてきたしね。今は、女にだらしないところも、6人の女を同じだけ本気で愛していると思い込んでいるところも大好き」

 愛海は惚気を口にし、『それに、私を売った父にも、きっちりと復讐してくれたから、それにも満足しているわ』と言いながら、凄みのある含み笑いを浮かべた。

 そういえば、明子が物心がついたときには、祖父は、もはや六条建設の社長でもなければ会長でもなかった。ついでに言えば、明子は、この祖父という人に会ったことがない。いったい祖父に何があったのか? それを今たずねる勇気は、明子にはなかった。


 ただ、他にたずねたいことならばある。

「お母さまは、好きだった人と一緒になりたいとは思わなかったの?」

 明子は、母にたずねた。

「思っていたわ。でも、思っていただけ。ただの私の片想い」

「え? 片想い~?! 愛海お母さんがぁ?!」

 あり得ない…… 愛海を見つめる娘たちの目に疑心が宿る。 

「だから、昔の私はそうだったの!」

 テーブルを叩きながら叫ぶ愛海には、片想いに甘んじる内気な女の子の片鱗も見当たらない。


「別に、信じなくてもいいけど」

 愛海は開き直ったようだ。

「でも、昔の私は…… なんというか選択肢を自分から狭めていたところがあったみたい。好きな人がいても、その気持ちを打ち明けるわけにはいかないと思っていた。お妾さんになるのが嫌なら逃げればいいと今なら思えるのに、『できるわけない』って始めから諦めていた。誰かがどうにかしてくれることを望むだけ望んで、そのくせ自分は何もしないで流されるままになっていた。これじゃあ、好きな人に私の本気が伝わるわけがないわよね? 相手が本気になってくれなかったのは、だから、自業自得」

 過去を懐かしむような微笑を浮かべながら愛海が目を細める。しばらくの間、彼女は自分の物思いに耽っていたが、急にいつもの態度のデカさを取り戻すと、照れ隠しを兼ねて、「だっ、だから! あなたたちは、自分から人生を諦めちゃだめよ! 言いたいことは言う! やりたいことはやる! いいわね!」と拳を振り上げて妹たちを焚きつけ、この話はこれで終わりだと言わんばかりに、「それより、明子! さっきの質問の答えは?」と、強引に話を娘にふった。


「後悔なんかしないわ」

 明子は、愛海に向かって言った。


 同じような質問を、先日、森沢の友人の縒子からもされている。あの時よりもずっと確かな想いが明子の中で育っている。それは時間を追うごとに強く大きくなっている。

「上手く言えないけど、私、森沢さんに会えて、とても幸せだと思っている。あの人の仕事への情熱とか? そういうの、全部応援してあげたい。あの人とずっと一緒に仲良く暮らしていきたいから、そのための努力はしていくつもりだし、もしも浮気されたら、今度は黙って耐えたりしない。でもね、私たちって、もしも普通に出会っていたら、きっと今みたいなことにならなかったと思うの」

 明子は、目を伏せると、はにかみながら告白した。

 もしも……例えば、当初弘晃の大叔母が目論んでいたように森沢と明子が見合いで引き合わされたとしたら、明子は、『軽そう』な印象の森沢を敬遠していただろうし、森沢は森沢で、『堅苦しそう』な明子に興味を示すこともなかっただろう。

「だからね。今になって思えば、達也さんと不幸なことになってしまったのは、私が森沢さんと一緒になるために必要なステップだったのではないかな……って思うの。もちろん、虫のいい考え方だと思っているわよ。 だけど……」

 明子の視線がだんだんと下方に向く。ありもしないテーブルクロスの皺を念入りに伸ばしながら、彼女は話を続けた。 

「だけど、あのね。もしかしたら、達也さんが浮気しなかったら、私のほうが先に浮気していたかもしれないなあ……とか、ひょっとして達也さんが浮気してくれて、かえって良かったのかも……なんて思ったりね」

 冗談めかして笑いながら明子は顔を上げた。信じられないものでも見るような顔で、女たちが明子を凝視していた。


「お、かあさま、たち? どうか?」 

 怪訝な顔で明子が呼びかけると、女たちが大爆笑で応えた。

「それだけ好きなら、もう何も言うことはないわねぇ。心配して損しちゃった」

「明子ちゃんは、紫乃ちゃんと違って、どっちつかずのところがあるからね。でも、この調子なら大丈夫でしょう」

「大丈夫といえば…… あなたと結婚させてもらうために、森沢さんが源一郎さんと、とんでもない約束をしていたでしょう? あれ、大丈夫なの?」

「源一郎も源一郎よね。あんな意地悪しなくてもいいのに」

「焼き餅やいてるのよ。自分が男を選び損ねたくせに、大人げないったらありゃしない」

「やっぱり馬鹿ね」

 女たちの怒りの矛先が、だんだんと源一郎に向いていく。

「安心なさい。源一郎さんがどれだけ意地悪でも、あなたたちの結婚に反対しようとも、私たちがなんとかしてあげますからね」

 紫乃の母が、視線で他の女たちの同意を取り付けながら、明子を力づけてくれた。 


 それが口先だけの約束ではないことを、この後まもなく、明子は知ることになる。



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